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好きになったわけ

『入社式の時から、ずっと好きだった。』



 突然の夏目の告白。
 俺は乏しい恋愛経験の中で、初めて告白される側に立った。
 かなり混乱している。
 夏目のことはもちろん嫌いではないし、それどころか好感を持っている。
 好きだと言われれば正直嬉しい。
 でも、今までモテたことのない俺は、つい思ってしまう。

 …何で俺なわけ?

 謎だ…。
 素直に喜べばいいものを…過去の経験からそれができないところが、我ながら情けない。

 高校時代付き合っていた彼女は、クラスの友達だった子で俺の方から好きだと言った。
 1年後『洋介は友達以上には思えない。』と言われて振られた。

 次に、大学生の時はバイトで知り合った2つ年上の女と付き合った。
 が、実はずっと二股かけられてて、最終的に彼女はもう一人の男を選んだ。
 何も知らなかった俺。全てを聞かされたのが別れた日。
 最後に言われた言葉は『ごめんなさい。私にとって洋介は安らぎだった。でも、それだけなの。とても好きだったけど、男としては惹かれないのよー。』って泣きながら詫びてはいたが、まるで男として魅力がない俺が悪いと言わんばかりに思いっきり叫んでいたな。
 喫茶店に呼び出され、彼女の一方的な告白を聞かされ、挙句に言いたいことだけ言った彼女は、泣きながら喫茶店から去って行った。
 後に残された俺は周りの好奇な目にさらされながら、そんなもん気にならないくらいショックで…ただただ呆然としてた。
 二股かけてただと???俺は一筋だったのに…。
 泣きたいのは俺の方だーーーと、心の中で叫んでたな…。
 この失恋以来彼女はいない。
 特に誰も好きにならなかったしな…。
 
 夏目の気持ちにちゃんと答えを出さなきゃ…。

 電車に揺られながら、自分の気持ちをずっと考えていた。
 夏目は可愛いと思う。優しいし、周りにも気を配るし、恋人になってくれたら幸せになれるんだろうな…。
 そんな彼女が俺を好きだと言ってくれた。

「それなのに…何でだ?」
 思わず口に出して呟いてしまう。
 いざ自分の気持ちに答を出そうとすると、何故だか頭の中に香苗の顔が浮ぶ。
 しかも、優しく笑っている顔じゃなくて、自信たっぷりの憎らしいくらい余裕のある笑みや、挑むように睨むキツイ瞳。
 香苗より何十倍も夏目の方が可愛いのに…。

「ヤバイ…。」
 俺はとんでもないことに気が付こうとしている!!
 慌てて考えるのを止めようとしたけど、手遅れだった…。

 俺はどうやら香苗のことが好きらしい。
 嘘だと思いたい…俺はマゾじゃねぇぞ〜。
 なのに何であんな乱暴な女が心に住み着いてんだ?
 ……最悪だ…。

 次の日。あまり寝付かれなかった俺は早めに起きて、いつもより早い電車に乗って出勤した。
 会社の玄関ホールで夏目にバッタリ会った。

「椎名君、おはよう〜。」
 いつもと変わりない挨拶をする夏目。
「おはよう…。」
 対する俺はちょっと身構えてしまう。
 夏目にもその硬さが伝わったらしく、少し困ったように笑ってる。
 エレベーターホールに向いながら、夏目が小声で話しかけてくる。

「昨日の返事、急がないから。」
「え?」
「いきなりだったから驚いたでしょう。」

 夏目は肩を竦めてへラっとおどけて微笑む。なるべく場を緊張させないようにと思ってくれているのがわかる。

「…ああ。すげービックリした…。」

 それに聞きたいこともある。

「なあ、何で入社式の時からなんだ?」

 入社式って言ったら、ほとんど初対面に等しい。
 夏目は頬を赤らめ照れたように笑う。

「秘密!言ったら、きっと椎名君笑うもん。」

 ますますわからない。
 俺がしきりに首を傾げていると、夏目は恥ずかしそうに、でも、どこか声を弾ませて楽しそうに話してくれた。

「入社式って午前中いっぱいかかったじゃない。社長や役員達の話もこれでもかってくらい長くてさ。」
「ああ。そうだったな。」

 だから何なんだろう?

「私さ。もう少しで式が終わるって時に…凄くお腹が空いてて…そのぉ…。」

 とても言い難そうにしている夏目を見てて、はたと気がつく。

「お前、まさかあんなことで俺のこと好きになったのか?」
「うん!あの時は、ありがとう。」

 夏目ってば、満面の笑みを向けちゃって…俺は絶句する。

 この本社ビル内の一番大きな会議室で、4月1日に行われた入社式は、午前10時から正午を過ぎても続いていた。
 昼近くになると、緊張の糸も持続せず俺はすげー腹が空いてきて、その上予定の時間をオーバーしていてかなり辛かった。
 ちょうど司会をしていた総務部の部長が、お開きの言葉を始めようとした時、静まり返った会議室に響いた…音。

 切なげに空腹を訴える、お腹が鳴る音。
 見事なまでにみんなの耳に届いてしまい、固まる空気…。

 腹は減ってたが、その音の犯人は俺じゃなかった。
 俺のすぐ傍から聞こえたのでチロっと音のした方に目線を動かすと、隣に座っていたのは夏目だった。
 俯いて、顔を真っ赤にしていた。小さい体を更に縮こませて、今にも消えてしまいそうで…。
 なんつーか、後は自然に体が動いていた。
 俺は咄嗟に立ち上がり、手を上げた。

『すみません。今の、私です…。』
 申し訳ないって顔して言った俺に、周りは一瞬唖然とし、その後は爆笑に包まれた。
 総務部長も『そうですよね。みなさんもお腹が空きましたよね。じゃあこの辺でお開きにしましょうか。』と、笑いながら最後のしめの言葉を言った。
 夏目はこの後の昼食会の時、そっと礼を言ってくれた。

「私ね、あの時から椎名君をずっと見てた。」
「……。」

 なんと言っていいのやら…。
 愛が芽生えるエピソードとしては、ムードもへったくれもないような気がするが…。

 エレベーターホールに辿り着き、到着したエレベーターに乗る。
 早めに出勤したせいか、いつもは混み合うエレベータも空いている。乗っているのは俺と夏目とその他数名。
 これが後15分もすれば超満員になるだろう。

 3階まですぐに到着しちまうな…。

「なあ、夏目。」
「ん?」
「今日一緒に外で昼飯食べないか?」
「え?」
「ダメか?」

 夏目は少し緊張した顔をし、ぎこちなく笑って「わかった。」と言った。
 ここで3階に到着。俺は軽く手を上げ降りた。

「じゃあ、昼に玄関のトコで待ち合わせな。」

 振り返り言った俺に、夏目は小さく頷いた。

「うん。」

 ドアが閉まり、夏目を乗せたエレベーターは上昇して行く。

 夏目のことは好きだ。
 でも、その好きって気持ちは気の合う仲間とか友達って感情。
 夏目が求めてくれているものとは違う。
 自分の気持ちに気がついちゃったんだから、伝えるなら早い方がいい。
 

 ぼんやりとエレベーターの前に立っていたら、ポーンと言う軽快な音がして、エレベータの到着を知らせる。
 ドアが開き、出てきたのは…。

「洋介。何寝惚けた顔してんのよ。」
 エレベーターから降りてきた香苗は、俺を見て訝しげな顔をする。
 び…ビックリした…。
 心の準備も何もしてないのにいきなり出てくんなよーーー!
 エレベーターに乗っていたのは香苗一人だけだったようで、今ここにいるのも俺と香苗だけ。
 よって、今の香苗は猫を被っていない。

「朝なんだから、もうちょっとシャキっとした顔しなさいよね。」
「あ、ああ。」
 スイッと滑るように俺の横を通り過ぎる香苗の左手がふいに目に入る。
 左手の薬指に光るものを発見…。
 これって…まさか!!

 俺は思わず香苗の左手を掴み上げ、目の前に持ってきた。

「ちょ…ちょっと!何すんのよ!!」
「香苗!これ、これって…。」
「…ああ、この指輪ね。見ればわかるでしょう。」
 香苗の左手が俺の右手をすり抜ける。
 香苗は俺の顔の前に左手を見せつけながら誇らしげに微笑む。

「私ね。プロポーズされちゃった。これ婚約指輪。」
「ぷ…ぷろぽ〜ずぅ??」

 嘘だろーーー!!誰にだ??園田課長にか??

「だ、誰に?返事はどうしたんだ??指輪をしてるってことはOKしたのか?」
 思わず詰め寄ってしまった俺に香苗は少々戸惑い気味。

「な、何であんたに詳しく報告しなきゃいけないのよ!!」
「何でって…。」
 押し問答しているうちに、再びエレベーターが到着。
 ポーンと言う音がしてドアが開き、企画部の課長が降りてきた。

「お?宮内君、椎名君、おはよう。」

 課長は人の良い性格そのままを現すような笑顔で挨拶してくれた。
 香苗だけでなく俺までも即座に猫を被りまくる。

「おはようございまーす。」

 語尾にハートマークが付くくらい明るい挨拶をした俺達だった…。

2002.11.20