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春香が悟に会いたいと奔走している頃、悟は喫茶店にいた。 昨晩の電話で『上村瑞希』と会う約束をした、その待ち合わせ場所だ。 繁華街にある小さな喫茶店で、あまり流行っていないらしく、店内に客は悟を除いて2人ほどだ。 一番奥の4人席に、出入り口が見えるように座り、瑞希を待つ。 待ち合わせの時間より、1時間も早く来てしまった。
春香が何となく疑っているようだったから、顔を合わせる前に飛び出してきたのだ。
<下手に顔を合わせると、全面自供させられそうだからな>
悟は、クロを自分の隣の席に座らせ、入ってくる客をチェックさせていた。 テーブルの脇に置いた鞄の中には、録音機能のあるウォークマンを入れてある。 会話を録音するためだ。
<上手く録音出来るかな…> 一昔前から母親の満子が使っている少々年代物のウォークマンだが、今も元気に機能し、音声も録音できる。 どれくらいの音声が拾えるのか不安だったが、相手の言葉全てが証拠を掴むたしになるかもしれないと、悟なりに考えてのことだ。 悟が2杯目のコーヒーを飲み干し、こんな時に緊張感のないプリンアラモードなんぞを頼み、運ばれてきた頃、店の薄汚れた壁にかけられた時計が約束の時刻5分前を指し示した。
クロがプリンを頬張る悟を、羨ましそうに見つめる。
<そんな目で見んなよ。お前食べられないんだし…> 居心地の悪くなるようなクロの眼差しに、仕返しするような目で見返した。 その時。 カランと、ドアに付けられた鈴が鳴り、一人の女性が入ってきた。 髪型はクセっ毛を一つに束ねていて、黒いTシャツとGパン姿。年齢は30歳前後。 疲れた感じの、地味な女性だった。 首に、魚の形をした飾りの付いたネックレスをかけている。 電話で言われた目印だ。 <…あの女だ> 悟は隣のクロに目を走らせる。…が、クロは無反応。 プリンアラモードに、鼻面を突きつけて匂いを嗅いでいる。 悟は素早くテーブルの上の鞄に手を入れ、ウォークマンの録音スイッチを押す。 女性は店内に視線を泳がし、悟を視界に捉えたようだ。 迷わず悟の席へとやって来る。 目印である制服姿の客は悟ただ一人だったからだ。
「笹山悟君…ね?」 遠慮がちの声だった。 悟は座ったまま女性を見上げ、頷いた。 「あなたが上村瑞希さん?」 「そうよ。」 薄く微笑み、悟の真正面の席に静かに腰を降ろした。 ウエートレスがメニューと氷の入ったコップを持ってやって来て、瑞希から注文を取る。 瑞希が頼んだのは紅茶。 数分後、すぐにその品は運ばれてきて、ようやく悟と瑞希の『探り合い』が始まる…。
口火を切ったのは瑞希の方だった。
「来てくれて、ありがとう。」 本心から言っているような、どこか安堵した微笑を浮かべている。 対する悟は、相手のどんな行動、言動も見逃さないようにと刺す様な眼差しで瑞希を見ている。 クロはというと、初めは目の前の瑞希を首を傾げ物珍しげに見つめていたが、じきに興味がなくなったのか、今度は悟の膝に顎を乗っけて伏せってしまう。
「礼を言われることじゃない。それより上村さん、あなたが電話で言った轢き逃げ犯って…本当なのか?」
瑞希は悟の質問を聞き、フッとテーブルに置かれた鞄に視線を移す。 そして、無表情のまま悟に視線を戻す。
「何のことかしら?」 「へ?」 悟は瑞希のすっ呆けた答えに、目をまるくして驚き、次に不快感を露にした。 「何しらばっくれてんだよ!」
叫びながらも<録音バレたかな…>と焦りも感じる。
クロが悟の気持ちの乱れに反応し、ビクンと顔を上げた。
「大声出さないでよ…。」 「だったら俺をからかうようなこと言うなよ!昨日、電話で言ったこと忘れたのかよ!」 「……あなたに聞きたいことがあるの。それを聞くまで私は何も話さない。」 「…聞きたいことって何だよ。」 「あなたは何故あの交通事故のことを調べているの?…事故の情報を探してるってことは目撃者じゃないってことよね?」
悟に向けられた瑞希の目は、何もかも見透かしているようだった。
<この女、何者なんだ?> 悟は一瞬どう答えるべきか迷うが、弱みを見せちゃいけないと冷静を装う。 目の前の女は、事故を追って悟がどういう行動を取ってきたか知っている様だ。 瑞希の態度があまりに白々しいので、悟の言葉使いもいつもに増して乱暴になる。
「俺は事故を見てた。まあ、あんたがどう思おうと勝手だけどね。」 「じゃあ、何で警察に通報しなかったの?変だわ。」
「…後から警察に言っても相手にされなかった。被害者も加害者も車もなにもない状態だったからね。でも、あの夜、俺は事故現場の傍にいたんだ。隠れて見ていた。」 「嘘ね。傍にいたならなおのこと、その場で警察になり連絡できたじゃない。車のナンバー控えることも出来たはずよ。」
<痛いトコ突くなぁ…> 悟は心の中で舌打ちする。
悟と瑞希の会話は、嘘と本当を混ぜこぜにしながらの、まるで化かし合いのように感じられる。
わざと、少し口惜しげに黙りこんだ後、瑞希の疑問に納得のいく説明をする。
「…怖かったんだ。体が動かなくて、ただ見つめていた。車のナンバーなんて見る余裕なくて…気が付いた時には車は去った後だった。…とにかく怖かったんだ。轢かれた男2人の被害者は、俺の知っている奴だったから。」 悟は、ここでさりげなく『被害者は2人の男性』という、見てなければ決して知ることの出来ない情報をちらつかせる。 瑞希は、悟の思惑通り、その言葉に反応を示した。 目の動きから、少なからずうろたえているのが感じ取れる。
「…知っている奴ら?」 「俺が見ていた証拠、言ってやるよ。もしあんたが犯人なら、きっと俺が目撃者だって納得するぜ。」 「言ってみて。」 「轢かれたのは鍋島さんという年配の男性と、川田尚也という高校生。そして黒い中型犬のクロという名の犬。川田尚也は俺と同じ高校なんだ。鍋島さんとも知り会いだ。クロと仲良かったんだ。」
尚也とのことは本当で、鍋島とのことはハッタリ。
悟の言葉を聞いた女性は、今までの淡々としていた様子が少しずつ崩れていく。 そわそわと落ち着かない様子を見せる。 <効果あり!>と、悟は内心喜んだ。 <俺は何も証拠を握ってない。だから、俺の存在がどこまでも邪魔だと思わせて出方を待つしかねーよな…> 何としてもこの機会に証拠を掴まなければと意気込む。 初め落ち着いてて手強そうに思えた瑞希に対しても、強がりのメッキが剥がれてきたと思っていた。 もっと責めて、瑞希の正体を暴かなければならない。
「あのさ、上村さん。俺はあんたが犯人だとは思っていないんだ。犯人は男だ。もしかして上村さんは車に同乗していた人?」 「何故犯人は男だと思うの?」
「言っただろ。俺は見ていたんだ。事故直後、慌てて車から降りて来た男の声だって聞いたぜ。随分動転して、『俺の所為じゃない。』とか言って被害者に責任転嫁してたぜ。それに、俺昨日口封じのために殺されかけたんだ。…会えばわかるぜ。その男の顔。ついでに使ってる香水の名前も。そいつが轢き逃げ犯だよ。」
悟のわかる範囲のことを全て曝け出す。 女性が事故の関係者なら、何かしら反応があるはずだ。 <さあ、尻尾を出してくれよ> 悟は挑むような目で瑞希を見つめる。
対する瑞希は、目の前の少年が確かに事故を見ていたと認めざるをえなかった。 <想像していた中での一番最悪の展開ね…> 後は、野口に辿り着く線を出来るだけ消し、万が一辿り着いてしまっても、主犯は自分なのだと思わせるしかない…瑞希はそう判断した。
テーブルの上に置かれていた紅茶に瑞希は手を伸ばす。 が、震えて上手くカップが持てない。 半分は動揺している演技で、半分は不安感からくる本当の震えだ。
悟は、瑞希のうろたえた様子をチャンスだと言わんばかりに言葉を投げかける。。 「さあ、今度はそっちの番だよ。何で俺を呼び出した?何を考えているんだ?まさか、今さら白を切るつもりじゃないだろうな。言っとくけど、鍋島さんと川田尚也がこのままずっと姿を消したままなら、いずれ警察も動いてくれると思うぜ?俺、あんたが犯人だとは思ってないけど、事故の関係者であることは間違いないよな?自首するなら今だよ。」
瑞希の顔色が蒼白になり、何も言わずに俯いてしまう。
「おい。何とか言ったらどうな…。」
悟が言葉を言い終わらないうちに、瑞希の手が素早く動き、悟の鞄の中にあったウォークマンを奪う。 「あ、こら!」
悟は身を乗り出して取り返そうとするが、瑞希は体を引き、録音のボタンを切って、カセットを取り出す。
「…ねえ、笹山君は、川田君とお友達なの?」
瑞希の声が微妙に震えた。 悟は忌々しげな眼差しを向けるが、一応質問には答える。 「…直接の友達じゃないけど、あいつがいないと泣いちまう奴がいるんだよ。」 「…そう。」
悟の言葉を聞いて、瑞希の脳裏に尚也の顔が過ぎる。
『だから誰も心配してねーよ。』 自分が失踪しても誰も心配しないと言い切って笑った尚也。 <いたじゃない。心配している人…> 瑞希は、心の中で目の前の少年に感謝した。 瑞希が会いたいと悟に申し出た時、悟は了承した。 その時瑞希は、交通事故を目撃したから犯人を追っているにしては、使命感に燃えた少年だと思った。 悟の行動はまさに命がけだから。 正義感が強くても、自分が殺されかけてまで怯むことなく真実を追える人間は多くはないと考えていたからだ。 それだけ尚也を大切に思っている人がいると思うと、とても嬉しかった。 <尚也君を心配している人のために、この少年はここにこうして来てくれているんですものね> 自分が危険に晒される可能性を承知しながら瑞希の前に現れた少年。 でも、瑞希は嬉しいと思うと同時に、申し訳ないとも思っていた。 悟の、尚也への気持ちを利用し、卑劣な手口を使わざるを得ない。 瑞希の描いた筋書きを実行するには、悟に大人しく言うことを聞いてもらわなければならない。 当然、悟は身の危険を感じるだろう。 そのために、尚也を人質として利用しようと考えていたが、悟の話を聞く前までは、はたして見ず知らずの人間のために悟が従ってくれるかどうかの不安があった。 綺麗ごとでなく、自分の命がかかってるわけだから、最悪逃げ出される可能性も考えていた。 少年らしい正義感と無謀さを上手く引き出そうと思っていたのだが、尚也の存在が『見ず知らずの人』ではなく『大切な人』に変わったわけで、瑞希はその分やりやすくなった。
<ごめんね…> 心の中でそっと詫びて、口を開く。
「ねえ、笹山君…私に付いて来て欲しい所があるの。」
テーブルにウォークマンだけを置き、小さな声で言った。
「何処へ?」 「大人しく付いて来て。」 「だから、何処へだよ。」 「…別に来たくないならそれでもいいけど…。」 瑞希は、『追い詰められたものの、少し攻撃的な笑み』…を浮かべ言葉を続ける。
「川田尚也君が、どうなっても知らないわよ。」 「…え?」
悟は顔を上げ、瑞希を食い入るように見つめる。
「生きてるわよ。川田尚也君。」 悟は膝の上に置いていた両手をギュッと握り締める。 本当は、このことを一番最初に聞きたかったのだ。 『川田尚也は無事なのか?』…これが一番に言いたかった言葉。 でも、瑞希主導の会話の中で聞けるタイミングを逃した。 …違う。さすがの悟も聞くのが怖かったのだ。
<生きてた…> 嬉しさと安堵で体の力が抜ける。 春香の顔が一瞬頭に浮んだ。
「…本当に生きているんだな?」 「ええ。これは証拠よ。」 瑞希は持って来ていた小さな手提袋からポラロイドで撮った写真を取り出し、悟の目の前にかざした。 その写真には、拘束され、布団に寝かされている尚也の姿が映っている。 これは瑞希が出かける前に撮ってきたものだ。 このポラロイドは、悟を信じさせるに十分な効果があった。 <死体のようには見えないし…死体を拘束する奴もいないだろ> 多少の疑いも持ったが、悟自身の<尚也が生きていると信じたい>と思う気持ちが余計に信用させた。 瑞希の手前、仏頂面を貼り付けていた悟だったが、尚也の無事に、嬉しさが零れ落ち、微かに笑顔になる。 その表情を見て、瑞希はフッと優しげな眼差しになるが、すぐに気持ちを切替え、素早く写真を鞄にしまう。 悟も険しい表情に戻る。
尚也の写るポラロイドを見せられた以上、瑞希は交通事故と深く関わりのある人間だと思わざるをえない。 低い声でもう一人の被害者の無事を尋ねる。
「鍋島さんは…?」 瑞希は力なく首を横に振る。 「彼は亡くなったわ。」
その事実を知った悟は、憎悪の気持ちをこめて瑞希を睨む。
「…ふざけんなよ…。」 「…もしあなたが大人しく付いて来てくれないのなら川田尚也君も死ぬわよ。」 「脅迫かよ。」 「そうよ。あなたさっきから男が犯人だって言っているけど、轢き逃げ犯は私よ。もう人一人殺しているの。この脅迫、本気よ。」 「……。」 「それに、言ったでしょう。私が犯人だって証拠見せるって。…車を運転していたのは私なの。あなたが見た男性はたまたま同乗していただけ。」 「…とにかく、その証拠ってのを早く見せてもらおうか…。」 「そうね。出ましょうか。」
瑞希は静かに席を立ち、悟も荷物をまとめ、続けてそれに従う。
<…警戒しているわね…> 瑞希の目に映る悟は、警戒心を露にしていた。 それはそうだろう。悟にしてみれば、瑞希自身が何を企み、自分をどうするつもりなのかわからないのだから。 多分、無事に帰してはもらえないと予想しているはずだと瑞希は思う。
<ごめんね。もう少しだけ私に付き合ってね> 瑞希は心の中で悟に詫びる。
瑞希と悟は喫茶店を出て、駅への道を歩き出す。 ちょうどその時、2人の姿を視界に捉えた少女がいた。 春香だった。 駅を降りて、迷いながらも喫茶店へ向う途中だったのだ。 <笹山君…?> 知らない女性と歩く悟の姿を見て、目を見開いた。 <…笹山君と…あの女の人は誰?>
悟の表情が、酷く緊張しているように硬いので、女性が何者なのかと疑問を持つ。 と、このままでいると、悟たちと春香は真正面から接触することに気が付く。 声をかけられる雰囲気には思えず、春香は咄嗟に小道へと入り込む。
電信柱に体を隠し、悟たちが通り過ぎるのを待ち、後から気が付かれないように注意しながら尾行した…。
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