| 瑞希と野口との出会いは、ほんの偶然だった。 事故から2年ほど前。 日曜日、珍しく女にドタキャンを食らわされた野口が、ふて腐れ気味で待ち合わせていた喫茶店でコーヒーを飲んでいた。 待っている時に携帯が鳴って『ごめーん!今日予定が入っちゃったの〜。』と、あまり申し訳なさそうじゃない声でこの日のデートのお相手に謝られたのだ。 <もう2度と誘ってやらねーぞ> 野口はそう心に誓った。 <別の子呼び出すかな…> そう思いながら店内を見渡した。ふと、隣の席に、一人で座っている女性に目が留まる。 <地味な女> それが第一印象だった。 俯き加減で紅茶を飲んでいる女性を、気が付かれないように観察する。 陰気くさい顔で、肌にも艶がなく、化粧もほとんどしていない。人目に触れることを避けているのではないかと思うくらい地味だった。 <身体つきも貧相、色気の欠片もないな> <ブスだなぁ> 心の中で好き勝手言いたい放題。 派手好きな野口にとって、瑞希は一番嫌いなタイプだった。でも、暇なこともあり、気まぐれから何となく声をかけてみようかと思った。 「あの、今一人ですか?」 野口は、席に座ったまま声をかけてみた。爽やかな笑顔を貼り付けて。 店内は空いていて静かで、野口の声は良く通った。 女性はハッとしたように顔を上げ、野口の方に目を向けた。 野口は女性の目を見て、柔らかく微笑む。 「僕も一人なんですが、もしよかったら一緒に映画行きませんか?」 「え…。」 「実は一緒に行くはずだった友人が突然来れなくなってしまって、チケット今日までだし、もったいないから。どうですか?お時間、ありませんか?」 女性は戸惑い、躊躇していたが、数秒後、小さく頷いた。 頬が少し赤くなっていた。 <はは。照れてるよ> 野口は心の中で茶化した。 女性は困惑しながらも、少し高揚しているようにも見えた。 <こんな風に、男に声をかけられたことないんだろうな> 野口は、クスッと笑う。 「僕は野口保といいます。あなたは?」 「…上村瑞希…です。」 消えてしまいそうな小さな声だった。 <瑞希ねぇ。名前だけは可愛いな> そんなことを思っていても、決して口には出さず、笑顔を崩さない。 喫茶店を後にして映画を見た。野口がいつも女性にするようにエスコートすると、瑞希は過剰に反応した。 ビクついたり、赤くなったり、固まったり、目をパチパチと瞬きしたりで、反応が大げさで、純粋。 それを見ているのがとても楽しかった。 <もしかして、男と付き合ったことないのか?> そう確信した。 <こりゃ面白い拾い物したな> 野口は今まで男慣れしている女性しか相手にしたことがなく、瑞希のような素朴な女性とは縁がなかった。面倒なことが嫌で避けて通っていた所為だ。 <これで美人だったらもっと楽しめるのに> そんな勝手なことを思っていた。 この日、付き合ってもらったお礼に夕食をご馳走した。 いつもは雑誌に載っているようなレストランに行くのだが、相手が瑞希だったのでそんな必要ないなと判断し、一人で飲みに行く時の馴染の居酒屋に連れて行った。 店内は、あまり綺麗とはいえないが、安くて美味いお店だった。 瑞希は喜んでいるようだった。リアクションはとても大人しいものだったが、瞳が輝いていた。 心なしか、はしゃいでもいるようだった。 食事の後、駅前で別れる時、瑞希はペコリと頭を下げた。 「今日は楽しかったです。本当にありがとうございました。」 頬を赤らめ、俯きながらそう言った瑞希。 「どういたしまして。じゃあ、気をつけて。」 <これでもう会うこともないと思うけど、まあ新鮮で楽しかったな> 野口が立ち去ろうとした時、瑞希が何か言いたげに顔を上げた。 「何?」 「あ、いえ、何でもないです。」 再び俯いてしまった瑞希。 とても寂しそうな瞳をしていた。 野口は、瑞希のその瞳を見ていたら、不思議な気持ちになった。 少し屈み、ごく自然に…まるで恋人同士のように唇を重ねた。 ほんの一瞬だった。 何でこんな行動を取ったのか野口自身わからなかった。 呆然として立ち尽くし、自分を見つめている瑞希に、苦笑いする。 だから、咄嗟に上手い言葉が出ず、思わず本音を言ってしまう。 「あ、ごめん。何だか寂しそうな目をしていたから…。」 瑞希は目を大きく見開いて、驚いているようだった。 そして、意を決したように口を開く。 「野口さん…。もう会えませんか?」 「え?」 「あ…。無理ですよね。変なこと言ってごめんなさい…。忘れて下さい。」 瑞希はしどろもどろになりながら、自分の言った言葉を取り消した。 <冗談だろ。もう会いたくなんかないよ> <1日で充分だよ。今日は新鮮で楽しめたけど、そう度々こんな陰気な女の相手なんかしてられるか!> …そう思っていたのに、何故か、心の何処かで、このまま瑞希と縁が切れてしまうことに納得できないでいた。 「電話番号、教えてくれる?」 「え?」 「また時間ができたら電話する。」 野口の言葉に、瑞希は心底驚き、そしてぎこちなく微笑んだ。 この日から、野口はごくたまに、気まぐれに瑞希を呼び出した。 それこそ、1〜2ヶ月に1回の割合だ。 野口は決して愛しているとも、好きだとも言わなかった。 自分の電話番号も住所も何も教えなかった。 恋人として会っているんじゃない。 単なる暇つぶしで会っているんだ。 そう思っていた。 瑞希の方も野口に対し、余計なことは何も言わず、何も求めずにいた。 ただ、野口が「会いたい。」と連絡を入れると、とても嬉しそうに応じていた。 瑞希は野口のことを干渉しようとせず、ただひたすら従順だった。 3回目に会った時、野口は瑞希を抱いた。 …瑞希にとって野口が初めての男だった。 野口は、面倒なことになる前にフェイドアウトした方がいいなと思いつつ、瑞希が何も求めてこないことをいいことに、ずるずると関係を続けていた。 でも、成美との婚約を機に、瑞希との関係も絶とうと決めた。 もう瑞希に関わらない方がいい…そう思ってもいた。 潮時だと思った。 そう決めた時、少しだけ寂しさを感じた。 2人の縁もこれで終わり。そう思われた矢先の交通事故。 野口が瑞希に助けを求めたことで、2人の関係は切れず、重いものになってしまった。 交通事故を起こした夜、車の中で激しく降る雨の音を聴きながら、野口と瑞希は初めて『愛してる。』という言葉をお互いに贈った。 『ねえ、愛してるって言って…。』…瑞希が初めて野口に求めた言葉。 瑞希はずっと野口のことを愛していた。 何も言わなくても、野口にもその気持ちは伝わっていた。 でも、この時まで野口は、その気持ちに一切答えずにいた。 「愛してるよ。」 野口は、瑞希を上手く操れる道具にするために、この言葉を使った。 そもそも、野口は愛なんてものを信じてはいなかった。 そんなもので幸せになどなれない。彼はそう思っていた。 「私も、野口さんを愛してる…。」 瑞希が野口の胸にそっと頭を預けてきた。 野口は瑞希を抱き寄せながら、心の中で呟く。 <瑞希。愛なんていう下らないものに縋っていると、幸せになんかなれないぞ…> 瑞希の愛情を利用し、罪から逃れようとしていながらも、瑞希の一途さに苛立ちを感じていた…。 |
2002.7.12 ⇒