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贅沢な時間

 次の日。

 「やっぱりいらっしゃいましたね。」
 開口一番、作次郎さんの台詞。
 満面の笑みで香苗と俺を迎えてくれた。
 「当然です。」
 香苗も負けないくらいの笑顔で応えた。

 俺たちは本日も元気に『作次郎の家』にお邪魔した。
 「昨日、食事代を精算せずに飛び出してしまってすみませんでした。」
 俺と香苗はまず、頭を下げた。
 「今日も食事をしますので、その時一緒に精算しても良いでしょうか?」
 「もちろん、後で結構です。そんなにお気になさらないで下さい。さ、席に着いて下さい。外は暑かったでしょう。」
 昨晩の出来事には一切触れずに俺たちをもてなす作次郎さん。予想していた態度だったけど、少々肩すかしを食ったかな。
 香苗は動じずに余裕の態度。作次郎さんはともかく、香苗は相手の出方を見るって感じだな。
 既に先客が8名来ていた。一番端の2つの席が空いていて、俺たちで丁度満員になった。
 隣になったのは…70代後半くらいの小柄なお婆ちゃんだった。
 目が合い、笑いかけてくれた。とても人懐こい笑顔だ。
 「こんばんは。」
 「あ、こんばんは。」
 お婆ちゃんは俺と香苗を見て目を細める。
 「良いですねぇ。デートですか?」
 「違います。ただの同僚ですから。」
 香苗が即座に訂正する…。
 と、横から作次郎さんが、「宮内さんは人のことにはちょっかい出すクセに、ご自分の足許は見えてないようですね。」と、口出しする。
 作次郎さんのコメントに、香苗が訝しげな顔をする。俺も首を傾げる。
 どういう意味だ?
 作次郎さんは俺たちの疑問には答えず、のほほんと料理をしている。
 そら豆が出てきて、それをつまみにビールを飲む。
 「宮内さん、昨日は無事帰れましたか?」
 お?!作次郎さん、先制攻撃か?
 「はい。おかげさまで。」
 香苗はニッコリと笑顔で応対。
 「そうですか。良かった。」
 「あら?心配して下さっていたのですか?」
 「いいえ。一応社交辞令で言っただけですよ。」
 うわぁ。作次郎さんったらお茶目。香苗、ムカッとしたのかピクリと眉を動かしたが、何とか堪え笑顔を保つ。
 更に、作次郎さんは間を置き、言葉を付け加える。
 「宮内さん一人では心配でしたが、椎名さんが追いかけて行きましたから、全然心配しませんでしたよ。」
 作次郎さんの言い様に、香苗は不本意って顔をするが、俺にチロッと目を向けると、諦めたかのように肩の力を抜く。
 …負けず嫌いの香苗としては、あまり人に頼るということをしてこなかったので、俺がいたから心配しなかったって言われたら少々複雑なんだろう。実際、昨晩はちょこっと俺も役に立ったと思うし…。
 「作次郎さん。あなたって本当に不思議な人ですね。」
 「そうですか?」
 「あなたと話していると、自白剤でも打たれた気分になってきます。」
 「変ですね。私はただ答えているだけで、質問などしてはいませんが。それとも、私の言葉はあなたにとって何か考えさせてしまう材料になっているんでしょうかね?」
 香苗は目を見開いた後、肩を竦め苦笑い。
 「…わかっているんだか、いないんだか…。」
 香苗の独り言ではあるけれど、俺も心の中で同じこと呟いている。
 昨日のことといい、作次郎さんは香苗の過去を知るわけないのに、心に載っていた重石を言い当てた。
 まったく。どこまでわかっているんだか…。
 作次郎さんは、一瞬俺に意味ありげな視線を投げつけ、揚げ出し豆腐を出してくれた。
 さっそく食べてみる。相変らず美味しい。
 「お兄さんたちも作次郎さんのお料理気に入ったみたいだねぇ。」
 先ほどのお婆ちゃんがまたまた話しかけてきた。
 「はい。とても美味しいです。あの、お婆ちゃんはここの常連さんなんですか?」
 「ええ。私はこの近所に住んでいて、たまに夕食にお邪魔するんですよ。作次郎さんと話していると楽しく食事できますからね。」
 「面白い方ですからね。作次郎さんって。」
 『色んな意味で。』…と、頭の中で付け加えた。
 「はい。人生楽しまなきゃ損ですからね。一食でも美味しく楽しく食事をしたいですから。足腰が動くうちは何処にでも出かけようと思っているんですよ」
 積極的なお婆ちゃんだな。とても活き活きしてる。
 「今度は温泉に行ってみたいと思っているんですが…。お兄さんのお薦めのところなど、どこかありますか?」
 お!?俺の得意分野!香苗もクスッと笑い、「洋介なら色々知ってますよ。」と助言する。
 俺も、ちと胸を張って偉そうなポーズを取る。
 「何でも聞いてください!近間が良いですか?海と山、どっちが良いですか?」
 こうして、いつの間にやらお婆ちゃんの夕食のひと時に、俺と香苗も仲間入りさせてもらった。
 お婆ちゃんの会話はのんびり、ゆったりとした時間を感じさせてくれた。

 9時を過ぎた頃、お婆ちゃんはデザートも食べ終え、帰り支度を始める。
 お婆ちゃんは俺たちとの会話を楽しんでくれたようだ。
 「今日はいつも以上に賑やかで、ついついおしゃべりしてしまいました。」
 ご満悦のご様子だったが…。
 帰り際にポツリと洩らした言葉は、とても寂しげなものだった。
 「ねえ、お兄さん。若い方たちは私のような年寄りと話をするのは鬱陶しいですかね?」
 「え?そんなことないですよ。」
 お婆ちゃんはとても愉快な人で、話してて楽しかった。
 「あのね…。」
 お婆ちゃんは、緩やかに話し始めた。
 内容は、家族と接する時間が短く寂しい…と言ったものだった。
 旦那さんは十年以上前に他界。息子夫婦と同居しているが共働きで、孫も既に社会に出ていて家族全員が時間に追われる生活をしている。
 「別に邪険にされているわけではないんだけどね。みな忙しくて、会話と言っても要件だけしか聞いてくれないんですよ。」
 まだまだ話し足りないのに、笑顔で話を切り上げられてしまう。それが寂しいと感じるそうだ。
 同居する際、住み慣れた街を越してきたので近所に友人も少ない。話し相手を探すのも一苦労なんだそうだ。
 一日中テレビばかり見ていると、無性に寂しくなる。
 う〜ん…。聞いていて、何て答えて良いのか迷ってしまった…。
 俺も時折かかってくる祖母ちゃんの電話で話している時、結構根気がいるなと感じたことがあるからだ。
 まさに、時間の流れが違うんだ。
 仕事の後、疲れて家に帰ってきたところに祖母ちゃんから電話がかかってきたことがある。祖母ちゃんのこと好きだし、声を聞けると元気なんだとわかり安心も出来る。ただ、俺は新しい生活に慣れるのだけで手一杯だったし、次の日の仕事の段取りとかが頭の中を駆け巡っている時は、祖母ちゃんの世間話と近況報告をのんびりゆっくりと聞いてあげる心の余裕がなかった…。
 どう答えて良いのか考え、言葉に詰まっていると、お婆ちゃんはほっこり笑顔を向けてくれた。
 「答え難いことを聞いて悪かったね。」
 「いえ。あの…。」
 「いいんですよ。ちゃんとわかっているから。みんな私を大事にしてくれているんですよ。でも、ちょっと贅沢を言ってみたかっただけなんですよ。」
 お婆ちゃんはそう言い残し、去って行った。
 「何だか切ない話だよな…。」
 呟くと、隣にいた香苗は「そうね…。」と相槌を打ってくれた。
 まだ9時という時間だったので、すぐに空席は埋まった。
 俺と香苗は日本酒を注文する。
 「椎名さん。何難しい顔しているんですか?」
 「え?」
 うわ。いつの間にか考え込んでいたんだ。
 「いえ…。」
 「…この時代、色々と便利になった分、日々みな忙しくなって自分のことで手一杯なことが多いようですね。誰かに心行くまで話を聞いてもらうことは、贅沢な願いになってしまったのですかねぇ。」
 答えるまでもなく、俺の考えていたことを言い当てられてしまった。
 他愛のない会話を楽しむ…それを贅沢なことと感じさせてしまう状況ってのは…。
 「…やるせなくなってきますね…。」
 考えていたことの、最後の部分だけ言葉にしてみる。
 俺と作次郎さんが話していると、それまで無口でいた香苗が突然反応する。
 「…贅沢…。」
 「香苗?」
 「ねえ、洋介!これって企画にならないかしら!」
 「企画って…。」
 もしかして…。
 「社内公募の?」
 「うん!」
 香苗は興奮気味に頷く。
 「どんな企画?」
 「食事の宅配!!」
 「…宅配…??」
 何で突然食事の宅配???
 香苗は少々早口で説明し出す。
 「今時、食事の宅配は珍しくない。個人の好みや糖尿病とかにも対応しているところもある。だから、それ以上にもっと細かく、個人の要望に答える内容にして、それプラス今、作次郎さんと洋介が話していた『贅沢な時間』を盛り込むの。」
 「贅沢な時間って…。」
 イマイチ香苗の言っていることのイメージを掴み切れない…。
 「高齢者に向けての食事の宅配よ。独り暮らしのお年寄りも多くなっている。例え家族と同居していても、共働きだったりして、結局独りになりがちな人もいる。だから、食事と贅沢な時間も添えるのよ。」
 「…それって、要するに、話し相手になるってことか?」
 「平たく言えばね。営業担当者と管理栄養士が一人一人の健康面も考慮にいれたメニューを提供するの。固形物が食べられない人には刻み食やミキサー食なども考慮に入れるの。塩分やらカロリーの調整が必要な人もいるだろうし…。」
 香苗は頭を回転させ、色んなアイデアを出していく。
 その内容は、医療や介護を連想させる点が多いが、この『商品』のもっとも重要で価値のある部分は『ふれあい』だと言う。
 「『ふれあい』の部分は、営業担当者の腕の見せ所ってわけよ。お客様とどれくらい信頼関係を築けるか。相手は直接食事を口にする高齢者ばかりではないわ。介護している側の人かもしれない。相手が何を求めているか探して提供する。コミュニケーションを取りながら食事の内容に結びつく専門的な情報を得たり、精神的な支えになったりする。他愛のない話も、愚痴を聞くのも重要な仕事よ。」
 「『贅沢な時間』を作り出すのが営業担当の仕事ってことか。」
 「そういうこと!」
 「でも…異常にコストが高くなりそうだよな…。」
 とんでもない高級品になりそうだな…。
 第一、実現するにはS食品に新しい部門が必要になるだろう…。
 俺が難しい顔をしていると、香苗はニッコリと微笑む。
 「今思いついたばかりだから、色々調べなきゃいけないけど、『こんな商品があったら良いな♪』って思えるなら、企画を立ててみる価値あるわよ。社内公募だからこそ、自由に夢を追ってみても良いと思わない?どうせなら今までウチで手がけてないものに目を向けてみたい。」
 「…そうだな。」
 先ほどのお婆ちゃんの顔を思い出す。
 そして、店内に目を泳がせてみる。この店のお客さんたちは、食事と作次郎さんって人を求めて足を運んでいる。
 作次郎さんの人柄が立派な『売り』になってるんだよな。
 香苗の企画も、『作次郎の家』に通じるところがある。その部分を営業担当者が引き受けるってわけか。
 「遣り甲斐ありそうだな。」
 「でしょう!さっそく調査して色んな意見を集めてみるわ!洋介、この企画連名でやらない?」
 「え?」
 「うん。どう?」
 もちろん迷わず即答!
 「やるに決まってるだろ!」
 「よーし!じゃ景気付けに乾杯しよう!」
 俺たちはお猪口で乾杯した。

 この後、しばらくの間、俺たちは企画の話しで夢中になっていた。
 いつの間にか会話から抜け、他のお客さんの相手をしていた作次郎さんが、俺たちの様子を見て、意味ありげな笑みを浮かべていたのに気が付かないでいた…。
 今夜は少し早めの10時過ぎに席を立ち、精算した。
 「今夜の料理はお気に召していただけましたか?」
 作次郎さんに訊かれ、俺も香苗も頷いた。
 「今日もとても美味しかったです。明日もまた来ますから。」
 「椎名さん。多分あなたは明日、別の用事が出来るはずです。だから、もし来ていただけるのでしたら宮内さんだけになりますね。」
 「え?」
 別の用事って…。ここへ来ること以外何も予定してないけど…。
 俺がキョトンとしているのに、作次郎さんは何も言ってくれず、「ありがとうございました。気をつけてお帰り下さい。」とにこやかに言われてしまった。店もまだ忙しく、結局、立ち話を続けることも出来なくて、退散せざるを得なかった。
 帰り道。香苗に訊いてみた。
 「なあ、さっきの作次郎さんの台詞…何だったんだろう。」
 「何か企んでるって感じだったわ!」
 「企むって…。」
 「何にせよ、警戒しなきゃ!」
 香苗の言い方じゃ、まるで作次郎さんが陰謀を張り巡らせているようじゃないか。
 でも…俺も、明日は何かが起きそうな気がしていた…。

2003.7.20
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夏休みがやってきますねー。みなさんは遊びの計画を立てておりますか?