| 野口は、かなり焦っていた。 駐車場に車を置き、公園内を通って花壇へと向おうと思ったら、少年が園内に入ってくるのが見えた。 電灯が少年の姿を照らし出す。背格好から先ほど花壇に座っていた『笹山悟』だとわかった。 公衆トイレの陰にいたので悟からは死角になり、目に留まらずに済んだ。 <危うく鉢合わせするトコだった> ポツンポツンと立っている電灯と、月明かりだけが悟の姿を浮かび上がらせる。 <…何やってんだ?> 野口は悟の不可思議な行動に首を傾げる。 何かに向って走って行ったかと思えば突然立ち止まり、その後は、辺りをキョロキョロしながら少しずつ歩いている。 <どういうことだ…?> のろのろとした悟の足取りは、少しずつではあるが確実に野口に向っていた。 しかも、悟自身は目的地に向って歩いているようには見えず、まるで何かの後に付いて行くようだ。 「ヤバイ。このままじゃ見つかっちまう!」 ここでは人の目に触れる可能性が高く、行動に移せない。 野口は、そっとその場から離れ、公衆トイレの建物を利用し、悟の死角に入りながら歩道を進む。 どんどん公園の奥へと向かい、通行人が通らなさそうな場所を探す。 整備された歩道を外れ、芝生を通って林に入る。 大きな木の陰に隠れ、そっと様子を覗く。 視界に人影はなかった。 <撒き過ぎたかな…> 本来なら野口が悟を追う立場だったのを忘れていた。 <今度は俺が見失っちまう> 少々慌てて悟を探そうと足を踏出した時、悟の姿が野口の目に映った。 相変わらずふらふらと右や左に顔を動かしながら、一歩一歩野口に近づいてくる。 <やっぱり俺のいる場所がわかっているんだ> 野口はゾッと背筋が寒くなるが、必死に平常心を保とうとする。 車から降りる時、ハンドポーチからナイフと手袋を取り出し、ポケットに入れておいた。 手袋をはめ、悟を待ち構える。 悟とクロはひたすら野口を追う。 空気に混じった香水の匂いに、初めに敏感に反応したのはクロだった。 キッとその方向を見つめ走り出す。 「クロ…。」 悟はクロが指し示す視線の先に目を向けた。 暗闇に包まれた林と茂みの中に、微かに動く人影があった。 それと同時に微かだが草を踏み分ける音がした。 悟はゆっくりと進み、なるべく音を立てないように林に足を踏み入れる。 大きな木の下まで来た時、悟は微かな匂いに気が付いた。 <あの香水だ…> 匂いの出所を探すため、辺りをウロウロする。 でも、匂いは一瞬感じただけで、すぐに草の香りにかき消された。 「ワンワンワン!」 悟の横にいたクロが、背後に向って激しく吠え立てた。 <クロ!> 振り返り、クロに目を向けた瞬間、木の陰から人が飛び出して来た。 <うわっ!> 体格から見て男性。 その男はいきなり悟に殴りかかって来た。 咄嗟に避けることが出来たのは、もともと警戒していたのと、クロが相手の存在を教えてくれたからだ。 男は、悟が避けたことにより、軽くよろけた。 悟はそれを見逃さず、足を引っ掛け、男を転ばせた。 「グッ!」 くぐもった声を出し、男は顔から地面に突っ込み、うつ伏せに倒れた。 悟も男を転ばせた時の勢いで体勢を崩し、膝をついた。 男はすぐに立ち上がり、再び悟に向って来ようとするが、ワンテンポ早く悟の方が行動に出られた。 悟は、中腰になっていた男の腹に、膝蹴りを入れた。 「…っ!」 男が苦しげに息をしようとするが、上手く出来ないらしい。 お腹を抱え、悟に寄りかかるように倒れこんでくる男を軽く避け、背後に回りこみ、男の右手を掴む。 そして、思い切り捻り上げる。 「痛っ!!痛い!!離せ!!」 男が悲鳴を上げる。 男の体から香水とタバコの匂いがした。 それに、声。 クロに身体を乗っ取られた時見た事故直後の記憶の中にあった声と同じだった。 「お前、轢き逃げ犯だろ?」 悟は冷静に尋ねた。 男の体が、ビクッと反応する。 <正解だな> 「もう逃げらんないぜ。白状しろよ。」 相変わらず、ジタバタとしている男。 悟より体格は一回り大きいが、喧嘩はさほど強くなさそうだ。 「ま、いっか。このまま一緒に警察行くか。」 その言葉を聞いた男は、更に暴れる。 <どうしよう、どうしよう!> 野口は、悟に捕まってしまい、崖っぷちに立たされていた。 <このまま警察になんか連れて行かれたら、おしまいだ!!> でも、捻られた腕の痛みに、そろそろ我慢も限界にきていた。 …と、その時、ポケットの中に入れてあるナイフの存在を思い出した。 <これ、これを使えば!!> 野口は、無意味に暴れる振りをして、自由の利く左手をそっとポケットに持っていく。 何とか悟に気が付かれずにナイフを取り出すことに成功した。 刃を出し、やみくもに背後の悟に向って切りつけた。 「うあ!」 野口の行動に、ギリギリの所で気が付き、悟はとりあえず避けることが出来た。 でも、野口から手を離してしまった。 野口は無我夢中という感じでナイフを左手に持ったまま振り上げ、悟を切りつけて来る。 右利きの野口だが、あまりに混乱していたために左手でナイフをもったまま振り回していたため、上手くコントロールが出来ないでいた。 それでも、悟はかなりマズイ状態だ。 「痛ぇ!」 ナイフの先端が頬をかすめ、悟は思わず目を瞑ってしまった。 野口は、その隙をついて、思い切り悟の頬を右手で殴りつけた。 喧嘩には弱いが、力は強いので、悟は草むらに仰向けに飛ばされるように倒れた。 倒れた悟の腹を、野口は上から足で勢い良く何回か踏みつけた。 <苦し…> 痛みと息ができない苦しさとで涙目になる。 <クソッ!こいつ、思いきり蹴りやがって!> 悟を見下ろしていた男が震えた声で尋ねてきた。 「お前、笹山悟だろ…。何で俺のいる場所がわかったんだ?」 悟が体を起こそうとするより一瞬早く、男は悟に馬乗りになり身動きを取れないようにする。 「ど、どけよ!」 「今、何で俺のいる場所がわかったんだ?」 「何?」 「俺のことを付けてたじゃないか!何で俺の居場所がわかるんだ?」 男は焦りと不安が入り混じった声で叫んだ。 クロが男の周りを忙しなく動き、激しく吠える。 先ほどまでは、男との攻防戦に神経を集中させていたので男の顔をマジマジと見れなかった。 今、目の前にいる男の顔を見ようと目を凝らすが、夜の暗さと野球帽、メガネが邪魔をする。 それでも、自分を見つめる殺意のこもった目が強く脳裏に焼き付く。 野口は悟を目の前にして、興奮していた。 今まであれこれと最悪な状況を想像し、追い詰められていた分の反動と、悟が迷わず自分の許へ辿り着いたことへの恐怖心で酷く攻撃的になっていた。 犬に案内されたなどとわかるわけないので、不気味に思っても無理はない。 「お前はどこまで知っているんだ!」 ナイフを頬にちらつかせ、悟の首に右手をかけ、力を込めながら尋ねる。 皮の手袋がキュッと音を立てる。 「はなせ…。」 悟は野口の腕を掴み、足をバタつかせて抵抗するが、野口に体重をかけられ逃れられない。 「こ、答えないならそれでもいいさ…。お前はもう死ぬんだからな…。」 額に汗を滲ませながら野口が口元を歪ませ笑う。 「ひ…人を車で撥ねといて…逃げてんじゃねー…ょ。」 息も絶え絶えで、それでも野口を睨みつけ食って掛かる。 悟の言葉に、野口は目を見開き、涙ぐみながら手に満身の力をこめる。 <殺すしかないんだ!殺すしかないんだ!> 野口はナイフをしまい、今度は両手で悟の首を絞める。 指が悟の首に食い込む。 <こいつ殺さなきゃ俺はおしまいなんだ!> 野口の頬に涙が伝う。 人の命を奪うことへの恐怖と、早く不安から解放されたいと強く願う気持ちが溢れていた。 野口の腕を必死に掴んでいた悟の手から、フッと力が抜ける。 遠のく意識。 悟は朦朧とする中で、ぼんやりと春香のことを考えていた。 <中山がここにいなくて良かった…> まさか、こんなに簡単に自分が犯人の手に落ちてしまうとは思ってもいなくて…。 <情けねー…> それでも、春香を危険な目に遭わせずに済んだことだけが不幸中の幸いだなと思った。 目を閉じ、悟は心の中で呟いた。 <あーあ…一回でいいから中山とデートしたかったなぁ> これは悟の切実な、人生の最期に思い浮かべるのに十分な、大切な願い事だった。 悟の手が、草の上に落ちる。 その時。 クロが悲しげに遠吠えをした。 その声は胸が痛くなるほど切なくて…。 すると。 静かな夜空に、街中の犬達の遠吠えが響き渡る…。 さながら犬の大合唱。 「な、何なんだ?」 野口は遠くで聞こえる派手な遠吠えに目を丸くする。 キョロキョロと辺りを見回していると、草むらの中に、何かの気配がした。 耳を澄ますと、草を踏み分け何かがこちらに向ってくる気配がする。 野口は悟から離れ、ヨロヨロと数歩後退るが背後にあった木に阻まれ、それ以上は後退できなかった。 ガサッ! 目の前の茂みが揺れ、中から姿を現したのは…。 「犬…?!」 薄汚れた、どう見ても野良にしか見えない痩せ細った犬が、牙を剥いて立っていた。 |
2002.7.31 ⇒
| うむ!ワンちゃん登場! |