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<クロ…ちゃん?> 悟が言っていた、黒い犬の幽霊。 その姿が春香にも見えたのだ…。
しばらくの間呆然とクロの後姿を見つめていたが、先ほど瑞希が語った話の中で、鍋島の死体をこの家の床下に埋めたと言っていたのを思い出す。轢き逃げ犯の身代わりになるために書いた遺書のことを語った時、そう言っていた。
ゾクリと背筋が寒くなる。
クロの後ろ姿は、ドアの向こうへと強く意識を向けていることを感じさせる…。 …この状況から、死体が埋められているのは、そこなのだと連想させる。
薄暗い廊下の一番奥に存在する部屋…。春香の足が震える。
<…クロちゃんの飼い主さんなのよ>
怖がってなんかいられない!気持ちを奮い立たせる。
春香は廊下の電気を点け、意を決したように一歩を踏み出して、廊下の奥へと進んで行く。
あと数歩で辿り着くという所で、クロが耳をピクンと動かし後ろへ振り返った。
春香は一瞬ビクッとし、表情を硬くするが、クロの優しげな眼差しに緊張も解け、自然と笑顔になる。
「クロちゃん…。」 「くぅ〜ん。」 切なげな鳴き声も、ちゃんと聞こえた…。
「…その部屋に、入りたいの…?」 クロは顔を上げ、春香の目を食い入るように見る。 <ドアを開けて>と訴えているようだ。 相変わらず自分が幽霊犬で、壁やドアなど通り抜けられるという事実を認識していないクロであった。
春香は、少し躊躇うが、勇気を出してドアを開けた。 少し開いた段階で、クロはスルリと身体を滑り込ませ部屋に入る。
ドアを開け終え、春香の目に部屋の内部が映りこむ。
薄暗い空間が、ドアを開けたことにより、廊下の光が差し込み、その姿をさらす。 6畳ほどの狭い畳の部屋だった。
空気が冷たく湿っていて、窓はピッチリと閉められ圧迫感を感じる。 家具や荷物は見事なまでに何もなかったが、最近までは置かれていたと物語るように、畳の色に差があった。 部屋の数箇所に何かが置いてあったようで四角く青い畳の跡がある。それ以外の畳は薄茶色に変色している。
<死体を埋める時、荷物をどけたんだ…。やっぱりこの部屋に…?> 春香は入り口の所からは動けず、部屋の中をしきりにうろうろするクロを見つめていた。
「くぅ〜ん。くぅ〜ん。」 クロは、一所懸命探していた。 事故に遭った直後から追い求めていた最愛の存在を呼んでいた。
「くぅ〜ん…はふはふ…。」
確かにこの部屋にいるのを感じるのに、いない。 この家に入った時から感じているのに、最愛の人の姿も声も見当たらない。 それがクロを酷く不安にさせていた。 それでもクロは呼び続ける。 会いたくて会いたくて、最後に呼ばれた声に応えるためにここまで来たのだ。 思い余って、思い切り悲しい声で遠吠えをする。 すると…クロの耳に、声が届いた。 春香には聞こえていないらしかったが、クロにだけは聞こえたのだ。 その声は、クロが欲している最愛の人の声だ。 姿は見えないけれど、彼は確かにここにいる。 クロは喜びで身体を震わせ、彼の声に耳を傾けていた。
彼の声音から、気持ちを理解しようとする。 クロの愛した人。 …彼は穏やかな声でそっとクロに頼みごとをする…。 クロはしばらく耳をしっかりと立てて聞き入っていたが、突然「わんっ!」と一声鳴いて部屋から飛び出した。
「クロちゃん?」 弾かれたように駆け出し、自分の横を通り過ぎて行ったクロを、春香は目で追い、後ろに振り返る。 クロは尚也や悟が外へ出た時に開けっぱなしになっていた玄関のドアを通り、外へと出て行ってしまった。
クロは必死で走った。 彼…鍋島の願い事を叶えるために。 クロの最後の仕事だ。 それは、鍋島とクロの大切な友達を守ることだった。
その頃、尚也と悟は、野口たちを乗せた車を見失っていた。 大通りへ出る手前で、左右どちらに行ったのかがわからないでいた。 T字路の信号で青になるのを待ちながら、尚也は左右どちらに曲がるかで迷っていた。 後ろに乗っていた悟は心の中で焦りを感じる。
<畜生、どっちに行きやがった!>
夕方から夜の風景に染まりつつある街並み。ますます探しにくくなる状況に不安を感じる。 その時、悟たちの目の前の横断歩道を右から渡り始めた犬がいた。 飼い主さんに連れられ、夕飯前の散歩をしている一匹の柴犬。 でも、ちょうど悟たちの前に来た所で柴犬だけ踵を返し、今来た道を引き返し始めた。 「ちょっとコゲちゃん!!そっちじゃないでしょ!」 コゲと呼ばれる柴犬は飼い主に逆らいながらも、一点を見つめ激しく吠えていた。 <犬…> 悟がその柴犬に注目すると、柴犬は激しく吠えるのをやめ、顔を悟に向け、見つめる。 そしてまた顔を気になる方向へ向け、激しく吠えるのだ。それを何度も繰り返す。 その、柴犬が吠えている方向は、悟たちから見て、右方向。 不自然な柴犬の動きに、悟はハッとする。
<もしかして、この犬…> 悟は尚也の肩を叩き、右方向を指差す。
「右だ!右だよ!!」 必死で叫ぶ。 尚也は、躊躇いがちに悟のことをチラッと見つめたが、信号機が青に変わった時、進むべき道を右を選んだ。
大通りを一直線に走る。運が良いのか悪いのか道路はさほど混んではいなかった。 尚也は、バイクを走らせながら、不思議な光景を目の当たりにする。 この時刻、この辺では散歩している犬が多く見られ、その犬たちが尚也たちが通るのを注目しているように感じた。 …もちろん、寝巻き姿でバイクに乗っている尚也に人間も注目はしていたが、犬がそんな理由で『視線釘付け』状態になるわけがない。 運転に集中していたので、初めはわからなかった。 でも、信号で停まったり、車が詰まり、スピードを落とした時に視界に入り込んできた。 散歩中の犬たちは、尚也たちが通るのを見越していたかのように吠えながら鼻先で進路を示すのだ。 <…何なんだこれは…> 尚也は唖然としながらも、スピードを落とし、視界の脇をかすめて行く犬たちに従った。 何故かそうしなければならないような気がした。 サナが尚也に何か伝えたい時に向けるのと同じ眼差しだったから…。 悟は尚也が犬たちの気持ちに気がついているようでホッとしていた。 …悟は確信していたからだ。
<犬たちは、俺たちの味方だ>
野口たちの車への道しるべ。 その役割を果たしてくれているのだと信じていた。
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