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「なあ、中山。」
名を呼ばれ春香はゆっくり悟の方に顔を向けた。
「クロって犬のことだけどさ。実は今俺の足元にその犬いるんだ。」 「え?」 春香は目を見開いて悟を見た後、足元へ視線を落とす。 当然幽霊であるクロの姿など見えないわけで…。 顔を上げ訝しげに悟を見つめた。
「クロは俺に取り憑いた犬の幽霊なんだ。」 「幽霊?」 「ああ。だから見えないだろ?」 「笹山君には見えるっていうの?」 春香の言葉には思い切り<胡散臭い>って気持ちが込められていた。
「うん。俺にだけは見える。」 「私をからかっているの?」 「からかってなんかねーよ!」
ちょっとムッとしたように眉間にシワを寄せる。 でも<信じられなくて当たり前か>と、思いなおし地道に説明して信じてもらおうと試みる。
「俺さ、霊感なんか全然ないし、人間の幽霊なんか見たこともない。でも、犬に好かれる才能が あるらしいんだ。」 「犬に…。」 春香は昨日見た悟とシベリアンハスキーの不思議な光景を思い出す。
「だからクロは俺に取り憑いたんだと思う。俺にしか姿が見えないのもきっとそのせいだ。」
クロに目をやると、悟に応えるように鼻をヒクヒクさせて見返している。
「こいつ、一生懸命俺に何かを伝えようとしてんだよなー。」
取り憑ついてからずっと、ことあるごとに切なげに訴えるような眼差しを悟に向けている。
春香の目に、足元の何も存在しない空間を見つめている悟の顔が映る。 その眼差しはとても柔らかで『情』…のようなものが感じられた。 悟自身特に意識していなかったが、幽霊のクセに意気地なしで弱気、でもどこかひょうきんな
クロのことを守ってやりたいという愛情が湧いていた。
…まあ、幽霊を守るというのも変な話なのだが…。
それと同時に川田尚也のことを知りたいと思う気持ちも悟の中で大きくなっていた。
「こいつを成仏させてやれるなら、何を伝えたいのか調べてみようと思ってさ。だからこれから 川田尚也の家に行ってみる。」 「え?」 「もし川田がクロのこと知っていたら、何か事情を教えてもらえるかもしれないしな。お前も来るか?」
実に気軽に誘ってくる悟に春香は戸惑っていたが、それ以上に気になることがあった。
「ねえ、何で私にクロのこと聞いてみようと思ったの?」 「え?ああ。クロが教室にいた中山の顔を覗きこんでいたから。何か知ってるんじゃないかって 思ってな。」
春香は鼓動が早くなるのを感じた。 悟の話はとてもじゃないがすぐには信じられないものだった。 でも、何でもいい。尚也に関することなら何でもいいから知りたかった。情報が欲しかった。 『ああ。クロの毛か。』…そう言った時の尚也の顔を思い出す。 苦笑いして、その後、少しだけ不機嫌だった。 今考えると、動物を可愛がっていることがバレて少し照れているように思えた。
「私も行く。行きたい。彼の家には一度行ったけれど、動物を飼っているかどうかは聞かなかったから。」
身を乗り出すように言う春香に、悟は複雑な気分になる。
<川田尚也のこととなると、急に積極的になるんだな>
それだけ春香にとって尚也の存在は大きいのだろう。 悟の胸がチクンと痛んだ。でも悟にはその痛みが何なのかよくわからないでいた。
「よーし!」
気を取り直すようにニコッと笑う。
「そうと決まれば、さっそく行くか。」 「うん。鞄持ってくる。待ってて。」
春香は急いで隣の教室に走って行った。 今までになくハキハキしている。
「ホント、態度全然違うな。」
悟はクロに同意を求めるように呟いた。 クロは首を傾げて<なぁに?寂しいの?>というような瞳で悟を見ていた。
悟と春香は、例の校庭にある春香の『秘密の場所』に尚也が来ていないことを確認した後 学校を出た。 尚也の家は学校から電車とバスで乗り継いで1時間ほどかかる。 2人が乗ったバスは空いていて、一番後ろの席に座った。やっぱり2人の距離は一人分くらい 離れている。
クロは悟の足元で置物のように座っている。バスの揺れに対し、足を踏ん張り耐えている。 表情が辛そうだ。どうやらバスに酔っているらしい。
電車では平気な顔をしているが、バスは苦手のようだ。
<幽霊が乗り物酔いすんなよなぁ> 悟は呆れてため息をついた。 クロは可哀相なくらい緊迫した空気に包まれていた…。 一方春香は、先ほどからずっと真剣な顔で何かを考え込んでいた。 <話しかけられるような雰囲気じゃねーな> 仕方がないので窓の外を眺めて暇を潰した。
<へぇ…。川田って自然が多い場所に住んでんだな> 目的の停留所へ近づくにつれ、大きなビルや賑わっている商店街はなくなり緑の多い 住宅街に入ってくる。
「笹山君…。」 「え?なに?」
突然春香に話しかけられ、驚きながらもちょっと嬉しくてクルンと顔を向ける。 対する春香の表情は…どこか不安げなものだった。
「クロにいつから取り憑かれているの?」 「…え?」
そう言われ…少し考えた後、思わず立ち上がる。 春香はビクッと身体を震わせ悟を見上げる。
「クロが来たのは…6月12日だよ。先週の水曜日。」 <そうだ…。何で川田のこと聞いた時、すぐに思いつかなかったんだよ!>
悟の答えに春香の表情は硬くなる。
「中山。お前川田の家族に色々聞いたんだろ?川田はいつから家に戻ってないんだ?」 「川田先輩を私が最後に見たのは11日の夕方。家族の方は11日の夜9時ごろフラっと家を 出たきり帰らないって言ってたわ。」
<偶然だろうか?>
今日は6月20日。川田尚也が消えて、クロが悟に取り憑いてから時間差はあるものの
同じような日数が流れている。
この時2人は同じ不安に包まれていた。
クロは幽霊なのだ。 通常に考えれば、クロの本体…生身の体は既に息絶えているはず。 死の理由はわからないが、もしクロと尚也に何らかの関係があるとしたら、どうしても 不吉な想像をしてしまう…。
春香から聞く尚也のイメージでは、まず彼がクロを傷付けることは考えられない。
だとしたら、クロの『死』と尚也が消えたことが関係しているとしたら、彼自身の身にも何かあった
と考えてしまう。
春香の、膝に乗せていた手が微かに震える。
「だぁぁー!やめよう!」 いきなり大きな声で悟が叫ぶ。 春香と、他にいた数人乗客が悟に注目する。
悟はそんなことかまうとこなく、ドカっと座りなおし、春香の方へと顔を向ける。
「まだクロと川田が関わりがあると決まったわけじゃない!まるきり関係ない可能性の方が 強いんだ。」
「笹山君。」
春香は目を何度か瞬きさせて、小さく頷いた。
「うん。そうよね。」 「ああ、そうだよ!だから今からあれこれ心配してたって…って、うあー!!クロ!!」 言葉の途中で悟は叫んだ。 足元にいたクロが、いよいよ辛抱たまらなくなったらしく前足を悟の膝に乗せ、縋りついてきた。 口から泡を出して<もうバス降りたいの〜>と目で訴える。
「ど、どうしたの?」 「クロが乗り物酔いして口からヨダレたらしてんだよー。」 「え?幽霊なのに?」
春香はクロを見ることはできないが、乗り物酔いする幽霊犬を想像し、唖然とする。 そして、その後顔を悟とは反対側の窓に向け、俯いてしまった。
<あれ?> よく見ると春香の肩が小刻みに震えていた。 …どうやら声を殺して笑っているらしい…。
悟は<辛いよう>と訴えているクロには悪いが、クロの乗り物酔いに少し感謝した。 先ほどの暗い空気を吹き飛ばしてくれたからだ。
しばらくして、バスは無事目的地へと到着した。
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