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悟たちはしばらくの間走り続けた。
全力で駆けているのでかなり息が苦しくなってくる。
<ちくしょう!まだかよ…>
走り続けるクロの背中を見ながら悟が音を上げ始め、春香はかなり後を必死で追ってきている。 最初のうち道沿いにはマンションや住宅が立ち並んでいたが、そのうち公園が現われた。 とても大きい公園で道はこの公園に沿ってどこまでも続いているように見えた。
悟の姿を振り返りつつ走っていたクロが、急にスピードを落とし、ついに止まってしまった。
「クロ?」 クロが止まったので悟も足を止める。 数メートル先にいるクロ。道の先を見つめているが、その様子はどこか怯えていた。 この道の、悟たちが立っている場所はちゃんと整備された歩道でガードレールで仕切られて 一段下がった所から車道がある。 車道は1車線づつだったが大きな通りで、走りやすい一本道だ。
交通量は少ないものの、どの車も少々スピードの出し過ぎのようだ。
車が通り過ぎる度、クロは耳を後ろに倒し、身体を低くしてビクッとする。 今まで悟と生活してきて車が通る時などは驚きはしていたが、ここまで怯えた様子は なかった。
「クロ。どうしたんだよ。」 悟の問いかけに、クロはチロッと振り返り辛そうな瞳を向ける。 でもその後、意を決したように前方を見つめ、そろりそろりと低姿勢で足を進め始めた。
「さ…笹山君。」 ようやく春香が悟に追いついた。 息切れして上手く話せないようだ。
「今クロが何処かに案内してくれそうなんだ。」
悟はクロの後をゆっくりと付いていく。 神妙な面持ちの悟に、春香も緊張してきて小さく深呼吸した後、悟の後に続く。
<ここでよほど怖い目に遭ったのか?> そう思わせるほどクロはビビっていた。 クロが必死に前進していくと、ガードレールが途切れ右側に横断歩道が現われた。 車道を渡り対面側へ行く為の幅の広い横断歩道だった。 そこには信号機がなかった。
クロはその横断歩道の前で足を止めた。 そして悟の方へ顔を向ける。 悟はクロに駆け寄りしゃがんで尋ねた。
「お前が連れてきたかったのはここなのか?」
クロは悟をじっと見つめている。
「笹山君。クロは…?」 春香も傍に寄り、悟の目線の向かっている場所に目を落とす。
2人が揃ったところで、クロは悟からフイっと視線を外し、今度は車道を渡る為の白線… 横断歩道の続く先を見つめた。
「…クロ?」
クロは怯えた様子を見せながらも車道へと足を踏み出し、一歩一歩横断歩道を渡り始める…。
その間に、数台の車がかなりのスピードで走ってきて、幽霊であるクロの身体を通り抜けていった。 その都度、クロは腰を抜かし、でも懸命に立ち上がり歩き出す。
そして、中央線を越えて対向車線側に来た所で立ち止まり…。
ゆっくりと悟たちの方へと振り返る。
自分に向かってくる車の恐怖に耐えながら、クロは悟を見つめていた。 一心に何かを訴え見つめていた。
「…お前、もしかして…。」
<ここで車に撥ねられたのか?>
クロの怯えた様子と、今クロが必死な面持ちで車道に立っている姿を見れば、それしか考えられ なかった。
「クロ、もういいから、わかったから!」 <こっちへ戻って来い!> 心の中で叫ぶ。 でもクロは車道に立ち続け、悟にひた向きな眼差しを向け続ける。
悟はそんなクロの姿をこれ以上見ていられなくて、車が途絶えたのを見計らって車道へと 駆け出した。
「笹山君!」 春香はわけがわからず動けずにいたが、悟が横断歩道の真ん中でしゃがみこんでいる後ろ姿を見て、 ある程度察することが出来た。
悟は手にしていた鞄を地面に落とし、クロの目線にあわせ地べたに座り込んだ。
「クロ、お前はここで車にひかれて死んだんだな?」
クロは耳をピクンと動かし、その後「くぅん…。」と鳴いて頭を下げ…悟の胸へと擦り寄った。 悟はクロを撫でてやりたかったが手はすり抜け、触れることも出来ず…。
「クロ…とにかく歩道へ戻ろう。」
車通りは暗くなるにつれ更に少なくなっていたが、このままここで座っているわけにはいかない。 何より、早くこの場所からクロを遠ざけたかった。
立ち上がり、鞄を拾って、怯えるクロを歩道へと導いていく。 悟の声に反応し、クロも大人しく後に従った。
歩道で不安げに立ち尽くしていた春香の許へ戻ってきた悟。 感じたままを報告する。
「クロはここで車に撥ねられたんだ。間違いない。」
クロの死の原因は、交通事故だと確信した。 それを聞いた春香は、痛みを感じた時のように瞳を細めた。
「…じゃあ、クロは何を望んでいるのかしら…。」 春香の疑問。 当然悟もそのことに思いを巡らせていた。
「考えられることは限られていると思う。」 悟は足元のクロを見つめて、その後、振り返り先ほどまでクロが佇んでいた白線が描かれた コンクリートを見つめる。 クロが拘る横断歩道。 自分の想像していることを一つ一つ形にしてみる。
「自分の体を見つけてお墓を作ってもらいたい…とか、自分を轢いた人間を見つけて敵を討って欲しい …とか。」
想像を実際に言葉にしてみると、この2つは、どうもクロの求めているものとは違う気がした。 優しくて、気弱なクロ。雷やちょっとした喧嘩の声にも腰を抜かしてしまうような弱虫なクロが 幽霊になってまで伝えたかったこと…。
クロがもし誰かに飼われていたのだとしたら? クロの毛並みや身体つき、穏やかな雰囲気を見ると、充分飼い犬だった可能性がある。 散歩中、ここで飼い主と共に車に跳ねられたんだとしたら…?
クロが伝えたいこと…それはクロ自身のための願いではなく、クロが愛した誰かのための 願いではないだろうか?…そんな考えがごく自然に湧いてくる。
「もしクロだけが交通事故に遭ったんじゃないんだとしたら…。飼い主も一緒に事故に 遭ったんだとしたら…。」 悟は誰に言うでもなく自分の考えをまとめるために呟いた。
「…笹山君。」 悟の言葉に春香は真っ青になる。 クロが成仏しない理由。 悟の心の中で、強く浮かんだ想いは……飼い主のため。 飼い主のために、自分が命を落とした事故について何かを伝えようとしている。 こう考えた時、素直にそうだと思えた。 クロの澄んだ瞳を見ていると、その考えが間違っていないように思えた…。
もしその事故を起こした人間が逃げてしまっているんだとしたら? もしその事故がまだ明るみになっていないんだとしたら?
飼い主のために犯人を伝えようとしているのか?
春香も悟の言葉を聞いて、同じようなことを想像していた。
「笹山君…。クロは事故を起こした人を探してもらいたいのかしら…。」 春香の声は少し震えていた。 クロが抱えている謎の部分が、交通事故という不吉な言葉と共にいきなり現実味を帯びてきて 怖いのだろう。
「…今俺たちがクロの伝えたいことを知る近道は、クロを跳ねた奴を探すこととクロの飼い主を 探すことだろうな。」 「でもどうやって?」
「飼い主の家を探すのは簡単!それに結構色んな情報はすぐに集められると思う。」 「え?」
春香はキョトンとして、少し好奇心の含んだ瞳で悟の話の続きを待った。
悟は春香と自分が抱える不安な気持ちを振り切り、元気を出すために 足元のクロにニコッと笑いかける。
「クロ。この辺、お前の散歩コースだろ?」
今まで怯えていたクロは『散歩』という単語を聞くと、ピクンと耳を動かした。
「散歩、行こうか!」 悟の、散歩に加え、『行こうか』という言葉が加わり、クロの垂れ下がっていた尻尾も ピンっと立つ。そして、何より瞳に輝きを取り戻した。
散歩が嫌いな犬の方が少ないだろう。クロはどうやら散歩が大好きな多数派のようだ。
散歩という言葉はクロにとって魅力的なのだ。
「よし!クロ、行くぞ!」
クロは悟のかけ声に興奮気味に反応し、元気に歩き出した。
「これでクロが飼い主さんの家まで案内してくれるぜ!」
悟は二カっと笑って春香にウインクした。 春香は目をぱちくりさせ、その後感心したように言った。
「そっか。クロはこの辺の道知っているんですもんね。散歩が終われば自然に家に帰る。」 「そういうこと!」 「私、ペット飼ったことないから思いつかなかった。」
悟と春香は、嬉しそうにお尻と尻尾を振りながら歩いて行くクロの後ろを付いて行った。
2人は恐怖を伴った不安感と、少しずつ謎に迫っていくような緊張感に胸をドキドキさせた。
…クロの飼い主に会えることを2人は祈るように願っていた。
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