責任取ってよ
この日。 6時頃に仕事がひと段落つき、俺は香苗を気にしながらも帰り支度を始めていた。 香苗はというと、今日は本格的に残業らしい。パソコンとにらめっこして入力作業をしている。 思わず告白してしまった。しかも仕事中に…。 香苗の反応と言えば、最初は驚いていたが、すぐにいつもの猫かぶりな香苗に戻り、つつがなく定時を迎えたってわけだ。 もともと玉砕覚悟で言ったことだけど…やっぱ返事もらえないのかな。 ため息を一つつき、鞄を持って席を立った所で香苗に呼び止められる。 「椎名君。」 「あ、はい。」 「あのね、とても言いにくいことなんだけど…入力作業手伝ってもらえないかしら?顧客リスト整理しているの。」 香苗は俺を上目遣いに見やり、自分の左右の手を胸のトコでキュッと祈るように握り、遠慮がちに言う。 断られたらどうしようって不安いっぱいで瞳をウルウルさせている…って演技をしてやがる。 俺が返事をする前に周りの先輩たちから言い渡される、命令。 「椎名。手伝ってやれよな。でないと俺たちがもっと過酷な仕事させるぞ。」 「過酷な仕事?」 「俺たちこれから伊藤専務と飲みに行くんだ。」 「…げ…。」 伊藤専務は大のカラオケ好き。でもって…最悪なことに殺人的に音痴だって話だ。 夕方になると、伊藤専務は社内を徘徊しては手当たり次第に社員をとっ捕まえて、カラオケつきのスナックへ繰り出している。 その歌声を聴かされた日には、頭痛まで襲ってくるって噂だ。 俺はまだ指名されたことはないが、誘われた社員はいつも地獄の時間を過ごすと言う…。 「手伝わせていただきます。」 即座にうやうやしく香苗から書類を受け取り、パソコンを立ち上げる。 …別に先輩に言われなくても手伝ってたよ。 香苗は、俺に何か用があるから仕事手伝わせて残業させたんだと勝手に思っているわけなんだけどね。 俺と香苗、ただひたすらパソコンと向かい合い、小一時間が過ぎた頃、フロア内は俺たちだけになっていた。 静まり返った空間にキーを叩く音だけが存在している。 「どういうつもり?」 突然香苗が尋ねてきた。俺は手を止め顔を上げる……と、香苗の鋭い視線があった。 「どういうつもりって?」 「私を好きって、どういうつもりよ。」 「言葉の通りだけど…。」 「冗談でしょ。」 「冗談なんかじゃない。本気だ。」 「…だったらなおさらどういうつもりよ。言ったでしょう。私、園田さんのプロポーズ受けたのよ?」 「わかってるよ。でも、仕方ねーじゃんかよ。好きになっちまったんだから。」 「何なのよ、仕方ないって!それじゃ不本意ながらって感じ。馬鹿にしないでよね!」 「馬鹿になんかしてねーよ!!好きだから好きって言って何が悪いんだよ!」 「普通愛の告白ってのはもっと雰囲気作って言うもんでしょう?何よ、あのおざなりな告白の仕方は。」 「おざなりって何だよ!!俺は真剣に言ったんだぜ!」 「どこが真剣よ!私から見たら『今日の昼はそばが食べたいな。』ってノリとたいして変わんなかったわよ!最低!」 「最低で悪かったな!!でも俺は本気なんだよ!」 「大声で怒鳴らないでよ!」 「そっちの方が何倍もでかい声出してんだろ!!」 俺たちはいつの間にか立ち上がっていた。 ひとしきり怒鳴り合って、肩で息をする。 くそー。俺たちって、どうしていつも喧嘩腰になっちまうんだ? 「…で?私に気持ち伝えてどうするつもりなのよ。」 香苗、前髪を片手で軽くかき上げてから、腕を組んで目を細め、高飛車な態度で聞いてきた。 どうするつもりって言われても…。 「まさか気持ちを知って欲しかっただけなんて、ふざけたことほざくつもりじゃないでしょうね。」 う…。痛いトコ突きやがる。半分くらいは図星だ。 もちろん、気持ちに応えてくれたら嬉しいなって思ってたけど、告白した後どうするかは考えてなかった。 あの時、あの瞬間…気持ちが溢れてきて、思わず言ってしまったんだ…。 「ほんっとに、洋介って昔と変わらず間抜けよね!言われた方の身になってみなさいよね!」 「え?」 「こっちは結婚に向って一直線なのに、あんたに告白なんてされていい迷惑よ。」 め、迷惑…。 「…迷惑…。そっか…迷惑だよな…。」 …これが香苗の返事ってことか? 俺、見事に振られたってことだよな…。 確かに香苗の言う通りだ…。香苗には結婚しようって奴がいるのに、好きでもない男から一方的に気持ちを伝えられたって、迷惑なだけだよな…。 「…悪い。悪かった。」 ペコッと頭を下げる。 「今さら謝られたって遅いわよ!」 「ごめん…。」 途端に胸が痛む…。好きって気持ちは、想っていない相手から言われても重荷にしか感じられないこともあるんだろう。 ましてや、香苗にとって俺は天敵だ。だったら重荷どころか不快感与えちゃってるかもな…。 こういうトコ、俺って配慮がなくて考え無しなんだな…。 さっきまでの強気の態度が一気に萎える。 俺はもう一度詫びた。 「ごめん。」 「責任取ってよ。」 責任取ってって言われても…言ってしまった言葉をもう一度口の中に戻すわけにもいかないし、どうすりゃいいんだよ。 俺は『無茶言うなよ。』と言おうとして顔を上げ、そのまま固まってしまった。 香苗がやけに切羽詰った顔をして、俺のことを見ていたから。 「…香苗?」 …今まで香苗のこんな頼りなさげな顔を見たことがない…。 「香苗…。」 もう一度名前を呼ぶと、香苗は何かを言うために口を開きかけた。 が、言葉が発せられる前に、新たな登場人物により阻まれる。 「お取り込み中悪いんだけど、お邪魔していいかい?」 低い、渋みのある男性の声。 俺と香苗、その聞き覚えのある声の方へ同時に顔を向ける。 「園田さん!」「園田課長!」 名を呼ぶのも同時だった。 フロア入口の扉を開け、ドアの縁に背を預けるようにして園田課長が立っていた。 ヤバイ…。園田課長ってば、いつからそこへいらっしゃったんでございますか? 香苗もさすがに動揺してて、何も言えないでいる。 「園田課長…。いつからそこへ…?」 俺は搾り出すように声を出し、質問する。 対する園田課長は、優雅な微笑みを浮べ、のんびりと答える。 「ついさっき。」 ついさっきって、俺たちの会話、どれくらい前から聞いてた? 「2人とも真剣な顔をしているから何事かと思えば、椎名君、君、何か仕事で失敗したのか?」 …へ? 仕事?失敗? 「香苗も、あまり新人君を責めちゃダメだよ。」 園田課長は数歩フロア内に入り、優しげな口調で俺たちに話しかけている。 ああ、そっか。 きっと俺が香苗に頭を下げて、香苗が『責任取ってよ。』って言っている辺りから聞いてたんだな。 だから仕事のことで言い合いしていると思ってんだ。 香苗もそれに気がついたらしく、慌てて話を合わせ猫を被る。 「でも、椎名君…かなり派手なミスしちゃって…。」 少し拗ねる感じで、可愛らしく言い訳している。 うーん。名演技。 「香苗だって新人の時、ミスの一つや二つしただろう?」 「…はい。」 「フォローできないようなミスなのか?」 香苗はプルプルと首を横にふる。 「じゃあいいじゃないか。」 園田課長、これでもかってくらいの爽やかな笑顔で俺たちをとりなしてくれる。 香苗は、俺の方をチロっと見て、頭を下げる。 「ごめんね、椎名君。言い過ぎたわ。」 「いや、俺の方こそ宮内先輩に迷惑かけちゃって…。」 園田課長の目から見れば、これにて一件落着だろう。 「さ、もういいだろう。香苗、残業まだ続きそうか?」 園田課長は香苗に優しげな眼差しを向ける。 「ううん。後は明日やれますから、もう帰れます。」 「じゃあこれから食事に行こう。私の親と、君のご両親へのご挨拶のこととかも話したい。」 「はい。あ、じゃ、今着替えてきます。」 香苗は慌てて机の上を整理し、フロアの隅にある女子更衣室へと駆け込む。 園田課長は香苗のことを愛しげに目で追っていた。 …俺たちの最初の方の会話、聞こえてなくてよかった…。 俺が勝手にした告白で、園田課長に変に誤解されたら香苗に申し訳が立たない。…と、理性的な俺は思っているのに、心の底では違うことを考えている。 俺は園田課長の整った顔を見つめる。 俺って往生際が悪いかな。 香苗が園田課長と結婚するその日まで、悪あがきでも何でもいいから、この人と闘ってみたいという誘惑に駆られる。香苗のこと諦めたくないって気持ちが俺を突き動かす。 と、園田課長の顔が、ふいに俺の方へ向けられる。 ニヤリって感じで、課長は笑った。 …良い男だなって男の俺から見ても思うが、今俺に向けている笑みは、先ほど香苗に向けていたものとは打って変わって底知れぬ憎悪のようなものを感じる。 「香苗のあんな顔、初めて見たよ。」 「え?」 「私の前ではあんな風に怒ったことなかったから。」 「あ、それはきっと俺…私が小学校の頃の友達だからだと思います。」 香苗の猫かぶりがバレないようにと必死に取り繕う。 「君が昔のクラスメートだっていうのは香苗から聞いているよ。けれど…。」 園田課長が一歩一歩俺の方へと近づいてくる。 何故だろう。頭の中で、逃げなきゃいけないって警報が響いてる…。 でも、俺は蛇に睨まれた蛙状態で、気がついたら目の前に課長が立っていた。 俺より十センチ以上は高い身長だ。心もち顔を上げ課長の顔を見てみると…ゾッとした。 俺、課長に視線だけで殺されるかと思った。顔は笑っているけど、目が笑ってない。 怒りに満ちた瞳だった。 園田課長の両手がフワリと動き、しなやかな長い指が俺の首へ絡まる。 …ウソだろ…?…この人俺の首絞めてるぞ? 力は入れられていないので苦しくはないが…。 「…園田課長?」 「椎名君。私は君が憎らしいよ。」 「え?」 「君は私が知らない香苗を知っているんだね。」 …どうしちゃったんだ?課長…変だぞ?? 「それに、どうも香苗は私に隠し事をしているようだね。」 指に力が込められ、少し息苦しくなる。 なのに、この時俺は手を掴んで外すとか、払いのけるとか思いつけないで、されるがままでいた。 「か、隠し事って…何言ってんですか…?」 「さっきの香苗の態度。君といる時はいつもあんな下品な女になるのか?私はあんな香苗は認めない。彼女をそんな風にさせる君の存在自体、忌々しくて許せない。」 冷やかな声。あんな下品な女って?あんな香苗って…? まさか…。香苗の猫かぶり、見事にバレてる? いや、それよりも、もしかして俺たちの会話、初めから聞いてたんじゃないか? だから、俺の首を絞めてんのか…。 妻になる予定の香苗にちょっかい出す俺が気に食わないんだな…。 でも、『あんな香苗は認めない。』って台詞が引っかかる。 俺の告白に対し『迷惑だ』ってハッキリ言い切った香苗に対し、怒ることはないだろう。 それに、『下品な女』って言い方は何だよ。いくら猫をかぶってたって言っても、『認めない。』ってのは酷くないか? 俺、知らず知らずのうちに課長を睨み返してた。 ちょうどこの時、更衣室のドアが開く音がして、それと同時に課長の手が素早い動作で俺の首を解放する。 「おまたせ。」 着替えを終えた香苗は園田課長の許へ駆け寄るが、俺の強張った顔が目に入りきょとんとする。 「どうしたの?椎名君。」 軽く小首を傾げる香苗。 どうしたのって…お前、園田課長の様子見て何とも思わないのか?って無言で訴え香苗から園田課長に目を移すが……。あ、課長の怖い顔は跡形もなく消え去り、優しくて穏やかなものに戻ってる。 その素敵な笑顔は対香苗用てことか?と、言うより、さっきの怖い顔が俺専用ってことか。 「いや、ちょっと仕事上の注意をね。」 しれっと言う課長。 おいこら。あんたは仕事上の注意で人の首絞めんのかい? 「じゃ、行こうか、香苗。」 「うん。」 「椎名君、ここの戸締りよろしく頼むよ。」 園田課長はごく自然に香苗の背に手を回し、軽く首を傾けて俺を見る。 2人は楽しそうにどこで食事をするかを話しながら出口へと歩いて行く。 そんな2人の後姿を成す術もなく目で追っていたが、フロアから出て行くとき、香苗がほんの一瞬振り返り俺を見た。 香苗の目は、どこか迷いのあるものだった…。 誰もいなくなったフロアで数秒立ち尽くしていたが、とてつもない不安感が俺の体を包みこむ。 園田隆一郎…。この男が会社で見せる顔と本当の素顔は随分と違うんじゃないか? 俺は急いでフロア内の片づけをし、慌てて香苗たちの後を追った。 |
2002.12.10 ⇒