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俺の名前を呼んでくれ!(前)

「ない!・・・ないよぉ・・・」
自分の部屋をひっくり返し、探し物をする紅葉。

紅葉、大学4年の冬。
就職の内定ももらい、あとは無事卒業するだけ。


そんな紅葉は探し物をしていた・・・。




「見つからなかったらどうしよう・・・」
紅葉の瞳に涙が滲む・・・。


秀からもらった犬の飾りが付いているキーホルダー。
大事にしていた・・・紅葉のたった一つの宝物。
いつもは大切に宝石箱にしまっていたが今日は気分が落ち込みバッグに付けていたのだ。
落ち込んだ時、勇気が欲しい時必ず持ち歩いていた。
今日は・・・というより、秀に振られてからずっと気持ちは晴れない。
ちゃんと秀に気持ちを伝えて、振ってもらって・・・先に進めると思ったのに・・・・・。
気持ちは相変わらず秀に残ったまま・・・・。

今日、デパートに買い物に行って・・・途中でキーホルダーがないことに気が付いた。
足を運んだ所すべて探して・・・そのうち夜遅くなって探せなくなり、今日のところは諦めて
帰ってきたのだ。
でもじっとしてられなくて・・・もしかしたら家を出る前に既に落としてたのかも・・・という僅かな
希望を持って部屋の中を探しまくっていた。










終電が駅に到着し・・・電車を降りた秀。
今日は残業で遅くなり、駅に着いたのは夜中だった。
「さぶい・・・」
電車を降りた途端、寒さに身を縮める。

『明日は待ちにまった休日だぁ・・・』
秀の会社は土日休みだ。今日は金曜日。
明日は思い切り寝坊するぞ・・・と思った。
改札を抜けて・・・・ふと・・目に入るものがあった。
切符売り場の隅の方に落ちている小さな物体。

近付いて見てみると・・・それはキーホルダーだった。

何となく気になり拾い上げてみる。

たくさんの人に踏まれて、蹴られたのか・・・かなり汚れていたが・・・。

「これ・・・昔紅葉が欲しがったキーホルダーに似てるなぁ・・・」
秀の手の平にちょこんと乗った・・・犬の飾りが付いたキーホルダー。

いくら似ているといっても・・・まさか紅葉の物とは思えず・・・。
でも、秀はハンカチで丁寧に犬の汚れを拭いてやり、ポケットに入れた。






秀が家の近くまで来た時、楓の家の前に車が停まっているのが目に入る。
助手席から楓が降りて、運転席からも男性が降りた。
「今日は楽しかったです」
楓の幸せそうな笑顔。
男性も・・・何も言わないけれど目がとても優しそうに楓を見つめる。

2人はごく自然に口付けし、男性は車に乗り込んだ。

走り出す車に手を軽く振り、見えなくなるまで見送る楓。

久しぶりに見る楓の幸せそうな笑顔。

楓はそのまま秀には気付かず、家の中に入っていった。

楓に付き合っている人がいる・・・ということは知っていた。
楓の母親が誉めていた。
『水沼さんって方よ。一度挨拶に来てくれてね!しっかりしててとっても良い人なのよ〜』

知っていたけれど・・・やっぱり辛かった。









次の日。
楓も土日はお休み。
今夜も水沼と食事に行く約束をしている。
水沼は今日は休日出勤で、PM7:00に車で家まで迎えに来てくれることになっている。


でもPM8:00になっても水沼は現れず、心配になってきた楓。
その時、楓の携帯電話が鳴った。

水沼からだった。


『ごめん。車が急に動かなくなって、レッカー呼んでたら遅くなった』
申し訳なさそうに理由を話す水沼。
一方楓は事故じゃなくて良かったとホッとしていた。
「気にしないで下さい。今何処ですか?」
『駅についた所だ。これから迎えに行くから』
「いえ、私が駅まで行きますから。駅の・・・改札の所で待ってて下さい」
『夜だから危ない。俺が行く』
楓はクスクス笑って言った。
心配性にも程がある・・・と楓は思った。
学生の頃なんか飲み会とかの帰り夜中に一人で平気で歩いてた。
まあ、酔っていたから恐さも感じなかったのかもしれないが・・・。
「まだ8時過ぎですよ?子供じゃないんだから平気です。だいたい水沼さん、いつも車で家まで来てたから
駅から家までの道・・・知らないですよね」
『・・・・・・・・・わかった。待ってる。どれくらいで来れる?』
「15分くらい。今すぐ出るから」

電話を切り、楓は出かけていった。










秀はせっかくの休日、ごろごろと寝て過ごした。
今もベッドでうとうとしていた。
残業ばかりで疲れがたまっていたのだ。


部屋の時計を見ると・・・PM9:00過ぎ・・・・。

『そろそろ風呂にでも入ろうかな・・・』
と思い、部屋を出ようとした。
その時、ふと駅で拾ったキーホルダーのことを思い出す。

タンスから昨日着ていたスーツを出し、ポケットからキーホルダーを取り出す。



「一応・・・紅葉に聞いてみようかな・・・」
でも・・・たぶん紅葉のではないだろう・・・。


紅葉の気持ちを知り、その気持ちを受け入れられなかった秀。
2人はあれから普段通りに話はするが・・・紅葉は前のように秀の側にいなくなった。

紅葉は昔の・・・安いキーホルダーなんてとっくに捨ててしまっているだろうと秀は思っていた。
それでも何となくこのキーホルダーが気になり・・・とりあえず聞くだけ聞いてみようと思った。

胸ポケットにキーホルダーを入れて南川家に向かう。

チャイムを鳴らそうとした瞬間。

勢い良くドアが開き、もう少しで秀の顔面に当たるところだった。。

「す・・・秀」
出て来たのは血相を変えた紅葉だった。

「ど・・・どうしたの?」
紅葉の様子は明らかにおかしかった。
玄関には母親もおろおろしながら立っていた。

「秀・・今秀の所に行こうと思ってたの・・・・・」
紅葉の声が震えていた。
その様子が普通じゃなく・・・不安になった秀。

「紅葉?どうしたんだ?」


「お姉ちゃんが・・・お姉ちゃんが駅に着かないの・・・」
「楓が・・・?・・・駅?」

「お姉ちゃん、40分くらい前に家を出て、駅に向かったの。水沼さんと待ち合わせしてて・・・でも
なかなか来ないって・・・心配した水沼さんがさっき電話くれて・・・」
駅までって・・・せいぜい15分・・・のんびり歩いたって20分あればつく・・・。
何にも連絡しないでそんなに人を待たせる楓じゃない。

「お姉ちゃん携帯にも出ないし・・・今水沼さん探し回ってる・・・・お父さんも探してる」
紅葉は混乱した声で秀言った。


「俺も探してくる!」
秀は家を飛び出した。
秀達の家は閑静な住宅街にあり、駅までの道は昼間は賑わうが夜はあまり人通りは多くない。
途中、あまり人が立ち入らない公園や、住宅街を抜けると川があり、広い河原などもあった。
楓は小さい頃からここに住み、慣れてしまっていたのだろうが、夜になると人気が無くなり
女性にとっては恐い場所もある。
まだ時間が早いからといって・・・駅までまだ着いていないのは何かあったと考えるべきだろう。





秀は走った。
もし・・・何か危ない目にあっていたら・・・・・。
考えるだけで胸が痛かった。
早く見つけなければ・・・・気ばかり焦っていた。


楓・・・・。
どこにいる・・・?















楓は駅に向かう途中で・・・突然横に停まった車の扉が開き引きずり込まれた。
楓以外近くに人はいなくて・・・抵抗する間もなかった。
中には若い男が3人乗っていて、後部座席にいた2人の男が嫌がる楓を押さえつける。
運転席の男がアクセルを踏んだ。
持っていたバッグは取り上げられ、中から金目の物だけ抜き取られ後は窓から捨てられた。


ガラの悪い男達。
ニヤニヤして楓を見ている。

楓はハンカチで口を塞がれ助けも呼べず・・・自分が何処へ連れて行かれるのかも
わからず怯えていた。
無遠慮に体を触ってくる男達が気持ち悪くて涙が出た

車はすぐに停まった。・・・着いたのは人気の無い雑草の生茂る河原。
周りは林で民家もない。

そこで一人の男に体を抱えられ車を下ろされた。



恐くて恐くて・・・体が震えた。


「ここなら叫ばれても誰も来ないだろ」
一人の男が楓の口を塞いでたハンカチを取った。
「声が聞けなきゃつまらないもんな」
別の男が笑いながら言った。


楓は・・・これから自分の身に起こることへの恐怖で・・・何も考えられなくなっていた。

ただ・・・その時頭の中に浮かんだ・・・たった一人の名前。


「嫌・・・・水沼さん・・・・助けて・・・」
小さな声で言った・・・・。


男の一人が笑いながら楓の頬を叩いた。
「こいつ、誰かに助けてって言ってるぜ」


草むらに乱暴に体を投げ出され・・・楓に覆い被さる男達。


「嫌ぁ!水沼さん!!助けて!!」





泣きながら叫ぶ楓・・・。














どんどん時間だけが過ぎていく・・・。
秀は息を切らし町中を走り回っていた。

電話ボックスを見つけ、一度紅葉に電話した。
まだ父親からも水沼からも楓が見つかったという報告はなく・・・・。






秀は・・・・心の中で叫ぶ。



俺の名前を呼んでくれ・・・!




犬型ヒーローになれば・・・・楓のいる場所なんてすぐに見つけられる。





追い詰められて・・・何か危ない目にあってるなら・・・・頼む!

友達としてでも・・・幼馴染としてでも・・・・・何でもいいから・・・・。



頼むよ。



俺の名前を呼んでくれ!


でも・・・。





届かない秀の気持ち。

楓は水沼のことを呼び続ける。


今楓が助けを求めているのは秀じゃなく・・・・水沼だった。

2001.8.8