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 週が明けて数日が過ぎ、悟達の学校では期末テストも終わり、後は夏休みを待つばかりとなった。
 テストが終わった日の夜、春香は一本の電話をかけた。
 相手は、里美。

「里美ちゃん。私、笹山君のことが好き。」
 受話器を握りしめ、春香は正々堂々と…と、言うにはちょっと相応しくないくらい、震えた声で宣言した。
 悟への気持ちをハッキリと自覚した春香は、まず、里美にそのことを伝えた。
 里美にきちんと伝えた上で、先に進みたかったからだ。
 とは思っても、人と争うことが苦手な…ましてや恋のライバルなどという状況に陥ったことのない春香にとっては、とても勇気がいる宣言だった。
 受話器の向こう側の主、里美は、数秒の間無言でいたが、大きなため息と共に落胆する声が発せられた。

「あ〜あ。やっぱりそうなったのね。かなりショック。」
「ご…ごめんね。」
「謝らないでよ。人を好きになるのにルールなんかないんだし、謝られたらまるで私が負けるみたいじゃない。」
「あ…ごめ…。」
「だから、謝るな!…ったく。分が悪いなぁ。笹山君のことだから、春香にもうとっくに告白してんでしょ?」

 突然突っ込まれ春香は固まる。

「笹山君、私にハッキリ言ったことがあるのよ。春香が好きだって。」

 『秘密の場所』で、悟と里美が2人きりになった時のことだ。
 『あなた中山さんのことが好きなの?』と言った里美の問いかけに、悟は肯定した。

「あの性格からして告白してないなんてあり得ないもの。お見通しなんだから白状しちゃいなさい。」
「…里美ちゃん…。」

 観念した春香は、一度告白されたこと、その時は尚也が好きだと思っていたから断ったことをきちんと話した。

「要するに、今は両想いなのよね、お宅たち。ホントに分が悪いなぁ。」

 春香は何て言って良いのかわからず、言葉を詰まらせていた。

「ああ、別に春香が私に対して優越感とか同情とか、そんなことを考えているだなんて思ってないから気にしなくていいわよ。そんな奴じゃないってわかってるから。春香、人と競うのとか、苦手だもんね。欲しいものも争うくらいなら諦めるタイプ。だから今も困っちゃってるってのが本音でしょ?」

 言われていること一つ一つがまるで心を覗かれているように図星だったので、春香はますます身を縮める。

「言っとくけど、私春香のそういうとこ、今回は利用させてもらうわ。」
「え?」
「要領の悪い春香のことだから、笹山君に気持ちを伝えるの、一苦労しそうだし。だから私、最後まで諦めないわよ。」
「里美ちゃん…。」
「人の気持ちは何で変わるかわからないもの。春香がもたもたしているうちに、笹山君、押し倒しちゃうわよ。」
「お…押し倒す…??!」

 春香は頬を真っ赤にして受話器に縋りつく。

「じゃあ、お互いライバル宣言もしたことだし。頑張ろうね。私、負けないよ。」
 里美はあっけらかんと言い、とっとと電話を切った。
 春香はツーっと機械音を立てている受話器を、しばらく呆然と見つめ、ゆっくりと所定の場所に置いた。

「わ、私だって負けないもん!!」

 女の闘志が湧いてくるのを初めて感じたが…里美が相手だと、勝てる気がしない弱気な自分が情けなくなった。


 次の日。
 
 悟と春香は、ベンチにほのぼのと仲良く並んで座り、久方ぶりに『秘密の場所』でお弁当を食べていた。
 好い天気で、青い空はじきに到来する夏を感じさせる。
 轢き逃げ事件のことは新聞やテレビで報道されていた。尚也の名前は伏せてあったが、噂はどこからともなく流れ、学校ではちょっとした話題になっている。
 もちろん悟と春香は事件のことは一切漏らしていない。
 噂の渦中の尚也本人も、周りから何を言われようが、どんな目で見られようが、見事なまでに平然としていた。
 夏休みが終わる頃には、誰も騒がなくなるだろう。
 悟と春香は、テスト期間中も時折顔を会わせていたが、ゆっくり話をするのは久しぶりだ。
 それでも、廊下や登下校時の僅かな時間の会話で、春香が家族とのわだかまりを消しつつあることを、悟は実感できていた。
 今日は家族とどんなことを話したのか…夢中で語る春香の笑顔は、悟をも幸せにさせた。
 テスト勉強で一夜漬けの日が続き、やっと平穏な日々が訪れたのだ。
 轢き逃げ事件のことで、てんてこまいだった悟の試験の結果は…多分惨憺たるものだろう。
 
「ま、次回頑張ればいっか。」
<落ち込んでたって何の得にもならないしな>
 …悟の精神的ダメージは、いつも超特急で回復する。


「もうじき夏休みだね。」
 言った後、春香は紙パックの烏龍茶で喉を潤す。
「ああ。そうだな。」
「あのね…笹山君。」
「何だ?」
「私ね…私にもね、クロちゃんの姿、見ることができたの。」
「え?」
「一目だけだったけど。とても優しそうな、可愛いワンちゃんだった。」

 春香はクロのことを思い出し、口許が和らぐ。

「クロのこと、ホントに見えたんだ。」
「うん。」
「不思議だなぁ。何でだろう。ずっと見えなかったのに…。」

 しきりに首を傾げる。
 クロ自身が会いたがっていた尚也にも見えなかったのに、春香には見えた…そのことが不思議でたまらない。
 まあ、いくら考えても答えなど出てこないので、すぐに気持ちを切替える。
 青い空を見上げ、悟は少し大きな声で話し出す。

「俺さ、クロがいなくなってから、何だか寂しくてさ。」

 まるで<クロに届け!>と願っている直向きな眼差しで、空を見つめる。

「あいつ、いつも傍にいたからさ。それこそ、寝るのも風呂入るのも、トイレまで付いてくんだぜ?たまんなかったぜ。それが突然いなくなってみろよ。気が抜ける。」

 悟の言い方は乱暴だけど、クロへの愛情がたっぷり感じられて、春香は可笑しくてクスクス笑う。
 笑った後、ふぅ…と息をつき、微笑みを浮かべた。

「クロちゃん、最後は願いが叶って幸せだったんだよね…。」

 悟から、クロが幸せそうに旅立って行ったことを聞き、ホッとしていた。

「うん。あいつ、俺のことなんて眼中になくて、嬉しそうな顔して消えてったもんな。ったく寂しいぜ。」

 そう言ってはいるが、悟の笑顔は満足って文字を貼り付けたものだった。
 春香は、悟の声に耳を傾け、その表情一つ一つを目で追った。
 悟の小さな仕草にまで心が惹き付けられる…。

<気持ち、伝えよう…>
 あなたのことが好きです…春香は今日、その言葉を言おうと決めてこの場所に来た。

 一方、悟の方も春香に聞きたいことがあった。
 こちらの方が春香より聞くのが困難な内容だった。
<中山、川田先輩のこと、どうするんだろう…>
 好きな相手が、目の前で別の女に告白するシーンを見てしまったわけだし、かなりショックだったに違いないと、重たい気持ちでずっと春香のことを考えていた。
 団地の屋上で見た尚也と瑞希の会話のことは、春香には話をしていなかったが、最初の告白場面だけで尚也の本気な気持ちは痛いほど伝わっている。
 …何せ自ら監禁されたフリをするくらいだから…。
 きっと、春香は今でも尚也を想い、胸を痛めているんだろうと思い込んでいた。

 『俺じゃあダメ?』…春香にそう尋ねたかった。
 代わりでも、寂しさを紛らわす相手であっても、それでも選んでくれるなら構わなかった。
 どんなに小さなチャンスでも、掴みたかった。
 もう一度、いや、何度でも告白しようとは思っているが…決めたら即実行男の悟も今回ばかりは躊躇っている。

<もう少し時間を置いた方がいいのかな…。ああ、でも言いたい…>…と、悟の心は揺れに揺れていた。

 …うじうじしたり、慎重に考えるのが苦手な悟は、やっぱり直球勝負でいくことにした。

「中山、あのな…。」「あのね、笹山君…。」
 2人同時に口を開き、驚いてお互いの顔を見やる。

「あ、笹山君からどうぞ。」
「いや、中山から言えよ。」

 どちらが先に言うかで譲り合っていると、ふと、人の気配を感じる。
 草木が何かに触れ、擦れる音がする。
 悟と春香が、その気配の方へ目を向けると…2人の目に見覚えのある後姿が映る。

「川田先輩!!」
 春香は、咄嗟に立ち上がり、後姿の主を呼ぶ。
 音を立てないようにその場から立ち去ろうとしている尚也の姿を発見したのだ。

 名を呼ばれ、バツが悪そうな笑みを浮べ振り返る。

「悪い。邪魔する気はなかったんだ。」

 尚也は、春香に礼を言いたくてここへやって来た。
 ここ数日は事件のことと、テストも重なってドタバタしていて、まともに話も出来ていない状態だったから。
 もちろん悟にも礼を言いたかったのだが、まさか2人が『秘密の場所』の、ほのぼのお弁当仲間になっているとは知らなかったので、目に入った光景は予想外のものだった。
 春香は尚也とこの場所にいる時、安らいでいた。
 けれど、先ほど見た春香の表情は尚也ですら今まで見たことないくらい、明るく満ち足りたものだった。
 笑顔だけじゃなく、時折見せる切なそうな表情も、見つめる瞳も、語る声音も、相手を求める気持ちを強く感じられる。
 それは全て悟に向けられている。
 しばらく惹きつけられるように魅入ってしまった。
<中山。お前、もう一人じゃないんだな>
 暗い影を背負い、人を拒絶していた少女はもう何処にもいない。
 尚也は心から安心した微笑みを浮べ、2人に水を差す前に退散しようとしたのだが、見事に見つかってしまった。

 春香が尚也の許へ駆け出すのを見て、悟も思わず立ち上がるが、その場からは動けなかった。
 行って欲しくなくて、彼女の手を取りそうになったが、グッと堪えた。

<人の気持ちはそう簡単に揺るがないもんな>
 今もまだ、春香は尚也に恋している。
 そう決め付けている悟にとっては、胸の痛い、辛いシーンだった。

「川田先輩。身体の方は大丈夫なんですか?」
「ああ。この通り、元気すぎるくらいだ。」
「…良かった。」
 春香は夏の日差しに負けないくらいの明るい笑みを浮かべ、その後ペコリと頭を下げた。
 その行動に、尚也は驚いて目を見開いた。

「中山?」
「ありがとうございました。」

 春香は一言礼を言い、ピョコンと頭を上げる。
 そして、尚也を真っ直ぐ見つめる。

「私。先輩に憧れていました。それと感謝してます。」
「…憧れ?感謝?」

 ますますどう受け止めたらいいのかわからないといった感じの、困惑状態の尚也。
 春香はそんな尚也を瞳に映し、心の中で、彼が自分に何を贈ってくれたのかを思う。
<私が変われるきっかけを作ってくれたから…>
 信じることを諦めていた春香に、最初に手を差し伸べてくれた人だから。
 …悟と出会うきっかけを作ってくれた人だから。
 尚也に出会わなかったら、尚也の強さに触れなかったら、今も自分は笑えずにいただろうから…。
 いくら感謝しても、し足りないくらいだった。

 一方、尚也はまさか春香から礼を言われるとは思ってもいなくて、戸惑っていた。
「礼を言わなきゃいけないのは俺の方だ。中山が俺を探そうとしなかったら、今頃どうなっていたかわからない。」
 尚也は一呼吸置いてから「ありがとう。」と言った。
 それから、ひょこっと顔を横にもたげ、ベンチの傍で立ち尽くしていた悟にも礼を言う。

「笹山も、ありがとう。」

 急に話の矛先を向けられ、悟はビクッと肩を揺らす。

「…別にお礼を言ってもらうようなことは何もしてないですよ。」
 …初めて敬語を使い、そのわりにぶっきら棒に返事を返す。
 尚也はニヤッと笑って、軽く手を振って『秘密の場所』から退場していった。

<最初から最後まで嫌味なくらいイイ男だな…>
 悟は口惜しさを感じながらも、男として尚也のことをカッコイイなと思ってしまう。
 一連のことで、春香が好きになって信じ続けただけのことはある男だと、思い知らされた
<…中山、嬉しそうだったな>
 先ほど尚也を見つけた時の春香の表情が目に焼きついている。
 満面の笑み。眩しいくらい、元気な笑顔だった。
 後は、春香の後姿しか見えなかったが、尚也とのやり取りを聞いていて、悟はかなり凹んでいた。
 声を聞いていただけで、どれくらい相手のことを大切に思っているかが感じられたから。

<やっぱ今でも好きなんだな>
 ガックリと肩を落とす。まるで留守番を言い渡された座敷犬のようだ。
 春香はベンチに戻り、腰を降ろそうとするが、悟がションボリしているのに気が付きキョトンとする。

「笹山君?どうしたの?」

 春香は悟の顔を覗きこみ、心配そうに尋ねた。
 その顔を見た悟は、可愛くて可愛くて思わず抱きしめたくなる…。
 思いのまま告白し、『抱き締め実行』に移したくなるが、それでは今までと何も進歩しない行動になってしまう。
 尚也に刺激を受け、自分もあんな風に変わりたいという願望が生まれた。
 瑞希を優しく見守っていた尚也に憧れる。

<ちくしょう!俺も男だ!中山が川田先輩を忘れるまで耐えて見せるぜ!>
 中山のことを振り向かせて見せる!その後、改めて告白だ!!…と、珍しく体当たり作戦を変更した悟だった。

 悟の決心と同時に、再び人の気配がした。
 ガサッと草を踏み分け、木の枝を避けて通る音がして、姿を現したのは…。

「春香!笹山君!」

 聞き覚えのある声に、悟は「げっ…。」と声を漏らし、後退る。
 春香は驚きはしたが、ある程度彼女の登場を予想していたので、早々に身構える。

「一緒にお弁当食べてもいいでしょ?」

 お弁当箱持って、ニコニコ顔で立っていたのは里美だった。
 里美は恋心を自覚してから、積極的に悟に迫っていた。
 悟が春香のことを好きだと知っていながら、それでも元気良く纏わり付いている。
 そんな彼女にさすがの悟も少々逃げ腰だった。

 …結局、この後も巧みに里美の妨害を受け、春香は気持ちを伝えることが出来ず数日が過ぎ…夏休み前のイベントが始まる。
 全学年、クラス対抗の球技大会だ。

2002.10.20 

次回もラブコメ〜!イエーイ♪