戻る

さよなら(前)

気を失っていた楓は病院へ到着する直前救急車の中で目覚めた。
楓の目に入ったのはホッとし、その後優しげに微笑む水沼の顔。
恐怖から解放された安心感と水沼が側にいた嬉しさからか・・・楓の瞳から涙が零れた。

病院で傷の手当てを受け、殴られたので明日脳の検査を受ける。
今夜は病院に入院することになった。
顔は腫れ上がり、体中擦り傷だらけだったが・・・・その他は無事だった・・・・。
あの犬がいなかったらどうなっていたか・・・そう思うと楓は震えた。




『わんちゃん・・・・怪我していたのに・・・・』
楓は心を痛めた。水沼から、楓が気を失った後のことを聞いたのだ。
あの犬が何の手当ても受けず姿を消したことを気にしていた・・・。

病室は個室を用意された。
水沼に付き添われ楓がベッドに横になった時、水沼から連絡を受けた楓の両親と紅葉が病室に飛び込んできた。
水沼は、救急車の手配や警察への連絡、楓を襲った連中の引渡しなど・・・すべて済ましていた。




「本当に・・・娘を助けていただきありがとうございます・・・」
楓の両親は涙を浮かべながら水沼に頭を下げた・・・。
「楓さんを助けたのは・・・・私ではないんです」
水沼は複雑な・・・困ったような顔で否定した・・・。
楓を救ったのは・・・あの犬だ。でも・・・どうやって説明したら良いのかわからず・・・
この言葉以上のことを言えずにいた。
きょとんとする楓の両親。
楓には水沼の心境がよくわかる。
『空飛ぶ犬が助けてくれた』・・・などと言っても・・・誰が信じるだろう・・・。


楓は・・・傍らで困惑している水沼を見上げ微笑んだ。
「水沼さんが助けてくれたのよ・・・」
楓は水沼の頬の傷を見て、どれくらい危険だったかがわかった。
傷は結構深く楓と一緒に治療を受けた。
何針か縫った。一歩間違えば・・・命に関わっていた。
自分が気を失っていた間・・・水沼も楓を守ってくれていた・・・・。



紅葉は楓が無事だったことにホッとたが・・・・胸騒ぎがしていた。
秀は携帯を持って出なかったので連絡の取り様がなく、楓達と一緒にいることを願って
病院に来たのだが・・・病室に秀の姿はない。

「・・・お姉ちゃん・・・秀の名前・・・・呼んだ?」
紅葉は思い余って・・・楓に聞いた。
楓にしてみればわけのわからない紅葉の質問。
きょとんとしながら答えた。
「呼んでないけど・・・・どうして?」
あの恐怖の中、楓の頭にあったのは水沼のことだけ。

紅葉は必死に考える。
『じゃあまだお姉ちゃんを探し回っているのかもしれない・・・』

でも・・・・・・・・紅葉は質問を変えてみた。
「犬・・・・茶色のぶち模様の犬・・・見なかった?」
その紅葉の言葉に・・・・・楓も水沼も目を見開いた・・・。
その2人の反応を見て紅葉は確信した。
「犬・・・いたんだね?」
食い入るように2人を見つめる紅葉。

「紅葉・・・あの・・・羽のはえた犬のこと・・・知っているの?」
楓は紅葉を見つめて言った。
紅葉は小さく頷いた。
「お姉ちゃん・・・犬が助けてくれたんでしょう?」
楓は水沼の方に目をやり水沼もそれに答える。
一呼吸置き、水沼は紅葉を見つめ・・・・言った。
「羽のはえた・・・不思議な犬が楓を助けてくれた。あの犬がいなかったらどうなっていたかわからない・・・」
「その犬は・・・その後・・・どうしましたか?」
紅葉は今ここにいない秀のことが気になってしかたがない。
変身が解けたら・・・・秀なら病院に駆けつけるか少なくとも何らかの形で連絡はくれるはずだ。
それが未だに何の連絡もない。
水沼は紅葉の必死な眼差しに・・・何かを感じながら静かに答えた。
「犬は酷い怪我を負ってたのに俺達の前から逃げるように姿を消してしまったんだ・・・・」


紅葉は水沼の言葉に固まった・・・・。
声を絞り出すように言った。
「怪我って・・・・・?」
声が震える・・・・。


楓は泣きそうな紅葉を気にかけながら・・・・小さな声で言った。
「怪我・・・私を庇って・・・ナイフで刺されたの・・・・」





秀・・・今どこにいるの・・・?





足が震える。
紅葉は病室から飛び出した。

「紅葉!何処行くの!」
3人の会話を不思議そうに聞いていた母親が呼び止めるが紅葉はかまわず廊下に出て走りだす。
途中後ろから腕を掴まれ、止められたので、振り返り・・・腕を掴んだ主を睨んだ。
水沼だった。
「離して下さい!!」
早くしなきゃ秀が死んじゃう!そのことで頭がいっぱいだった。
「犬を探しに行くの?」
水沼は静かな声で言った。
「早く行かなきゃ秀が死んじゃう!」
紅葉は涙声で訴えた。
水沼は紅葉が何かを知っていると悟った。
「紅葉ちゃん・・・教えてくれ。あの犬は一体何なんだ?」

秀・・・ごめん・・・・約束・・・破るよ・・・・・。
秀と紅葉の・・・2人だけの秘密

「あの犬は・・・・秀なの・・・・・・」

紅葉の涙声・・・。

水沼は目を見開いた。
秀とは直接会ったことはないが楓からいろんな話を聞いていた。
楓の幼馴染で・・・・親友。

「あの・・・空飛ぶ犬が・・・秀君・・・?」
唖然とする水沼の腕にすがり紅葉は泣いて訴えた。

「お願い!秀を助けて!このままじゃ秀死んじゃう!」

嫌だ!秀がいなくなっちゃう!
そんなの絶対嫌だ・・・!!
紅葉の心は張り裂けそうだった・・・。


紅葉の姿は悲痛なほど真剣で・・・。


水沼は・・・自分を見つめていた犬のひたむきな眼差しを思い出す・・・・。



水沼は紅葉の腕を掴み走り出した。
水沼に引っぱられながら一緒に走る紅葉。
「水沼さん・・・・」
「死なせたり・・・するもんか!」
水沼の真剣な瞳。
病院を出てタクシーを捕まえる。
あの怪我の状態では、秀は事件現場からそんなに遠くには行っていないはず・・・。
水沼と紅葉は河原に向かった。



タクシーの中で・・・紅葉は水沼に、泣きながら犬型ヒーローの話をした。
紅葉が知っていることを全て話した。
秀の気持ちを泣きながら伝えた・・・・。
頭の中は混乱し言葉はめちゃくちゃだったけれど・・・大好きな秀の想いを泣きながら
伝えた。

水沼はただ・・黙って聞いていた・・・・。




河原に着き、タクシーを降りる。
降りる際、水沼はタクシーの運転手にこのままここで待っているように頼んだ。
中年の、人の良さそうな運転手は水沼と紅葉の様子からただ事ではない雰囲気を感じていた。

「もちろん待っていますが・・・・誰かをお探しですか?」
運転手からの質問。
水沼は・・・その運転手の顔を見つめ・・・言った。
「この河原のどこかに怪我人がいるんです・・・」
運転手は迷わずに言った。
「事情はわからないが私も一緒に探します・・・一刻を争うんでしょ?」

運転手は軽く微笑み、河原に向かって走り出した。
紅葉は涙ぐんで運転手の後姿を見つめた。
「犬・・・・秀君が消えたのはあっちの方です!」
水沼は運転手と紅葉にそう叫びその方向を指差した。
そして水沼も走り出す・・・。







秀・・・きっと見つける。
紅葉も走り出した。


手分けして探す・・・。


広くて延々と続くような雑草の生茂る河原。しかも夜の暗闇の中だ。
この中から秀を探し出すのは至難の業のように思え・・・・。




早くしなければ手遅れになるかもしれない。
そんな考えが水沼の脳裏を過ぎる・・。
あの犬の傷は・・・酷かった。
楓を救ってくれた・・・・犬。
楓を救ったのは秀だ。
『ちくしょう!死なせてたまるか!』









「秀!!どこにいるの!答えて・・・秀!」
叫びながら走る紅葉。

泣いてる場合じゃないのに後から後から涙が零れる。






時間だけが過ぎていく・・・。
もうどれくらい経っただろう。



「秀・・・・嫌だよぉ・・・」
紅葉は立ち止まって・・・空を見上げる・・・。
星たちが涙で滲んで見える・・・・。

「どこにもいかないで・・・・」


紅葉は・・・・星を見ながら叫んだ。

「どこにいるの!!秀ーーー!」
その言葉と同時に・・・・流れ星が落ちた。














「くぅ〜ん・・・・・」



紅葉の耳に・・・かすかに聞えた犬の声・・・。

『犬の・・・声・・・・』

紅葉は涙で濡れた目を擦り、声の方へ視線を向けた。









少し離れた草むらに・・・・ぼんやりと・・・犬の姿が浮かんでいた。
白地に茶色のぶち。
犬型ヒーローの姿・・・。
でも・・・一瞬でその姿は闇に消えた・・・・。







「・・・秀?」
紅葉は駆け出した。
途中草に足をとられ派手に転んだ。
でも、すぐに立ち上がり犬がいた場所へ必死になって走って行った。

「秀!」
生茂る草を掻き分け・・・紅葉の目に入ったのは・・・・。



服を血で染め、倒れている秀の姿。




「秀・・・・」
紅葉はよろけながら秀の傍らに座る。

「秀・・・」
秀の右手を取り・・・両手で固く握る。

「秀・・・ねえ・・・秀・・・」
紅葉の呼びかけに答える気配はない。




「嫌だ!!秀!助けて!水沼さん!!秀を助けて!」
紅葉の叫び声が辺りに響き渡る。





紅葉の声は水沼と運転手に届いた。
2人は声の方へと走り出す。


「秀!秀・・・秀」
夢中になって呼びかける。
返事をくれない秀に・・・・それでも呼びかける。

ちゃりん・・・

紅葉の膝に何かがあたった・・・。
視線を落とすと、地面にキーホルダーが落ちていた。

「これ・・・・」
紅葉の声が詰まる・・・。
紅葉が探していたキーホルダーだった。
秀からもらった紅葉の宝物。

震える手でキーホルダーを拾う・・・・。
犬の飾りには血が付いていた・・・・。
紅葉は秀の顔を見つめる。

『秀が見つけてくれたんだ・・・・・・・』
このキーホルダーには紅葉の気持ちが込められている。
紅葉の宝物。
もう見つからないかもしれないと思っていたのに・・・紅葉の所に帰ってきた。

2001.8.9