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 この日のお昼休み、悟はお弁当を持って『秘密の場所』に向かった。

<もう中山、来ているかな>
 春香のことを考えると、あまり目立つことはしたくないので、『秘密の場所』での待ち合わせにしていた。
 この場所をなるべく知られないためにもそうしていた。
 でも教室に戻る時は一緒だった。
 それを里美に見られたと思うと、気が重くなる。
 悟は茂みに足を踏み入れる。
 クロも悟に続き、尻尾を元気に立てて春香に向かって突入していく。
 …が、待っていたのは春香じゃなかった。

<あれ?>
 ベンチに静かに座っていたのは、里美だった。
 取り巻きの連中の姿はなく、一人だけだった。
 悟の気配に気が付き、里美は微笑を向ける。
 クロは、春香に会えると思っていたのに、あてが外れ、尻尾がヘニャっと垂れ下がり、股の間に入りそうなくらいガックリときている。
 悟もクロと同じ心境だ。

「お前、何でここにいるんだよ。」
 すぐに疑問を投げかける。
 
 対する里美は余裕の笑みを浮かべる。

「笹山君に話しがあるの。ここ、座ってよ。」
 里美はベンチの空いたスペースを指差す。
 そして、フェンスの向こうに広がる街並みを眺めて目を細める。

「いつも中山さんがコソコソここに来ていた理由がわかったわ。ここはとても居心地がいい場所ね。私も気に入ったわ。」

 悟はハッとして、勢いよくベンチに駆け寄り、座らずに里美の真正面に立つ。
「お前、国井里美って奴だろ!」
「あら、名前知っててもらえたなんて光栄だわ。」
「中山はどうしたんだよ!」
「何怖い顔してるの?私が中山さんに何かしたと思っているの?」
「ああ。」

 悟の即答振りに、里美は面白くなさそうに苦笑いする。

「私のこと、彼女に色々吹き込まれているのね。」
「みんな本当のことだろ。」
「…中山さん、先生に頼まれごとしてたわ。」
「本当か?」
「本当よ。あと10分もすればここに来るでしょ。」

 悟はホッとした。
 でも里美への警戒心は持ったままだ。
<川田先輩がいないと思って、さっそくここに入り込んできやがったんだな>

「で、話って何だよ。」
「中山さんからどんなこと聞いたのかは知らないけれど、あの子のことあまり信じない方が良いわよ。」
「あんたには関係ないだろ。」
「喧嘩腰にならずに聞いてよ。」

 里美は足を組んで悟を見上げる。

「ねえ、あの子、大人しく見えるけど、裏では酷いことするのよ。」
「それはお前だろ。」
「…中山さん、私のことを悪者にして話してるのね。」
 里美が苦々しそうに顔を顰める。
 が、悟にとってはわざとらしいことこの上なかった。

「ねえ、笹山君。この場所、本当に静かで誰にも見られない居場所よね。」
「だから何だってんだよ。」
「中山さん、この場所に、あの川田尚也と入り浸っていたのよ。」
「何が言いたいんだ?」
「あの子、弱々しさを売りにして、こんなことしていたのかもよ?」

 里美はゆっくりと立ち上がり、少し背伸びをして、悟に口付けする。

<…え?>
 完全に不意打ちで、避けられなかった。
 でも、里美の唇の感触を感じた瞬間、彼女の肩を押し、体を引き離す。
 その拍子にお弁当箱が芝生に落ちた。
 手加減したが、押された衝撃で、里美はよろけてベンチに座り込む。
 悟は数歩後ろへ後退り、右手の甲で唇を強く拭った。
 里美を睨んで叫ぶ。

「何すんだよ!!」
 悟が本気で怒っているのを感じ、クロはビクッとし、傍の木の陰に隠れてしまう。
 里美は怯むことなく、再び足を組んで挑発的な笑みを浮かべる。

「中山さんも、ここで川田尚也とこういうことしていたかもしれないわよ。」
「そんなこと聞いてんじゃねーよ!今のは何なんだよ!」
「…ねえ、笹山君。あなた中山さんのことが好きなの?」
「ああ。でもお前には関係ないことだろうが!」
 この瞬間、里美の表情が曇る。
「関係あるわよ。だって私、笹山君のことが好きなんだもの。」
「へ?」
 あまりな予想外な言葉を言われ、悟は素っ頓狂な声を上げてしまう。

「私はあなたのことが好きなの。」
 切なげに顔を心もち横にして上目使いに、悟を見つめる。

 悟はそんな眼差しに惑わされることなく、ふうっと息を吐き、肩を竦める。
「嘘付け。何企んでんだよ。」
 ちょっと呆れたような視線を向ける。
 里美の肩がピクンと動き、今までの切なそうな表情が、もとの挑発的な笑みに戻る。

「何だ。笹山君ならすぐにひっかかるって思ってたのに。」
「何だよそれ。」
「だって笹山君、告白されると誰とでもすぐに付き合ってたじゃない。これ、有名な話よね。」
「まあ、確かにそうだな。…今まではね。」
 里美に言われたことに動じることなく、『今まではね。』という言葉を強調する。
<これからは違うぞ>…という気持ちを込めて。

 …と、突然、里美が制服のブラウスのリボンを解き、第一ボタン、第二ボタンとを外していく。
 悟は、里美の不可解な行動に怪訝な顔をする。

「おい。何やってんだよ。」

 第三ボタンまで外し終え、ブラウスの胸元がはだけ、里美の白い肌が過剰に露出する。
 里美が少し動く度に、下着が見え隠れする。

「ねえ、笹山君。中山さんと仲良くするの、やめてよ。」

 里美は落ち着き払っている。
 両手を脇につき、ちょっと小首を傾げ、楽しそうに笑う。
 それは子悪魔チックな色気があった。

「私、中山さんの笑顔見ると、ムカつくのよ。だからお願い。中山さんから離れて。」

 悟は、その言葉に露骨に敵意剥き出しに態度を取る。

「勝手にムカついてりゃいいだろ。俺には関係ないことだ。」
「関係あるわよ。あなたといると、中山さん、楽しそうに笑うんですもの。」

 そう言った後、立ち上がり、クスクス笑う。
 悟のことを覗き込み、忠告する。

「言っておくけど、笹山君に拒絶することなんか出来ないわよ。」
「馬鹿言ってんじゃねーよ。断るに決まってんだろ。」
 もういい加減、里美との会話に堪忍袋の緒も切れかかっている。
 が、次の里美の言葉で、そうも言ってられなくなる。

「今、私がこの格好で大声出して助けを呼びに行ったら、どうなると思う?」
「どういうことだ?」
「みんなに笹山君に襲われたって言うわよ。」
「はぁ?」

 あまりに突拍子もない話に、目をまあるくしてしまう。

「何馬鹿なこと言って…。」
 …と、笑い飛ばそうとしたが、確かにこの状態で里美にあることないこと言われたら、大変な騒ぎになることは予想できた。
 しかも、悟は学校内じゃ結構軽い男と思われている節がある。
 そういうことも計算しての行動だろう。

「私のお願い、聞いてくれるわよね?」

 勝ち誇ったように微笑む里美。
 悟は大きなため息をつく。
 そして吐き捨てるように言う。

「聞くわけねーだろ!馬鹿馬鹿しい!」
「え?」
 悟の意外な態度に、里美は少々戸惑い、再度忠告する。
「脅しじゃないのよ。本気でこのまま助けを呼びに行くわよ。」
「勝手にすればいい。俺は構わないぜ。」
「みんなにどんな目で見られるか、わかってんの?」
「俺の言うことを信じてくれる奴もいるさ。」
「どうかしら。」
「少なくとも、中山や俺の友達。親は信じてくれる。」
「そんなのわからないわよ。」
「俺はそう信じてる。それよりお前、いったい何でこんなことするんだよ。」

 こんなことまでして、何故春香のことを疎ましく思うのかが理解できなかった。
 里美は、悟の言葉を聞いて黙り込んでしまった。

「俺の前でそんな格好までして、一体何が気に入らないんだよ。何で中山のことをそこまで嫌うんだ?」
「……。」
「まあ、答えたくないならいいけどね。でも…。」
 そう言った後、不敵な笑みを浮かべる。
 悟はジリジリと里美に迫って行き、里美も悟の強気な態度に完全に飲まれる。
 ベンチに追い詰めら、ストンと腰を降ろしてしまう。
 悟はベンチの背もたれに里美を挟むように両手を預け、逃げられないようにする。
 そして、脅すように凄んでみせる。

「これ以上、中山に何かしてみろ。お前の嘘、本当のことにしてやるぞ。」
「ど、どういうことよ…。」
「本当に襲ってやろうかって言ってんだよ。」
 もちろんそんなつもりは毛頭ない。
 ここらでガツンと思い知らせて、これ以上こんな馬鹿なことや、春香に対する嫌がらせをさせないようにしようと思ったのだ。

 里美は、血の気が引き、怯えた顔になり、ブラウスを手で押さえ、肌を隠す。
 真面目に恐がっているようだった。
<やり過ぎたかな>
 悟は里美から離れた。
 そして、ニコッと笑う。

「なーんてな。そんなことするわけないだろ。」
 いきなり態度を変えた悟の様子に、里美は目を見開く。
 そして、恐怖から解放された安堵感からか、二重瞼のクッキリとした瞳から涙が零れ落ちる。

 その涙を見て、さすがに悟も焦った。

「おい、泣くなよ!ちょっと恐がらせただけだってば!」

 里美は自分の体を自分で抱くようにして、俯いて泣き続ける。
 木の陰に隠れていたクロも、里美が泣いているのを見て、タタタと駆け寄り、しきりに<泣かないで>と尻尾を振る。

<おいおい。何だか俺が苛めたみたいじゃねーかよ〜!!>

<好きでもない奴にファーストキス奪われて、苛められているのは俺の方だ>と、心の中で主張する悟だった。

「お前さあ、そんなに恐がるなら何でこんなことすんだよ。先に罠を仕掛けてきたのはそっちだろ〜。」
「だ、だって…。」
「だってじゃねーよ。こんなことばっかしてたら、そのうち本当にしっぺ返しを食らうぞ。」
「……笹山君。」
「何だよ。」
「この前、私に『凄く嫌な顔してる』って言ったわよね。」
「ああ。言ったよ。ちなみに、さっきのお前もそうだった。」
「…笹山君の言う通りよ。わかってるわよ。私のやってることがどれくらい醜いかなんて、わかりきっているわよ!」

 里美は、まるで心に溜め込んだ重石を吐き出すように悟に訴えた。

「でも、ダメなの!春香の顔を見ていると、気持ちがかき乱されて…大嫌いなのよ、あの子が!!」
 呼び方が、『中山さん』から、昔の呼び名の『春香』に変わっていた。
 それに気が付かないほど興奮していた。

 里美はブラウスのボタンを手早く留めて立ち上がる。
 そして、ここから立ち去る為に歩き出す。

「おい、ちょっと待てよ!」
「心配しなくても、あなたにはもう手出ししないわよ!」

 その時、カサっと草を踏む音がした。
 悟と里美、同時にそちらの方へ顔を向ける。

 校庭へと続く茂みの中にある木の陰から、春香が出てきて、困惑気味な顔で立っていた。

2002.7.16 

悟、私の男性キャラにしては珍しく強気な男の子です(笑)