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 野口保 28歳 A商事の営業部に席を置く社員だ。
 この男の本性を知っている男性は、彼のことをこう言うだろう。
 『外見は極上品だが、中身は最低。』…実際その通りなのだ。
 顔やスタイルは女性が瞳にハートマークを浮べてしまうほど綺麗でカッコイイ。
 …が、性格は最低最悪。
 仕事面では優秀だ。一見愛想が良く、気転も利く。
 ただ、後輩や先輩の力を借りて成功させた仕事もまるで自分一人でやり遂げたように見せかける。
 当然、バレないように上手く立ち回るのだが、まあ、そういうことはいずれ気が付かれるものだ。
 ただ、不快に思っても、誰も何も言わない。
 せいぜい気の許せる者との飲み会で愚痴を言う程度で我慢している。
 後の報復が鬱陶しいからだ。
 野口は口が上手いので、裏でどんなことを噂されるかわかったものじゃない。
 結果、大抵なことにはみんな苦笑いする程度で、ことを荒立てないでいた。
 なので、上司からの評価は上々。
 …こんな感じで、彼の社内の人気は、男性からは非常に悪いのだが、女性社員の意見は異なるらしい。
 野口は女癖が悪い。
 言い寄って来る女は社内社外問わず、大勢いる。
 とっかえひっかえ、その日の気分によって連れて歩く女もお好みで代えられる程だ。
 決して大袈裟な言い方ではない、派手な女性関係。もちろん全て遊びだ。
 別れた女にいつ刺されてもおかしくないくらいのいい加減な付き合い方しかしたことがないのに、何故か女性は彼を恨まない。
 何故かというと、野口は、一番最初に『遊びだから』と断っておく。
 お互い、遊びだと割り切ることの出来る女としか付き合わない。
 それでも彼と一時、最高の時間を過ごせるなら構わないという女がたくさんいるのだ。
 まあ、言ってみれば、相手も美味しいところだけいただいているわけだ。
 だから彼と関わった女性社員は『いい遊び相手。』と言い、男性社員は羨ましさも手伝って『最低最悪な奴だ。』と言う。

 その野口が2ヶ月ほど前、婚約した。
 A商事の専務の娘、二ノ宮成美に気に入られたのだ。
 成美の方からプロポーズしてきた。
 成美は、絶世の美女とまではいかなくても、なかなか可愛い顔立ちをしている。
 しかも、21歳という若さだ。
 おまけに専務の娘ともなれば、これから出世していくのに何かと有利だろう。
 野口にとってこれほど美味しい話はなかった。もちろん即答でOKしたわけで…11月に挙式をすることも決まっている。
 野口のモットーは『女は道具。美味しく利用すべし!』…だ。
 なので、野口にとって、この結婚はまさに逆玉の輿。
 未来は明るかった。
 が、そんな時起こしてしまった…交通事故。

<冗談じゃない。こんなことで人生踏み外してたまるもんか>
 野口は麦茶を一口飲み、周りには気が付かれないように小さなため息を付いた。
 人前で余裕のある態度を演じるのは得意中の得意だ。
 人をハメたり、蹴落とす為の裏工作なども得意で、上手く行っている時は強気だが…。
 いったん、何かトラブルに遭うと、薄っぺらな自信は何処かへ飛んで行ってしまい、途端に逃げ腰になる。 
 トラブルにめっぽう弱い男だった。

<大丈夫。大丈夫だ。瑞希が全部上手くやってくれたはずだ>
 事故当日のことを思い返す。
 6月11日。退社後、いったん自宅へ帰ったが、成美から『会いたい。』と、電話があり、車で出かけた。
 成美と食事を楽しみ、最後はホテルへ行った。2時間ほどそこで過ごした後、彼女を送って行った帰り道だった。
 これからのことを考え有頂天になっていて運転に集中していなかった。
 彼にとっては鍋島たちは突然現れた邪魔な障害物だった。

<あんな所にいたあいつらが悪いんだ>
 車から降りて、地面に転がる初老の男と制服を着た少年、そして犬の姿を目の当たりにし、愕然とした。
 初老の男性の方は、朦朧としていながらも、まだ意識があり、必死で犬の名を呼んでいた。
 少年は完全に意識を失ってた。
 2人とも、あまり出血はしていなかった。
 一番出血していたのは…一緒に轢かれた犬。
 息も絶え絶え、それでも主人の呼ぶ声に応えようとしていた。

<どうしよう>
 野口は、この時、逃げることしか考えなかった。
 事故のことがバレたらせっかくの結婚話が消えてなくなるだろう。それどころかクビだ。…そう判断した。
<嫌だ!>
 いったんそう思ってしまったら、考える前に行動に移していた。
 辺りには人の気配はなかった。
 まず、仮眠用に常備していた毛布を後部座席に敷き、その上に男性と少年を寝かせた。
 血が座席のシートに付かないように気を配りながら。
 そして犬はそのまま放置しようとしたが、飼い犬だということが引っかかった。
 首輪には鑑札がちゃんと付いていた。役場にきちんと登録された犬なのだ。
 しかも、この犬を知っている者が見れば、当然飼い主はどうしたということになる。

 野口は舌打ちをして、車のトランクを開けてクロを放り込んだ。
 この時には、クロはもう息はなかった。

<どうしよう、どうしよう>
 夜道を車で走りながら、頭の中でグルグルと考えていた。
 野口の焦りと比例するように酷くなる雨。
<どうしたらいい?>
 追い詰められた野口がいつの間にか、向っていたのは…瑞希の所。

 彼女の家まであと数キロという所で車を停車させ、携帯で電話を入れた。
 メモリに残っていた瑞希の家の電話番号。
 成美との結婚も決まったし、もうかけることもないと思っていた。
 3回ほど呼び出し音がなり、電話に出る音がした。
「はい。上村です。」
 久しぶりに聞く声。優しく穏やかな声。
 野口はその声の主に縋った。
「瑞希、頼む!俺を助けてくれ!」
 瑞希に言葉を言わせないくらいに息せき切って野口自身が置かれた状況を説明した。
 必死だった。
 でも、婚約話のことは伏せておいた。ただ、きっとクビになると嘆いて見せた。

「俺はどうしたらいい…?」
 しばらく受話器の向こうからは何も返答がなかった。
「助けてくれよ…瑞希…。」
 涙声になっていた。

「…私の家までの道のり、覚えていますか?」
 返って来たのは、とても落ち着いた瑞希の言葉だった。

「ああ。覚えている。」
 瑞希の家には一回しか行ったことがないが、何とか記憶を辿れば行けるだろうと思った。
「門を開けておくから、絶対、誰にも見られないように庭に車ごと入ってきて。」
「わ、わかった。」
「大丈夫よ。私が守ってあげる…。」

 瑞希の言葉が野口を不安から少しだけ解放してくれた。

 そのまま慎重に運転し、住宅街を通って何とか誰の目にも触れられずに瑞希の家に到着した。
 瑞希の家はとても古い木造の一軒家で、庭の面積がだだっ広い。
 庭に、瑞希自身の車も駐車してあるが、余裕であと数台停められるスペースがある。
 野口は車ごと乗り入れた。
 家の玄関では既に瑞希が待っていた。

 それから2人で初老の男と少年、そして犬を瑞希の家に運ぶ。
 雨は激しくなり、玄関の真ん前に車を停めたものの、野口も瑞希も、そして被害者2人もびしょ濡れだ。
 瑞希の指示通り、廊下の一番奥まで運び入れた。

 初老の男性は、目に見える傷は少なかったが打ち所が悪かったらしく、瑞希の家に着く前に息絶えていた。
 だが、少年は息があった。
 傷と、運び込む時、雨で濡れた所為で熱が出てきたらしく、肌に触れるととても熱かった。

「こ…この少年はどうしよう…。」
<口止めするためには殺さなきゃ…>
 そう思い、首を締めるため近づこうとした時、瑞希に止められた。

「後は私が始末しておくから。」
 そう言って、持ってきたタオルで野口の体を拭いた。
「瑞希…。」
「死体はウチの床下に埋めるわ。だから発見されない。事故現場に血痕は?」
「犬の血が…。」
「そう…でもきっとこの雨で流されるわ…。野口さんは車の方に事故の痕跡がないかどうかを調べて。あったら何とか消しておいてね。あの血の付いた毛布も始末を忘れないでね。…さ、野口さんは早く帰って。」

 瑞希はそう言った後、野口の手が震えているのに気が付いた。
 野口は、今さらながらに激しい恐怖感に襲われ、同時に瑞希が後始末を引き受けてくれたことへの安堵感で体が震えだしたのだ。
「…その様子じゃ、また事故を起こしそうよね。私が送って行くわ。」
「え?」

 瑞希は自室に行き、手早く着替えた。
 そして、まだ息のある少年の手と足を、荷造り用のビニール紐で括り、意識を取り戻した時、逃げられないようにしておく。
 その後、傍で立ち尽くしていた野口の手を引き、傘を持って車へ向う。
 瑞希は野口の車に乗り込み、運転席に座った。野口も躊躇いながら助手席に座る。

「野口さん。ウチの近所を出るまでは屈んで外から見られないようにしていてね。」
 瑞希は車のアクセルを踏んだ。
 野口は言われた通りにし、しばらくの間、じっと体を屈めて隠れていた。
 その後は、道案内役に徹した。野口はマンションで一人暮らしをしている。
 一度も瑞希を自宅に招いたことがないから彼女は道を知らない。
 瑞希は野口のマンションまでは送らず、数キロ離れた人気のない小学校の前で車を停めた。
 

「これ以上は誰かに見られるといけないから、自分で運転してね。私は帰るから。」
「ど、どうやってだ?」
 もう真夜中だ、電車はない。
 瑞希はニコッと笑った。

「大丈夫。しばらく歩いてからタクシー拾うから。」
「瑞希…。」
 車を降りようとする瑞希を野口は呼び止めた。
「何?」
「何で俺を…そんな当たり前のように庇ってくれるんだ?」
 野口は、少しずつ冷静に考え出していた。
 助けてもらったことはありがたいと思っていたが、瑞希があまりにも積極的に協力してくれるので、その裏に何かあるんだと思っている。
 瑞希は野口の疑問に微笑を浮かべ、答える。
「私、あなたのことを愛しているんだもの。」
「え?」
「ねえ、愛してるって言って…。」
 瑞希が俯きながら小さな声で言った。
 今まで気丈に振舞っているように見えたが、それが崩れ去り、瑞希の顔は今にも泣きそうなものになる。
 野口は必死で頭を巡らせた。
<瑞希の目的は何だ?>
 犯罪に加担してまで無条件に人を助ける奴はいない。
 金か?それとも俺を束縛することが目的なのか?…そんなことに思いを巡らせ計算しながら答えを探す。
<下手に出たら、負ける>
 野口は事故で人を死に追いやった動揺とショックを必死で隠し、余裕の笑みを浮かべる。
 瑞希の目的は自分の愛情だと思った。
<だったら操るまでだ>
 このまま瑞希を上手く利用して事故を隠し通せる自信が湧いてきた。
 野口は瑞希の性格を良く知っている。
 瑞希は野口にとって、暇つぶしで付き合いだした女だった。
 そして、今まで付き合ってきた女性の中で、唯一相手が遊びではないことを知っていながらも抱いてしまった女。
 瑞希は本気なんだと知っていた。けれど、無欲で口数が少なく、扱いやすい、何でも言うことを聞く都合の良い女だったから、気まぐれに付き合った。

<瑞希だったら思いのまま操れる>
 そう確信し、野口は不安そうに自分を見ていた瑞希に、そっと口付けし「愛してるよ。」と囁いた。

2002.7.10 

さて…。どうなるかな?また主役の影が薄くなる〜!!でも、3章は悟とクロの出番です!もう少しお待ちを!!