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停留所へ降り立った時、辺りは既に薄暗くなり始めていた。 空を厚い雲が覆っていたので、普段より早く夜が近づいてくるようだった。 先ほどまでヘロヘロ状態だったクロも、降りた途端元気になった。
「こっちよ。」 春香は尚也の家へと歩き出す。悟も後を付いて行こうとするが、クロは反対方面へ駆け出した。 それに気が付き、悟は慌てた。
「おい!クロ。何処行くんだよ。こっち来いよな。」
クロは悟の声に反応し、足を止め顔だけ振り返る。 悟のことを見た後、もう一度名残惜しそうに前方を見つめ、そして観念したように悟の許へと 駆けて行った。
春香に案内されるまま住宅地を歩くこと10分。小さな一戸建ての前に辿り着いた。 塀の周りは綺麗に手入れされた植木鉢が並べられていた。 表札には『川田』と書かれている。
「ここが川田の家か。」 「ええ。」 悟はクロの様子を見てみる。 特に何の関心もないようで、傍にあった電柱の臭いをしきりに嗅いでいる。
<関係…ないのかな> 悟は犬を飼ったことはなかったが犬友達はわんさかいるので家路に辿り着く時の犬の様子を 良く知っている。 普通久しぶりに自分がいた家に帰ってきたらもっとはしゃぐはずだ。 クロの反応は、まるきり関係ないという態度だった。
<でも、まあ聞いてみて損はないだろ>
「じゃ、行くぞ!」 そう言って悟は威勢良く門をくぐり、ドアのチャイムを押した。 春香も少し後から付いていく。
ピンポーンという音の10秒後くらいにドアの向こうから人の気配がした。
「どなたですか?」
女性の声。
「あの、川田尚也君と同じ学校の笹山という者なんですがー。」 「…ちょっと待ってて下さいね。」
少し迷惑そうな声が返ってきて、鍵が開く音がしてドアが小さく開かれた。
「何の用ですか?」 尚也の母親らしき女性が顔だけ出して応対する。 地味ではあるが日本風の顔立ちで美人だ。でも少し神経質そうだ。 悟はその女性に目線を合わせるように体をずらし、心もち首を傾げる。
「尚也さんに会いたいんですが。」 「今家におりません。…あら?」
女性の目に、悟の後ろにいた春香の姿が映る。 すると苛立ったように顔を歪め、外に出てきて扉を閉める。 白いブラウスに淡い桜色のスカートをはいていた。 エプロンを身につけていて、どうやら夕食の準備をしていたようだ。 女性は悟ではなく、春香を睨み付けていた。
「あなた。また来たの?」 「……。」 「先週あれだけ失礼なこと言っといて、また顔を出せるなんてどういう神経しているの?」
春香は何も言わなかったが、女性を責めるような目つきで見返していた。
悟は一瞬躊躇したが、2人の険悪なムードに割り込んだ。
「あのー。尚也君、もう1週間以上家にもどっていないんですか?」
女性はうんざりしたように悟に顔を向け、「そうよ。」と投げやりな口調で答えた。
「探したりとか警察に届けてみたりとかしたんですか?」 「しないわよ。そんなこと。」 「へ?」
あまりにぞんざいな言葉に、思わず素っ頓狂な声を出してしまった。
「あの子が家に帰らないことなんて日常茶飯事なのよ。いちいち心配などしてたら身が持たないわ。」 「でも…。中山はいつも…。」
悟は春香に目配せして、例の『秘密の場所』で毎日会っていた事を話して良いかどうかを確認する。 春香はコクンと頷いた。
「こいつや…俺は学校で毎日彼に会ってたんです。」
春香を目線で指し、その後女性に向き直り説明する。 悟はわざと悟自身も会っていると嘘をついた。 その方が春香一人にその事実を背負わすより説得力があると思ったからだ。
「尚也君は授業をサボっても、俺たちだけには会いに来たんだ。」
女性は意外そうな顔をした後、春香に冷たい笑みを向ける。
「この前来た時はそんなこと言ってなかったわよね。」 「信じてもらえないと思ったからです。でも本当のことです。」 春香は小さな声できっぱりと言い切った。
「どちらにせよ、私にはどうでもいいことだわ。あの子がどこで何をしていようが興味ないもの。」
その言葉はとても冷たかった。 悟はムッとした。
「あんたあいつの母親だろ?」 「そうよ。でも形だけのものよ。」 「何だって?」 「あの子は私を母親と認めてないし、私もあの子を子供だなんて思ってないもの。」
女性のこの言葉に悟と春香は目を見開いた。 2人とも<何で?>という疑問を込めた眼差しを向ける。
女性は春香の方へと視線を移し、忌々しそうに言葉を吐き捨てる。
「あなた、前に来た時私に言ったわよね?『それでも母親なんですか?』って。私は尚也の母親じゃないわ。 冗談じゃない。」
嫌悪するかのように尚也の名前を口にする。
「あの子は私を認めなかった。だから私もあの子を認めない。」
<一体どういうことなんだ?> 悟は女性の言葉から色々な想像をした。 色んな家庭の事情というものがある。 さりげなく春香に目をやるが、悟の視線に気が付いた春香も困惑していた。 春香も事情を知らないらしい。
「子供の頃から私達家族を困らせてかき乱して、あざ笑って楽しんでいた。 尚也はそんな子よ。あの子さえいなければ私達家族は幸せなのに…。」
<母親じゃないってことは…> 血がつながってないってことだろうか?…と、悟も春香も考えたが女性が言った言葉だけでは わからない。 でも、2人がこれは確実だろうと思ったのは、この女性と尚也とは家族としての心のつながりは ない…ということだ。 そう強く感じさせるほど、尚也の名前を口にする時の女性は冷たかった。
女性は手を強く握り締め、その拳は震えている。 尚也との間にかなりの確執があるのだろう。 その顔は憎しみに歪んでいた。
そんな雰囲気に完全に呑まれてしまい何も言えず呆然と立ち尽くしている悟と春香。 女性は2人の様子に気が付き、少し慌てたように表情を『不機嫌』って程度にまで戻す。
思わず本音を口走ってしまったようだ。
「とにかく、あの子ならどっかで勝手にやってるわ。あの子の勝手に関わっていられるほど 暇じゃないのよ。じゃあね。」
一方的に話を終わらせ女性は家に戻ろうとする。 悟は慌てて質問をする。
「あの!最後に一つだけ!」 「何?」 「ペット飼っていますか?犬、飼っていますか?」
女性は悟の質問に対し、訝しげに<何なの?>って顔をした。
「いいえ。飼ってないわ。動物は嫌いなの。」
そう答えてとっとと家の中へ入ってしまった。 とりつく島のない態度。
悟はため息をついて、春香の方へ振り返る。
「悪ぃ。やっぱクロは関係ないみたいだ。」
春香は<謝らなくてもいいの>という意思表示に首を小さく横に振った後、俯いた。
何でもいいから尚也を探す手がかりが欲しかったのに、結局何一つ見つからなかった。 わかったのは、どうやら尚也は家族からはみ出してしまっている…ということだけだった。 でも、落胆もしたが、かなりホッとしたのも確かだ。 クロと関わっていたら、バスで感じたような不吉な予想を抱えることになるからだ。
尚也と春香はトボトボとバス停へ向かう。 来た時よりも更に辺りは暗くなり、じきに夜の闇に包まれるだろう。
バス停に辿り着き、春香が時刻表を確認する。 悟は<腹減ったなぁ…>と、空腹を感じ始めていた。 …ふと目線を落とし、自分の傍にクロがいないことに気が付いた。
<クロ?> 辺りを見回すと…少し離れた所に立っていた。クロの後姿を見て声をかけようとするが…。 クロは尚也の家へと続く道とは逆側の道をじっと見つめていた。 ずっと遠くまで続く1本道…。
「クロ。どうしたんだ?」 悟の呼びかけにクロは振り返り、吠えた。
「ワンワンワン!!」 3回ほど吠え、そしてまた道の先を一心に凝視する。
「きゅうん…きゅうん…。」 切なげに声を出し、再び悟に目をやる。
「クロ?お前、この道の先に何かあるって言ってんのか?」 クロは悟の言葉に答えるように、曇りのない瞳を向ける。 ここはクロの馴染みのある土地…それを感じさせた。
「笹山君。どうしたの?」 クロの声も悟にしか聞こえないので、この時点でようやく春香が悟の変化に気がついた。
「クロが…。」 「え?」 「クロが何か教えてくれてる!」 悟はそう言ってクロの許へと駆け出した。 クロも悟が走り出したのと同時に、思いを馳せる場所へと走り出した。
「ちょっ…笹山君!何処へ行くの?」
春香も戸惑いながら、慌てて悟の後を追った。
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