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 次の日。悟と春香は予定通り、祖母の家に向う。
 新幹線から在来線に乗り継いで十数分すると、窓から見える風景は緑豊なものになってくる。
 天気も良好で、夏の日差しが照りつける。

「良いところだね。」
 春香の瞳に、窓の外の景色が映っては通り過ぎていく。
 悟と春香はボックスシートに向かい合って座り、何だか、本当に2人旅って感じで…ふいに悟は照れ臭くなる。

<行き先はばあちゃんちだっつーの!>
 イケナイ妄想の世界に入り込みそうになり、自分で突っ込みを入れる。

 目的の駅に着き、そこからはバスで20分。お昼を随分過ぎた頃、ようやく祖母の家に到着した。
 平日なので、伯父は会社で、祖母と叔母が2人を喜び勇んで出迎えた。

「遠い所から良く来てくれたねぇ。」
 祖母が冷たい麦茶と水羊羹を出し、ニコニコ顔で悟と春香の前に座る。
 髪の毛は白髪が混じり、背を丸めた姿は、ただでさえ小柄で痩せた体なのに、余計に小さく見える。
 祖母が年を取ったことを感じさせるが、その笑顔は昔から変わらない。
 伯母は悟の好きな西瓜を買ってくると言って出かけて行った。
 悟の彼女がやってくると満子から聞いていたので、みんな興味津々、歓迎にも力が入る。

「中山春香ちゃん、良い名前だねぇ。可愛いね。悟ちゃんをよろしくね。」
 祖母は数回繰り返して悟を売り込む。
 その都度、悟も春香も照れ臭さに顔を赤くする。
 今いるのは、広い畳の部屋で居間として使われている。
 悟にとっては、夏やお正月に毎年遊びに来ていた子供の頃を思い出す、懐かしい空間。
 日常、食卓としても使われるし、親戚一同集まった時にも必ずこの部屋で食事をする憩いの場所。
 悟は振り返り、背後にある仏壇を見つめる。
 この居間の壁際に置かれた仏壇は、ちょうど家族団らんを見渡せるような位置にある。
 悟は座布団から腰を浮かし、静かに立ち上がり、仏壇の前に座る。
 直接には会ったことのない祖父が、写真立ての向こうから笑いかけている。
 お線香を上げ、手を合わせ…悟は顔だけ祖母の方に向け、尋ねる。

「ばあちゃん、じいちゃんの写真が見たい。それと、じいちゃんが可愛がってたチコの写真はないの?」
「悟ちゃん、チコに興味があるの?」
「うん。思い出せるだけの話が聞きたい。」
「ちょっと待っててね。アルバム探してくるから。」
 祖母は『よっこいしょ。』と、掛け声が聞こえてきそうな動作で、テーブルに手を付き、ゆっくりと立ち上がり居間を出て行った。

 春香も立ち、悟の横に腰を降ろす。

「私もお線香上げていい?」
「うん。」

 悟は春香に席を譲る。
 春香は神妙な面持ちで祖父に手を合わせる。

「……優しそうなおじい様だね。」
 写真の中の祖父は、思わずこちらも顔がほころんでしまう、向日葵を思わせる満面の笑顔だ。

「そうだな。」
<会ってみたかったな…>
 久しぶりに見る祖父の顔は、やっぱり父親とどこか似ていて、少し身近な存在に思えた。
 襖が開く音がして、祖母が、もともとは白かったはずの薄く赤茶けたアルバムを手に、居間へと戻ってきた。

「悟ちゃん。チコの写真、数枚だけど、あったよ。それにね、おばあちゃんも忘れてた写真も見つけた。」

 テーブルの上に、重量感のあるアルバムを置く。
 悟と春香は素早くテーブルに戻り、注目する。
 祖母がアルバムを開き、一枚一枚ゆっくりとページをめくる。
 17年以上前の、祖父、祖母、父親や母親、伯父、伯母、幼い頃の従兄達の過去が垣間見れる。
 悟がまだこの世に存在しなかった時代を教えてくれる。
 と、あるページに差し掛かった時、祖母は手を止めた。

「ほら。これがチコだよ、悟ちゃん。」

 悟と春香は身を乗り出し、写真に釘付けになる。
 ページには全部で5枚の写真が貼ってあった。
 祖父とチコが一緒にいるものや、チコだけ写されたもの。
 満子が言ったように、少々薄汚れた白い犬が写っている。写真でも老犬だとわかるくらい、くたびれた風貌の犬だった。

「おじいちゃん、チコのこと、とっても可愛がっていてね。チコも野良犬だったわりに、穏やかな気性の犬だった。多分、以前誰かに飼われていたんだと思う。」
「じいちゃんとチコ、すげー仲良さそうだな。」

 写真の中の祖父とチコの、お互いを見やる眼差しは深い愛情を感じさせる。

「あとね、この写真、見てみて。」

 祖母が、早く見せたいと急くようにページをめくる。
 アルバムの最終ページに貼られた、過去の1コマ。

 写真には、時間をまき戻した分だけ若い、満子の姿が写っている。
 それと、チコの姿。

「おばあちゃん、こんな写真があったなんて忘れてた…。誰が撮ったのか、わからないけど、…いい写真でしょう?これ、悟ちゃんよ。」

 満子の腕の中にいる赤ん坊を指差し、祖母は微笑む。
 赤ん坊は悟だと言う。

「チコと悟ちゃんが一緒に写っている写真があったなんて、驚いたわ。」

 悟も春香も、しばらく何も答えられなかった。

 昨日、満子から聞いた、悟とチコの出会い。
 悟とチコの時間が唯一交わった瞬間を写した写真だった。
 膝を立てた満子が、傍らに座るチコに、腕の中の赤ん坊を見せるため、少しだけ前かがみになっている。
 チコは背中を丸め、心もち顔傾げて一心に赤ん坊を覗き込んでいる。
 赤ん坊を見つめる満子の眼差しも、チコの眼差しも…惜しみない愛情が溢れていた。
 赤ん坊……幼い悟は、そんな愛情に包まれていることを知ってか知らずか、静かに眠っている。

 悟は、何かに気が付いたように、ガバっと身体を起こして後ろを振り返り、仏壇を見る。
 そして、前を向き、孫の突然の行動に少し驚いている祖母の顔を見る。

「笹山君…。」
 最後に、隣で、やっぱり何かに気が付いて、微笑んでいる春香を見つめた…。

 理屈じゃなく、感じ取れた。

「ばあちゃん、俺、じいちゃんに会いに行ってくる。」

 悟は祖母に言ってから、傍らに置いておいた鞄の中から財布などを取り出し、出かける準備をする。

「会いにって、お墓参り?」
「うん。あと、中山にこの辺案内してくるから、少し遅くなる。中山、行こう。」
「あ、うん。」

 春香も慌ててハンドバッグを手に取り、祖母にペコリと頭を下げ「行って来ます。」と言い、悟の後を追う。

「気をつけてね。夕食までには帰っておいでね。」

 祖母は戸惑いながらも、元気に家を飛び出していく悟と春香を見送った。

 祖父の眠る墓は、家から歩いて15分程度の場所にある。
 途中寄り道をし、花屋で花束を買い、蝉の声を聞きながらお寺へと歩く。
 田んぼの中にある、小さなお寺で、笹山家がこの土地に住み始めてからずっと檀家としてお付き合いが続いている。
 気の良い年配の住職さんがちゃんと悟のことも覚えていてくれて、後で茶をご馳走するから本堂へおいでと誘われる。
 住職さんと軽く挨拶を交わした後、木桶に水を汲み、お墓へと向う。
 笹山家のお墓は入り口から一番奥まった隅にあり、悟と春香は花を供え、柄杓で水をかける。

 2人並んで手を合わせ、祖父のことを想う。
 ひとしきり、そんな時間を過ごした後、悟がぽつりと言った。

「中山…。俺、わかった気がする。」
「…うん。」
「上手くは説明できないけど…チコや、犬達が俺に向けてくれる眼差しって、家族のと同じで…。多分生きていたらじいちゃんも同じだと思う。」

 もし、祖父が生きていたら、同じ眼差しを悟に向けていただろう。
 悟が感じていることは春香にも伝わっていた。

『…おじいちゃんね、悟が生まれてくるの楽しみにしていたの。』
 満子から聞いていた、祖父の想い。
 あの写真に写るチコの姿は、祖父そのものではなかったか。
 チコだけじゃなく、悟を守ってくれていた犬達の眼差しは、いつも無条件に愛してくれていた。

「…まいったな。犬が全部じいちゃんに思えてくる…。」
 まだ見ぬ孫のことをチコに語っていた祖父の強い意思を、チコや他の犬が代わりに引き継いでいる…悟にはそう思えた。

「じゃあ、笹山君のおじい様は私のことも気にしてくれてるのかな。」

 春香が少し照れたように笑い、肩を竦める。
 悟はお墓に向かって苦笑いし、祖父に言う。

「じいちゃんは不甲斐ない孫のことが、よっぽど心配なんだな。中山のことも『わしが守ってやらなきゃ!』って思ってんのかも。俺ってそんなに頼りないか?」

 春香は悟の言い様に、キョトンとし、その後クスクスと笑った。
 そして、顔を上げ、自信満々に胸を張る。

「そんなことない。笹山君はとても頼りになるもん。」

 悟にとって、春香の言葉は勲章だった。

2002.11.7 

もうじき終わりだ…(涙)