|
お墓参りの後、住職さんにお茶をご馳走になり、小一時間ほど悟が子供の頃の昔話に花を咲かせ、お寺を後にした。
悟と春香は、昔、悟がよく遊んでいたあぜ道を通り、小高い丘に向ってのんびりと歩いていた。
夏の光が降り注ぐ中、青々とした稲穂が風に揺れ、柔らかな音を奏でる。
青い空に浮ぶ雲が、視界に広がる景色にくっきりとした陰を作り、静かに動いていく。
「綺麗な場所だね。」
丘のてっぺんに辿り着き、眼下に広がる風景を見て、春香が思わず感嘆の息をつく。
溢れんばかりの緑の絨毯に、ポツリポツリと民家がたたずむ。
「ガキの頃からここが一番のお気に入りだったんだ。」
記憶の中にある、昔と同じ風景が、目の前にある。
少しも変わらない場所に、嬉しくなる。
「笹山君、ここでたくさん遊んだんだね。」
「小学校の頃は夏休みや冬休みの度、必ず来てたからな。」
丘の上には大きな桜の木があり、その木陰で日差しを避け、街を見下ろす。
少し汗ばんだ体に、涼しげな風がフワリと通り過ぎ、悟と春香の髪を軽くなびかせる。
「中山…。俺、これからも中山と色んなものを見たい。」
「色んなもの?」
春香の瞳に、隣にいる悟の横顔が映る。
「うん。今見てる景色もそうだけど。それだけじゃなくて、生きていれば、もしかしたら、とんでもなく悲しいものとか、辛いものとか見ることもあると思うけど…俺は中山と見ていきたい。」
悟は、自然と春香の手を握り、祖父の生きた街を心に焼き付ける。
<俺は、たくさんの愛情に守られて生きてきたんだな…>
実感し、同時に、やっとそのことに気がついた鈍い自分に、少し気持ちが沈むのを感じる。
「俺さ、中山や川田先輩を見てて、思い知ったよ。俺って随分と気楽な人生送ってきたんだなって。まあ、人生って言っても、まだ、たかだか17年だけどさ。」
「笹山君?」
春香は小首を傾げ、悟の顔を覗きこむ。
悟は、珍しく弱気な顔を覗かせていた。
「中山や川田先輩は、俺なんかより…ずっと強い。傷つくことなく生きてきた俺には、本物の強さなんかない。」
「違うよ。笹山君。」
春香はすぐに否定した。
「みんな誰だって弱くて脆いんだよ。」
悟はハッとして、春香に目を向ける。
春香は、穏やかな微笑みを悟に見せて、話を続ける。
「人間って、一生懸命になる時があるよね。」
「…それってどんな時?」
「……独りじゃないと思った時。」
「家族とか友人とか、恋人とかが傍にいてくれる時ってことか?」
春香は、悟の問いかけに、少し考えた後、首を横に振った。
「もっと広い意味での、独りじゃないことを感じる時。もちろん『好き』って言う感情で成り立っている友達とか恋人、家族とかが傍にいる瞬間も独りじゃないって思うけど、それだけじゃなくて、どうしても勝ちたい相手とか、大嫌いな人がいるとか…恋だって、とても好きなのに相手は気持ちに応えてくれない片想いの状態とか…独りじゃないからこそ、色んなことで悩むんだと思うし、一生懸命になれるんだと思う。…当然負の感情から生まれてくるものもあるのよね。」
独りじゃない。自分以外の誰かを感じる時。
「何かを手に入れたくて、一生懸命になるけれど、いつも弱さと背中合わせで、時には歪んでしまったり、間違ったり、逃げ出してしまったりする。」
心の中に、瑞希や野口のことが浮ぶ。
「でもね。私、本当の強さって何なのか、わかった気がするの。『強い人間』なんていないけど、人は、強くなれる瞬間があるんだって…笹山君と川田先輩に教わった。」
「…俺に?」
<川田先輩ってのはわかるけど、俺、何かやったっけ?>
戸惑っている悟の顔を見て、春香は心の中いっぱいに愛しさを感じ、素直に気持ちに従って、行動に移す。
悟と繋いでいた手を力を抜いて放し、数歩移動し、悟の前に立つ。
「中山?」
「大好きだよ。」
春香は、悟の腕に手を添えて、身長差の分だけ背伸びし、そっと口づけした。
真っ直ぐに、愛すること。
愛されたいと思うより、ただ、愛すること。
……大切に思う存在の、ありのままを受け入れ、信じ、幸せを願い、守り通す…。
何の見返りも求めない、一点の曇りもない愛情。
人は、毎日、知らず知らずのうちに、そんな愛情を注がれ、また、生み出して誰かに注いでいる。
人が強くなる瞬間は、そんな愛情を心に芽生えさせたり、その愛情に触れた時なのかも知れない。
鍋島のために涙を落とし、瑞希を守りたいと願った尚也。
春香の笑顔が見たくて、そのことだけを考え突き進んだ悟。
最愛の人の許へ辿り着くため、その人の微笑みに辿り着くために、走り続けたクロ。
尚也と悟も同じように、周りの人達の心の中を駆け抜けた。
<みんなが、強さを教えてくれた…。笹山君が私に笑うことを教えてくれた…>
春香は悟の胸に顔を埋め、体全体が優しさで包まれていくのを感じていた。
悟は早鐘を打つ自分の鼓動が、春香にも聞こえているんじゃないかと心配しつつ、春香をぎこちなく抱きしめた。
この日の夕方、悟と春香はたくさんの花束を両手に抱えて祖母の家に戻ってきた。
そして…広い庭の片隅にある、いくつかの石を積み重ねて作られた小さなお墓、チコの眠る場所を花でいっぱいにする。
『一生懸命人を愛する子になって欲しい…。』
祖父が孫を想い、願った夢。チコや犬達に託された夢は、今、実を結ぶ…。
|