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悟と春香が尚也を想っている時、彼も春香のことを考えていた。
「尚也君、どうしたの?」 瑞希は、心ここにあらずの尚也に声をかける。
「あ、いや。何でもない。」 尚也は瑞希の言葉にハッとして、慌てて手に持っていたおにぎりを口に運ぶ。
<あいつ、大丈夫かな>
タラコおにぎりを食べながら、春香のことを心配していた。 今日のお昼ご飯はおにぎりだ。 瑞希は布団の上でも食べ易いものにしようと、いつも工夫している。
尚也の布団と、瑞希が食事するために持ち込んだ小さなテーブル、それにもろもろの家具で部屋の中はかなり飽和状態だ。 その部屋に、尚也と瑞希、それにサナまでいるので人口密度が高い。
しかも雨戸と窓も閉め切り、カーテンもピッチリ閉じてあるので圧迫感がある。 それでも、瑞希はこの部屋にいたがる。
<俺のこと監視してんだろうけど…>
それにしては以前の様な気負いも見られず、瑞希は和んでいる。
襖につっかい棒も立てかけなくなったようだ。
…まあ、歩けさえすればいくらつっかい棒をしても、襖なんて簡単に取り外してしまえるし、蹴破ることも出来そうなのだが、少なくとも今の尚也には有効なのに、それすらも用心していない。 瑞希はテーブルに置かれた湯飲み茶碗に緑茶を注ぎ、尚也に手渡す。 今日は気温が高いので部屋には冷房が入っている。その部屋での熱いお茶とは贅沢だ。 「熱いから、気をつけてね。」 ニコッと笑いながら注意を促す。 瑞希の笑顔を見て、尚也はつい口を滑らした。 「笑うと雰囲気がガラっと変わるところ、ソックリなんだよな。」 「え?何のこと?」
<しまった!> 尚也はさっきまで春香のことを考えていたわけで…そんなことを口走ってしまった。 春香はあまり笑わなかったが、時折見せる笑顔が印象的だった。
頑なで、暗い雰囲気が、笑顔1つでガラっと変わる。 そんなところが2人とも似ていた。
瑞希は、尚也の気まずそうな様子を見て、ちょっと目を細め、悪戯を思いついた子供のようにニヤッと笑う。
「尚也君の彼女の話?」 「…違う。」 プイッと顔を背け否定する。
「照れなくてもいいのに。」 クスクス笑う瑞希の姿は、弟をからかう姉のようだった。 尚也は、観念してため息を付き、肩を竦める。
「彼女じゃないよ。何ていうか…説明に困る関係。」 「どういうこと?」 「しいて言えば、似た者同士、かな。」 「似た者って…。その子どんな子なの?」 尚也と似ている少女…瑞希の想像力では容易に思いつけない。 もちろん、顔が似てるとか思っていたわけじゃないが…だとしたら性格とか雰囲気なのかと色々考えを巡らす。
「どんなところが似ているの?」 「人を拒絶しているところと…。」 そう言った後、フッと暗さを含んだ笑みを浮かべ、言葉を付け加える。
「諦めてるところ、かな。」 <だから、放っておけなかった>
瑞希は、しきりに首を傾げ、<わかんないわ>とでも言いたそうだったが、尚也は、それ以上のことは何も語ろうとしなかった。 もくもくと食事を続けながら春香に出会った日のことを思い出していた…。 尚也は、普段他人になど興味を示さないが、相手に、自分と重なる部分を見つけた時、その存在に心惹かれてしまう。 惹かれると言っても、恋愛感情とかでなく…気になってしまうのだ。 鍋島の時もそうだった。 そして、その相手が自分に何かを求めていることを少しでも感じると、応えてやりたくなる。
初めて春香に会ったのは、尚也が高校2年になり半年経った秋口。 春香にとっての『秘密の場所』は、尚也にとっても静かに過ごせる場所で、結構気に入っていた。
誰も来ない。 誰も何も言わない。 誰も自分を見ない。 そんな安らぎを提供してくれる場所。 尚也は度々『秘密の場所』に入浸っていた。 ある日。
昼休みに尚也はいつものように購買部で買った菓子パンを食べ終え、3日ぶりに『秘密の場所』へ向かった。
<天気好いし、今日はたっぷり昼寝しよう> 校庭をのんびり歩いて行くと、前方に髪を2つに結わいた少女の後姿が見えた。 もちろんこの学校の生徒だ。
<あれ?> どんどん尚也の目的地と同じ方向へと歩いて行き…『秘密の場所』への入り口、茂みの中へと入って行く。
<先を越されたか> まさかあんな探し難い場所を見つけ出す奴が、自分の他にいるとは思わなかった。 尚也が見つけることが出来たのは、本当に偶然からだった。
入学して間もない頃の出来事。 たまたま猫が入って行くのを見て、何となく覗いて見たのがきっかけだった。
「今日は諦めるか。」 尚也は違う場所で昼寝をすることにする。
次の日も、その次の日も、尚也は少女に先を越された。 大人しそうな少女が、お弁当片手に一人で『秘密の場所』へと入って行く。
おまけに、放課後も時々見かけるようになり…。
<あそこにずっと一人でいんのか?> 孤独を感じさせる少女。 そのことが気になったが、関わるつもりなどサラサラなかった。
<あの場所、余程気に入っているんだな> 絶好の昼寝場所だったが、少女がいる時には諦めて譲っていた。 それからしばらくして、お昼休み、一応『秘密の場所』が空いているかどうかを確認しに校庭へ足を向けた尚也の目に、いつもの少女と数人の女子生徒の姿が映った。
何やら険悪なムードで、どう見ても少女が嫌がらせを受けているように思えた。 その時の春香の表情は強張っていて、怯えと拒絶が感じられた。 春香を取り囲む女子生徒たちに、あの場所を知られたくないんだと感じた。 それがわかったら、尚也には放っておくことなど出来なかった。 素早く近づき、少女以外の女子生徒達を思い切り恐がらすため専用の表情を作る。
「おい。うるせーぞ。」 狙い通り、女子生徒たちはあっという間に逃げて行った。 …が、少女まで逃げようとしていたので、慌てて止めた。
<考えてみれば当然だよな> 自分が学校中でどう思われているのか、尚也は充分過ぎるほど承知している。
「今日はあの場所使わないのか?」 尚也が咄嗟に言った言葉を聞いて、意外そうな顔をして少女は振り向いた。 何も言わずに固まったまま、尚也をじっと見つめている。
<まだ恐がってんのかな> 尚也は恐がらせないように、なおかつ、わざとらしくならないように、細心の注意を払いながら再度話しかける。
「もし使わないなら俺、昼寝したいんだけど。」 もちろん少女が使うなら、辞退するつもりだ。 …が、少女は何も反応しない。 「…おい、聞いてるのか?」 少女の目の前で、手をヒラヒラさせる。
少女はハッとしたように目を見開いて、慌てて答えた。
「…あ、ご、ごめんなさい。あの場所ってベンチのある、あの場所ですよね?」 「ああ。」 「ごめんなさい!!もう二度と来ませんから!悪気はなかったんです!ごめんなさい。」 ぺこぺこ頭を下げる少女。 <参ったな…> 出来るだけ恐がらせないようにしていたが、まだ萎縮させてしまっていた。
「俺、そんなに恐いか?」 「え?」 「さっきはあいつらを追い返すためにああいう態度を取ったんで、別にあんたまで恐がらせるつもりはなかったんだ。」 「あ、あの…。」 「…あ。」 ここで尚也は少女が胸元で抱き締めるように本を抱えているのに気が付いたのだ。
「やっぱこれからあの場所使うんだな。じゃあ俺は別の所で昼寝するから。」 尚也はこれ以上少女を恐がらせないように、とっとと立ち去ろうとした。 が、意外なことに呼び止められた。 「あ、あの!!」 「ん?」 「あの、あの場所、2人で共有しませんか?」 「え?」
「あのベンチ大きいし、私は別に芝生に座ってもいいし…。だってあの場所先輩の方が先に見つけたと思うし、だから私だけ使っちゃうのは悪いし…。」
少女の言葉に尚也はとても驚いた。 <俺のこと、恐がっていたわけじゃないのか?> 不思議に思ったが、一生懸命息を切らして言い切った少女を見て、自然に笑顔になってしまう。
「落ち着けよ。わかったから。でも、俺なんかがいて、居心地悪くならないか?」 この少女は一人きりになるために、あの場所を選んだと思っていたから、自分がいるとその意味がなくなりはしないかと思った。
少女は一生懸命首を横に振って、<そんなことない!>と、訴えていた。
「…わかった。」 尚也はこんな時、どういう風な顔をしていいのかわからず、少し不機嫌な態度になってしまった。
少女は少し俯きながら小さな声で自己紹介してくれた。 「私の名前は…中山春香です…。」
この日から尚也と春香の奇妙な関係が始まった。 ちなみに、尚也に『秘密の場所』を教えてくれたのは、春香の時と同じ猫だ。 この猫が2人を結びつけたようなものだ。
尚也は、春香の共有宣言以来、多少戸惑ったが以前のペースで『秘密の場所』に足を運んだ。 お互いあまり言葉は交わさなかった。 ここで春香と接触するようになり、他の場所でも春香の姿を見かけると意識的に目で追うようになっていた。 『秘密の場所』で見せる彼女のリラックスした表情とは対照的で、酷く暗く沈んだものだった。 誰も寄せ付けない…そんな壁を感じさせる。 人を拒絶している春香。 そのくせ尚也のことは拒まなかった。
<似た者同士だからかな…>…そう考えたりもした。
でも実際はどうだかは、わかりようもない。 尚也も人を拒んで生きてきたが、鍋島のような、どこか自分と重なる雰囲気を持っている人間には、安らぎを感じることができた。春香に対してもそんな感情が湧いてくる。
<俺なんかと一緒にこんな場所にいることが誰かにバレたら、ヤバいんじゃないのか> そのことを心配した尚也だったが、『秘密の場所』通いを止める事はできなかった。 何故かと言うと、尚也が現れた瞬間、春香はホッとしたような表情をするからだ。 <もしかして、俺のこと待ってんのか?> などと考えもしたが、まさかそんなことはないだろうと、すぐに否定した そして、ある日気が付いた。 他の人間がこの場所へ来ることを怯えているんじゃないだろうか?…そう思った。 春香にとってこの『秘密の場所』は、尚也同様に大切な自分の居場所だということはわかっている。 他の誰にも知られたくないと願っているように思った。 だから、できるだけ毎日『秘密の場所』に行くことにした。
<俺がここにいれば誰も恐くて近寄らないからな>
自分に貼られたレッテル、ろくでもない噂もこんな時には役に立つもんだなと苦笑いした。
「俺がいつもここにいるから安心しろ。」 春香に、伝えた言葉。 少しでも安心させてやれればと思って言った言葉。 目を見ては、言えなかった。 自分がどんな顔してこんな似合わない台詞を言っているのか、あまり想像したくなかったからだ。 だから春香がどんな顔をしていたのか、尚也は知らない。 返事はなかった。 だから春香が何を思っていたのかも、知らない。
「また考え事?」
物思いに耽っていた尚也は、瑞希の声で現実に引き戻される。
「いや、少し眠くなっただけだ。」 そう言って、誤魔化した。 小さなため息を付き、あの時、春香が何を思っていたのかを考えてみた。 が、わかるはずもなく…。
<余計なお世話だったのかもしれないな> ただ、あの時はそんな言葉しか、思いつかなかった。
<周りの人間に嫌われてきた俺に、人を助けられるわけないよな>
尚也は自嘲気味に微笑み、手にしていたお茶を一口飲んだ。
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