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 尚也との会話が途切れ、瑞希はボンヤリと宙を見つめ、昔のことを思い出していた。
 穏やかで優しい両親に育てられた瑞希。
 競争心も積極性も持ち合わせない大人しいけれど、笑顔が絶えない子供に成長していった。

 小学校の高学年の時、クラスにとても好きな男の子がいた。
 とても明るくて、活発な少年で、瑞希にもよく話しかけてくれた。
 その少年の名前は井出洋司。
 クラスの人気者で、瑞希の方からはなかなか話す機会もなかったが、席がたまたま隣になったりすると、とても嬉しかった。

「ねえ、瑞希、井出君のこと好きなんでしょう。」
 下校途中、友人がいきなり、瑞希に話を切り出した。
 瑞希は驚いて足を止めた。
「な、何で…。」
<何でわかったの?>…そう聞こうとしたが、言葉が上手く出てこなかった。
 でも、その友人はいつも瑞希の気持ちを察してくれるので、ニコッと笑いながらすぐにこう言った。

「見てればわかるって。」

 瑞希は頬を赤く染めた。
<そんなに顔に出ちゃうのかな>
 …そう思ったが、実際その通りだったわけで…。

 ある日、お昼休みにクラスの女子だけで屋上で遊んでいた。
 遊ぶ、と言っても、みんなで座り込んでおしゃべりをしていただけなのだが…。
 誰からともなく、クラスの男子が誰が誰を好きなのかという話題になった。

「ねえ、井出君って誰か好きな人いるかなぁ。」
「どうなんだろー。知りたいよね。」

 すると、一人の少女が、ニッコリと笑いながら言った。

「私、井出君のこと、好きなんだ。」

 瑞希は、その言葉を聞いて、ドキリとした。
 ちょうど、隣にいた少女。
 その少女は、とても可愛い顔立ちをしていた。

「えーー!由貴が相手じゃ敵わないー。」
「嘘ー!」

 数名の女子から、軽い悲鳴が聞こえた。
 この『由貴』という少女は、瑞希の目にも、いつも憧れとして映っていた。

<私も由貴ちゃんみたく、可愛かったらな>
 小学生の恋心。それはその時なりに真剣で…。
<もっと可愛く生まれたかったな>
 そうしたら、もっと自信を持てたり、みんなに好かれたりする…。
 瑞希はそんな風に、思っていた。
 可愛さを手に入れられれば、何でも出来ると思っていた。
 何でも叶うと思っていた。

<私、可愛くない>
 鏡を見る度、辛くなる。
 鏡が嫌いになった。

 子供の言葉は、時折残酷。
 言った方に、そんなに深い意味がなくても、言われた相手に辛い記憶を残す。

 瑞希は母親と百貨店に買い物へ行き、洋服を買ってもらった。
 いつもは大人しめの、地味な目立たない色合いの洋服を選んでいた。
 母親の勧める洋服もそういった類のものだった。
 でも、この日、瑞希の目に留まった服は、いつもと違っていた。

 色合いも明るく、フワフワした感じの、それでいて大人っぽいワンピース。
 ちょっと目を惹く、可愛らしい洋服。

 試着をし、鏡に映る自分を見つめた。
 服に着られているって感じだった。
 客観的に見たら、似合うとは言い難かった。
 それでも瑞希の心はドキドキした。
 意見を聞くために母親の前に立った。

「どうかなぁ。」
「うーん。少し派手じゃないかしら。」
「私、これがいいの。…ダメ?」
「じゃあ、それに決めましょうか。」

 これは、瑞希にとってちょっとした冒険。
 この晩、瑞希はワクワクしてなかなか寝付けなかった。
 明日学校に、買った服を着ていこうと思っていたからだ。
 もちろん、緊張もしていた。
 それでも、自分に魔法がかかったように、少しだけ可愛くなれる気がしていた…。

 朝、緊張気味の瑞希が教室に入ると、仲の良い友人が話しかけてきた。

「おはよう!どうしたの?瑞希ー。すっごい可愛い服だねー。」
「う、うん。昨日ね、買ってもらったの。」
「いいなー。私もそういうの欲しい。」
 それからはいつもの朝と同じ会話をしていたが、不意に聞こえてしまった。

 瑞希たちがいる席の後ろの少し離れたところで、数人の女子たちが集まって話をしていた。
 その中に由貴もいた。
 その女子たちの会話が、瑞希の耳に入り込んできた。

「何あれ、似合わないよね。」
「うん。服がもったいないって感じだよねー。」
「由貴が着た方が絶対似合う。」

 それまで何も言わずにみんなの言うことに耳を傾けていた由貴。
 でも、自分の名前が出たことで、軽く首を横に振り、『似合う』という言葉を気持ちとは裏腹に否定してみる。
「そんなことないよー。」

 この会話、瑞希に全部聞こえてしまっていた。
 新しい服を着ていて過敏になっていた瑞希にしか聞こえておらず、傍にいた友人は変わらずに話をしている。
 でも、その言葉は瑞希には聞こえていなかった。
 全神経が背後の少女達の会話を拾ってしまう。 
 瑞希は、身体を強張らせながら後ろを振り返った。
 その時。
 ちょうど、由貴と瑞希の目が合い、瑞希は目を見開いた。

 由貴の口許が、微かに動き、微笑んだ。
 『クスッ』って声が聞こえてきそうな、そんな微笑み。
 瑞希のことを見下すには十分な、実に誇らしげな笑顔だった。

 由貴自身、瑞希より自分の方がはるかに可愛くその服を着こなせると思っていたので、この時の会話は、由貴にとっては友人が自分の気持ちを代弁してくれたようなもの。
 それが瑞希にも伝わったことを確信し、思わず笑みを浮べてしまったようだ。

 この日以来、この服を着ることは2度となかった。

 由貴は、洋司と気軽に話しかけ、クラス1、仲の良い2人になっていた。

<いいな。私は話しかけることもめったに出来ないのに>
 瑞希は、由貴の容姿に嫉妬した。
 由貴がいつも自信に満ちているのも、、好きな男の子ともすぐに仲良くなれるのも、全部可愛い容姿の所為だと思っていた。
<可愛い子ってずるい>
 綺麗な容姿に生まれてきた人は、それだけで得してる。
 そういう想いが日増しに強くなる。

 この頃から、瑞希は自分の容姿に強い劣等感を抱くようになった。
 それは成長するにつれ、どんどん瑞希を萎縮させ、笑顔さえも失っていった。

 中学の時、たまたま聞いてしまったクラスメートたちの会話。

 放課後、校庭の隅で、数名のクラスメートの男女が集まって談笑していたのだ。
<嫌だな…>
 そこを通らないと正門にはいけない。
 社交的な性格ならば、みんなの前を通る時、「あ、バイバイ。」とでも声をかけて帰るなり、話の輪に入ったりしたりとか、出来ただろう。
 でも、瑞希はとても内気。日頃口数も少なく、クラスで地味な存在だった。
 こんな時どう言葉をかけて言いかすらわからない。
 かといって無視して通り過ぎることも出来ない。
 どうしたものかと困惑していると、会話の中に自分の名が上がり、身を硬くする。

「彼女欲しいー。もー誰でもいいからさー。」
 一人の男子生徒がため息混じりに言った。
「どっかに良い子いないかなー。」
「じゃあさ、上村さんは?」
「上村瑞希?ダメー。ああいうタイプ嫌い。何だか陰気臭くて。」
「あ、俺も嫌い。って言うか、どうでもいい。」
 何人かの男子がつられたように言葉を発する。

「えー。上村さん、純情そうじゃん。尽くしてくれそうなタイプだし。」
 クスクス笑いながらそう言った少女。
 一見瑞希を褒めていそうな言葉だが、その裏には、瑞希を馬鹿にし、優越感に満ちているものがあった。
 瑞希はそれを敏感に感じ取った。

「ヤダよ。ブスだし。それよか、お前彼女になってくれよ。」
「嫌だよ〜。私はカッコイイ男が好きなの!」
「ひっでー!きついよそれ〜。」

 笑い飛ばす男子生徒。
 みんな、軽い気持ちで会話していたのだろう。
 でも、瑞希の心に容赦なく刺さった言葉だった…。

<こんなことはいつものこと>
 瑞希に向けられる蔑む言葉の数々。
 だから誰のことも好きにならずにいた。
 好きになっても、傷つきたくなくて、気持ちに向き合わないでいた。

 でも…。
 高校生になり、同じ学校の少年に恋をした。
 電車で顔を会わせることが多く、時折挨拶を交わす程度の仲。
 いつも本を読んでいて、静かな印象を受ける人だった。
 瑞希はいつしか偶然ではなく、その少年に時間を合わせ電車に乗るようになっていた。

<いつまでも自分の殻にこもってちゃダメだよね…>
 そう思い、なけなしの勇気を出して告白した。
 でも、あっけなく振られた。

<結局何も変わらない>
 どんなに想っても、届かない。
 なら、何もしない方がいい。
 諦めて、せめて傷つかないように、目立たないように自分を殺し生きてきた。
 それは社会人になっても変わらなかった。
 事務職として勤めていた会社も景気が悪くなり、瑞希を辞めさせるために、遠まわしに散々嫌味を言われた。

『どうせ一緒に働くなら、若い子の方が良いからね。』
『君がいると職場が暗くなる。』
<書類作成するのに、暗いだの若いだのが関係あるの?>

 ウンザリしていたものの、右から左に聞き流していた。
 でも、そのうち言葉だけではなく、仕事面でも嫌がらせを受けるようになる。
 大量の事務処理を無理な日程で全部押し付けられたり、ミスを擦り付けられたりしていた。
 一生懸命真面目に仕事をしてきた自分が馬鹿みたいで、すぐに辞表を提出した。
 …親が残してくれた家と、貯金があるからこそ、思い切って出来た行動だったが、精神的に瑞希は限界だった。
 そんな時、野口と出会ったのだ…。

『僕も一人なんですが、もしよかったら一緒に映画行きませんか?』

 始めて男性から声をかけられた。
 映画を観て、食事をして…野口は、瑞希が今まで味わったことのない夢のような時間を与えてくれた。
 それは、瑞希にとって本当に幸せな時間だった。

2002.8.13