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孤高の女王様A

 香苗は、都心にある有名私立中学に合格し、それを期に、転勤があっても父親が単身赴任することになった。
 転校ばかりの生活にピリオドが打たれた。
 中学に入ってからの香苗も相変らず文武両道、我が道をひた走っていた。
 「小学校の時は、何も考えず自分らしく振舞っていれば自然と友達が出来てたのに、中学入った頃から一人でいることが多くなったわ。仲良くなれそうかなってコがいても、しばらくすると相手から倦厭されちゃうのよね。」
 香苗はため息混じりに過去の想い出を語る。
 頭も良く、スポーツ万能、話題も豊富、おまけに美人…香苗は誰から見ても完璧な少女だった。
 それだけでも憧れと同等に妬みや恨みも買うのだろう。
 でも、そういうことだけが疎まれる原因ではなかったようだ。
 「私が疎まれた最大の理由は、もっと別のことだったのよね。」
 「別のこと?」
 「作次郎さんに言われたこと…あれが理由だったのよ。」
 当時は何故だかわからなかった…と言う香苗の瞳が潤んだように見えた。
 年齢が上がるにつれ人付き合いが複雑になっていく。誰でも色んな付き合いを経験していくうちに、段々と上手く接する術を身につけていくのかもしれない。
 距離感もそうだし、世の中を渡っていく術もそう。相手を見ながらちょうど良い距離感を探していく……。
 けれど、当時の香苗にはどうしてもそれが掴めなかった。
 「仲が良いと思ってた友人から言われたことがあるわ。『香苗といると、追い詰められる。』『自分がどんどんどうしようもない嫌な奴に思えてくる。』って泣きながら言われた。いつも相手を想えば想うほど嫌われちゃった。」
 何故だかわからず、香苗も悩んだらしい。
 「人間だもの、完璧な人なんていないわよね。私にとって友達って関係は、相手の存在まるごとひっくるめて受け止めるってことだと思ってた。言いたいことを言い合って、気持ちを伝え合って、お互いを知っていく。もちろん、理解できない部分だってある。嫌いな部分だってある。それはそれでいい。それでも傍にいる、傍にいたいって思う…そういう関係を友達って言うのかと思ってた。全てにおいて対等な関係…そういうのが友達って言うんだと思ってたのよ…。」
 そういった関係を築くには、時には指摘もするし、批判もする。意見の一つとして相手がどう受け止めるかは相手の自由。香苗自身はいつも正直な気持ちを伝え続けた。
 「そういうことの積み重ねが、『お互いを知る』ってことなんだと思ってた。でも、全然上手く行かなかった。」
 夜風が、香苗の髪を軽く撫でて通り過ぎていく。
 「例えばね。友人に進路のことで悩んでるって相談をされたの。親が自分勝手な夢ばかりを押し付けてくるって、相当怒っていたわ。ウンザリしてるって。でも、その友人は親には何も言わないのよ。そういう風に育てられたから仕方ないって言うの。私、それ聞いてたら何だか腹立ってきたのよ。自分がしたいことがなんなのか、気が付いてるなら気持ちを伝える努力をすればいいじゃない。初めから諦めて上手くいかないのを人の所為にしてるし、実行に移さないのは何か別のものを得ているからでしょ?被害者ぶってるって言っちゃったのよね。」
 実に香苗らしいコメントだ…。
 俺が苦笑いしていると、香苗も同じように苦笑いし返す。
 「『香苗が言うことは全部正論。そんなことくらいわかってる。香苗なら簡単に出来ることなんでしょうね。でも、私には無理なのよ!それを私に突きつけて、そんなに面白い?優越感に浸ってそんなに面白いの?何でも出来る香苗には私の気持ちはわからない!』って言われた。友人の眼差しは、私を憎んでた。私は別に自分が言ったことが正論だなんて思ってなかった。優越感なんてこれっぽっちも持ってなかったわ。本人が正論とわかってるなら実行すればいいだけでしょ?なのに、それもしないで逃げてばかりで文句だけはバンバン言うから思ったことを言っただけ。なのに何でそんな目つきで睨まれなきゃいけないのかって怒りさえ感じたわ。」
 そんなことの繰り返しで、いい加減香苗もしんどく感じるようになってきたそうだ。
 「高校生になるくらいから、さすがに自覚したことがあるわ。自分で言うのもなんだけど、私って人から見て、本当に『完璧な人間』に見えたらしいわね。その『完璧な人間』に、真っ向から気持ちをぶつけられたら、相手を追い詰めちゃうだけなのかしらね。私なんて、ちっとも完璧じゃないのに、馬鹿みたいよね。」
 ちょっと投げやりな言い方。
 確かに言われた側は逃げ道がなくなるだろうな…と、感じた。
 人付き合いって、お互い緩やかな状態が丁度いいのかもな。
 香苗は自分に厳しい。その厳しさを、気が付かないうちに相手にも求め、追い詰めていたのかもしれない。
 相手が反論しようにも、香苗が掲げているのが『正論』で、しかも相手自身もそのことを内心認めちゃっているだけに、言い返せば言い返すほど八方塞になってしまう。
 同性ならなおさらだろう。
 香苗は自分を完璧じゃないと言うけれど、当時の少女達が憧れるものを全て持っていたんだろう。
 何でも自分の思い通りに出来る才能と強さを持った存在。
 ガキの時は純粋に憧れだけを抱いていられたのかもしれない。でも、成長するにつれ、劣等感や嫉妬を感じる存在になってしまい、しかも香苗には相手をホッとさせるような『ダメなところ』がないって見られてたんじゃないだろうか。
 「私に近づきたくないなら、それでいいって割り切ったわ。独りでいるのも何とも思わなかった。」
 楽しい時だけ一緒にいるとか、本音を言い合えない仲ならいっそ独りでいた方がいい。香苗は割り切ったそうだ。
 「上っ面だけの関係なんて、寂しさを感じるばかりだもん。」
 小学校の時女王様だった少女は、変わらずに胸を張って生きてきた。
 一流の高校を首席で卒業し、希望の大学に進んだ。
 ここで初めて香苗の行った大学名を知り、驚愕する。
 一流大学を現役合格!やっぱめちゃ頭良いよなぁ。
 でも待てよ。香苗の社歴を考えれば、卒業してないことになる。
 香苗は、俺の疑問にすぐに答えてくれた。
 「一学年の終わりに中退したのよ。」
 笑顔でコメントする香苗…でも声は無理やり明るくしている不自然さを感じた。
 俺は真っ先に、『中退なんて…もったいない!』なんてことを考えてしまった。
 学歴なんてなんぼのもんだって思ってるけど、あって無駄になるもんじゃない。
 いや、何より、一度決めたことを貫かないなんて香苗らしくない…。
 「何で卒業しなかったのか、聞いてくれる?」
 ただごとでないってことだけを感じとる。覚悟を決めて頷いた。
 香苗は僅かに微笑み、「ありがと。」と言った。
 「自分でも信じられないくらいの心情の変化だったわ…。」
 「心情の変化?」
 「大学入ってすぐにね、初めて好きな人ができたの。」
 え…?
 『初めて好きな人。』って…?
 『友達』じゃなく『恋人』の話…だよな?
 俺は驚きのあまりよっぽど間抜けな顔をしていたんだろう、香苗に軽く睨まれる。
 「何よ。彼氏できるのが遅すぎるって言いたいの?」
 「いや、そういったことに遅いも早いもないと思うけど、正直驚いた。」
 「何でよ。」
 「何でって…。」
 男どもが香苗を放っておくはずないと思っていたから。かなりモテたと思うし…。
 香苗は俺の言わんとすることを察したらしい。
 「何度か告白されたことはあるけど、好きな人は出来なかったの。それに、そんなにモテなかったわよ、私。」
 嘘だろ?って思ったけど、話を続ける香苗の横顔を見て、確かに綺麗過ぎて近寄り難いのかもしれない…なんて納得した。
 「私ね。高校生の頃から将来は一生仕事を続けようと思っていた。もちろん結婚しても!目指すは女社長!男社会になんて負けないって燃えてたわね。学歴だって資格だって、役に立ちそうなものは何でも揃えるつもりだった。」
 香苗は少し自分を茶化すように笑うけど、真剣に人生設計を立てていたんだな。
 「…彼と出会ったのは、大学生になったばかりの頃。買い物途中ふらっと立ち寄った喫茶店。雑居ビルの一階にあった小さな喫茶店だった。店内はとても静かで雰囲気も良くてね。紅茶を頼んだら、運んできたマスターの手が滑って零しちゃったの。少しだけ私の服にかかっちゃってね。マスターは丁寧に謝ってくれて…。」
 そのマスターが、香苗が初めて好きになった男。 
 男の第一印象は、優しい笑顔の二枚目だったそうだ。
 「すみませんでした。」
 頭を下げる男。物腰柔らかく、落ち着いた立ち振る舞い。男は、香苗より10歳年上。
 香苗は男に惹き付けられた。
 「今思うと、一目惚れに近い状態だったのかしらね。気になって仕方なくて、頻繁にその喫茶店に通ったわ。」
 通ううちに男の方も香苗に惹かれていった。 
 それから2人は自然と逢うようになり、恋人同士になった。
 「私の方から告白したの。優しくて寡黙で…私のことを初めて受け入れてくれた人だと思ったから。」
 男は香苗の言葉を、いつも静かに聞いていた。
 「自分からはあまり話さない人だったけど、私のことをちゃんと見てくれる、私の言うことにちゃんと耳を傾けてくれるって思わせてくれた。」
 男はいつも、『香苗は頑張り屋だからなぁ。』と言った。
 …何の工夫も飾りもない言葉だけれど、香苗にとって何よりも欲していたものだった。
 今まで、香苗の周りにいた人間は、いとも簡単に彼女の努力を無視してきた。
 『あの人は秀才だから。』『器用だから。』『要領が良いのよ、羨ましい。』
 香苗が言われ続けた言葉の数々。
 香苗は、何かを得るにはそれだけの努力をしてきたと自負している。なのに、何の苦労もせずに手に入れたなどと思われるのは不愉快だった。
 だから、男に『頑張り屋』と言われたことが、とても嬉しかった。
 どれだけ努力してきたかを…自分って人間を認めてもらえたような嬉しい安堵感が香苗を包む。
 「何の変哲のない言葉なのに、私は彼のことを盲目的に信じ、のめりこんじゃったのよね。今思うと、自分のおめでたさに嫌気がさすわ。」
 力なく笑う香苗。
 盲目的に信じた…?一体この男と何があったんだ?

2003.6.11

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ちとシリアスな展開。
う〜ん。最近アビシニアンとロシアンブルーの写真を見るとウットリする〜。