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「嬉しいねぇ。浅草雷門で悟君とツーショット写真が撮れるなんて。」

 トヨお婆ちゃんは、写真を撮り終わっても悟の腕を掴んで離さないでいた。

「バッチリ撮りましたからね。」
 カメラを片手に、春香が微笑む。

「トヨ婆ちゃん。次はどうする?」
 悟は観光案内の雑誌片手に辺りを見渡す。

 今日は、トヨお婆ちゃんとの約束を果たすために、悟と春香は浅草へ来ていた。
 約束とは、トヨお婆ちゃんが轢き逃げ事件を追う悟のために、重要な情報をゲットしてくれた時、お礼として一日デートをすると言った、あの約束のことだ。
 しかも約束はこれだけではなく、歌舞伎も見に行く予定である。
 トヨお婆ちゃんはかなりのお年を召しているが、浅草まで1時間半かけて来た割に、ものすごく元気で悟の方が圧倒されている。
 この日1日、悟は完全にトヨお婆ちゃんのホスト役、春香は助手だった。
 悟に恋人が出来たと聞いたトヨお婆ちゃんが、是非会いたいから同行させろと訴えたので、3人での浅草観光となった。

 平日ではあるが、天気も好く、雷門周辺は混み合っていた。

 トヨお婆ちゃんは一張羅の着物を着込んで張り切っている。
 悟はというと、Tシャツにジーパン、野球帽を被って、非常に気楽な格好。
 春香はノースリーブの淡い桜色のシャツと、七分丈のデニムパンツを穿いて、活発で元気な少女という印象を与える。
 この3人、はたから見ると、孫とおばあちゃんが連れだって観光旅行中って感じだ。

 さて。そろそろお昼時。

「悟君も、春香ちゃんもお腹空いたろ?確かこの近くに美味しい洋食のお店があるから、そこで昼食にしよう。テレビで紹介されてたお店だよ。今日は全部私がご馳走するから、大船に乗った気でいてね。」
「洋食?和食とか蕎麦とかじゃなくていいのか?」
 
 悟が気を利かせて言うと、トヨお婆ちゃんは心外だって顔をする。

「私はまだまだ若いものの味覚についてける!!」
 胸を貼って言い切るトヨお婆ちゃんに、悟は笑って「婆ちゃん、まだまだチャレンジャーなんだな。」と言った。

 有名な洋食屋さんだったので、店内は込み合っていた。

 店に入ると、デミグラスソースやホワイトシチューの、肌にも纏わりつくような濃い匂いが立ち込めていて、空腹感に拍車をかける。
 悟と春香はビーフシチュー、トヨお婆ちゃんはカツサンドを注文し、みんな見事に平らげた。
 美味しくて大満足なランチ。
 食後の紅茶を飲んでいる時、トヨお婆ちゃんが隣同士で座っている悟と春香を交互に見て、ニヤリと笑う。

「…春香ちゃんになら悟君を譲ってやってもいいかのぅ。」
「トヨ婆ちゃん?譲るってどういう意味だよ。」

 悟は苦笑いする。

「悟君は知らんじゃろうが、憩いの森公園の犬仲間の間じゃ、悟君のファンクラブができてたんじゃよ。」
「は?なんだそれ。」
<ファンクラブだと???>
 寝耳に水の悟は、唖然とする。

「平均年齢67歳のファンクラブじゃよ。その中でも私が一番悟君と親しかったから、みんなに羨ましがられたよ。…それに例の轢き逃げ事件に悟君が巻き込まれていたことは私しか知らないしね。ちょっと気分が良かったさ。」

 悟はトヨお婆ちゃんにはきちんと何があったのかを説明した。
 それだけトヨお婆ちゃんには、お世話になっていたし、迷惑もかけていたからだ。
 トヨお婆ちゃんはフゥと安堵のため息をつき、柔らかな笑みを向ける。

「……悟君も春香ちゃんも無事でよかったのぅ。」
 
 後から事件の話を聞いて、腰を抜かしそうだった。

「もし悟君に何かあったらファンクラブ全員で犯人を成敗しに行くトコだった。」

 先ほどとは打って変わって迫力のある笑みで吐き出された台詞は、とてもじゃないが冗談には聞こえず、悟と春香は顔を見合わせ渇いた笑い声をたてる。

「ファンのみんなに、どんな娘が悟君の彼女になったのか、報告せにゃならんのよ。春香ちゃんなら申し分ないね。」

 トヨお婆ちゃんのお墨付きをもらえた春香は、頬を赤らめ、耳まで真っ赤にして照れるが、でも、嬉しさを隠さず微笑んだ。

「…何だか俺、大勢のばあちゃん達に心配されてる孫みてぇ。」

 悟が腕を組んで、ちょっと落ち込み気味でぼやく。

「そうじゃよ。悟君は要領悪そうだし、わしらが面倒見てやらなきゃ彼女にも逃げられちまう。春香ちゃん。悟君を見捨てないでやっておくれな。」
 トヨお婆ちゃんの言い様に、春香は笑い、悟は「それがファンだって奴の言う台詞か?!」と嘆く。

 店を後にし、観光を再開する。
 再び雷門へ辿り着き、トヨお婆ちゃんはもう一度悟との写真を撮りたいと言う。

「さっきのはどうも表情がイマイチだったように思うからの。」

 観光の助手兼カメラマン役の春香は、さっそくカメラを片手にトヨお婆ちゃんと悟から離れる。
 良いアングルで撮れる位置を探す春香。
 カメラマンの準備が整うのを待つ悟とトヨお婆ちゃん。

「悟君、悟君。」

 トヨお婆ちゃんは、悟を見上げ、呼びかける。
 何かを言いたげだった。

 話を聞くため、身を屈めた悟の耳元にトヨお婆ちゃんが顔を近づける。
 トヨお婆ちゃんは、小さな声で、そっと囁く。

「あんなに良い娘、なかなかいないよ。よかったねぇ。大切にするんだよ。」

 悟は、目を見開いた後、答えの代わりに、フワリと笑う。

「悟君も、良い男だけどね。」
 先ほどより、更に小さな声で付け加える。当然悟には聞き取れない。
「え?何?トヨ婆ちゃん。」
「何でもないよ。」

 トヨお婆ちゃんは、細い目がシワで隠れるくらいの満面の笑みを浮かべる。

「じゃあ、写真撮りますよー。こっち向いて下さいー。」

 春香が手を振って、シャッターを切る合図をする。
 悟が屈んだ姿勢を戻そうと、身体を起こしかけた時、トヨお婆ちゃんが悟の腕を軽く引っ張った。
<あれ?>
 不意のことだったので、悟はバランスを崩し、再び前屈みになる。

「はい!チーズ…。」
 春香は、掛け声と共に、シャッターを切ったが…。

 レンズに、トヨお婆ちゃんが悟の頬にキッスをしたシーンがバッチリと映った。
 あまりのことに、キスされた悟も、それをレンズ越しに目撃した春香も固まっていた。
 トヨお婆ちゃんだけがぺロっと舌を出して、笑う。満足げだ。

「やっぱり若い子はいいねぇ。ご馳走様。悟君。」

<トヨお婆ちゃんにはかなわないなぁ…>
 悟は、観念し、今日一日振り回されることを覚悟して、肩を落とす。

「さあ、じゃあ次は仲見世通りを見に行こうかねぇ。」

 トヨお婆ちゃんはニコニコ顔で雷門をくぐって行った。
 春香もそれに続く。

 悟も、トヨお婆ちゃんの張り切りぶりに少し呆れたように笑い、足を踏出そうとしたが、フッと何かが足元を横切ったような気がした。
 すぐに目で追ってみると、黒い物体が視界をかすめ、通り過ぎた。

<…!!>
 悟は慌てて辺りに視線をさ迷わせる。
 雷門の前は、大勢の観光客や地元の人で賑わっていて、視界の邪魔をする。
 なかなか来ない悟に気がつき、数メートル先にいた春香が振り返る。
 キョロキョロと四方八方に顔を向け、何かを探している素振りの悟に、首を傾げる。

「どうしたの?笹山君。」
「あ、いや…。」
 悟は、どうも納得できないって言いたげな難しい顔をする。
<今、クロにソックリな犬が通ったような気がしたんだけど…>

「まさか…ね。」

 肩を竦めて軽く笑い、ため息をつく。
<気のせいだよな。クロがいるわけないもんな>
「笹山くん。トヨお婆ちゃんが早くおいでって言ってるよ。揚げ饅頭食べたいんだってー。」
 春香が明るい声で悟を呼ぶ。

「ああ。今行く!」
 悟は春香達のいる方へと歩き出す。



















 人ごみに紛れていく悟を、澄んだまるい瞳が見つめていた。
 黒い毛を身に纏った気弱そうな中型犬が、悟を見つめ続ける。

 忙しなく行き交う人々。
 足元にいるその犬の存在に、誰一人として気がつく者はいない。

 悟と春香が楽しそうに笑い……2人の笑顔が犬の瞳に映る。

 犬の瞳は、心から、悟と春香を祝福していた。

 悟達の姿が視界から消えるまで見届け…犬は踵を返し、自分のいるべき場所へと帰っていく。
 もう、何も思い残すことはないといった感じで、軽い足取りで走り、振り返らずに、やがて消えていった。


 一匹の犬が繋いだ人々の縁。


 弱虫だけど、みんなの幸せを心から願う……愛すべき、どっぐきゅ〜ぴっと。

2002.11.10 END

あとがきも読んでね♪ どっぐきゅ〜ぴっと
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