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 悟は自分の前を歩くクロを見つめ、ひたすら歩く。
 春香も隣を歩きながら、チラッと悟の顔を見る。

<笹山君って不思議な人だな…>
 春香には見えないが、悟は確かにクロを見つめている。
 初め悟から『幽霊犬』などという存在を聞かされた時は信じられなかった。

<でも今は信じられる>
 悟の視線の先に、確かに存在する犬の魂。

 春香はいつの間にかクロの存在を受け入れていた。

 少し歩いたところで公園への入り口が現われ、クロは当然のようにそこへ入っていく。
 入口脇に看板が立っており、『憩いの森公園』と書かれていた。

「あ、ヤベっ!」
 悟は少し焦ったように声を漏らした。

「どうしたの?」
 春香が不思議そうに悟の顔を覗きこむ。

「中山。俺から少し離れてた方が良いぞ。」
 悟は苦笑いしてそう忠告した後、早足で前に進み春香から離れ、公園に入って行く。
 振り返って「中山はそこで待っててくれ。」と春香が歩くのを制止させる。

 春香は首を傾げながら、とりあえず言われたとおり公園を入ってすぐの所で立ち止まった。
 悟が春香から離れたのにはわけがある。
 それは、これから悟の身に起こるであろうことが、春香にとっては危険だからだ。
 彼女を守るためなのだ。

 悟のみクロについて行き、変化はすぐに起こった。

 公園には夕食前に散歩を済まそうとしている飼い主さんたちが愛犬を連れている姿が
ポツポツと見ることが出来た。。
 その愛犬たちは悟の存在を察知すると、顔を上げ目を輝かせる。

<公園が散歩コースだったのはラッキーだな>
 犬の出入りが許されている公園は飼い犬たちの社交場だ。

<さあて、情報収集だ!>
 悟は立ち止まり、気合を入れて犬達の過剰な愛情を受け入れる体制を整える。
 クロも悟が歩かないので仕方なしに傍で座り込んだ。

「あら?ナナエちゃん?そんなに引っ張らないで。」
「何処行くの?コロちゃん、もう帰るのに…。」
「シナモン君、暴れないで!わかったからー。」
 飼い主さんたちが口々に叫びながら愛犬に引きずられて悟の許へやって来る。

 やって来たのはパグ、柴犬、ゴールデンレトリバーの3匹。
 みんな悟に飛びかかるように愛情をぶつける。

 悟は犬達の頭を撫でる。

「みんなかわいいなー!」
 懸命な営業用スマイル。
 今は飼い主さんたちに好感をもたれないと困るのだ。
 悟は人見知りなどはせず、誰にでも気軽に話しかけることが出来る性格なのだが、愛想を使うことは苦手なのでぎこちない笑顔になる。
 

 集まった飼い主さん3人はみんな主婦らしかった。

「うちのコロちゃん、人見知りが激しいからめったに懐かないのに…。」
「そういえばそうよね。私この前吠えられたもの。」
「シナモンは誰にでも付いて行きそうで困っちゃうのよ。」
 3人とも、知り合いなのかそうでないのか…悟を中心にして気軽に会話を始める。

 悟はしゃがんで犬たちをかまいながら、会話に入っていく。

「この公園、毎日の散歩コースなんですか?」
 悟の気軽さに乗せられ主婦たちは楽しげに答える。
「ええ。1日に1回は必ず来るわね。」
「うちもよ。」
「うちは1日おきくらいかしら。散歩コースは犬任せだから…。」
「たまに顔を会わせるものね、私達。」
「でも挨拶以外でちゃんと話すのは初めてね。」
「そうそう、そう言えばねぇ、この間は…。」
 気を抜くと、井戸端会議が始まりそうなので悟は慌てて本題に入る。

「あの、ちょっと聞きたいことがあるんですけど。」
「あら?なあに?」
 3人とも悟に注目する。

「ここで、クロって言う名前の雑種の中型犬見たことないですか?毛は長めで全身真っ黒の…。」

 悟の言葉に3人とも少し考え込んだように首を傾げた。

「うーん。名前はわからないけど、雑種の黒い犬なら何匹か見たことあるわよ。」
「見るからに気弱そうな犬なんですけど。でも結構愛嬌はあるんです。」
 悟はクロの容貌を説明する。
 気弱そうな…という言葉を聞いて、柴犬を連れていた主婦が「あ!」っと声を上げる。

「私、見たことあるわ!!その子の名前確かクロだった!!」
 悟は思わず立ち上がり、詰め寄る。

「その犬のこと聞かせてくれませんか?」
 主婦は思い出すように話し出した。

「結構顔を合わすワンちゃんだわ。何だか怖そうな年配のおじさんが連れていた。
一度だけそのおじさんがクロって呼んでるのを聞いたことがある。」

その言葉を聞いた別の主婦が連鎖反応を起こしたように思い出し始める。

「そのおじさんなら私も知ってる!挨拶したのに無視されたのよ!すごく無愛想だった。
でもワンちゃんの方は人懐こくて可愛かったわ。確かに黒いワンちゃんだった。」

<クロのことだ>
 間違いない…と思った。
 毎日似たようなコースで犬を散歩させていると、結構見知った犬や飼い主さんと出くわす。
 犬を介して知り合いになったりもするもんだ。
 言葉は交わしたことはなくても犬好きは気に入った犬や印象に残った犬の特徴は覚えて
いたりもする。
 そうは思っていたものの悟はクロの飼い主に関する情報をこうも簡単に得られるとは思って
いなかった。

<ラッキー>

「そのおじさんのこと、もっと詳しく話してくれませんか?」
「詳しくって言われても…これ以上は何も知らないわ。」
「時々見かける程度だしね。わかるのは無愛想な人ってことだけ。」
 悟は諦めず質問を続ける。

「最近そのおじさん、見かけますか?」
「…いえ…そう言えば…見かけないわね。どうしたのかしら。」
「でも私達だってそうそう顔をあわせないじゃない。」
「そうよね。」

<そうだよな。いくらなんでもそんな詳しく覚えているはずがない…>
 悟はそろそろここに見切りをつけてクロの家へと行こうとした。

 …が。

「笹山君って…本当に犬に好かれるのね。」
 突然頭上から春香の声がしたので悟はビクッとする。

「中山!あっちで待ってろって言っただろ!」
「だって、とっても不思議なんだもん。間近で見たい…。」
 春香は大人しいわりには頑固そうだ。
 悟に纏わり付いている犬たちを柔らかな視線で見つめている。

「ヤバいんだよ。お前が近づくと…。」
 悟が何故春香を近づけなかったのか…。

 それは今まで悟が付き合ってきた彼女たちとデート中公園などに行くと
 必ず悟の許に散歩中の犬達が大集合し、そして必ず一緒にいた彼女は威嚇され、吠えられる
からだ。

 そのことを知らない春香は<何がヤバイの?>という目を悟に向けた後、
 再び犬達の顔を見る。
 危険や警戒心を与えないように、少し距離をおいてのご挨拶。

「こんにちは。」

<ヤバイよー>
 悟は冷や冷やしいたが…。

 でも犬達は、悟から目を外し、春香の顔をマジマジと見つめ…傍に寄って行った。

<…あれ?>
 悟は正直言って驚いた。
 犬達は春香にも悟と同じように『好き好き光線』を発しながら接し始めたからだ。

「可愛い。」
 春香は悟の横でしゃがみ、犬たちの頭を愛しそうに撫でている。
 その光景を見て、悟はしきりに不思議がったが、<…ああ、そっか。別に中山とは
付き合っているわけじゃないからだな>…という結論を出し、納得した。

 でも、本当は…。
 犬達はちゃんとわかっていたのだ。
 悟の春香に対する気持ちを感じていた。

 悟は今までたくさんの女の子と付き合ってきた。
 女の子から好きだと言われれば、当然嬉しいし舞い上がっていた。
 ハッキリ言って来る者拒まず状態…悟の今までの恋愛経験は、そんな風で…。
 すぐに振られてしまっていたので相手を良く知る間もなく別れていた。
 だから本当に人に恋したことは、ないに等しかった。
 と、言っても、悟本人はちゃんと恋愛をしていたと思ってはいるわけだが…。

 なまじ悟の外見は天下一品、女の子から非常に受けが良いわけで、相手の女の子達にとっても
悟と付き合うことは得になるのだ。
 悟の中身などに興味なく近づき、だからこそ外見と内面のギャップに幻滅し、それプラス犬たちに
威嚇されたので<もういいや>って気になる。
 『お飾り』以外に特別な感情がないため簡単にポイっと悟のことを捨てられた。
 振られた悟も当人は傷ついた気になっているが…それはとてもとても浅いものだ。

 要するに心のない恋人同士だったってことだ。

 そのことを犬たちはちゃんと見抜いていた。

 『本当に好きなの?』
 『本当に好きあっているの?』

 …彼らはずっと悟に問いかけている。

 春香は自分に過剰に懐いてくる犬たちが可愛くて、思わず笑みが零れる。

<これも笹山君の不思議な力なのかしら>
 手に触れる犬のフワフワな体を感じていると何だか穏やかな気持ちになる。

 悟は犬と触れ合う春香を見ていて…思わず目を奪われた。
 春香がクスクス笑いながら微笑んでいた。
 春の日だまりのような笑顔…。
 悟の心が元気にピョコンと跳ね上がった。

<…あ>
 この時思い出した。
 以前春香に会っていたことがあるような気がずっとしていた。
 それがいつだったかを思い出した。
 悟は前に春香の笑顔を見たことがあった。
 高校の入学式当日。
 朝、校門をくぐり校舎へ向かう悟の目に映った光景。
 校庭の隅で、迷い込んできたらしい猫に話しかけている春香の姿に一瞬立ち止まり見入ってしまった。
 その時見た笑顔は今と同じものだった…。

<何で今まで気が付かなかっただろ…>
 悟は自分の記憶力のなさを嘆いたが、気が付かなくても無理はなかった。
 …普段の春香は、そんな想い出の笑顔をかき消してしまうくらい暗く孤独な瞳を
していたから。

 何が彼女にそんな瞳をさせているのかはわからない。
 悟は無性に春香のことが知りたくなった。
 どうやったら春香がもっと笑ってくれるのか、知りたくなった。

<中山の笑顔、もっと見たいな>
 とてもシンプルで、でも強く強く心の中から湧いてくる願い。

 悟はいつも自分の気持ちに忠実だ。
 そのためだったら、何でもやろうと力が湧いてくる。

「あはは。笹山君、いつの間にかワンちゃん増えてるわ。」
 座り込んで犬たちの相手をしていた春香が顔を上げて悟に笑いかける。

「へ?」
 ずっと春香にばかりに気を取られていた悟。
 自分がいつの間にはたくさんの犬に囲まれていることを知った。

「うわぁ。ホントだ!!」
 初め3匹だった犬が、今や10匹くらいになっていた。
 悟と春香に惜しみなく愛嬌を振り撒いている。
 連れている飼い主さんたちも戸惑いながらもそんな光景を楽しんでいた。

 クロも負けじと悟の傍でしきりに尻尾を振っている。

 …そんな時、先ほど一番最初にクロのことを思い出してくれた柴犬を連れている主婦が
まじまじと悟を見つめていた。

 そして、ボソッと呟いた。

「私、その制服見てもう一つ思い出したことがある…。」

<制服?>
 その言葉に悟と春香は顔を見合わせたあと、ガバッと立ち上がる。

「聞かせて下さい!!」
 悟と春香の声は見事に重なり合っていた。

2002.5.26 

私では悟の外見を天下一品に描けない(涙)