お昼休み、夏目と合流し、会社から少し距離のあるうどん屋へ行った。 この店なら社内の人間はあまり来ないからな。 店は混んではいたが、運が良いことにすぐに座れた。 俺はきつねうどん、夏目は天ぷらうどんを頼んで、一息ついたら俺は話を切り出す……はずだったのだが、つい本題より先に今朝の企画部での出来事を話題にしてしまった。 本題とは、もちろん夏目の告白に対する返事のことだが、言い出すのに躊躇してしまった。 夏目は企画部の一件をすでに知っていた。
「あ、その話午前中には総務にも流れてきてたよ。楠木先輩、可哀想だよね。」 「…だよな。」
「総務部じゃそんなことないんだよ。園田課長は誰でも同等に扱ってくれるよ。部長は園田課長に全部任せてるって感じだし。課長は上司からも部下からも信頼されてる。私、総務部に配属になって運が良かったなって思ってるんだ。」
夏目は、自分の上司を誇らしげに語る。 ふぅん…。 何だか俺…今すごく嫌なこと考えている。園田課長が嫌な奴だったら良かったのにって、そんなこと考えてた。 そうすれば、香苗に恋愛感情はないって感じた俺の予想、確実になるような気がした。 だから今、園田課長の人柄を聞いて落胆してる…。 俺って器のちっちゃい男だなぁ…。
「そう言えば、もう一つ話題になってたよ。園田課長、宮内先輩に結婚申し込んだって話も、ちょうどお昼休み前に伝わってきた。宮内先輩婚約指輪してるって話だし。2人の結婚は確実だろうって。本当なの?」
夏目は小首を傾げ尋ねる。 俺は気持ちとは裏腹に、反射的に無理やり笑顔を作って頷いた。…さぞかしぎこちない笑顔になってただろうな。
「やっぱり〜。今までも課長と宮内先輩の仲は目立っていたけど、これで公認カップルになるわけなんだね。」
夏目は少し視線を上に向けて、遠い世界の王子様とお姫様の結婚をイメージするみたいにウットリする。 そして、チロっと俺を見て、苦笑いする。
「…ごめんね。今の話題、わざと持ち出したんだ。」 「え?」 「私ね、椎名君の反応が見たかったんだ。」 「反応…?」
「椎名君は宮内先輩のことが好きなんだって何となく思ってた。この前の飲み会の時怒ったのは、子供の頃友達だったからってだけじゃないように感じたんだもん。」 夏目は少し俯き、目を閉じる。 「だから…。だからね。私、今日、園田課長と宮内先輩のこと聞いた時…嬉しかった。」 「夏目…。」 「だけど、今の椎名君の反応見てて…へこんだ…。」 夏目はいつもの、へロっとした笑顔を見せるが、声が震えてる。 「試すようなことしてごめんね。」
俺は何て言っていいのかわからずにいた。
「椎名君、私をお昼に誘ったのって告白の返事をくれるつもりだったんでしょう?」
お見通しだったんだ。
「……うん。」 「言われなくても答えわかっちゃった。だって椎名君、宮内先輩の話をしてる時落ち込んでるもん。辛そうなんだもん。」
…夏目って結構鋭いんだよなぁ…。 それとも俺がわかり易いのか。
「でも、ちゃんと私のこと振ってね。でないといつまでも纏わりついちゃうからね!」
少し冗談っぽい口調で笑う。 俺は小さなため息を一つつき、ゆっくりと話し出す。
「実はさ…。俺、自分自身の気持ちに気が付いたのって、昨日なんだ…。」
まさか香苗に惚れてるだなんてな…。 誰が一番驚いたかって、俺だよ。まったく。
「やっと自覚した。俺は宮内先輩のことが好きなんだ。」 「…うん。」 「だから、ごめんな。」
これが俺の正直な気持ちだ。 夏目は軽く目を伏せ、力なく微笑む。 その表情は痛みに耐えているようにも見えた…。
「…椎名君、辛いね。」 「え?」 「辛いね…。」
…まあ、確かに。 俺は苦笑いして肩を竦める。
「自分の気持ちに気がついたらすぐに失恋だもんな。でもまあ、仕方ないよ。気持ちなんて早々すぐに切替えられないし…。」
俺は自分を納得させるために言った。 そうなんだ。香苗と園田課長のことを知ったって、諦めるとか諦めないとか具体的なことに気持ちが動かない。 ただ、俺は香苗が好きなんだって気持ちを受け入れただけの状態なんだ。
「…私やっぱり…。」 夏目がポツリと言葉をもらす。 「…夏目?」 「私、やっぱり諦めない。」 「へ?」
「だって、椎名君の言う通り、気持ちはすぐには切替えられないし、好きって気持ちが底を尽きるまで思い切り片想いする。」
夏目、俺のことを真っ直ぐと見つめる。…なんつーか…いつものほのぼのの雰囲気が消え、とても凛々しく見えて… 目を奪われた。 …綺麗だと思った。 その眼差しは、他の誰でもない、俺に向けられているわけで…。 俺、身動き一つ出来なくなる。
「おまちどうさま〜。」
突然、ドンっと音を立てて俺たちの前に置かれたきつねうどんと天ぷらうどん。
注文の品を置いた店の女将さんは、慌しく新たなお客さんの注文を取りに行く。 夏目の顔がパッと笑顔になり割り箸を手に取る。 「美味しそう〜!早く食べよう!」 「あ、ああ。」 俺もようやく我に返り、きつねうどんを食べ始める。
その後は俺も夏目も他愛のない話をして、昼休みは終わった。 営業部のフロアに戻ると、席に座ってる香苗の周りに数名の女子社員が集まっていた。 香苗の同期らしい。 会話が自然と耳に入ってきて、俺は自分の席の数メートル手前で足を止める…。
「へえ、じゃあ近いうちに園田課長のご両親に会いに行くんだね。」 「うん。多分来週末くらいにはきちんとご挨拶しに行くわ。」 「いいなぁ。」 みな祝福と羨ましさの入り混じった表情で感嘆の息を吐く。 そのうちの一人がごく自然に香苗に尋ねる。
「じゃあ香苗、会社辞めちゃうの?」 「うん。」 香苗、躊躇うことなく肯定し、微笑む。 「寿退社かぁ。私もしたいなぁ〜。くぅぅ!いいなぁ!!」 「香苗だけずるいー。」 「ちょっとぉ、もうお昼休み終わってるよ〜。いい加減みんな自分の部に戻って下さいなっ。」 香苗は笑顔を崩さず、軽い口調で同期たちを職場に帰るように促し、みながフロアから消えるのを見届けると、ふぅと息を吐きノートパソコンに目をやるが、途中で俺と目が合った。 あ…俺が今の会話聞いてたこと、バレたかな…。 香苗、少しキツイ目で俺を睨むが、すぐに目を伏せ入力作業を始める。 素早くキーを叩く音を聞きながら俺は席に着く。
近くに誰もいないことを確認し、香苗に話しかける。
今朝、仕事以外で話しかけんなって言い渡されたばっかだけどかまうもんか。
「…香苗。お前会社辞めるのか?」 香苗の肩がピクリと僅かに揺れ、目はパソコン画面に向いたままの状態で、返事だけ返ってくる。 「辞めるわよ。正式に婚約したらね。」 「そうか…。」 「園田さん、奥さんには家にいて欲しいんですって。」 「へえ。」 そりゃ意外だな。会社では男女区別なくバリバリ働いてもらいたいけど自分の奥さんには家にいてもらいたいってわけか。妻には求めるものが別にあるんだな…。
「何不自由ない暮らしをさせ、奥さんの全部を守ってあげたいんですって。」
…香苗? 何で俺が聞いてもいないことを淡々と話し続けてんだ…? ふと、キーボードを叩いていた香苗の手が止る。
「…そんな風に思われた女は幸せよね?誰がどう見たって幸せよね?…私は幸せなのよね?」
香苗は、打ってもいないキーボードを食い入るように見つめている。 香苗、お前さぁ…『誰がどう見たって幸せよね?』って、自分の幸せを人に確認させてどうするつもりだよ。 それとも何か? 結婚ってもんは人生の分かれ道だし、どんなに自分が望んだことでも、やっぱ誰かに肯定してもらって背中を押して欲しいのか? …それとも。 …それとも、否定してもらいたいのか…?
「香苗。」 「何よ。」 「俺さ、お前のこと好きだから。」 「え?!」
香苗は顔を上げ、俺は机の上の書類に目を落とす。 下を向く時、ほんの少しだけ視界をかすめて香苗の驚く顔が目に入った。 強い視線を感じていたが、俺はかまわず未完成の見積書と格闘し始めた。
フロア内には、電話の鳴る音やコピー機の音、社員が歩く音やパソコンなどの機械音…様々な音が飛び交うが、俺たちのいる空間だけそんな喧騒から遮断されているようだった。
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