戻る

さよなら(後)

紅葉の元に駆けつけた水沼と運転手が慎重に秀を車まで運ぶ。

車の後部座席に横たえ、紅葉は秀の頭を膝に乗せた。
体中傷だらけで泥だらけ・・・・ぼろぼろになった秀。
紅葉は秀の命を放さないように必死で手を握り続ける・・・・・・。

水沼は助手席に乗り込み、運転手は車のアクセルを踏んだ。

「秀死んじゃやだよ・・・」
紅葉はずっと泣きっぱなしで秀に呼びかける。


「彼は死なない」
水沼の言葉。
紅葉は顔を上げた。
水沼が紅葉の方に振り向き、微笑んだ。

「死なせてたまるか。・・・・・秀君には同じ土俵に上がってもらう」

紅葉は水沼の言葉に目を見開く。

「彼が嫌がっても・・・無理やりにでも俺と同じ土俵に上がってもらう」
「水沼さん・・・・」
「彼だけじゃない・・・・楓も・・・・そして紅葉ちゃん、君もだ」
水沼は紅葉に優しく微笑んだ。
「好きなんだろ?・・・秀君のこと・・・・」


紅葉の瞳に涙がたまり、微笑む時、大粒の涙が落ちた。
「・・・はい。大好きです・・・・」
振られてからも・・・やっぱり好きで好きで・・・・・。

だからもう一度・・・・もう一度頑張ろう・・・・。



「楓には・・・辛いだろうが全てを知ってもらう・・・・・でないと楓も秀君も紅葉ちゃんも・・・・そして俺自身も
前に進めない。これが正しいかどうかは知らんが俺はそうしたい・・・・。紅葉ちゃん・・・協力してくれるね?」
水沼は、暗闇を進む車の前を見つめながら言った。


紅葉は水沼の言葉に頷いた。




このままじゃ前へ進めない。
紅葉は秀の頬にそっと触れる。
愛しくて愛しくて・・・・・。
だから・・・。
だから何処へも行かないで!
秀の手を握り締め・・・紅葉は祈る・・・・・・。











寒いよ・・・

誰か・・・

誰もいない・・・・・・・

真っ暗闇を歩く

何処へ向かえばいいのかも

何をすればいいのかもわからず

ただ寒くて・・・

もう歩くことも考えることも感じることもやめようとした時

誰かが俺の手を優しく包み込んでくれていることに気が付いた

その手の温かさが心地良くて・・・

離したくなくて・・・もう一度歩き出す・・・

「秀・・・」

誰かが俺の名前をずっと呼んでいた・・・・









秀が完全に意識を取り戻したのは2日後のことだった。

その間一度だけ朦朧としながらも意識が戻った。
病院の集中治療室。
秀の第一声は「楓は・・・?」だった。
看護婦から楓の無事を知らされると・・・安心したようにまた眠りについた・・・・・。
かなり厳しい状況だったが・・・助かった。





その後、個室に移された。

次に、今度ははっきりと目覚めた秀の目に飛び込んできたのは泣いて目を赤くした母親の顔。

「隣に行って来る」と言ったきり帰って来なくて、水沼からの電話で病院に行き、いきなり生死をさ迷う
息子の姿を見れば誰だって取り乱すだろう。

水沼は、秀の怪我の理由を教えろと両親に詰め寄られ、必死ではぐらかした。
楓の事件があった場所に忘れ物をして、探している時にたまたま発見した・・・という
かなり苦しい理由を押し通した。
あとの『言い訳』は秀自身にまかせようと思ったのだ。

楓は検査の結果、何の異常も見られなかったので既に退院している。
ただ・・・精神的にまいっているので、まだ秀のことは何も知らず自宅で療養している。

楓の両親は秀の怪我を知り、状況はわからないが楓を探している最中の怪我なのは確かで・・・
秀の両親に詫びに来た。
でも・・・長い付き合いで、ましてや誰も悪くない状況。悪いのは息子をこんな姿にした『犯人』なのだ。
秀の両親は誰も責めなかった。

水沼はその『犯人』が誰なのか知っている。
・・・・・・・が、なにせ秀が『犬』だった時の出来事。水沼自身も困り果て
後の判断は秀本人に任せることにしたのだ・・・・。


秀は目覚めてからぼんやりと考えていた。
目が覚めた時には誰も自分の手なんか握ってなかった。
でも秀は眠っている間ずっと誰かの手のぬくもりを感じていたのだ・・・。
あれは誰の手だったのか・・・・ずっと考えていた。






数日後、傷は痛むが話はしっかり出来るようになった秀、それからは両親の質問攻めにあった。
誰に何をされてこんなとんでもない怪我を負ったのか。
でも・・・どんなに問いただされても秀は
「河原を走ってて、思いっきり転んで、転がっていた石や割れたビンとかにあたった!」
・・と言い張った。
秀の傷はどう考えても鋭利な刃物で刺された傷。
それでも最後まで秀はこのめちゃくちゃな言い訳を押し通したのだ。

『同じ土俵に上がってもらう』
秀は水沼や紅葉の思惑も知らず、まだ自分の正体を隠し通すつもりだったからだ。
(もっとも本当のことを話しても信じてはもらえないだろうが・・・)

紅葉は頻繁に秀の所にお見舞いに来た。
それこそ・・・1日のうち、病院にいる時間が家にいる時間よりはるかに長いのではないかと思うくらい
来ていた。
「紅葉がいなかったら俺死んでたな!ありがとう。探し出してくれて」
笑いながら紅葉に礼を言う秀。
よもや水沼に自分の正体を知られているとは夢にも思っていない。

そして・・・夜、秀が一人だった時、見計らったように珍客が現れた。
今度は窓からではなく、きちんとドアから入ってきた。




「よう!クソガキ!」
それは・・・・秀が5歳の時に出会ったガラの悪い男。
相変わらずスーツをだらしなく着ていた。
さすがに何処で人に会うかわからないので、おでこの星マークは包帯で隠していた。
病院なので目立たない。

「流れ星さん・・・・・」
忘れもしない・・・・秀の願いを叶えてくれた・・・・流れ星。

「クソガキ。傷の具合はどうだ?」
秀の傍らに立ち、ニヤリと笑った。
寝ていた秀は体を起こし微笑んだ。
「何とか大丈夫です。・・・・でも・・・俺もう大人ですよ?ガキじゃありません」
秀の言葉に流れ星は『ケッ』と言い、笑い飛ばした。
「星の寿命、何年だと思ってるんだ?俺に言わせりゃテメーなんぞ尻に卵の殻くっつけたヒヨッ子だぜ」
星の寿命と比べられちゃかなわないな・・・・と秀は苦笑いした。

流れ星は目を細め秀を見つめる

「・・・俺が何しに来たか・・・わかってるな?」
秀も流れ星を見つめて・・・・微笑んだ。
「・・・はい」



流れ星は手にしていた鞄から『プライベートヒーロー解約書』を取り出す。

秀に差し出された書類。

秀はその書類をしばらく見つめて・・・必要事項を記入し、サインした。

これで犬型ヒーローとは本当にお別れだ・・・・。




書類を受け取った流れ星は・・・・フッ・・と軽く笑い、秀を見る。
秀を見つめるその瞳には・・・・優しさが込められていた。

「正直言ってお前がこんなに頑張るとは思わなかった・・・・」
流れ星の言葉に秀は首を傾げる・・・。

「今まで何人ものプライベートヒーローを見てきたが、お前ほどのバカ・・・見たことねーよ」
「バカって・・・」
「よくもまあ、報われない恋にここまで一生懸命になれるもんだな・・・と呆れてたんだ・・・・・」
言葉とはうらはらに・・・流れ星の微笑みは・・・本当に優しくて・・・・。


「俺・・・一生は無理だったけど・・・守り通せたかな・・・楓のこと・・・・」
秀は少しうつむいて言った。



「ああ。お前はよく頑張ったよ・・・・・」
流れ星の言葉は優しい・・・・・・。


秀は目を閉じ・・・・心の中で別れを告げた。

犬型ヒーロー・・・。何の変哲もない雑種の犬。
白いふさふさした毛に茶色のぶち模様。小さな羽がついている・・・
その姿は可笑しくてかっこ悪くて・・・・でもあの犬には秀の気持ちが込められていた。
5歳の時誓った・・・楓を守りたくて、そのことだけを願った・・・そんな秀の気持ちそのもの。

幸せだった・・・・・・・。


『さよなら・・・・』





「さてと・・・・じゃ、俺、もう帰らなきゃなんねーから・・・」
流れ星が秀の頭をポンポンと軽く叩き、ドアの方へ向かう。



秀は流れ星の背中に向かって言った。
「・・・・ありがとうございました」




流れ星はドアのノブに手をかけたまま振り向いて笑った。
「おう!元気でな」




流れ星は去って行った。
本当に・・・・さよなら。








流れ星は病院の廊下を歩きながらクスッと笑った。
『・・・俺にも・・・あいつのバカがうつったかな・・・・』
流れ星には、帰ったら山のような始末書が待っている。
流れ星は落ちる場所を選んじゃいけない・・・・。
でも、このガラの悪い流れ星は2回も規則を破った・・・・・・。


最後の秀の変身。そして紅葉の願い・・・・。
『死なせたくなかったんだよな・・・・あのクソガキを・・・・』
頭を掻きながら流れ星は呟いた・・・・・。



犬型ヒーローとの別れ。

秀の片想いとの別れも近付いていた・・・・・・。

2001.8.9