罠A
一旦湧いた警戒心。俺はシュレッダー事件の日から、青木さんの行動に気を配るようにしてた。 彼女の普段通りの仕事っぷりを見ていると、気のせいだったのかもって何度も思った。 でも、どうしても不安感が拭えない。 「宮内さん。その書類、私が作りましょうか?」 結構な量の書類を作るためパソコンと格闘していた香苗に、青木さんが気を利かせ訊ねる。 「ありがとうございます、でも、これは私が作ります。」 香苗はやんわりと青木さんの申し出を断る。 「そうですか…。重要な書類なんですか?」 「ええ。また契約が取れそうなんです。来週の月曜日にお客さんに提出しなきゃならないの。金曜までには完成させなきゃ。それの…。」 途中まで言って、香苗はハッとしてパソコンから目を外し、青木さんを見る。青木さんは少し悲しそうな微笑みを浮かべている。 香苗は慌てて事情を説明する。 「違うのよ。青木さんに任せられないって言っているわけではないの!これはまだ数字がコロコロ変わっていくから私が作った方が早いと思っただけなのよ。」 そっか…。青木さん、この間の失敗で信頼感を失ったと思ったのか。 香苗の言葉を聞き、ホッとしたように青木さんは頭を下げる。 「気を遣わせてしまい、申し訳ありませんでした。」 「だからもう良いですって。」 香苗はあっけらかんと笑って、青木さんを元気付ける。 ……う〜ん。こんな風にミスを気にしている様子を見せ付けられると、やっぱ俺の気のせいなのかなぁって思う。青木さんが何かを企んでるなんて、あるわけないか…。 と、そこへ…音程を外しまくっている鼻歌交じりで、伊藤専務がフロアにやってきた。何やらご機嫌なご様子。 珍しく外出している人間がいない状況で、営業部も企画部もみんなが専務の鼻歌に注目する。 何て言うか、嫌な予感…。 「みんな、いつも仕事を頑張ってるなぁ。ご苦労様!!今週の金曜日、全員カラオケに連れて行ってやるぞ!わしからの労いじゃ。」 げっ…。誰もが言葉を発せずに、凍りついた笑顔で固まっていた。 そんな俺たちを置いて、伊藤専務は笑いながら去って行った。なんてこったい…。 しばしの沈黙。 「…まいったわよね〜。」 香苗がため息混じりに呟きながら席を立ち、給湯室へと歩き出す。 ホント、参ったよな…。伊藤専務の壮絶な歌声を聞かされるのかぁ。 …って思いながら何気なく視線を香苗の席へ戻すと…。青木さんが香苗のパソコンを睨むように凝視していた。シュレッダーの時と同じ…異様さを感じる。 「青木さん…?」 呼びかけると少し肩をビクッとさせ、俺に目を向け笑顔を作る。そう、笑顔を『作る』って表現が一番当てはまってる。そんな瞬間だった。 「何ですか?椎名さん。」 呼んだものの、何も話題を用意してない。少し慌てるが、ふと、彼女に確認したい質問が浮かぶ。 「…青木さんも、金曜のカラオケ、行きますよね…?」 「いえ。その日は友人と約束がありますので、申し訳ないですが出席できません。」 「…そうですか…。」 「すみません。」 青木さんは申し訳なさそうに詫び、足早に席へ戻って行った。 そして…金曜日。 夜の10時過ぎ…。人気の無い営業部のフロア。真っ暗な中、一箇所だけぼんやりと明かりが灯る。 パソコンを立ち上げる音。キーを叩き、お望みの画面が出たのか、安堵のため息が聞こえた。 パソコンに向う主が再度キーに触れ、いくつか打ち込みをしたところで、俺はフロア全体の明かりを点けた。 「こんな夜遅くに何やってんですか?青木さん。」 「し、椎名さん…。」 青木さんは心底驚いたようで、派手な音を立てて椅子から立ち上がる。 「いるのは俺だけじゃないですよ。香苗、出てこいよ。」 俺が廊下に向って声をかけると、香苗が強張った顔つきでフロアに入ってくる。 「青木さん…。」 「宮内さん…。」 青木さんは数秒固まっていたが、慌ててパソコンの電源を落とそうとしたので、俺と香苗は同時に駆け寄り、俺が彼女の腕を掴み、香苗はパソコン画面を見た。 パソコンの画面には、例の月曜に香苗が客先へ持って行くために作った書類のデータが映し出されていた。商品の単価表。 いくつかの項目、数字が書き換えられている…。 香苗は自分のデスクの引き出しから封筒を取り出し、書類の束の中から単価表を引っ張り出して、青木さんに突きつける。 「この書類はプリントアウトしてチェック済み。あとは月曜の朝、押印をもらって客先へ持っていくだけになっていたのに、今さら何をしようとしていたの?」 青木さんは苦笑いをし、早口で言い訳を始める。 「す、すみません!開けるファイルを間違えました。本当は今日作った業務連絡書をチェックしていなかったのに気が付いて戻ってきたんです。明日の朝一番で回覧に回さなければならないので…。」 「青木さんが今日作っていた業連って、1件分の客先の住所変更でしょ?そんなの1分もあればチェックも修正も出来る。こんな夜中にわざわざ会社に来てまですることじゃないわよね。」 「そ、そんなことは…。」 「誤魔化さないで、何を企んでいたんだか言って下さい。」 香苗は強い口調で詰め寄る。 この展開…数時間、時間を遡って説明すると……。 夕方、俺たち営業部と企画部は定時で伊藤専務に連行される。青木さんだけは約束があるため、帰って行った。 カラオケに行くまでの道中、俺は青木さんの時折見え隠れする二面性を香苗に話してみた。 もし、シュレッダーが青木さんの意図的なミスだとしたら、今度の標的は月曜に持って行く予定の書類だと思った。 しかも、今夜は営業部のフロアに誰一人残っていない。何かやらかすには絶好のチャンスだ。 俺は青木さんに抱いた警戒心を香苗に打ち明けた。 「青木さんがワザとミスしたって言うの?」 「ああ。だから、また何か細工するような気がするんだ。」 「一体何に細工するって言うのよ。」 「ほら、ここんとこ香苗が必死に作ってた書類、あれだよ。今晩中に偽造したものとすり替えるとか…。」 「ばっかじゃないの、洋介。何で青木さんがそんなことするのよ。」 「そりゃわかんないけど。でも、何だか嫌な予感がするんだ。」 「あんたねぇ…。」 呆れた顔して取り合ってくれない香苗だったが、俺がしつこく説得していると、喧嘩腰で乗ってきた。 「そこまで言うんなら、確かめようじゃないの!」 してやったり! カラオケへ向う集団からこっそり抜け出し、エレベーターホールの隅にある植木の陰に隠れて見張っていたんだ。 その結果…現在に至る。 「青木さん。答えて。契約書をシュレッダーしたのもワザとなのね?」 香苗は黙り込んでいる青木さんを更に追及する。 「今日のこの書類だって、書き換えて差し替えるつもりだったんでしょ?」 「それは…。」 「どうして?いったい何の目的でそんなことをするの?」 「……。」 怯んでいた青木さんの表情が変わる。明らかに香苗に敵意を向けた、刺すような眼差しになる。 普段穏やかな雰囲気な女性だと思っていたが、怒りを顕わにする形相は、かなりの迫力がある。 「宮内香苗さん。私はあなたが憎いの。どんな形でもいい。あなたを不幸にしたいと願っていた。」 「え…?」 香苗は唖然とする。俺も言葉を失ってしまう。 俺は『香苗、お前青木さんと知り合いなのか?』って気持ちを込めて香苗に目を向けた。俺の視線に気が付いた香苗は、慌しく首を横に振り否定する。 「あの…。青木さん。私を憎んでるって……どうして?私、あなたとこの会社以外では面識はないわよね?」 「ええ。ないわ。でも、私はあなたのことが憎くてたまらないの。」 どういうことだ? 青木さんは目に涙をためて、静かに冷やかな言葉を吐く。 「宮内さん。あなたは私が手に入れられなかったものを簡単に手に入れ、挙句に簡単に捨てた。私がどんなに努力しても認めてもらえなかったのに、あなたは偽りの演技で見事に周囲を騙していた。殺したいほど憎いわよ!」 「…いったい…何の話をしているの…?」 香苗は青木さんの言っていることが理解できずにいる。 俺はと言うと、直感的にある人物に思い当たる…。躊躇わずにその名を口に出した。 「青木さん…あんたまさか、園田課長の知り合いか?」 『園田』という名字に青木さんの顔色が変わる。図星だ! 「そ、園田?誰ですか?それ…。あ、確か総務部にいらっしゃいましたよね…?」 青木さんは口ごもりながら知らない振りを決めこもうとするが、もう遅い! 俺はダッシュでエレベータに向かい、ボタンを押す。すぐに扉が開いたので飛び乗った。 「ちょっと待ってよ!」 後から俺を追ってきた香苗が、閉まりかけた扉をすり抜けてきた。 「何処行くのよ?」 「総務部。園田課長のトコだよ。」 「ね、さっきから何なのよ。何で園田課長が出てくるのよ…。わけわかんない。」 混乱している香苗。…当然と言えば当然だな。園田課長は表面上は『理想の上司』だ。でも、俺には園田課長の意図がハッキリと感じられた。 「香苗。園田課長は仕事上の人格と、プライベートの人格はえらく違うんだと思う。」 「どういうこと?」 エレベーターが総務部の階に到着したことを告げる。香苗の問いには応えず真っ直ぐ総務部へ向う。 「こんな時間に園田課長が残っているわけないじゃな…。」 香苗の予想に反して、明かりが灯る総務部フロア。 俺はフロアに駆け込んだ。 フロアにいたのは園田課長ただ一人。課長はゆったりと椅子に腰掛けていて、書類に目を通していた。 俺たちに気がつき顔を上げた。落ち着き払った微笑みで口を開く。 「おや?君たち。こんな時間にどうしたんだい?」 俺も負けじと冷静さを装う。 「園田課長こそ。こんな時間までお疲れ様です。」 「明日までに揃えなきゃならない資料があってね。」 静かな物腰で立ち上がり、背後の窓に背中を預ける。 「で?私に何か用なのかな?」 「課長。営業部にいる青木さんをご存知ですよね。」 「ああ。知っているよ。良く働く有能な女性だそうだね。」 「そういう意味の『知っている』ではなく、もっとプライベートで、良くご存知なんじゃないですか?」 「言っている意味がわからないな。」 「園田課長。あなたは宮内さんのことを陥れようとしたんじゃないですか?」 「私が宮内君を?いったいなんのために?」 園田課長は少し困惑した顔つきで笑う。 「とぼけないで下さい。あなたが私にしたことを考えれば、次に何をするかくらいわかります。」 「…洋介?何のこと?」 隣にいた香苗は、園田課長が俺にどんな態度でいたかを知らない。首を傾げ不安そうに俺を見た。 俺は香苗に笑顔で応え、再び園田課長に対峙する。 「面倒くさいので、肩書き抜きで話しましょう。園田さん。俺に何をしても構わないけど、香苗に対しては許さない。しかも今回も自分の手を汚さずになんて、あんた最低だな。」 「さっぱり意味がわからない。私が宮内君に何かしたとでも?」 園田課長は微笑みを崩さずに、冷淡な瞳に香苗を写す。 「この際だからはっきり言っておこう。私はもう宮内君に何の未練もない。彼女は私の理想とかけ離れた女性だ。社員としては有能だが、女性としては私にとってなんの魅力もない。それどころか最低な部類に入る。」 「でしょうね。あなたの理想は猫を被っていた香苗なんだから。」 「それがわかっているのなら、私が今さら宮内君に何かするわけないと思わないのかな?」 「逆だね。だからこそ、あんたの怒りの矛先が香苗に向うと思ったんだ。」 「へぇ。どういうことだい?」 「あんたは異常なくらいプライドの高い男だと思ってね。それに、香苗に対する異様な執着心があったからこそ、俺を目の敵にしたんだろ?そんなあんたが、香苗に…言い方は悪いが見事に騙されたんだ。そのままにしとくってことはないと思ってね。」 「……。」 「確かに香苗にも非はある。それは香苗も認めている。理由はどうあれ、あんたと誠実には向き合ってなかったんだから、怒りを感じるのも無理はない。でも、香苗はあんたにきちんと詫びた。それに対し、裏工作して陥れようとするなんてやり方が汚いじゃないか。」 園田課長は呆れたようなため息を吐き、含み笑いをする。 「やれやれ。とんだ言いがかりだ。正直君たちの被害妄想にはついていけないよ。」 あくまで白を切り通すって態度の園田課長に、俺が抗議をしようと口を開いた時…。 「園田さん…。」 俺たちの背後から蚊の鳴くような弱々しい声がした。 後ろを振り返ると、青木さんが真っ青な顔して立っていた。 |
2003.9.9 ⇒