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初めてのキス

「ごめん!!ほんっとにごめん!!」
秀の家で深々と頭を下げる楓。
秀と紅葉はそんな楓を見ながら・・・・拗ねている。


秀と楓は高校1年生、紅葉は中学3年生の秋の出来事。

明後日の日曜日、この3人で映画を見に行く予定だったのだ。この日が最後の上映日の映画。
『怨霊の館』という、すごく恐くて気持ち悪いと噂されている映画。楓が見たいと強引にこの2人を誘ったのだ。
他に一緒に行ってくれる友人も捕まらず(『気持ち悪いから嫌だ!』と言ってみんな逃げられてしまったのだ)
秀と紅葉が楓の餌食となったのである。
秀は正直言って・・・恐怖映画やスプラッタの映画が大の苦手でまともに最後まで見ることが出来るかどうか・・・
自信がなかったくらいだ・・・。それでも楓の頼みだ!頑張ろうって思っていたのに・・・楓はなんと・・・。
ドタキャンしやがると言い出した。

だから先ほどから平謝り状態でひたすら頭を下げ続けていた。

前売り券は3枚、既に買ってしまっていた。


何故ドタキャンなのかと言うと・・・理由は、隣のクラスの・・・気になっていた男子から遊びに行こうと誘われた
からなのである。・・・と、言っても2人きりではなくて、楓の仲良しグループ3人と相手も友達グループ3人で
遊びに行くのだ。正直に白状し、許しを乞う楓。
そんな楓を見て、秀も紅葉も・・・初めから怒ってなんかいなかった。


「わかった。俺と紅葉、2人で行ってくるよ」
秀はわざと肩をがっくりと落とし悲しそうに言った。
「ホントにごめん!」
「紅葉・・・楓に捨てられても俺達強く生きような!」
秀はわざとらしく泣くふりをして紅葉に言った。
紅葉は・・・・先ほど秀が言った『わかった。俺と紅葉と2人で行ってくるよ』・・・という言葉を聞いた瞬間
嬉しさのあまり・・・・固まっていた・・・。

紅葉はあまり秀と2人きりで出たけたことがなかった。
どこかにいく時はいつも3人で行動していたからだ。


「本当にごめんね・・・チケット代払うね」
楓はもう一度申し分けなさそうに言った。
「いや、確か見たいって言ってた奴がクラスにいたからそいつに聞いてみるよ。
ダメだったらもらうから」
そして・・・秀は楓を見つめながら「まぁ、・・・頑張れよ」と、微笑みながら応援の言葉を贈った。
楓は今恋をしている。
楓は、好きな人が出来たり恋をしている最中、秀には隠さずに、派手に喜び、怒って、泣いて・・いつも
いろんな話をする。
「頑張れよ」という言葉・・・・秀にとっては痛くて複雑な言葉である。
楓の泣き顔は見たくない・・・・でも楓の恋が成就してしまったら・・・・・そう思うと胸が痛いのだ。
『好きって気持ちは勝手だよな・・・』秀は心の中で思う。
楓の幸せを願っている・・・その気持ちに嘘は無いのに・・・同時に自分の気持ちを受け入れて欲しい
・・・とも思う。でもそれは楓の『失恋』を願っていることになるわけだ・・・。



秀と楓、高校は別々になった。秀としては楓と同じ高校へ行きたかったのだが・・・レベルが高すぎた。
秀の成績が悪かったわけではない・・・楓が良すぎたのだ。

今は楓は電車通学で、秀は自転車で通っている。
家を出る時間も違えば帰ってくる時間も違う。前より顔を合わせる時間は減ったが、それでも
楓は時間があれば秀の家に顔を出していた。秀も楓と会えるように努力した。

好きな人が出来ても自分のことを必要としてくれている・・・そのことが秀の支えでもあった。





日曜日
よく晴れた気持ちの良い日だった。





「紅葉〜!秀君来たよぉ〜!まだ支度出来ないの〜」
1階から母親の声がする。紅葉は自分の部屋に洋服を広げて何を着ていこうか迷いに迷っていたのだ。
何と言っても秀と・・・2人きりのお出かけなのだ・・・。紅葉にとっては『デート』と一緒だ。

散々迷い・・・結局、1番気に入っているセピア色のワンピースにした。
それと昨日買った、可愛いお魚の形をした飾りが付いているネックレス。
鏡に映るチビで痩せっぽちの・・・見栄えのしない自分の姿を見て・・・ため息がでる。
『どうしてお姉ちゃんのように可愛く生まれなかったんだろう・・・』と。
紅葉は・・・性格のせいもあるだろう。全体的にとても地味なのだ。
よく周りの人に楓と比較された・・・。その度に心がチクチク痛むのだ。




「ごめんね。待たせて・・・」
紅葉にとっては最大限のお洒落だ。緊張気味に秀の所へ行った。
居間で母親と話し込んでいた秀が紅葉の方へ振り向いた。

「わぁ!紅葉可愛いじゃん!」
秀は微笑みながら言った。紅葉の心臓がダンスしている。
「そんなに可愛いのに俺なんかが相手じゃ申し訳ないね」
紅葉に笑いかける秀。紅葉はぷるぷると首を横に振った。

『秀が可愛いって言ってくれた!!』紅葉は踊り出したい気持ちだった。


「んじゃ、行こっか!上映時間に間に合わなくなる」
「うん!」
いつもより、少しだけ側によって歩いてみる。
2人きりのデートだ・・・。紅葉は嬉しくて・・・幸せだった。

秀の笑顔はいつも紅葉を優しく包み込んでくれる。
秀といると空気まで輝いて見えそうだった。

でも・・・秀が想っているのは楓。
未だに自分の気持を秀に伝えられずにいた紅葉・・・。
紅葉は・・・勉強や運動や・・・外見では・・・楓にかなわないけれど・・・秀に対する気持ちだけは
負けないと思っていた。





秀は駅までの道を紅葉と歩きながら・・・楓のことを考えていた。
今日、楓は朝早く出かけていった。ちょうど秀が新聞を取りに外へ出た時に楓と遭遇したのだ。
行き先は遊園地だそうだ。手には大きな手提げを持っていた。たぶんお弁当でも作ったんだろう。
嬉しそうに出かけていく楓を複雑な心境で・・・それでも笑顔で送り出した。




「南川、料理上手いんだな〜!」
楓の想い人、林田が言った。他の男子達も嬉しそうに食べている。
「楓の作るものは絶品たよね〜!ケーキも美味しいんだよ」
「ね〜」
ベンチに座ってお弁当タイム。友達の祐美と奈津は口々に楓を売り込んでくれる。
そう、祐美と奈津は楓が林田を好きなことを知っていて、応援してくれているのだ。
そんな2人に感謝感謝の楓。
「早起きして作ってきたかいがあった!よかったぁ〜」
と笑った。

林田はとても整った顔立ちで・・・かっこ良いし・・・綺麗でもあった。
だから競争率も高くて・・・その林田に誘ってもらえるとは思わなかった楓。
でも、楓は楓自身も競争率が高い人気者の存在なのだ、ということに自覚を持っていなかった。

『今まで林田君とは挨拶できればいい方だったのに、それがいきなりこんなに急接近できるなんて・・・
ラッキー!!』
楓は・・・燃えていた!

楓は、一度想い入れたら一直線、真っ向から自分の気持を受け入れ、相手の気持ちも受け入れる。
楓は一度信じた人に対しては・・・心を全開にして接する。
その分裏切られた時の衝撃は計り知れないのだ。そんな所は・・・ひどく要領が悪かった。

遊園地は家族連れで賑わっていた。

楓自身遊園地に来るのは久しぶりではしゃいだ。
オバケ屋敷やジェットコースター、乗れるだけ乗ろうとみんな張り切った。

楽しい時間はあっという間に過ぎて・・・・日が暮れ始め、夕日で空が真っ赤に染まっていた。


「最後に観覧車乗ろうよ!」
林田が切り出した。
他の男子も「そうしようぜ!」と言って観覧車の方へ歩いて行った。
別に何も不自然なことではないのだが・・・楓の中で・・・男子たちの笑い顔が・・・何か引っ掛かった。


観覧車の入り口で2人ずつ乗ろうということになった。
林田は「南川さんは俺と乗るよね」と当たり前のように楓に手を差し伸べた。
楓はその手を取り観覧車へ乗り込む。

緊張していた。
それと・・・何故か不安を感じていた。

向かい合って座って林田の顔を見つめる。
林田はクスクス笑いながら「どうしたの?表情固くなってるよ?」と言った。

楓はうつむき、その後は2人とも無口だった・・・。


観覧車がてっぺんに差し掛かった時、林田がいきなり楓の隣へ座った。
観覧車が揺れて・・・・・・・・気が付いたら楓の目の前に林田の顔があった。

林田が余裕の笑顔で「いい?」・・と聞いてきた。
楓は意味がわからずキョトンとしていた。
『何が『いい?』なんだろう・・・』と考えているうちに林田の顔が近付いてきて・・・・。
『もしかして・・・キス??』・・・と、ようやく理解し・・・・・・・。




ちゅっ!




林田は楓の持っていたショルダーバッグに口付けしていた。

楓が反射的にバッグで顔を隠したのだ。

林田はムッとした顔で「嫌なの?」と言った。
楓はおろおろしながら一生懸命、気持ちを整理した。
「嫌ってわけではなくて・・・・ただ心の準備が出来てなくて・・・その・・・・」
「じゃあ早く準備してよ」
そんな・・・急かされたってすぐに準備出来る楓ではなく・・・。
気が付いたら観覧車は地上に戻ってしまっていた。


観覧車を降りて・・・気まずそうに林田を見てみる。
林田は・・・機嫌が悪く、どこか怒っているように見えた。


それから楓達女子組はトイレに行って・・・・。
祐美と奈津より先に外へ出てきた楓・・・・。
男子たちが待っているメリーゴーランドの方へ歩いて行った。

そこで・・・楓に気付かず会話していた男子たち。
その内容に・・・・楓は激しい怒りを感じた。



「俺達の勝ちだよな。林田」
「まだわからないだろ!」
林田が一人の男子を睨んで言った。
もう一人の男子がニヤニヤしながら「だってさっき拒絶されたんだろ?」と言った。
「心の準備が出来てないって言ってただけだよ!」
「とにかく、この遊園地出るまでにキスできなかったら賭け金払えよ!」




楓の唇が・・・賭けの対象になっていた・・・。








「秀・・・大丈夫?」
秀と紅葉は映画を見終り・・・喫茶店にいた。
秀は映画の気持ち悪さに・・・ノックアウトされていた・・・。

「だ・・・大丈夫・・・」
秀は苦笑いしながらコーヒーを口にした。


「そういえば・・・余ったお姉ちゃんのチケットってどうなったの?」
「ああ、友達が喜んで買い取ってくれた」
「そっかぁ・・・」
「これからどうする?」
秀が腕時計を見ると、時刻はPM4:00をまわっていた。
夕飯を食べるのには早すぎるし・・・・・秀は「帰る?」と紅葉に聞いた。
紅葉は「えっ」・・と小さな声で言ってうつむいた。
まだ帰りたくなかった。もっと一緒にいたくて・・・。

「い・・・行きたい所あるの!!」
と・・・とっさに言ってしまった紅葉。
秀は「どこに行きたいの?」と・・・言った。

紅葉は焦った。何の考えもなしに言った言葉。
秀といられるなら別に何処だっていいのだ。
行きたい所行きたい所・・・呪文のように唱えて・・・・。

「秀の学校行きたい!」
身を乗り出して答えた。
秀は一瞬キョトンとしが・・・。
「あ、そうか!紅葉、ウチの高校受験するんだよな」
「うん!」
「でも、もう夕方だし日曜だから入れないかもしれないよ」
「いいの。外から見るだけでいいの」
「・・・うん。じゃ、行こう」






紅葉は秀の通う光岡高校を第一志望にしていた。



高校に着いた時にはもう夕暮れ時で・・・夕焼けをバックに校舎が赤く染まっていた。
「お!校門開いてるぞ」
紅葉は校舎に入ろうとする秀の手首を掴んで止めた。
「紅葉?」
「いいの。今は中入らなくていいの」

紅葉は秀の手首を掴んだ手を下に落としていき・・・秀の指に手を絡ませた。
そして校舎を見つめる・・・・。

そんな紅葉を秀は不思議そうに見ていた。

紅葉はあまり成績は良くなくて、担任からは光岡高校は難しいと言われていた。
でも紅葉は頑張るって決めたのだ。
初めは諦めさせようとしていた両親も担任も、紅葉の頑張っている姿と少しずつではあるが成績も
良くなっていくのを見て・・・希望通りにさせてくれた。

『絶対・・・来年の春ここの生徒になる・・・』
秀の手をぎゅっと握って心に誓った。

校舎を食い入るように見つめていた紅葉に秀は笑いながら言った。
「紅葉、合格したら何かプレゼントしてあげるよ」
「プレゼント?本当?!」
「うん。あんまり高価な物はあげられないけどね」
「うん!嬉しい!!」
「勉強もわかんない所があったら楓と俺に聞けよ。ま、俺より楓の方が頼りになると思うけどな!」
「うん!」

秀の言葉はどんなお守りよりも紅葉の心を強くしてくれる。
しばらくそのままじっとしていた2人・・・いつの間にか頭上には星空が広がっていた。


「・・・紅葉、お腹空いてないか?俺何だかラーメン食べたくなってきちゃった」
「うん!食べたい」
「この近くに美味しくて安いラーメン屋があるんだ。寄ってく?」
「うん!」
今日は良い事がたくさんあって・・・紅葉は幸せだった。

ラーメン屋に向かって数歩足を進めた所で・・・秀が苦しそうにしゃがみ込んだ。
「秀?どうし・・・・!!」
紅葉の言葉が詰まった・・・・。秀の体を金色の光が包む。
・・・紅葉は今回は焦らずに対処できた。
まず周りに人かいないか確認し、変身しつつある秀を自分の体で隠した。


光が消え・・・つぶらな瞳の可愛い犬の姿が現れた。相変わらず羽がはえていて
笑える姿である。

『楓が俺を呼んでる!』
秀の犬耳がひょこんと立つ。
楓の居場所を心で感じる。
羽を広げて飛び立とうとして・・・・・紅葉のことを思い出し顔を上げる。

『ごめん、紅葉・・・・・俺、行くね・・・』
そんな想いを込めて紅葉を見つめる。
「行っていいよ、秀。私は大丈夫。そのかわり今度ラーメン奢ってね!」
『もう辺りは暗いから・・・タクシーひろって帰れよ・・・』
秀は紅葉を案内するようにすぐ側の大通りへ抜ける道へタタタと走って振り返った。
「うん。わかった。車で帰るから・・・心配しなくて平気だよ。それより早く行きなよ。
その姿人に見られるとやっかいだよ・・・」
紅葉が笑ってバイバイって手を振る。
秀は耳を後ろにして『くぅーん』と鳴いて・・・頭を下げた。
そして・・・・今度は躊躇することなく飛び立った・・・。



夜空に姿を消した秀。
紅葉はその空をしばらく眺め・・・とぼとぼと大通りまで歩いていきタクシーを止めた。

車に揺られながら・・・・・・。
紅葉は小さなため息をついて・・・心の中で呟く・・・。
『・・・お姉ちゃんの・・・意地悪・・・』





楓の居場所を探りながら飛んでいくと・・・自宅の近所にある公園で見つけることが出来た。



気付かれないように草むらに降り立ち、身を屈める。
楓はベンチに座って・・・ものすごい恐い顔をしていた・・・。

『・・・何だあいつ・・・めちゃくちゃ機嫌・・悪いな・・・』
見た所・・・身に危険が迫っているという雰囲気ではなかったので、前回のように人間の姿に
戻るかと思いしばらく身を隠していたが・・・一向に変化が見られない。

『今回は犬の姿で行けってことか・・・?』
秀はそう判断し、公園内を見渡して人がいないかを確認する。

『よし!誰もいないな・・・』
そして・・・ゆっくりと楓の方へ歩いていく・・・。













『くぅ〜ん・・・・』
怒りで叫び出したい気持ちだった楓の耳に・・・犬の鳴き声が聞えた・・・。
気がつくと・・・いつのまにか足元に犬がちょこんと座っていたのだ。

可愛い犬だなぁ・・・と思った瞬間、犬の背中に羽があるのを見つけ・・・唖然とした・・・。

でも驚いたのはほんの一瞬。
楓は昔自分を助けてくれた犬のことを忘れたことは一度もなかった。
だから・・・羽のはえた奇妙な犬でも・・すぐに受け入れられた。



「わんちゃん・・・おいで・・・」
微笑みながらベンチの空いているスペースを手でパンパンとする。
犬は誘われるままベンチに上がり楓の右隣にお行儀良く座った。

楓は犬の頭を愛しそうに撫でて・・・その後・・・軽く抱きしめた。
「あの時は助けてくれてありがとうね・・・・」
楓は・・・あの日自分を救ってくれたヒーローにずっとお礼が言いたかったのだ。
犬は嬉しそうにフサフサの尻尾を振って、耳をぴくぴくさせた。

「ふふふ・・・」
楓は犬の可愛い仕草に目を細めて微笑んだ。

犬はじっと楓を見つめる・・・・。
楓はその瞳を見ているうち・・・・自然に話を始めていた・・・。




「人間って・・・嫌ね。・・・平気で人の気持ちを持て遊んだり踏みつけにするのよ・・・」
犬の顔を見ながら言葉を続ける。
「私・・・なんとなく良いなぁ・・て思う男の子がいてね・・・。憧れていたの。とてもかっこ良かったのよ。
でも・・・最低な奴だった」
犬の耳がピンッと立った。
「その男の子ったら私の唇を奪えるかどうかで賭けをしてたのよ!!数人の男子達と!!」
そうなのだ。林田は友達の男連中と成り行きで賭けをした。
学校1の美人、楓を堕とせるかどうかで賭けをした。
始めは冗談だったのだろう。でもそのうち引っ込みがつかなくなったのだ。
自分がもてることを知っている林田はプライドも高い。
今日遊園地にいるうちにキス出来れば林田の勝ち。
出来なければ負け・・・・。
完全に・・・ゲームだ。

それを聞いた秀・・・・『その男・・・・ぶっとばしてやる・・・』と、心を燃やした・・・。
が、その直後
「あったまきたからその場でぶん殴ってやった!!もちろんグーでよ!グーで!!
ったく冗談じゃないわよね!人のファーストキスを何だと思ってるのよ!!」
・・・という楓の言葉を聞き・・・・・『さすが楓・・・・・』と身震いした。

しかし・・・唇の行方はどうなったのか・・・秀はすごく気になった・・・。

『そのサイテ―野郎にファーストキス・・・盗られちゃったのか?』
心配そうに顔を覗く犬の姿に楓はクスッと笑った。
「大丈夫!心配しなくても!私の唇は無事!」

犬はホッとしたかのようにふにゃっと頭を下げた・・・・。

「優しいね・・・君は・・・・」
犬の顎を撫でながら微笑む。
「私って男運・・・悪いよね〜・・・・。男見る目もないのかな・・・。どっかに優しくて私のこと大事にしてくれる
良い男・・・いないかなぁ・・」
『俺は?俺は??』秀は心の中で立候補する。尻尾もいつもより多く振ってます状態で・・・。

その時、酔っ払った、ちょっとヤクザチックなごつい中年男が公園内に入ってきた。
男は楓の姿を見つけるとニヤリと笑って近付いてくる。

男が楓の前にたち塞がった。
楓はキッと男を見上げ恐い気持ちを必死で抑え男を睨みつける。
「綺麗な子だねぇ〜・・・いくらでヤらしてくれる?」
そんなことを言いながら楓の肩に手を伸ばしてくる・・・・。

その時・・・秀は羽をバサッとはばたかせ、前足に体重をかけ後ろ足をふわっと宙に浮かし・・・・
男の胸倉に『ミラクル犬キック』を叩き付けた。

男は数メートル吹っ飛び・・・地べたに沈没した。


『俺の楓に汚い手でさわんじゃねえ!!』
ベンチの上で4本足に力を入れて胸を張る秀。
・・・・・・人間の姿の時にこの台詞が言えればどんなに良いか・・・・・。


男はしばらくしておろおろと立ち上がり一目散に逃げていった・・・。




楓は犬を見つめて・・・クスクス笑った。
犬がちょっとだけ首を傾げて『何で笑うの?』と目で語る。

楓は犬を思い切り抱きしめた。
「ありがとう!わんちゃん!君って最高!!」
そして・・・楓は犬の頬を撫でて・・・・ゆっくりと顔を近づける・・・。

ちゅっ!




秀は・・・一瞬頭が真っ白になった・・・。
『・・・今の感触・・・・・楓の唇・・・・?!』

楓は犬の口にキスをした・・・。


楓はその後頬にもキスをして・・・耳元で囁く。
「前の分と今日のお礼。私の初めてのキスだよ」


もし秀が今、犬でなかったら顔中真っ赤だったろう・・・・。





「君が人間だったら良かったのに・・・・・」
楓の言葉。


犬と話しているうちに楓の気持ちは穏やかになっていた・・・。
『不思議ね・・・秀の名前を呼んだら君が来た・・・・』
犬の瞳は秀と同じ安心感を与えてくれる。

その時、犬の体が震え出した。
「わんちゃん・・?」
楓が心配そうに顔を見つめると・・・苦しそうに『くぅ〜ん』と声を上げ楓の腕からするっと出て行った。
ベンチの下に飛び降りて、一度だけ楓の方を振り返りすごい速さで全力疾走し茂みの中に消えていった。



「わんちゃん・・・・」
楓は犬が姿を消した方をしばらく見つめていた・・・。





『また・・・会えるよね・・・』









人間の姿に戻った秀・・・またまた泥だらけの姿。
でも・・・そんなことはどうでもよくて・・・。
木の陰に隠れて・・・・唇に触れる・・・。

「俺・・・楓とキスしたんだ・・・・・」
でも・・・犬の口・・・・。
嬉しいんだか悲しいんだかわからない・・・秀のファーストキス・・・。


混乱しながらも楓が無事家にたどり着くまで見届けた・・・・。

2001.8.3