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君の心に花束を@

「・・・またバイト・・・続かなかった・・・」
夕焼け空を見ながらつぶやく少女。いや、年齢からいえば少女ではないのかもしれない。
外見がものすごく幼いため少女にしか見えない。
佐伯ゆず 19歳 小柄で大きな瞳、可愛い少年を思わせる顔立ちをしていた。
ゆずはとぼとぼと重い足取りで家への道を行く。
手には買い物袋が下げられている。今夜のメニューは肉じゃがと焼き魚・・・頭で
帰ってからの段取りを考える。
・・・・今の私に出来ること・・・精一杯やらないと・・・・。ゆずはため息を付く。
1年前の事件がゆずに残した傷は・・・とても深かった。事件以来ゆずは・・・
男性がとても恐い存在になってしまった。大勢の人がいる中でならまだ耐えられる。
でも・・・2人きりになってしまったり、近くに寄られたり、触れられたりすると・・・耐えられないのだ。
今回バイトを辞めたのもそのことが原因だ。続けていても近いうちにクビになっただろう。

「何か1人で出来る仕事探そう・・・」

このままじゃいけない・・・そう強く思えば思うほどゆずは追い詰められて行った・・・。



ゆずの男性恐怖症。男性が恐くてしょうがない彼女・・・ただし唯一恐くない男性が存在する。
それどころか・・・ゆずはその男がとても大好きなのだ。


「おじさん・・・今日は何時ごろ帰って来るかな・・・」








その、ゆずの唯一恐怖の対象外の男、高田秀治はケーキ屋で色とりどりに飾られたケーキを
ぼんやり見ていた。
会社帰り、たまにはケーキでもお土産に買って帰ろうかな・・・と思い立ち寄ったケーキ屋。
秀治自身は甘い物はあまり好きではないので家で待っている「同居人」の顔を思い浮べて
ケーキを選んだ。
高田秀治 32歳 外見は年齢より若くは見えるものの、どこかくたびれた印象を受ける
その雰囲気。昔はエリートコースまっしぐらの仕事人間だったが、妻の死を境に
人が変わったように何に対してもやる気をなくした。・・・・・・・彼女に会うまでは。
彼女とは・・・現在秀治の家にいる同居人のことだ。同居人の名前は佐伯ゆず。
彼女とは1年前のある事件で出会い、成り行きで同居することになり・・・1年が経とうと
している。ゆずと生活を始めてから秀治は時間と生活を大切にした。
生き甲斐を見つけたように・・・・。


2人は間違っても「同棲」ではなく「同居」という状況。秀治は結婚した時に小さいながらも
家を購入しており、ちゃんとゆず専用の部屋も用意することが出来た。
出会ってから秀治とゆずとの間にあったのはたった1度のキス。
・・・それは秀治を落ち着かせるためにゆずの方からしたものだった。


当初の予定ではゆずが新しい仕事とアパートを見つけるまでの同居生活・・・のはずだったが・・・。

ゆずの様子がおかしいのに・・・しばらくして気が付いた。本人は必死で隠しているようだったから
秀治も気付かないふりをしている。辛そうなゆずを見ているのは秀治にとっても辛かった。
側にいてやりたいとも思っている。・・・そして、秀治自身もゆずが側にいると安らげたのだ。

その気持ちが何なのか・・・秀治は戸惑っていた。

秀治のゆずへの気持ちはとても複雑だった。
ゆずが自分を好いてくれている・・・それは強く感じている。

でも秀治の心の中には・・・他界した妻・・・由理香がいる。とても大切だった人。その気持ちは今も変わらない。
ゆずに対しては・・・年齢差も原因だろうが保護者的感情が強い。もちろん好意は持っているし大切な
存在だとも思っている。ただ、その『好き』という気持ちは『愛している』・・・とは違う・・・そう思っていた。

・・・いや、そう思い込もうとしていた。






秀治はケーキの入った箱を手に持ち家への道を急ぐ。もうあたりは真っ暗になっていた。






玄関のドアを開けると真っ先に飛び出てきたのは・・・愛犬チロ。

チロとの出会いも1年前だ。野良犬だったチロはゆずの友達で秀治にとっては
会社をサボってボーっとしていた『公園』の先輩だ。ゆずと同時に高田家の同居犬になった。

チロがひとしきり秀治に『お帰りなさい』のご挨拶を済ませた時におたまを持った
エプロン姿のゆずが台所から顔を出し、言った。

「お帰り!おじさん。今日は肉じゃがだよ!」
「ただいま。・・・うん。良いにおいがしてる・・・・」

秀治は微笑みながら言った。そして手に持っていたケーキの箱をゆずに渡し自分の部屋へ着替えに行った。
秀治は部屋着に着替え机の上にある写真に言った。

「ただいま由理香」

そう言った秀治の顔はとても優しいものだった・・・。



同居を始めて1年間・・・その間に秀治とゆずの気持ちは少しずつ変化してきた。


2人はこの1年・・・静かにそっと心を寄せ合って暮らしてきた。

この2人には静かに安らげる時間が必要だった。



でも、今・・・それ以上のものを求め始めていた・・・。
2001.5.2