ロシアンブルーの涙
取り残された小野田さんは呆気に取られていたが、すぐに気持ちを切替えたようで、肩を竦め笑う。 「いつもながら忙しない奴だなぁ。」と呟きながら席に着く。 作次郎さんはペコリと頭を下げる。 「すみません。私はどうやら田代さんに不快な思いをさせてしまったようです。」 「…そうですか。」 小野田さんってば、何があったのか聞く前に全部納得しているって顔で微笑む。 「みなさんも、すみませんでした。」 作次郎さんは続けて店内の人みんなに頭を下げた。続いて、小野田さんも詫びを言う。 「あの、連れが騒がせてしまったようで、申し訳ありませんでした。」 小野田さんが謝ることではないのに…。店のマスターである作次郎さんが謝るのは仕方ないが、ここにいる誰もが悪いのは田代の方だと思っている。みんな「いいって、いいって。」「気にしてないよ。」と言い、客の一人が香苗を見て「そこの威勢の良いお嬢さんが言いたいこと言ってくれたからね。」と笑い飛ばした。 「すみません。私が一番場を騒がせてしまいました。」 すかさず香苗も頭を下げた。作次郎さんたちに先を越され、詫びるタイミングを逸してしまっていたらしい。謝ることが出来て安心し、一息ついたって顔してる。 店内はすぐに和やかになった。 が、香苗は…いや、俺もだけど、作次郎さんと小野田さんに不思議な眼差しを向けてしまった。作次郎さんはその視線に気がついているんだと思うけど、素知らぬ振りをしている。代わりに、田代が抜けた席一つ挟んで隣にいた小野田さんが、香苗に話しかける。 「あなたも謝ってましたが、田代と何かあったんですか?」 「あ…はい。」 香苗は苦笑いする。人様の友人に対し、あれだけのことを言ってしまったことを、少々反省しているようだ。申し訳なさそうに事情を話す。 聞き終わった小野田さんは、複雑な心境らしく、ぎこちなく笑う。 「なるほどねぇ。」 「ごめんなさい。私の所為で田代さん、帰ってしまって…。」 「いや、悪いのは田代です。店の雰囲気を壊したんですから。それより、私のこと何か言いたげに見てましたよね?」 「いえ…。あの…。」 「何でしょう?遠慮せずおっしゃって下さい。」 「…あなたと田代さんは友人なんですよね?」 「はい。」 「私には、そうは見えませんでした。あなたはともかくとして、田代さんはあなたのことを認めてないように見えました。それなのに…。」 「田代の奴、プライド高いし辛辣なこと言うけど、私のことを助けてくれる時もあるし、楽しい時もあるんですよ。今夜は虫の居所が悪かったんだと思います。田代の方から私を飲みに誘う時は、仕事か家庭で何か辛いことがあった時が多いですからね。」 のんびりと語る。 「だから、この店に連れてきたんです。作次郎さんの力を借りれば、もしかしたら田代の辛さを和らげてあげられるんじゃないかって思ってね。でも、作次郎さんに迷惑をかけちゃいましたね。」 黙って聞いていた作次郎さんがここでちょっとだけ口を出す。 「そんなこと気にしないで下さい。是非、また一緒にいらして下さい。」 …この2人、何て人間が出来てるんだ〜。俺だったらあんな奴、さっさと縁を切る、と思うものの…よく考えてみれば俺にだって思い当たる節がある。似たような関係の友人がいるよな。本気で腹が立って、絶縁だ!!って思う時があっても、何となく距離を保ちつつ付き合いが続いている。そんな関係を考えると妙に納得。 だけど、香苗は不服そうにしていた。 田代の話はいったん終わり、小野田さんは作次郎さんと世間話を始めた。 夜も更けていき、またしても俺と香苗が最後の客になった。賑わっていた店内も静けさを取り戻し、しんみりとする。 作次郎さんが特別にって言って、夏みかんのタルトを出してくれた。もうデザートは出されていたけど、ランチの時作り過ぎてしまったそうだ。 「もうすぐ閉店時間ですが、今夜の料理、満足していただけましたか?」 「はい。美味しかったです。」 ラーメンサラダも期待以上に美味しかった。香苗も軽く頷くものの浮かない顔。 作次郎さんは、紅茶をカップに注ぎ、香苗の前に静かに置いた。。 「宮内さん。私に訊きたいことがあるようですね。」 「…一つ質問してもいいですか?」 「いいですよ。」 「田代さんにあそこまで言われて、何故何も言い返さなかったのですか?」 「ちゃんと言い返しましたよ。」 「否定しなかったじゃないですか。」 「宮内さんなら相手を説き伏せるんですか?」 「少なくとも、私自身の考えを理解してもらいます。」 「何故そんなに一生懸命になるんですか?」 「対等でいたいからです。」 香苗は迷いのない眼差しで作次郎さんを見据えるが、対する作次郎さんは、少し疲れたようなため息をつき、苦笑いする。 「…田代さんのことは小野田さんから時折話を聞いていました。彼にとって小野田さんは癒される人なんでしょうね。疲れると小野田さんと飲みたがるそうですから。」 「見ていると小野田さんを貶めストレス発散をしているように感じてしまいます。」 「そういう部分もあるんでしょうね。小野田さんもわかっていますよ。わかっていて、それでも友人でいるんでしょう。」 「そんなの友人って言うんでしょうか?」 「じゃあ、逆に伺いますが、宮内さんにとっての友人とは、どんな存在なんですか?」 「例え考え方が違っても、お互いを尊重し、認め合える存在。いつでも本音で、ありのままの自分をぶつけられる存在です。友人に限ったことじゃなく、身近な人間関係全部に言えることですが、対等でいることが誠意のある付き合いだと思います。。」 「家族、友人、恋人…。全部にですか?」 「はい。」 「宮内さんには、それから外れる関係は認められないんですね。」 「そこまでは言っていません…。」 作次郎さんはもう一つ紅茶を入れ終え、俺の前に置いてくれた。 「椎名さんは宮内さんがおっしゃるような友人がいらっしゃいますか?」 「え?!」 突然の質問だな…。俺の頭に、友人達の顔がグルグルと駆け巡る。『友人の定義』なんてもの、深く考えたことなかったから。 「友人は多い方ですが…宮内が言うような仲の友人は2人です。考えてみれば、結構薄っぺらい仲が多いってことでしょうかね…。大抵は嫌な面が見えればお互い距離を置いたり、見て見ない振りして楽しみだけ共有したりしているし、我慢の限界がきて言いたいこと言って喧嘩別れした場合もあるし…それでも切れなかった友人もいるし…。」 俺の付き合い方って香苗に言わせれば、いい加減なのかなぁ。チロっと香苗の反応を窺うと…深刻な顔して俯いている。おいおい…俺ってそんなに変なこと言ったか?俺の心配を知ってか知らずか、香苗が重々しく口を開く。 「作次郎さんが言いたいのは、小野田さんと田代さんも、洋介が今言ったような『付かず離れず』の関係だってことですね。」 「まあ、そういうことです。田代さんは小野田さんに優越感を感じることで救われる時があるんだと思います。小野田さんはそれをわかっていて甘受しています。田代さんも自分が小野田さんに救われているってことをちゃんとわかっていると思いますよ。ただ、それを突きつけられたら、田代さんは認めないでしょうね。プライドが認めることを許さない。もし、小野田さんが彼にそれを認めさせようと思うなら、2人の関係は終わってしまうかもしれません。」 「それで壊れてしまう仲なら続けていく意味があるんですか?」 「小野田さんには意味があると思うから、今のままの状態でも彼を友人と言うんでしょう。」 作次郎さんは畳み掛けるように続ける。 「私が偽善者と呼ばれたことも、田代さんにはそう見えるってだけのことです。残念ではありますが、私にとって今の彼の存在は、『そうじゃない』って説き伏せるだけの意味を感じません。これからの付き合いでは変わっていくかもしれませんがね。」 香苗はついに黙ってしまった。さっきよりも、深くうな垂れるように俯いて、とても辛そうに口を噤んでしまう。必死に作次郎さんに対抗する言葉を探しているようにも見える。作次郎さんはフッと微笑みを浮かべる。それは一瞬で消えてしまい、下を向いている香苗は見てなかった…。 とても優しい顔だった。 が、その後に現れたのは、相手を弄ぶような意地の悪い余裕の笑み。 「宮内さん。私はあなたのような人は苦手です。」 「え?」 香苗は硬い表情で顔を上げる。 「あなたは相手に完璧を求める。随分と傲慢ですよね。」 作次郎さんの言い様に、香苗はカチンときたらしい。勝気な瞳で反論する。 「完璧なんて求めてません!」 「『友情』一つとってみても、相手の全てを知りたがり、自分の全てを認めさせようとしていませんか?」 「そんなこと…。」 「ないと言い切れますか?確かに極端なことを言いましたが、あなたを見ていると鬱陶しく思います。」 香苗がグッと言葉を詰まらせる。面と向って鬱陶しいと言われれば誰でも傷つくだろう。俺は作次郎さんの言葉をキツイと思いながらも、止める行動には出れなかった。緊迫した空気が2人を遮断してて、入り込めない。 「あなたの理想像を相手に押し付け、分かり合いたいと言いながら、相手の心に土足で踏み込む。拒めば相手を否定し始める。『そんなの親友じゃない、恋人じゃない』と責め立てる。その上、あなたの言っていることが誰でも納得できる綺麗な『理想』なだけに、たちが悪い。相手は見たくないものまで見せられ、認めたくないものまで認めることを強要される。たまったもんじゃないですよ。」 作次郎さんの容赦ない言葉。 「普通の人なら、逃げ出したくなりますね。あなたの気持ちが強くなればなるほど重いし鬱陶しい。」 怖いくらいに冷たい声で言い放つ。 「で?いたんですか?」 「…え?」 「宮内さん。あなたの理想に応えてくれた人はいましたか?って訊いているんです。」 …作次郎さんの目は、心の奥まで見透かしてしまう不思議な力が備わっている。非科学的だけど、そんな風に思う。言われた香苗は何も言い返せず、力なくうな垂れる。 戦意喪失している香苗に、作次郎さんは止めの一言を突きつける。 「私の仕事は田代さんに気持ち良く食事をしてもらって、店に通ってくれるようにすることだったんです。あなたのおかげで台無しですよ。」 これはハッキリと営業妨害だと責めているんだな…。 香苗はついに耐え切れなくなったのか、勢い良く席を立つ。ガタンと音がし、椅子が倒れた。 「…香苗…。」 俺は名前を呼んだが、そこから先は言葉が続かなかった。 香苗の瞳から涙が零れ落ちる…。何か言いたげに口を開くが言葉にならず、ギュッと目を瞑る。そして、作次郎さんに背を向け、そのまま駆け出し店を出て行った。 「香苗!」 咄嗟に立ち上がる。 香苗が…涙?勝気な香苗が一言の反論もなく泣いた。 作次郎さんの言っていることは香苗を泣かせるほどの現実を物語っていたんだろうか…? 「作次郎さん!何もあんな言い方しなくても!!」 いくらなんでも酷すぎる!って思いを込めて作次郎さんに目を向けると…。 「椎名さん!追ってください。」 香苗を追い詰めた張本人は作次郎さんなのに、まるで映画の監督のように俺に指示する。 「あなたなら彼女を受け止められるでしょう。」 「え?」 「その覚悟があるんでしょう?」 覚悟…? 「言ったでしょう。『普通の人なら逃げ出す。』って。あなたの彼女への想いは『普通』なんですか?」 作次郎さんが微笑む。その笑みは、少し前に一瞬見せた優しさに溢れるものだった。 香苗を追い詰めたことも、何か意図があったのだろうか? そんな思いが一瞬頭に浮かぶが、今はそれどころじゃない! 「当然覚悟してますよ!」 俺は作次郎さんに宣言し、香苗の後を追った。 |
2003.5.16 ⇒