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「春香…。」
「中山、お前いつからいたんだ?」
「里美ちゃんが笹山君を脅して私から離れるように言っている辺りから…。2人とも真剣で、私に気が付かなかったからつい隠れちゃったの。」
「いたんなら早く出てきてくれよー。」
 
 悟が切実な気持ちを込めて言った。
 本当にビックリしたわけで…。

「ごめんなさい…。」

 春香が申し訳なさそうな声で詫びる。

「2人の会話を聞いてて、本当は私が出て行って里美ちゃんと話をしなきゃいけなかったのに、いざとなると恐かったの。」
「中山…。」
「里美ちゃんに嫌われているって知ってるけど、それをもっと思い知らされるのが嫌で逃げようとしちゃったの。…でもやっぱり、私ももう我慢の限界だし…。」

 そう言って、春香は顔を上げ、ゆっくりと悟と里美の許へ近づいた。
 春香は里美の前に立ち、静かな声で言った。

「里美ちゃん。私のこと大嫌いって言ったわよね。」

 里美から目を逸らさず、怯んでもいなかった。
 対する里美も春香のことを…少し辛そうな眼差しで見返していた。

「ええ。言ったわよ。大嫌いよ。」
「そう。嫌いなら嫌いでかまわない。でも、だったら私のことを放っておいて。どうしてこんなことまでするの?」
「もうしないわよ!」

 そう言いながら春香の横をすり抜けようとした里美。
 でも、春香が里美の手首を握り締め、止めた。

「待って!昔言っていた詩織っていう子と私、何か関係があるの?」

 春香はずっと聞きたかったことを思いきって尋ねてみた。
 昔、里美から聞いた名前。里美のかつての親友の名だ。
 春香と詩織が似ていると言った時、里美はとても冷たい瞳をしていた。
 里美は、春香に背を向けたまま、かといって、春香の手を振り解くことなく力なく肩を落とした。

「ねえ、里美ちゃん。話してよ!!」

 春香は必死で食い下がった。
 自分に執拗に拘る里美の心に何があるのか知りたかった。
「聞いてどうするつもりよ。」
「もし何か理由があるなら…。」
「何とかしてくれるって言うの?春香、やっぱり詩織に似てるわ。そうやって良い子ぶるところとか…そっくり。」
「里美?」
「詩織もそうだった。大人しくて口数が少なくて、いつも私ばかり馬鹿正直に本音を話していたわ。」

 里美は、憎しみを込めて春香を睨む。
 …でも、憎む相手が違うこともちゃんとわかってた。

 『詩織』…この名前を思い出すだけで胸が痛くなる。

 詩織と里美は小学1年の時から、小学5年の6月に転校するまで、一緒のクラスだった。
 この時の想い出は今でも里美を苦しめる。

 里美と詩織の出会いは、小学校1年の時。
 入学して同じクラスになって、里美が初めて言葉を交わした子が詩織だった。
 詩織はとても気が弱く大人しい少女で、こちらから話しかけないとなかなか口を開かない子供だった。
 一方、里美は小さな頃からものおじせず、勝気で自由奔放な子供だった。
 まるで正反対な性格の2人だったのに、それが案外良かったのか、とても仲の良い友達になれたと思っていた。
 里美は詩織を1番の親友だと思い、詩織の方もそうだと信じていた。

 明るく社交的だった里美は友人も多かったが、勝気で我が強いところが多いので時折衝突もしていた。
 そんな時、里美は喧嘩相手の子にもハッキリと言いたいことを言い、真正面からぶつかっていた。
 それでも収まらない時は、詩織に想いを聞いてもらっていた。
 嫌いな子もたくさんいた。
 それも詩織に包み隠さず話していた。
 詩織はいつも里美の気持ちを何も言わずに聞いてくれていた。
 里美は、詩織には心の扉を全て開け、気持ちを曝け出していた。
 詩織のことが好きだった。
 大好きだった。
 だから、気の弱い詩織を苛める奴がいると、里美は即座にやっつけていた。
 大切な、親友だった。
 
 でも、いつも疑問に思っていた。
 
 詩織は何も話さない。
 辛いことも、苛められていることすら、里美が気が付くまで黙っていたのだ。
 それがわからなかった。
 自分のことを信じてくれていないのかと思いもしたが、その考えを必死で打ち消していた。


 小学校4年の冬。里美はとても辛い裏切りにあう。
 里美のことを嫌っていた数人の少女達が示し合わせてクラスメート全員を巻き込み、彼女を無視しだした。
 その女子達を怒らせたきっかけは、些細なことだったと思う。
 いや、多分日頃の小さな諍いが積もりに積もって爆発したのかも知れない。
 何でも器用にこなし、目立つ存在の里美が気に食わなかったという嫉妬心もあったのだろう。
 気丈な里美でも、さすがにどうしていいのかわからず泣きたい気持ちになっていた。
 でも、そんな彼女を更に打ちのめしたのは、詩織もみんなに混じって里美を無視し始めたことだった。
 それでも、きっと詩織は気が弱いからみんなに色々言われて仕方なく加担しているんだと言い聞かせた。
 自分と仲良くすることで、詩織まで苛められたらと思い、里美もあえて近づこうとはしなかった。

 ある日。放課後、下校途中で忘れ物に気が付いた里美は、教室に戻った。
 教室の前に来た時、中から話し声が聞こえた。
 クラスメートの女子たちの話し声が聞こえてきた。
 数人の声の中に、詩織の声があった。

<詩織が話してる…>
 あまり口数の少なかった詩織が、一生懸命話をしていた。
 まるでみんなに認めてもらおうと、みんなに気に入られようとしているように声を高めて話をする。
 話の内容は、以前里美が詩織にだけ話をした、数々の本当の気持ち。
 それを、『こんな酷いことを言っていたのよ。』という風に着色してみんなに披露していた。
 ドアのガラス窓からそっと覗いた時、詩織は笑っていた…。
 みんなで里美の悪口を言い、盛り上がっていた。

 里美は許せなかった。
 ガラっと扉を開け、驚くクラスメートたちと、詩織を気に留めることなく、自分の机から忘れ物のノートを取り、再びドアへ向う。
 その時、一瞬だけ詩織の顔が視界に入った。
 蒼白な顔をして、里美を見つめていた。

 それから転校するまで同じクラスだったが、里美と詩織が言葉を交わすことはなかった。
 いや、何度か詩織の方から言葉をかけてきたことがあったが、里美は徹底的に彼女を避けた。
 かつての親友が、一番憎い相手になってしまった。

 そんな傷を抱えて、転校した先で出会ったのが春香だった。
 春香の雰囲気がとても詩織に似ていた…。
 胸が痛み、イライラした。
 春香と詩織は別人…そう自分に言い聞かせてもどうしてもダメだった。
 春香の存在がどうしても許せなかった。
 だから春香にわざと近づき、仲良くなり、裏切った。
 そして、詩織に仕返しするかのように、春香に辛く当たった…。
 春香が笑うのが許せなかった。
 春香が幸せになるのが許せなかった。
 
 だから悟のことも奪ってやろうと思った。

「自分でもわかってる。筋違いなことをしているって…でもどうしてもダメだった!春香みたいな子は絶対私を裏切る!それなら私の方が先に裏切ってやる!そう思ったのよ。」

 全ての話を聞き終え、春香はどうリアクションしていいのか、すぐにはわからなかったが、一つだけわかっていることがあった。

 それは、自分の気持ち。

「里美ちゃん…。小学校の時、私に苛めの濡れ衣着せたの、里美ちゃんなんでしょ?」
「そうよ。」
「みんなに私を苛めるように仕組んだのも?」
「そうよ!私よ!」

 春香は里美の手を掴んでいた右手の力を抜き、離した。
 そして、その手を振り上げた。

 パシッ!
 渇いた音がして、里美の左頬に痛みが走った。
 里美が、春香に叩かれた頬を押さえ目を見開いた。
 今まで口出しせずに見ていた悟も驚く。
 クロもピクンと耳を動かし、春香を見ていた。

 春香の瞳から涙が零れ落ちる。

「私は詩織じゃない!春香よ!」

 春香の涙は、怒りの涙。

「私が里美ちゃんの所為でどれだけ悲しい思いをしてきたかわかる?私は里美ちゃんが好きだった!それなのに裏切られて、どれほど辛かったかわからないでしょう!!その理由が詩織っていう子に似ていたからですって?なによそれ!ふざけないでよ!!」

 里美も、キっと春香を睨みつけて叫んだ。

「だったら恨めば良いじゃない!もっと殴れば?春香も私のことなんか嫌いになって、同じこと仕返せばいいじゃない!」
「何でよ!どうしてそうなっちゃうのよ!」

 春香の叫び声が震える。
 今度は、やり切れない、切ない涙が落ちる。

「ねえ里美。…私達、もう仲良くはなれないの?仲直りはできないの?」

 里美は、春香の切実な願いを感じながらも、それでもどうしても受け入れることが出来ない。

「出来ないわよ!だって私、春香のこと大嫌いだもの!!これからだってこの気持ちは変えられない!」

 里美に、ハッキリと拒絶され、春香は目を閉じて俯いた。

<やっぱりダメなんだね>
 そう諦めかけた時…。

「なんだかさぁ。すげーイライラすんだけど。」

 悟がやりきれないって感じの声を出す。
 里美と春香、同時に悟に注目する。

「国井はさ、そんなんで、虚しくない?」
「どういう意味よ。」
 里美は、悟を睨みつけた。

「いつまでも昔のことに捕らわれててさ、それがそんなに楽しいのか?」

 悟の言葉に、里美は心底怒りを感じた。

「あなたに何がわかるのよ!!」

 思い切り叫んでいた。

「あなたになんか、わかならい!!あなた、さっき、信じてくれる人がいるって言い切れたわよね!そんな風に言い切れちゃうような人にはわからないわよ!誰にも裏切られたこともなく傷つくことなく過ごしてきた人間にはわからないわよ!忘れられるわけないじゃない!わかりもしないのに、勝手なこと言わないでよ!」

 感情に任せて叫んでいた。
 言い切った後、息を荒くした。

 悟は頭をポリポリとかいて、フゥっとため息をつく。

「そうだな。俺みたいな奴に何言われても腹立つだけか。確かに国井の辛さも中山の辛さも、俺がわかるなんて言っても、まるっきり説得力ないもんなぁ。」
「わかってるなら放っておいてよ!」
「でもさ、口惜しくないか?過去の傷を引きずって、これからの時間も痛い思いするのって、損した気分になんねーか?」
「え?」
「関係ない中山苛めて、詩織って奴の影を追って、今でも過去の傷掘り起こすようなことして辛くないのか?もういい加減やめたいって思ってんじゃねーのか?誰よりもお前が1番ウンザリしてんだろ?」
「勝手なこと言わないで!私はこのままで満足している!」
「嘘付けよ。」
「嘘じゃないわよ!」
「じゃあ何でそんなに辛そうな顔してんだよ。」
「…え?」
里美が目を見開いた。
悟が、フッと表情を和らげ、柔らかな眼差しを向ける。
「じゃあ何で、そんな風に泣いているんだよ。」

 気が付くと、里美の目から、大粒の涙が後から後から零れ落ちていた。
 強気な言葉を吐きながらも、泣いていたのだ。

「せっかくの人生、楽しいこと探した方が得だと思うんだけどね、俺は。そう思わないか?」
「はぁ?」
「人生、短いって思えば短いし、長いって思えば長いし。」
「何が言いたいのよ。わけわかんない!」
「人生短いと思うなら、やっぱ楽しいことたくさんやった方が得だし、長いと思うなら、過去の傷掘り返してばっかだと長い間辛い思いしなきゃならないし、ストレス溜まるだろ。だったらやっぱり楽しいことした方が健康にもいいぞ。」

 里美は悟のことを見つめ、ため息混じりに呆れた声で言った。

「…そんなに簡単に気持ちの切替、出来るわけないじゃない。あなた私のこと馬鹿にしてるの?」
「違うよ。大真面目に言ってんだけどね。」
「あなたみたいに単純でおめでたい人間じゃないのよ私は。」
「棘のある言い方だなぁ。」
「話しにならないわね。」

 里美は力ない声で呟き、悟達に背を向けて『秘密の場所』から立ち去った。
 でも、拒絶の捨て台詞を残していったわりには、悟のお気楽な言葉を聞いて、里美の涙はいつの間にか止っていた。

<俺が何言っても無駄だな>
 悟は<やれやれ>といった雰囲気で腕を組んで肩を竦めた。
 春香は、しばらく俯いていたが、手の甲で涙を拭いて顔を上げる。
 そして、ニコッと笑う。

「笹山君。お弁当食べよう。お昼休み終わっちゃう。」

 春香がベンチの方へ歩き出した時、悟が口を開いた。

「中山。気持ち吐き出して、少しはすっきりしたか?」

 その言葉に、春香は足を止め、ゆっくりと振り返る。
 再び目を潤ませる。
 春香は力なく数歩歩き、悟の許に辿り着く。

「中山?」
 悟は春香の行動に少し戸惑う。

「笹山君…お弁当、食べる時間、なくなっちゃってもいい?」

 春香の声は今にも消えてしまいそうに小さくて、震えていた。

「あ、ああ。いいケド…。」
 悟の返事が返ってきた瞬間、春香は俯いて、悟の胸にパフッとおでこを預け、泣き出した。
 先ほどとは違い、とても激しい泣き方で、足元にいたクロはビクッとする。
 まるで今まで溜め込んできた辛い想い出を一気に涙にしているような、そんな感じだった。
 悟はただその涙を受け止めてあげることしかできなくて、行き場に困った手をそおっと春香の肩に置き、慰めるようにポンポンと優しく叩く。

 人の気持ちというものは、どんなに想っていてもすれ違ってしまうことも、多々あるわけで…。

<なかなか上手くいかないなぁ>
 里美と春香のことを目の当たりにして、悟は痛感していた。
 傍で春香のことを心配そうに見ていたクロは切なげに鳴いている。
「くぅーん。」
 悟はそんなクロを見ていると、少し切なくなる。
 クロは人の悲しさも感じ取り、右往左往する。
 どうしていいかわからなくて、でも、笑って欲しくて、元気になって欲しくて。
 そう強く思っても、気持ちだけではどうしてあげることも出来なくて…。

<俺もお前と同じだな>
 クロと自分のことを重ねてしまう悟であった…。



 一方、教室に戻る為、廊下を歩いていた里美。
 ふと、春香にぶたれた頬が痛み、足を止める。

<春香…>
 目を閉じ、彼女の涙を思い出す。

『誰よりもお前が一番ウンザリしてんだろ?』
 悟に言われた言葉が心に響く。

 胸がキュッと痛くなる。

「笹山君…か。」
 そう呟いて、フッと息を吐く。
 そして、ぎこちなく微笑み、顔を上げた。

<今度は本気で迫ってみようかな…>
 本気で、悟を振り向かせたくなった。
 里美は自分の気持ちを自覚し、それに逆らうことなく忠実であろうと決心した。

「楽しいこと、見つけちゃった。」
 軽い足取りで教室へと向った。

2002.7.19