孤高の女王様B
香苗と男との付き合いが半年を過ぎた頃、香苗は、男と男の実家の状況を知ることとなる。 「喫茶店を閉めて、どこか給料の良い会社に就職するって言い出したの。とても大切にしていた店だったから変だと思って、無理やり理由を聞きだしたの。」 男の父親は既に他界しており、母親と2人で暮らしていた。喫茶店は父親が経営していたもので、この親子にとっては父親の形見のようなものだった。店内にあるものは、全部男の父親が選んだものばかりで、想い出の詰まった大切な場所だ。以前はそれなりに繁盛していたが、近隣にファーストフード店などがいくつかオープンしてからは、客の入りも悪くなっていった。喫茶店の売上では、維持費と生活費だけでギリギリ。男の両親は店の開店資金としてかなりの借金もしており、結構大変な状況だった。その上、母親が病気がちになり入退院を繰り返すようになる。医療費も生活を圧迫し始め、止むを得ない選択…と言うことだった。 「本当は続けたいんだけどね。」…と、寂しげに笑う男を見て、香苗の想いが走り始めた。 「何だかね、その話を聞いたら、何とかしたくなっちゃったの。」 まず香苗が始めたのがバイト。学校に通いながら、コンビニでアルバイトした。バイト料が入って、少しでも足しになるならばと男に渡そうとするが、男は受け取らなかった。 「『そんなことしないでくれ。』って言われちゃった。ちょっと怒ってた。男の面子を潰してしまったのかな。」 それでも力になりたくて、香苗はいてもたってもいられずに、自分に何が出来るかを必死で考えた。 空いている時間があれば喫茶店を手伝い、何とか売上が伸びないかと思案した。 色々と考え抜いた末、香苗はある名案を思いつく。 「大きな花束を持って、彼にプロポーズしたの。」 「プロポーズ?」 「『あなたを世界一幸せにするわ。あなたの人生を私に頂戴!私と結婚して。』って、プロポーズしたの。」 男らしい…じゃなくて、か…香苗らしい…。 潔いって言うか、思い込んだら一直線だなぁ。 「私も家族になって、一緒に働いて頑張るのがベストだと思ったの。……当時はね。」 好きだから傍にいたい。好きだから力になりたい。純粋に心から湧き出る想いに従った。 「私の、一世一代のプロポーズ。彼はもの凄く驚いて、とても困った顔したわ。で、初めは受け入れてはくれなかった。」 プロポーズを突きつけられた男の第一声は、『僕は君を幸せにできない。』だった。 男と一緒になったら香苗の生活は一変する…。男は香苗の夢を知っていた。だからこそ、躊躇したのだろう。 「『君のことは好きだけど、僕と結婚したら苦労させてしまう。』なーんてこと言うからイライラしちゃった。」 香苗は大学を辞めるつもりでいた。男との生活を大切にしようと決意していた。 「私ね。一流企業でエリートコースをひた走って社長になるのも大出世だけど、好きな人と家族になって生きて行くっていうのも大出世だと思ったの。とても遣り甲斐があるでしょ。」 あまりの潔さに、男はかなり驚愕したそうだ。 「勉強はいつでも出来るでしょ。」 簡単そうに香苗は言うが、相当な決断力だと思う。 男も香苗の行動力を目の当たりにし、ついにOKした。 2人の親はと言うと、男の母親は結婚を快く思ってくれたが、香苗の両親は大反対した。 手塩にかけて育てて来た、エリートコースを順調に歩んできた自慢の娘が、突然その道を捨てると言い出した。 しかも、香苗が選んだのは、両親から見れば意に染まないことだからけの男…許せるはずもなく、話はいつまで経っても平行線。 「両親には申し訳ないとは思ったわ。でも、私は決意を曲げなかった。すぐに納得してもらうのを諦めて、追々説得することに決めて家を出たの。」 家出同然で新しい生活に飛び込んだ。 そして、香苗は大学生としての時間を1年弱で終了させた。 「両親が許してくれなくても、私が成人したら籍を入れることにして、彼の住むアパートに一緒に住むことにしたの。それからはがむしゃらに働いたわ。」 幸い雇ってくれる小さな会社を見つけ、事務の仕事についた。休みの日には男の店を手伝い、家事と男の母親の身の回りの世話もこなした。 「彼もね、今まではお父さんのやり方を変えずに営業し続けてきたけれど、メニューを見直し始めたの。」 絶えずチャンスを求めている香苗にとって男は保守的でイライラする時もあったが、段々と変わり始めたのを感じた。 「思えばこの頃が一番幸せだったな。一緒に頑張れば、何だって乗り切れるって思ってた…。」 ふいに香苗の表情が曇る。 「…でもね。そう思っていたのは私だけだったの。」 男との生活が半年過ぎ…香苗は今まで生きてきて、一番辛い経験をする…。 「私ね、いつの間にか、彼を追い詰めていたみたいなの。」 「追い詰めるって…?」 「彼は、優しい分だけ繊細で……そしてズルい人だった。」 香苗は目を細め、当時を思い出す。 香苗が19歳の夏。 ずっと幸せだと信じて疑わなかった生活が、信じられないくらい簡単に崩れ去る。 「その日はね。たまたま私の仕事が定時より早く終わったの。役所に書類を届けて直帰しても良いって言われたから。」 いつもなら、急いで買い物をして家に帰り食事を作るのだが、帰る前に喫茶店に向った。 「ちょっとだけ、驚かそうと思ったのよ。それが運のつきだった。」 店に着き、香苗は首を傾げる。扉に『準備中』の札がかかっていた。 店はオープンからクローズまで準備中の時間はない。 不審に思った香苗は、合鍵で店に入るが…営業した形跡がまったくなかった。 当然店の定休日は別の日だ。 言いようのない不安感が香苗を襲う。男の身に何かあったのではと携帯で連絡を取ろうとするが電源が入れられておらず、つながらない。家に帰り、夕食を作り、不安な気持ちを押し込めて母親と食事を取る。 男は、日付が変わるころ帰宅した。いつもと同じ帰宅時間、いつもと同じように『疲れた。お腹減ったよ。』と言って食卓につく男。香苗はしばらくの間、何も訊かずに男の話し相手をしていると、男はあたかもいつも通りに仕事をこなしたって感じの話をし続けた…。 「私がね、店が閉まってたってことを言ったら面白いくらいうろたえてね。ぜーんぶ白状した。」 たった一つの嘘から、男は芋づる式に『裏切り』を自供した。 しかも、逆切れ状態。いつもは大人しい男からは想像もできないくらいの豹変振りだった。 香苗に向って食器を投げつけ、腕を掴んで叫び始めた。 「全部君の所為だ!!」 手加減無しに掴まれた腕の痛みも感じられないくらい、香苗は呆然とし、言われるがままだった。 男は女性と逢っていた。その日だけじゃなく、二ヶ月ほど前から時折逢って男女の関係になっていた…。男は、香苗が訊きもしないのに、どんな女性かを話し始めた。もともとは喫茶店に来ていたお客さんで、言葉を交わしていくうちに、お互い惹かれ合ったそうだ。 大人しくて内気で、男の話を黙って聞いてくれる女性だったそうだ。 「私とは何もかも正反対の女性なんだって。」 男は更に香苗を責める。 「香苗といると息が詰まる!香苗は重すぎるんだ!!』…だってさ。よほどストレスが溜まってたのか、絶叫に近かった。」 男にとって、香苗は愛する存在であると同時に、酷く疲れる存在でもあった。 何の躊躇いもなく夢を捨て男との生活を選んだ香苗。どんな時も前向きで目標に向って行く香苗。 前向きで真っ直ぐ伝わってくる香苗の愛情と生きるエネルギー。 男は、香苗からプロポーズされた時、OKはしたものの正直言うと迷っていたと言い出した。 『香苗に相応しい男にならなければならない。』…香苗といると、いつも圧迫感を感じていたと。 香苗といる時の男は、いつも無理をしていた。常に頑張っていなければいけない、弱音を吐いちゃいけない…まるで呪文のように思い込み、勝手に自分を追い詰めて行った。 「君は勝手に理想を追って、僕にもそれを押し付けたんだ!!」 男は香苗を突飛ばし、その場に崩れるように座り込んだ。 香苗は、壁に強く背中を打ちつけ、体の痛みと心の痛み…それ以上に恐怖を感じていた。 男の腕力には叶わない…。 凍りついた空間に、悲しげな声が響く。 「二人とも…お願いだから止めて。」 男の母親が涙ながらに仲裁に入った。 それで男は我に返り、身を縮めて震えていた香苗を見て、今度は泣きながら謝り始めた。 男の言葉も、母親の泣き声も、香苗の耳には届かなかった。 次の日、やっと落ち着いて話し合いが出来た。 「そんな風に感じていたなら話して欲しかった。何でも言い合える仲だって思ってたのに、実際は彼は私に何も言ってくれてなかったってことよね。『香苗に言えるわけないじゃないか!』って言われた。」 男としてのプライドとか、純粋に香苗につり合う頼れる男になりたいとか…色んな想いがあったのだろう。 疲れ切っていた男は、香苗と真正面から向き合うことから目を背け、男としてのプライドってやつを感じさせてくれる女性に逃げ込んだ。 「浮気なの?本気なの?って訊いたら…『わからないんだ…。』って言うのよ。ひっどいわよね。」 笑い飛ばす香苗。俺はやり切れなさに胸が痛む…。 「知りたくなかったわよ。嘘をつくなら、最後まで突き通してよって思ったわ。彼は『嘘』と『裏切り』の罪悪感から自分が楽になりたいから白状しただけ。言われた私のことなんて、何も考えてなかった。」 結局、男は本当に好きなのはどちらなのかも決められず、香苗から別れを切り出した。 そして、最後の最後に、男は香苗に残酷な傷を付けた。 「別れた日、彼、何て言ったと思う?『香苗に僕の気持ちはわからないよ。君は強いから…。』だって。笑っちゃうでしょ。私のこと、何も見てくれていなかったのよ。」 香苗は可笑しそうに笑うが、瞳が涙で揺らぐ…。 「だいたい、強いって何なのよ。私は傷つかないとでも思ってんの?結局私って人間を何一つ見ててくれなかったってことでしょ。」 落ちる涙を手で拭い、泣くまいとする香苗。 男が最後に言った言葉は、香苗自身を否定するものだった。 心底好きになって信じていた男から自分の存在を否定された辛さ。 掴まれた右腕についた痣を見つめ、力で押さえつけられた恐怖と、愛した人を追い詰めてしまったってことに、言いようのないくらいのショックを受けていた…。 「この時ばかりは、さすがの私もヘコタレたわ…。」 …俺は香苗をヘコタレさせた男に対し、激しい怒りを感じた。 香苗は、確かに人の気持ちってやつに関しては、どこまでも不器用で鈍感なのかもしれない。 けれど、香苗の男への気持ちは純粋そのものだった。 その香苗をここまで傷つけた奴に、怒りを感じずにはいられない…。 |
最近ますます暑くなってまいりましたね。梅雨の時期ですが せめて心は晴れやかでいたいものです…。 ああ、パァ-っと飲みに行きたいー!(←先週行ったばかり!!) |