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悟たちが追っている野口は、あてのないまま車を走らせていた。 瑞希は、運転席に顔を向け、余裕のない野口の顔を覗き込む。
「…野口さん。」 「何だ?」 「もうやめましょう…。」 「………。」 「これ以上罪を重ねちゃいけない。…自首しましょう。」
野口は、何も言わずに、大通りを右折し、小道へ入る。 コンビニや小さな工場などの建物を通り過ぎ、会社の看板が付いた小さなビルの前に車を停める。 ハンドルを握り締めたまま野口はうな垂れ、小さな声で呟くように話しだす。
「一緒に逃げてくれよ、瑞希…。」 「野口さん…。」 「怖いんだ。」 本当に、怯えているようだった。 瑞希は野口に穏やかな声で語りかける。
「何が怖いの…?」 「人を殺してしまったことも、これから先、犯罪者として生きていくことも…。人を殺したという事実を背負って生きて行くことなんか出来ない…。」 「…いくら逃げても…例え警察や世間から死ぬまで逃げ切れても、その怖さは抱えたままよ。罪からは決して逃げられない。」
野口は恐る恐るという感じで顔を上げ、瑞希を見つめる。 確かに瑞希の言う通りだった。
「私はあたなに罪を償うチャンスを奪ってしまった。私自身の身勝手な願いのために…。もしあなたが私に助けを求めた時、自首するように説得していたらこんなことにはならなかった。……ごめんなさい。」 「何でお前が謝るんだ!!」
突然野口が悲痛な声を上げる。
「野口さん?」 「お前との付き合いなんて、俺にとっては最初から単なる暇つぶしだった。お前だって気が付いていたんだろ?なのに何で俺のためにそんな風に何もかも投げ出せるんだ?俺は瑞希を巻き込んだ。知ってるか?俺はお前を騙したんだ。俺はな、11月に結婚する予定だった。会社の重役の娘だ。お前とは比べ物にならないくらい若くて可愛い女だよ。俺の将来これで安泰だと思っていた。お前とも縁を切るつもりでいた。その矢先の事故だ。やってらんないぜ。」
瑞希にとっては酷いことこの上ない野口の言葉のはずなのだ。 結婚話もこの時初めて聞かされた。 でも瑞希は黙って、とても優しげな眼差しをして聞いている。
「俺が言った『愛してる』って言葉も、嘘だ。俺はお前を操りやすい共犯者でいさせるために言っただけのこと。その裏で幸せな結婚の準備を着々としていたんだ。」
野口はまるで瑞希に嫌われようとしているように、自分のことを吐き捨てるように言う。
「こんな男の何処がいいんだよ。」
瑞希は、鮮やかな微笑を浮かべる。
「野口さんこそ、私の何処が良かったの?」 「え?」 「本気じゃないこともわかっていた。暇つぶしの女でしかないってことも。…でも、あなただったら私でなくても他にたくさんお相手がいたはず。なのに、何で私に何度も会ってくれたの?」 「それは…。」
暇つぶし…ずっとそう思って時折瑞希に連絡を入れて、会っていた。 自分でもわからなかった。 他にもたくさん女はいる。何も瑞希と会うことなどないのにとも思っていた。 それでも瑞希を手放すことが出来なかった。 今の野口なら、その理由がハッキリとわかった……。
言葉を失ったように黙って俯いている野口に、瑞希は言った。
「…別に答えてくれなくてもいいの。野口さんがどんな気持ちであれ、私にとってあなたといた時間はとても楽しくて幸せなものだったから。」 「瑞希…。」 「あなたがとても好きだった…。」
瑞希は尚也に言われたことを想いながら一言一言気持ちを伝える。
「でも、愛し方間違えちゃった…。」
瑞希は肩を竦めて少し悲しげな、でもどこかスッキリした笑顔を向けた。
「私も野口さんも、自分のことしか考えていなかった。自分勝手な思いばかりを追っていた…。私は愛し方を間違えた。それをあの子たちから教わった…。」
好きだから、相手を守りたい。 尚也も悟も春香も、ただそれだけを願っていた。
好きだから愛されたい…でもそれ以上に、相手のことを守りたかった。
『俺はあんたが好きだ。』 尚也の真っ直ぐな愛情。
<尚也君は、ずっと私のことを守ってくれていた…> 怪我をさせられ病院へも連れて行かれず、監禁され、それでも瑞希のことを見守っていた。
『だから死んで欲しくなかった。罪を償って欲しかった。』 瑞希の命だけじゃなく、心まで守ろうとしていた。 <優し過ぎだよ尚也君…> 瑞希は胸に湧き上がる切ない痛みを感じ、涙腺が緩む。 それを振り払うかのように軽く息を吐き、顔を上げる。
「私達、償わなきゃ…。」 「瑞希…。」 「自首しましょう。」
瑞希は凛とした声で言った。
「自首…。」 野口は、ハンドルを握ったまま、かるく体重をかけるように俯いた。
「償いか…。そうだな…償わなきゃな。」
野口の言葉に、瑞希はホッとしたように微笑んだ。 でも、俯いたまま微かに笑みを浮かべる野口の横顔は、瑞希を不安にさせる。
「なあ、瑞希…俺さ、今の今まで気が付かなかったけど、お前のこと、本気で好きだったみたいだ。」 「…え?」 「馬鹿だよな。そんな気持ちにも気が付かなくて…。いや、気付きたくなかったんだな。愛情なんて持った方が負けだと思ってたから。あーあ。せっかく、ずっと欲しかったものが見つかったのになぁ…。」
自嘲気味に笑う野口に、瑞希は暗い予感に胸を締め付けられる。 野口は瑞希に目を向け、ゆっくりと右手を彼女の頬へ持って行く。 壊れ物に触れるように、そっと指先で触れる…。 野口の指は、冷たくて、少し震えていた。
「野口さん…?」 「ごめんな、瑞希。」
そう言って、頬から手を離し、力を加減して瑞希の鳩尾に拳を食い込ませた。 <野口さん!> 瑞希は突然のことで避けることも出来ず、腹部の重い痛みに襲われながら野口を見つめる。 遠のく意識の中で、瑞希が最後に見た野口の顔はとても優しかった。
野口は、気を失ってグッタリとしている瑞希を数秒の間見つめて素早く車を降りる。 道路に立ち、もうすっかりと暗くなっている景色に視線を泳がせる。 数十メートル離れた場所に、電話ボックスのあかりを見つける。 その場所まで急くように走って行き、中に駆け込む。 受話器を取り、目的の場所へ電話を入れる。 電話をした先は、警察。 野口は電話の向こう側に、一方的に自分の犯した罪の事を話し始める。 自分の名前と身分を明かし、事故を起こした日時、場所、様子、死体の隠し場所…今まで逃げていた経緯を伝える。 電話口の相手が必死に何かを尋ねていたが、野口はまるで聞こえていないように淡々と告白を続ける。 そして、最後に祈るような声音で言った。 「上村瑞希は俺に脅されて手を貸しただけなんです。彼女が自首しようとしていたのを知り、俺は怖くて…彼女を人質にして逃げようとしていました。でも、もうこんな馬鹿なこと、止めます。全て俺が悪いんです。事故で奪ってしまった命も被害者である少年を監禁していたのも全て俺の罪です。上村瑞希も被害者なんです…。だから…彼女のことをどうかお願いします。俺はこれから自分で罪を償いますから…。」
この時の野口の声音を聞けば誰だって彼が電話を切った後、どんな行動に出るか、容易に想像出来た。
最後に、車を駐車している場所を伝える野口。受話器からは必死に説得の声が聞こえる。 野口は、まるで未来を断ち切るように力を込めて受話器を置いた。 フラっとドアを開け、外に出る。 顔を開けた先に、古びた団地が目に入る。
6階建てくらいの建物が2つ並んでいる。夕飯時だ。団地に住む家庭から暖かな光が漏れる。 野口はゆっくりとそこへと歩き出し、建物の前に立つ。 <このくらいの高さがあれば、頭から落ちれば死ねるよな…> そんな考えを巡らせ、一番手前にあった入り口から入り、階段を上り始める…。
上りながら瑞希とのことが脳裏を過ぎる。 いつも遠慮がちに野口のことばかりを気にしていた。
<あいつ…どんな気持ちで死体を埋めたんだろう…>
鍋島の死体を埋めるのは、瑞希にとって精神的にも体力的にも想像を絶するほど過酷な作業だったに違いない。 それを一人でやってのけた。
<全て俺の罪なのに…>
野口は、自分の犯した罪と向き合って生きて行くことなど到底出来ないと思った。
そんな自分には、殺してしまった命や、巻き込んでしまった瑞希に対しての償い方はこれしか思いつかなかった…。
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