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らすとばとる@

「俺、何やってんだろうな…。」
 イタリアレストランを見つめ呟く。
 香苗と園田課長の後をつけて行って、ここに辿り着いた。
 大通り沿いにある、立派な庭のある洋館。いかにも高そうなレストランだ。
 2人は今豪華ディナー中だろう。
 で、俺は店の真正面でガードレールに座ってハンバーガーを頬張っている。
 …俺ってば、まるでストーカー?
 香苗にこんなことしてるってバレたら殺されるな。
 でも、どうしても園田課長の、あの豹変振りが気になるんだ。
 それに、俺たちの会話、全部聞かれていた可能性が高いことも伝えなきゃと思う。

 ハンバーガーを食べ終え、夜空を見上げる。
 都会の夜空じゃ星も見えやしない。少しくすんだ月がぼんやり光っていた。
「にゃぁ〜。」
 突然足許で猫の鳴き声がした。
 下を向くと、まだ大人になりきれてない真っ白い猫が一匹俺の足に擦り寄ってきていた。
「どした?」
 抱き上げて膝の上に乗せる。どうやら腹が減ってるらしい。
「食べもの何も持ってないんだよなぁ。」
 期待に満ちた猫の瞳が俺を捉える。
 弱ったな…。
 困惑しながらも、猫を見ていて考え出す。
 
 香苗の猫かぶり…。

 理想的な結婚相手を見つけるためのものだったんだろうか?
 歓迎会の日の帰り、一緒に飲んだ後、香苗がポツリと洩らした言葉。
『男が守ってあげたくなるような女の方が、世の中上手く渡って行けんのよ。』
 …守ってあげたくなるような女…か。
 園田課長は猫をかぶった香苗がお好みなのかな。
「香苗のどこ見てんだよ…。」
 呟いてみる。…香苗のどこ見てやがんだよ。
 猫かぶってる香苗なんて、メインディッシュのないフルコースみたいなもんじゃねーか。
 そんなことを考えていると、レストランの扉が開き、香苗たちらしき2人組みが出てきた。
 俺は上着の胸の中に猫を入れ、素早く店の門の脇にある電柱に身を隠す。
 足音が近づき、門の前で話す2人の声が交互に聞こえてくる。

「とても美味しかったです。でも、いつもご馳走になってしまって何だか申し訳ないです。」
「いいんだよ。それより来週末、予定空けておいてくれよ。」
「はい。でも緊張しちゃう。私、園田さんのお父様とお母様に気に入っていただけるかしら…。」
「心配ないよ。父は君のことを入社時から知っているしね。とても良い女性だってご満悦さ。母も香苗なら申し分なく気に入るはずだよ。」
「だと良いのですが。」
 香苗は軽く肩を竦めて少し不安げに、ぎこちなく笑う。
 どの動作もとても可愛らしい。
 園田課長の父親はS食品の社長だ。香苗のこと、入社時から知っているってことは、相当に気に入られてんだな。
 来週末か…。それまでに何とか香苗ときちんと話す機会を作らなきゃな…。
 園田課長が香苗から少し離れ、歩道ぎりぎりまで行き、大通りを走る車に目をやる。
 どうやらタクシーを捕まえようとしているようだ。

「みゃぅ!」
 うわっ!胸元にいた猫が顔を出し、声を上げる。
 香苗が振り返り、俺の方に目を向けたので、電柱の陰で身を縮める。
 気付かれたかな…。
 俺が冷汗をかいていると、園田課長が香苗を呼ぶ声がした。
 タクシーを捕まえたようだ。
 おのずと香苗の意識は園田課長の方へ移る。…良かった…。

「園田さん。ごめんなさい。今日は一人で帰ります。」
「え?送って行くよ。」
「これからちょっと友達の所へ行ってみようと思って。」
「友達って?」
「高校の時の友人です。女の子ですよ、ご心配なく。」
 ニコッと無邪気な微笑みを見せつける。
 園田課長は微かに口の端を上げ、一応の笑顔を貼り付けたまましばらく黙っていた。
 課長の反応に香苗は笑顔を消し、首を傾げている…。なかなか反応がないことを不思議に思っているようだ。
 が、それも一瞬のことで、すぐに快い返事が返ってくる。

「いってらっしゃい。もう遅いから気を付けるんだよ。」
「はい。」

 園田課長はそのままタクシーに乗り込み、去って行った。
 タクシーが完全に視界から消えてから、香苗は鋭い視線を電柱に向ける。

「出てきなさいよ。」
 冷やかな声。ヤバっ…。完全にバレてる…。
 俺は即座に観念し、まずは電柱からひょこっと顔を出し、その後香苗の前に姿を晒す。
 香苗はカツカツとヒールの音をさせながら寄って来て、俺の前に立つ。
 さあ、どっからでも罵倒してこい!慣れっこだ!
 …が、香苗は俺の胸元から顔を出す猫に注目している。

「この猫、野良猫?」
「あ、ああ。擦り寄って来たから思わず抱き上げちゃったんだ。」
「どうするの?あんたんとこアパートでしょう?」
「うーん。」
 どうしよう。猫を見ると、猫は俺の方をじっと見返している。
「…バレないように飼うよ…。」
「良かったね。チビちゃん。飼ってくれるってさ。こいつ頼りない飼い主だけど悪い奴じゃないから勘弁してやってね。」
 香苗は猫に目線を合わせ、俺には話しかけずに猫に話しかけ、頭を撫でる。
 ひとしきりそんな時間を過ごすと、今度はまるで犯人を問い詰める刑事のような顔になり俺を見る。

「で?何で私の後をつけまわすようなことしたの?言い訳くらいなら聞いてあげても良いわ。」
 そう言って、クルリと向きを変え、俺に背中を向ける。
 そのまま早足で歩き出す。『ついて来なさいよ。』って言葉が背中に貼り付いている…。
 俺は大人しく連行された。
 オフィス街の中には、ビルのエントランスや玄関ホールにちょっとした休憩場所を設けているところもある。
 俺たちは一番初めに目に入った、中央に噴水のあるホールのベンチに落ち着いた。
 途中コンビニで煮干とミルクを買ったので、それを猫にやった後、俺は話を切り出した。

「後をつけたのは謝る。でも、どうしても気になったんだ。」
「気になる?何が?」
 香苗は足を組んで、俺を見る。…表情はとても落ち着いてて怒ってはいないようだ…。

「なあ、園田課長ってどんな男だ?」
 俺の質問に、香苗は目を大きく見開き、その後訝しげな顔になる。

「どんな男って…会社での評判通りの人よ。優しいし頼りになるし。何でそんなこと聞くの?」
「何でって…。」

 言葉に詰まる。どう説明すればいいんだろう…。
 他にも聞きたいことあるし…。
 俺は少し迷いながら話を始める。

「…香苗。お前、課長の前でもずっと猫かぶり続けてんのか?」

 香苗、俺の言葉にムッとし睨む。

「洋介。あんたね、猫かぶりって言うけど、あれもれっきとした私なの!子供の頃のイメージばかり持ち出さないでよね。」
「…今ここにいる香苗は昔のままじゃねーか。」
「だ・か・ら、それは相手があんただからよ。」
「園田課長と俺とじゃ対応が違うってわけだ。」
「そうよ。当たり前じゃない。園田さんには可愛い女って思われたいもの。良く思われたいもの!少しくらい猫かぶるわよ。そのかいあって、園田さん、私のこと可愛いって言ってくれてるわ。」
「それは…課長が好きだからする行動か?」
「今朝も言ったでしょう!!私は園田さんが好きよ。」

 本当にそうなら、納得できる。
 でも…。

「だったらもっと幸せそうな顔しろよ。好きな男と結婚できるわけだろ?好きな男の心を捉えたんだろ?なのに何でそんな苦しそうな顔してんだよ。」

 今の香苗は、夢見ていた幸せな結婚を実現一歩手前にいる女とは思えないほど曇った表情してる。
 香苗は俺をひと睨みした後、フイッと目を逸らし、俯く。
 下唇を軽く噛んで目を伏せる香苗の顔は、口惜しさを耐えているようにも見えたし、何かの重圧から解放され安堵しているようにも見えた。

「香苗。俺たちの言い合い、全部園田課長に聞かれてたかもしれない。」
「え?」
 香苗は目をこれでもかってくらい見開き俺を見る。
「ウソ…。だって、園田さん、何も言ってなかったわよ?」
「俺の勘なんだけど、多分聞かれてる…と思う。ごめん。俺の所為だ。」
「……いいわよ。あれくらい、いくらだって誤魔化せるわ。」
 怒り狂うかと思いきや、意外とあっさりしていた。
「…俺は猫かぶってない香苗の方が可愛いと思う。」
「な、何よ突然…。」
 珍しく香苗がうろたえている。
「昔から香苗は可愛かった。」
「…昔私に歯向かってた奴の言う言葉?」
「ガキの頃の愛情表現だ。大目に見ろよ。」
「大目に見ろって言ったって…。」

 俺は静かに立ち上がり、数歩歩いて振り返る。
 ベンチのすぐ脇には電灯があり、戸惑いがちに座る香苗を照らしている。
 真っ直ぐに俺を見つめる香苗の眼差しは、小学校の時と変わらない。
 …すげー惹かれる。
 この瞬間、俺は決意した。

「香苗。昔の約束、果たせよ。」
「え?」
「小学校の時の約束だよ。勝負、すっぽかしただろ?あの時の約束これから果たせよ。」

 香苗は少し呆れたように苦笑いする。

「何を言い出すのかと思えば…。」
「勝負しろよ。」
「…いいわよ。」
 香苗はスッと立ち上がり仁王立ちする。

「で?どんな方法で勝負するの?洋介が決めて良いわよ。なんだって受けて立つわ。」

 昔と変わらない自信に満ちた、まるで勝利の女神のような香苗。
 …俺、結果のわかってる勝負しようとしてる。
 でも、ギリギリまで諦めたくない…。
 俺は覚悟を決めて勝負の内容を告げる。

「もし、俺が香苗の気持ちを振り向かせることが出来たら俺の勝ち。出来なかったら香苗の勝ち。」
「え?」
「タイムリミットは香苗と園田課長が結婚するまで。」
「ちょ、ちょっと待ってよ…。」
「俺が負けたら何でも言うこと聞くよ。一生お前の家来になってやる。」
「洋介…。」
「で、もし俺が勝ったなら…。その時は…もう俺の欲しいものは手に入ってるな…。」
 俺の欲しいものは香苗の心。
「…あんたつくづく馬鹿ね。その勝敗って私の思うが侭ってことでしょう。私が洋介を好きにならなきゃあんたの負けなんだから。」
「そうだよ。」
「この私があんたに惚れるとでも思ってんの?」
「ぎりぎりまで足掻いてみるよ。だから香苗、もう一度よく考えてみてくれよ。」
「考えるって…何をよ…。」
「香苗自身の気持ち。」

 …我ながら無茶な勝負を思いついたなぁと思う。
 香苗の気持ちが俺にないことなんかわかってる。
 なんてったって迷惑だって言われたんだ。振られたも同然だろう。
 でも、香苗は園田課長とのことを迷ってる…と思う。
 この勝負をきっかけにもう一度ちゃんと考えて欲しい。
 香苗も俺が何を言わんとしているのか理解したようで、少し瞳が揺らぐ。
 あと、もう一つ重要なことは…。

「それと、園田課長のことももう一度考えてくれ。…もう一度、あの人のことをよく見てみてくれよ。」

 香苗はキョトンとして一瞬間を置き、首を傾げる。

「それ、どういう意味?」
「あいつ、何だか変だ。」
「変?」

 香苗、眉を顰める。

「ああ。何ていうか…香苗への気持ちが歪んだ方向に行ってるような気がするんだ。」
「はぁ?」
 香苗は素っ頓狂な声を出し、目をこれでもかってくらい見開く。
 その後、ため息を一つつき…。

「洋介…。あんたの目、腐ってんじゃないの?園田さんは誰がどう見たって素敵な人よ。仕事は出来るし人望も厚い。私に対してもとても優しいし頼りになる、非の打ち所がない男よ。」
「俺もそう思ってた。けど…。」
「だいたい、洋介と園田さん、ほとんど接点がないじゃない。洋介に彼の何がわかるって言うのよ。」
「でも…。」
 今日…園田課長が俺にだけ見せた異様な一面。
 日頃課長はみんなに慕われ尊敬される好人物だからなぁ。
 どんな風に説明すれば信じてもらえるんだろう…懸命に言葉を探すが、次の香苗の一言で俺の思考回路は停止する。

「洋介…。いくら勝負がかかってるからって、そんな風に園田課長を貶めるのって卑怯よ。」

 卑怯…。
 今の香苗の言葉…胸にグサッときた…。
 何に傷ついたかって…香苗が、俺をそんな奴だと思ったことに、酷くショックを受ける…。
 勝負に勝つために人を貶めるなんてことしないよ…。
 そんなこと、これっぽっちも考えてなかったから、余計に衝撃があった。

「…と、とにかく、気をつけて。何かあったらいつでも携帯に電話くれ。駆けつけるから…。」
 俺はスーツの内ポケットから手帳を取り出し、ページを一枚破って携帯の番号を書く。
 メモを香苗に差し出すと、受け取ってくれた。とりあえずホッとする…。

「役に立たないと思うけど?」
 そう言いながらも香苗はメモを鞄に入れる。
「…じゃあ、俺、帰るから。」
 俺は、満腹になってベンチの上で寝転んでいた猫を抱き上げて、その場から早々に立ち去った。
 帰る道のりは香苗と一緒の方向だけど、今の俺はこれ以上香苗の辛辣な言葉に耐えられそうになかった。

「タクシーで帰ろう…。」
 駅まで歩き、電車に乗って帰るだけの気力がなかった。
 情けないが、相当凹んでる。
 でも、大丈夫。俺って繊細って柄じゃないし、明日になれば元気になれる。
 繁華街とは対照的に、車通りが少なくなった夜のオフィス街の大通り。
 それでもようやく通りかかったタクシーを捕まえ、猫同伴でも良いかを尋ねる。
 運転手さんはちょっと顔を顰めたが、渋々ではあるがOKしてくれた。

「ありがとうございます。」
 礼を言って俺が後部座席に乗ろうとした時、無理やり割り込んできて、タクシーに乗り込む強引な奴が一人…。

「香苗…。」

 香苗は、さも当然と言った風に後部座席に座り、奥へ詰める。

「何やってんのよ。早く乗りなさいよ。」
「あ、うん。」
 俺が慌てて乗り込むと香苗は行き先を告げ、タクシーは緩やかに走り出す。
 香苗は何も言わずに、窓の外を見てる。うわー。窓に映る香苗の顔、すげー不機嫌。

「洋介。」
「…何だよ。」
「勝負のルールは特に定めない。好きにやってみればいい。遠慮なんかしなくていいわよ。園田さんを巻き込んでも構わない。」
「え?」

 言葉の意図が掴めず、俺は香苗のことを見つめる。
 香苗が、ゆっくりと窓から俺の方へと顔を向け、俺と視線がぶつかる。

「どんな手使ってもいいわ。私に好きだって言わせてみなさいよ。心の底からあんたに惚れさせてみなさいよ。」

 不機嫌に見えた顔が少し変化する。
 香苗の眼差しはとても真剣で…でもって、とても凛としてて綺麗だ。
 俺、精一杯キリっとした顔で答える。

「ああ。言われなくてもそのつもりだ。」

 香苗は俺の返答を聞くと、無表情で軽く首を傾げ俺の顔を覗き込むように見てる。
 まるで俺の本心を覗き見しようとしているような仕草。
 その後、フッと表情を和らげ、目を伏せる。

「…考えてみれば、洋介みたいな間抜けな単純馬鹿に、人を貶める計算なんか出来るわけないもんね。」
「え?」
「さっきは言い過ぎたわ。」

 …もしかして、謝ってくれてんのか?
 俺のこと、少しは信じてくれんのか?

 香苗はそれきり黙りこみ、再び窓に目を向け、通り過ぎるネオンを目で追っている…。
 なんつーか。俺ってホントに単純。俄然やる気満々になって、元気になった。
 見てろよ、香苗!そして園田隆一郎!

 この勝負、全力を尽くします!!

2002.12.18