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「結局、それが最後の会話になっちまった…。」 尚也は傍らで座っているサナに語りかけるように呟いた。 それから、少し俯いて、轢き逃げ犯への憎悪を燃やす。
<許せない…>
鍋島とクロを死に追いやった人間を必ず見つけ出すと強く思う。
ふと、鍋島たちの死体はどこに隠したのか疑問が湧いた。 <事故現場にいなかった瑞希さんが彼らの死体を見ている>
瑞希は死体遺棄に手を貸しているのだろうか…そんな考えが脳裏を過ぎる。
<瑞希さんは、いったいどこまで関わっているんだ…?> 瑞希のことがとても気になっていた。 轢き逃げ犯と瑞希との繋がりが何なのか、どうしても知りたかった。
そうして、数日の間はとりあえず無事に過ぎ…。 6月21日(金)。
「風呂入りたいな…。」 昼食を食べている時、尚也はポツリと呟いた。 右足以外はかなり回復していて、食欲も旺盛。
瑞希の手を借り何とか立ち上がれるようになり、彼女の肩を借りれば、とりあえず立って移動も出来るようになった。
トイレのドアの前まで連れて行ってもらえれば後は一人で用を足せるようになった。 このことが一番尚也をホッとさせた。
<尿瓶なんて生まれて初めて使ったもんな…> 生理現象なので恥ずかしいとか何とか言ってられなかったが…やっぱり恥ずかしい。 その思いから解放されると思うととても嬉しかった。
で、次に欲したのがお風呂。 身体はまめに拭いてもらっていたし、一度は洗面台で髪も洗ってもらった。 でも、いい加減ちゃんとシャワーだけでも浴びたいと思う。
「…浴室に椅子を入れれば、シャワーくらいは浴びられるかしら…。でも、怪我は大丈夫…?」 「足の痛みも以前ほどじゃなくなった。シャワー使わせてくれよ。」
右足はまだ腫れて打撲の痕が痣になってる。 体中擦り傷が無数にあったが、そちらは順調に回復しているようで、傷跡が痒くなり始めていた。
瑞希はいつも尚也の希望を出来る限り叶えてくれようと努力してくれた。 この日も、何とかシャワーを浴びることが出来て、久しぶりにサッパリした尚也だった。 瑞希に「体洗うの手伝いましょうか?」と、言われたが丁重にお断りした。
その後、瑞希は1階にある今までとは別の部屋に布団を敷き始めた。
「こっちの部屋の方がお風呂やお手洗いに近いし、テレビやステレオもあるから、今日からここで寝てね。」
脱衣所に座らせておいた尚也を布団まで連れて行き、寝かせる。 サナも尚也や瑞希の周りをウロチョロしている。
以前の部屋より、幾分狭い部屋だった。 タンスや戸棚。机にステレオ、小さなテレビなどが置かれていて、前にいた部屋より生活感が溢れていた。 尚也が観察するように部屋を見ていると、瑞希が話し始めた。
「ここは、私の部屋なの。テレビも見れるし音楽も聴けるから退屈しないでしょ。」 「ふーん。」
<監禁されている身なのに随分と待遇良いよな…> と、尚也は複雑な笑みを浮かべる。
「他にも部屋はいっぱいあるし、2階だってあるけれど、私が暮らすのには広過ぎて…。ほとんどこの部屋だけで暮らしてるの。」
傍で座っていた瑞希が少しだけ微笑んだ。
今まで尚也が閉じ込められていた部屋は、廊下を挟んで左右にある一番端の2部屋のうちの一部屋だった。
…そして、一番奥…廊下の突き当りにはもう1つ部屋があることを物語るドアがあった。
瑞希の部屋は、廊下の中央付近にある。
「瑞希さんの部屋、俺が使っていいのか?」
「ええ。他にもいっぱい部屋はあるって言ったでしょ。」 「瑞希さんはこの家で一人で暮らしているのか?」 尚也はずっと疑問に思ってたことを訪ねた。
部屋に閉じ込められていたものの、家から聞こえる物音や気配に耳を傾けていた。 この家からは瑞希以外で、人の気配は感じられなかった。 一軒家で一人で住んでいるらしかった。
「昔は両親と暮らしていたんだけどね。父も母ももう他界しているの。今は私とサナと1人と1匹暮らしよ。」 「…瑞希さん、独身?」 「ええ。」 「ふーん…。」
<じゃあ身内を庇ってるわけではないのか…> 尚也は、ちょっとした会話から瑞希が事故を公にしたくない理由を探していた。
<だとしたら…友達とか、恋人を庇っているのか?>
『お金のために』ということも思いつきはしたものの…報酬のためにこんなことをする、というのは瑞希のイメージとは合わない。 やはり、誰かを庇っているとしか発想の行き着く場所がなかった。
瑞希は何やら考え込んでいる尚也を見て、その内容を察し、小さなため息をついた。 監禁している側の瑞希と監禁されている尚也。 しかも、尚也は事故の被害者であり目撃者でもある。
<いつまでこの生活を続けていけるのかしら…> 尚也は事故のことを公にし轢逃げ犯を見つけ出そうとしている。 瑞希との会話から尚也が犯人に辿り着く糸口を探していることを、痛いほど感じていた。 わかっていながら、瑞希は気が付くと警戒心なしに尚也と会話してしまっている自分に苦笑いする。 一見見たところはかなり近寄りがたい、人を寄せ付けない雰囲気を持っている尚也だったが、言葉を交わし、表情を見ていくうちに自然と打ち解けてしまっていた。
『あんたは悪人じゃない。』 尚也に言われた言葉が頭に残っている。
<違うわ。私は醜い心の持ち主よ> 心の中でそっと呟く。
「なあ、瑞希さん俺につきっきりだけど、働いてないのか?」 尚也の次の質問に、瑞希は顔を上げ答える。 「そう。無職よ。」 「まさか俺を監視する為に会社辞めたなんて言わないよな。」 少し悪戯っぽく笑う。 瑞希は首を横に振った。 尚也は少し目を細め、笑顔を消した。
「…なあ、俺は毎日順調に回復してるぜ。」 「そうね。」 「…この先どうする気なんだ?俺、右足が治ったら逃げ出すぜ?」 「……。」 「瑞希さんが俺を殺すって言ったって、力じゃ俺に叶わないはずだ。」 そう言った後、少し声を低くした。
「俺を殺すならもうタイムリミットが近づいているぜ?」
瑞希は、自分に向けられた尚也の目を見つめたが、何を想っての言葉なのかは読み取ることが出来なかった。 言葉を返すことも出来ず、ゆっくりと立ち上がる。
「冷たい麦茶、持って来るわね。」 ぎこちなく笑い部屋から出て行く。 その後を忙しなく歩きながらサナが付いていく。
尚也は部屋から出て行く瑞希の後姿を見送った後、俯いた。
<話に乗ってこないよな…> 何とかして瑞希を説得するため、そのきっかけを作ろうと試みているのだが、上手くいかない。
尚也の目に、部屋の隅に置かれた新聞の束が映る。 瑞希は毎日事故のことが出ていないかを念入りにチェックしている。その姿を尚也も何度か目にしていた。 尚也はため息をついた。 <そんなに心配しなくても…目撃者がいない限り、事故があったことすら誰も気が付かないだろうな> 瑞希から僅かに聞き出せた、事故があった夜の日の様子。 あの夜は小雨が降っていて、それは深夜酷いドシャ降りになったそうだ。 もし鍋島とクロが血を流すような傷を負って、血痕が残っていたとしても、雨に洗い流されてしまったかもしれない。 夜になるとあの公園の近辺は極端に人通りがなくなる。 雨が酷くなる前に、誰かが通りかかったとしたら不審に思ってくれたかもしれないが、それも期待できない。 何故なら、未だに事故関連のことがなんのニュースにもなっていないことが瑞希の様子からわかるからだ。 瑞希は、動揺、嬉しさ、悲しさ…喜怒哀楽がすぐに顔に出る。
<俺や鍋島のじーさんが姿を消したことに疑問を感じてくれる人間がいれば、何かしらのリアクションを起こしてくれるかもしれないけれど…> こちらの方も、絶望的だなと思っている。 尚也は自分を心配し、探そうとする者などいないと思ってる。 そして鍋島の方も、仕事を持たない隠居生活だった。しかもあの性格なのでご近所付き合いも皆無だ。 非常に気が付かれにくいだろう。
<それでも鍋島のじーさんの方は、いずれ誰かが不審に思ってくれるだろうけど…それっていつになることやら…> 「何だか天候も事故の場所も犯人に味方しているみたいだな…。」 尚也はもう一度ため息をついて、どっと疲れたように肩を落とした。
一方、瑞希の方は、台所で冷蔵庫から麦茶のペットポドルを取り出し、テーブルに置かれているコップに注ぐ。
『タイムリミットが近づいているぜ。』 尚也の言った言葉が瑞希に纏わりつく。
そうなのだ。瑞希は、事件を知られないようにするためには、尚也をなんとしてもこの家から出してはいけない。 もしくは尚也の口を塞がなければいけない。
<尚也君を説得することは不可能よね…> 事件のことを秘密にして欲しい…そう願っても、尚也がそんなこと承知しないこともわかりきっていた。 監禁し続けることが無理ならば、永遠に口を塞ぐために殺すしかない。 でも…。 <殺すなんてやっぱり出来ない> 瑞希は震える手でペットボトルをテーブルに置いた。
尚也の怪我が治れば監禁することも難しくなる。 困り果てた瑞希だったが…あともう一つ、最後に残された道があった。
瑞希は居間の方へと足を運び、古ぼけた戸棚の一番上の引き出しを開ける。 その中から、一通の白い封筒を取り出す。 瑞希は力なく椅子に座り、封筒から中身を取り出す。 そして、便箋に書かれた字を目で追い、小さなため息を付いた後、天井を見上げる。
その便箋に書かれた最初の言葉は…。
『鍋島さんを殺したのは私です』だった。
傍にいたサナが瑞希を見上げる。
その瞳に映るのは、誰よりも大切な人の寂しそうな姿だった。
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