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美咲の告白

朝食をすませ、居間でのんびり本を読んでいた野々村の下に、お手伝いさんが急ぎ足で近寄った。

「輝義さま。美咲様がお見えになりましたが…。」
「え?お一人で?」
「はい。あの…かなりお急ぎのようですが。」
お手伝いさんの困惑した表情は、尋ねてきた美咲の様子がおかしいことを訴えていた。

野々村は本を投げ出し、全力とは言わないまでも、玄関へと駆け出した。

玄関に縮こまるように立ち尽くしていた美咲の視界に、野々村の姿が入る。
美咲は助けを求めるような眼差しを野々村に向けた。

「輝義様。」
「美咲さん?どうしたんですか」
美咲の様子に野々村は思わず驚きの声を上げた。
<酷く怯えている>
「一人で来たんですか?お父様は?」
美咲が野々村家へ訪れる時はいつも父親と一緒で、一人でなど来たことはなかったのだ。
今日は、父親がいる気配はなかった。
大人しくてめったに自分の感情を相手に伝えようとしない美咲。
でも、今の美咲は必死だった。

「ごめんなさい!お父様が酷いことをしようとしているんです!」
そう叫びながら美咲は野々村の腕へ縋りついた。
「落ち着いて、わかるように話して下さい。」
野々村はわざとのんびりした口調で言い、優しく微笑んだ。

居間で、お手伝いさんが持ってきた紅茶を飲み、美咲は少しず落ち着きを取り戻した。

「大丈夫ですか?」
「はい。」
「じゃあ、順を追って話してくれますね?」
野々村の言葉に美咲はコクリと頷いて小さな声で話しを始めた。

「今朝、父と秘書の藤谷さんとの会話を偶然聞いてしまったのです。」
「どんなことを話していたんですか?」
美咲は俯いて、一瞬言葉を詰まらせるが、勇気を振り絞り、顔を上げた。
「父は…輝義様の心に決めた大切な方に、何者かを雇って危害を加えようとしています。」
「大切な方って…?」

美咲は切なそうに野々村を見つめた。

<まさか…。>
野々村は血の引くような感覚に襲われた。
「まさかみのりのこと?」

<輝義様の想い人はみのりさんという方なのですね……>
野々村の想い人の名を知り、美咲の胸が切ない痛みを訴えたが、今はそれどころではなかった。
「その、みのり様という方を暴力的なやり方で脅そうとしているんです。」
「でも、権藤さんが何でそんなことを……。」
何でみのりにそんなことをしようとしているのか、野々村には理解ができなかった。

美咲は震える声で事情を説明した。

「父は私のために輝義様がお慕いしている女性を遠ざけようとしているのです。」
「美咲さんのため?」
野々村は<どういうこと?>と、言いたげに首を傾げた。
美咲の鼓動が早くなる。
<逃げてちゃだめ。ちゃんと話しをしなきゃだめ!>
自分の気持ちを奮い立たせ、消えてしまいそうな弱々しい声で言った。

「私が、輝義様のことが好きだからです…。」
言い終わる頃には美咲の頬は真っ赤になっていた。
「……へ?」
「好きなんです。」
美咲の瞳は真剣で、野々村は突然の告白に目をまるくした。

「だから、父は私のために輝義様の恋の邪魔をしようとしているのです。」

野々村は少しずつ美咲の言葉を理解し、権藤のやろうとしていることの形が見えてきて
唖然とした。

「ごめんなさい。父が酷いことを……ごめんなさい。」
美咲の瞳から涙が零れる。周りの人間の評価はともかく、美咲にとっては優しい父親なのだ。
父親の悪意のある裏工作を知り、美咲は傷ついた。
そして、その原因が自分にあることを思うと、悲しくて胸が張り裂けそうだった。
野々村はため息を付いた後、ニコッと微笑んだ。

「辛かったでしょうに、よく教えてくれましたね。」
「輝義様……。」
涙で濡れた美咲の瞳が野々村を映した。
野々村は権藤への激しい怒りを感じたものの、美咲の気持ちもわかるだけに
その感情を押し殺した。

「お父様と話しをつけてきます。美咲さんはここにいて下さいね。」
野々村は場合によっては権藤に容赦なく詰め寄らなければならないだろう。
万が一、みのりに傷の一つでも付けたりしていたら、手加減ない手段で
報復してしまうであろう自分を予測できた。
美咲に辛い場面を見せたくなかったのだ。

でも、美咲は強い意志を持った眼差しで野々村の言葉を拒絶した。
野々村に告白したことで、少しだけ美咲の中で何かが変わったようだ。

「私も行きます。」
「でも……。」
「大丈夫です。」

野々村はしばらく美咲の顔を見つめ、ため息をもらした後、微笑んだ。

「意外と頑固なんですね。」
「私も自分で驚いています。」
「…できるだけ平和的な話し合いで済ませようと思いますが、もしみのりに何かあったら…。」
美咲はその言葉の続きを野々村から横取りするように続けた。

「その時は父をぶっ飛ばしちゃって下さい。」

美咲は父のことが好きだった。だからこそ、間違いに気が付き、改めて欲しかった。
そして、美咲自身もそのことから逃げてはダメだと思っていた。

さて、時間は刻々と過ぎていき、現在時刻はAM9:35。
約束の時間より随分早くに待ち合わせ場所に着いたみのりは、ドキドキしながら壮介を待っていた。
その時壮介は、やはり早めに家を出ていて電車に揺られ、
待ち合わせ場所まであと少しの所まで来ていた。

<壮介早く来ないかな…>
駅前にある噴水。2人の待ち合わせ場所。
みのりは噴水を背に、駅の改札を見つめていた。

そんなみのりを、駅の傍にある電話ボックスの中から杉田が眺めていた。
相変わらずサングラスにマスクを装備した、怪しげな変装姿。
<どうしよう。早く人気のないところへ行かないかなぁ…>

電話もかけずに食い入るように外を見つめている杉田に、災難が迫っていた。

2002.4.3