| 尚也は布団に戻り、先ほどの電話で聞いた男の言葉を思い返していた。 『あの少年をどう始末つけるつもりなんだ?』 <少年…事故の目撃者って言ってたよな…> 事故の目撃者の存在。 「だったら、何で警察沙汰になってないんだ?」 電話の男の焦りようから、目撃者の存在は間違いないと思うが、疑問が多い。 いずれにせよ、尚也にとって事態が少しずつ動き出しているように思える。 <その流れを、良い方へと持っていかなきゃな> そう思い、瑞希の帰りを待った…。 瑞希は歩き慣れた散歩道をゆっくりと歩いていた。 サナは、無理やり散歩に連れ出され、初めは嫌がっていたものの、観念してそれなりに現状を楽しむことにしたようだ。 草むらや電信柱の臭いを嗅いで歩き回るサナを瑞希は愛しそうに見つめる。 <サナ…幸せに暮らしてね> 心からそう願う。 瑞希はそのまましばらく散歩を続け、ある一軒の家の前に来た時、サナを片手で抱き上げる。 もう片方の手には紙袋を持っていた。 インターホンを押し、「すみません。上村です。」と名乗った。 すると、すぐにドアが開いて小さな幼女と、その母親と思われる女性が飛び出してきた。 「わー!サナちゃん!!」 5歳くらいの幼女が笑顔で瑞希の腕の中にいるサナを見上げる。 「お待ちしておりました。早紀ったら朝から大騒ぎで。」 「そうですか。」 瑞希はニコッと笑ってサナを地面に降ろし、リードを早紀に手渡す。 そして手にしていた紙袋を母親に渡す。 「この袋の中にサナが使っていたクッションや餌のお皿が入っています。あと、サナの好物のドッグフードも入れておきましたから。」 「あ、はい。わざわざすみません。こんなに良くしていただいて何て言ったらいいか…。」 母親はコロコロ笑いながら受け取り、サナと娘とを見つめる。 瑞希は微笑を崩さず首を横に振る。 「こちらこそ、私の事情で飼えなくなったサナを引き取って下さるなんて何てお礼を言っていいのかわかりません。ありがとうございます。」 ペコリと頭を下げる。 「いいえ。うちの方こそ、散歩中のサナちゃんを見かける度に、可愛いワンちゃんだなぁって思っていたんですよ。そのサナちゃんを引き取らせてもらえるなんて光栄です。」 「サナのこと、どうかよろしくお願いします。」 「はい。家族の一員として大切にします。お約束します。」 母親の言葉にホッとしたように微笑む。 瑞希はサナの体を撫でてる早紀の傍にしゃがみ、笑顔を向ける。 「早紀ちゃん。サナのこと、よろしくね。」 瑞希の言葉に早紀は大きく頷いた。 「うん。早紀、サナちゃん可愛がるよ。お友達だもん。」 「…ありがとう。」 親子に見送られながら、瑞希はその場から立ち去った。 残されたサナは、瑞希が去る時、最後に切なげに『きゅ〜ん。』と2度鳴いた。 <可愛がられて、幸せになってね> そう願いながら瑞希は決して振り返ることなく家路を急ぐ。 大切な家族だったサナ。 あの柔らかくて温かな存在にどれだけ瑞希が慰められ元気付けられてきたことか。 瑞希の瞳に涙が溢れる。 野口の身代わりになろうと決めてからずっとサナの貰い手を探していた。 2日前にようやく見つけ、今日引き渡す約束になっていたのだ。 昨晩野口から電話で聞かされた内容を思えば、偶然にせよサナを手放すタイミングはちょうど良かった。 …そう、これから瑞希がやろうとしていることを思えば、ちょうど良かったのだ。 「ただいま。」 瑞希は出来るだけ明るい声でドアを開けた。 そして尚也のいる部屋へと足を運ぶ。 襖を開け、顔を出す。 「尚也君、ただいま。」 「おかえり。」 尚也は布団で上半身起こした状態で瑞希に顔を向ける。 その眼差しがとても真剣で、瑞希は首を傾げる。 「…どうしたの?」 「瑞希さんに話しがあるんだ。…あれ?」 尚也はサナがいないことに気が付いた。 いつも散歩から帰ると真っ先に尚也のところに寄ってきて散歩終了の報告をしに来るのに、そのサナがいない。 「サナはどうしたんだ?」 尚也の問いに、瑞希はすぐには答えようとはせずに口を開く。 「…私も尚也君に話しがあるの。」 「何?」 「ちょっと待ってて。帰りにお団子買ってきたの。今お茶入れるから、ゆっくりお互いの話を聞きましょう。」 台所へ消えた瑞希、その数分後、お茶を持って帰ってくる。 「で、話しって何なんだ?」 尚也は自分の前に出されたお茶とお団子には手を付けず、早急に瑞希に話を切り出させようとする。 瑞希は苦笑いする。 「そんなに急かさないで。とても美味しいお団子とお茶なのよ。食べてよ。」 尚也はちょっと不満げな眼差しを瑞希に向け、お団子を頬張り、お茶を飲む。 お茶はいつもより冷めた感じで、一気に飲むことが出来た。 トンっとお湯飲みをテーブルに置いて尚也が口を開く。 「さあ、話してくれよ。」 「…わかったわ。」 瑞希はゆっくりお茶を一口のみ、話を始めた。 「サナはね、もう私は飼えないから引き取ってもらったの。」 「…何だって…?」 尚也はかなり驚いたようで、目を見開いた。 「あんなに可愛がっていたのに…。」 「大丈夫。優しそうな方にもらっていただいたから。」 「…飼えなくなったってどういうことだ?」 瑞希は尚也の言葉を聞いて微笑を浮かべる。 でも、その微笑みは、いつもの安らぎを感じさせるものではなく、暗い影を落としていた。 「…ごめんね尚也君。」 「瑞希…さん?」 「あなたのこと、やっぱり放っておくわけにはいかなくなっちゃった。」 尚也は瑞希の様子がどこか危うい、儚いもののように思えた。 「………どういうことだよ。」 「私あなたを騙してた。事故を起こしたのは私でないようなこと言ったけど、本当は、全て私がやったことなの。」 尚也は、ふぅっと小さく息を吐き、瑞希を見つめた。 「…嘘つくなよ。」 「嘘じゃないわよ。…すぐわかるわ。」 「…え?」 <すぐわかるって…どういうことだ?> そう思った時、尚也は体の異変を感じる。 <な、何だ?やたら眠い…> 尚也は酷い睡魔に襲われる。 立ち上がろうとするが、力が入らず、布団の上に倒れこむ。 「…瑞希さん…?」 落ちていく瞼を必死で開け、瑞希に視線を向ける。 <お茶の中に何か入れたのか…?> 尚也の視線が瑞希からお湯飲みに行く。 それを見た瑞希が苦笑いする。 「お茶の中には何も入れなかったわ。お昼の時出したジュースの中に睡眠薬入れさせてもらった。」 「な…んで?」 「ごめんね。…私、自分の身が可愛いの。警察に捕まりたくないのよ。…今まで…これ以上人を殺すのが怖くてあなたに手を出せなかったけど…もうだめみたいなの…。」 瑞希は言葉を震わせながら言った。 「み、瑞希さん…待って…。」 <待ってくれ!あんたは嘘言ってる!全てを俺に話してくれ…。何をしようとしてるんだよ!> 尚也は先ほど電話で聞いたことや、自分の瑞希に対する気持ちを言葉にしようとするが、睡魔には勝てなかった。 そのまま深い眠りに落ちて行った。 「ごめんね。尚也君。でも、もうすぐ自由にしてあげられるから…。」 瑞希は布団の上でグッタリと眠っている尚也に詫びる。 そして、戸棚の中からビニールの紐とガムテープを取り出す。 紐で尚也の腕を後ろ手にひと括りして縛り、次に足首も纏めて縛りつけ、口にガムテープを貼る。 尚也の傍らに座り、右手を伸ばす。 前髪にそっと触れて、軽く指に通す。 「不思議ね。私、男の人と話すのって苦手だったけれど、尚也君と過ごした時間はとても楽しかった。」 監禁していたのに、<楽しかった>などと思う自分を自嘲気味に笑う。 それでも、尚也との時間の終わりを目前にし、言いようのない寂しさを感じていた…。 <次は笹山悟君ね…> 瑞希の一世一代の演技。 追い詰められ、混乱し、冷静な判断を出来なくなった小心者の轢き逃げ犯を演じる。 その瑞希の前に立ち塞がっている壁は、悟という少年。 <その少年はどういうつもりでいるのかしら…> 野口は悟を目撃者だと言っていた。 何か企みがあって警察に行かないでいると言っていたが…。 「本当にそうなのかしら…?」 悟が目撃者であるならば、何で自ら交通事故の目撃情報を集めなければならなかったかの疑問を強く感じる。 焦って精神的に怯えている野口の言葉を鵜呑みにもしていなかった。 悟が何か企んでいるにせよ、確実な証拠は握ってないのではと思っている。 <かなり自分に都合がいい推測だけど…でも当たらずとも遠からずだと思う> 推測と言っても、それに賭けるしかないわけで…。 これから瑞希は悟に会う。 確実に自分こそが犯人だと思わせなければならない。 野口に矛先が向かないよう、身代わりになるために…。 悟が交通事故のことをどれだけ詳しく知っているのか、そして何を考えているのかを探りながら瑞希も立ち回らなければならない。 <本当に目撃者なら、犯人は男性だって知られてしまっている。…そうでなくても野口さんが襲ってしまったから間違いなく男性だって思っているわ…そこが問題よね> 襲った時、野口は素顔を隠すために野球帽を被ったりメガネをかけていた。 夜の暗闇だったこともあり、「顔はハッキリとは見られてはいないと思う。」と言っていた。 <でも、男だとうことは誤魔化しようがないし、最悪の場合は、私が運転し、男性の同乗者がいたということにするしかないわね> 瑞希は、自分が思い描いたシナリオを無理にでも通さなければならない。 <大丈夫よ…私は事故の夜、ずっと一人でこの家にいたからアリバイがない。事故を起こしたのが私じゃないと言い切れる証拠はないわ。死体はうちの床下に埋まっているんだし、尚也君だってずっと監禁していた…。私を犯人だと思わせてみせる…。例え、尚也君が否定しても…誰も信じないわよ…> 「だって…私はこれから事故の被害者と目撃者を殺そうとするんだから…」 瑞希は、悟に会いに行くまでの間、頭の中で必死にリハーサルをしていた。 旅行用鞄を押入れから出し、逃亡用に身の回りのものを詰め込む。 そして、最後に何度も書き直した遺書を鞄の一番底に入れた…。 |
2002.8.23⇒