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偽善者

 会社に戻り、香苗にこの出来事を詳しく伝えた。
 「すっごい!!洋介!」
 力強く喜んでくれた。
 「でも、何でそんなにあっさり出入り禁止令を解いてくれたのかしら?」
 「うん。そのことなんだけど…。」
 俺が考えていることを説明する。
 「そもそも、『出入り禁止令』なんてものを出しちゃったこと自体、作次郎さんにとっては不本意なことだったんじゃないかな。」
 「うん。まあ、客商売だものね。お客を拒絶するってのはイメージが悪いことだしね。」
 「そういう意味での『不本意』じゃなくて…。」
 「どういうこと?」
 香苗は訝しげな顔をする。
 「これは俺の推測なんだけど…。作次郎さんって、人間が好きなのに、人を信頼していないような気がするんだ。」
 香苗は、俺の話に真剣に耳を傾けてる。
 更に話を続ける。
 「作次郎さんを慕う人たちに対して、作次郎さん自身も本気で向かい合って大切にしていると思う。でなきゃ、あれだけの信頼感を得られないんじゃないかな。」
 香苗も納得したように頷く。
 「確かに、お客さんと話している作次郎さんを見れば、どれくらい親身になって相手のことを想っているかわかる…。あれは、商売上のサービスじゃない。身内や友人に対する情と同じ…ううん、それ以上よ。」
 「俺もそう思う。でも、作次郎さんは誰にも頼らない。それどころか、いつもポーカーフェイスで本心を見せようとしない。だから、香苗だって歯がゆく感じて言い合っちゃったんだろ?」
 「うん!そうよ!それなのよ!作次郎さんって、普通じゃ考えられない摩訶不思議な部分があるのよね。」
 香苗は力説する。
 俺、ちょっと意味ありげな笑みを作ってみせ、香苗に訊ねる。
 「そのことを感づいた俺たちって、作次郎さんにとってどんな存在なんだろうな。」
 「え?」
 「常にポーカーフェイスを保っている作次郎さんが、俺たちの…って言うより、香苗、お前の前では感情を露にしそうになったんだぜ?」
 「あ…。」
 「挙句の果ての『出入り禁止令』。作次郎さん『らしく』ないことこの上ないだろ。本人だって不本意だったと思うんだ。」
 「なるほど…。そう言った意味の『不本意』ね…。」
 香苗は感心したように何度も頷いた後、しばし考え込み、苦笑いする。
 「怖いくらいに人間の出来た作次郎さんだけど…。その人を怒らせてしまうほど嫌われてるのかしらね、私。」
 俺もつられて苦笑いし、肩を竦める。
 「まだまだ作次郎さんの真意はわからないけれど、鬱陶しいと思われてる可能性は高いよな。」
 「それって、最悪じゃないの。」
 香苗が眩暈に襲われるポーズを取る。
 「最悪かもしれないけど、そうじゃないかもしれないだろ?善きにつけ悪しきにつけ、作次郎さんにとって香苗は何かが引っかかる存在なんだと思う。だとしたら、もしかしたら作次郎さんの心を開ける可能性だってあるんじゃないか?」
 「そうかしら?」
 「もし嫌われてないのなら、平常心を保てなくなるくらいの影響力があるってことだし、心を開く鍵を香苗が持っているのかもしれない。」
 「鍵?私が???」
 香苗は目をまるくする。
 「俺が考えていること、作次郎さんにも伝わっていると思う。」
 作次郎さんに、ワザと探りを入れるような言葉を言ったからな。
 香苗が作次郎さんにとって特別な何かを感じさせる存在ならば、作次郎さんを振り向かせることが出来るかもしれないって思ったから…。
 「その上で出入り禁止令を解いてくれたんだから、チャンスはあると、俺は思うんだ。」
 「チャンス…。」
 「作次郎さんを攻略出来るのは、案外香苗だけかも知れないぜ。」
 俺の言葉を、香苗は神妙な面持ちで受け止めた。
 「うん。少しでも可能性があるなら、私何だってやる!」
 俄然やる気が出たようで、香苗の瞳に活き活きと力が漲る。
 「とりあえず、今夜も作次郎さんトコに夕飯食べに行こう。」
 「私はどう接すればいいのかしら。」
 「そりゃあもちろん、普段どおりの香苗でぶつかる。これっきゃないだろ。」
 「そうねぇ。どう転ぶかわからないけど、やるなら思い切りチャレンジした方が後悔がないわよね。」
 香苗、軽やかに笑い、俺の顔を見る。
 「ねえ、洋介。私ね、勝負とか仕事とか関係無しに作次郎さんって人にとても興味があるの。」
 「うん。俺も。」
 「不思議な人よね…。」
 しみじみと語る。
 「そうだな。」
 人の気持ちを掴む名人で、誰からも愛され慕われる…。みんな彼の優しさに触れ、彼の傍にいられることに安らぎを感じる。
 でも…作次郎さん本人は、何を想い、何に安らぎを求めているのだろうか…?

 夕方。喜び勇んで作次郎の店に向った。
 店の前で、少し緊張気味の香苗が、戸を見据え、表情を強張らせている。
 俺は気付かれないように、人差し指を立てて、香苗の頬に近づけた。
 「香苗。」
 「何?」
 振り向いた香苗の頬に、俺の指がぷにっと食い込む。
 …途端に殴られた。思いっきり、拳骨で!
 「何ふざけたことやってんのよ!!」
 「殴ることないだろ!?俺は緊張気味の香苗の気持ちを和ませようとしただけだろ!!」
 「余計なお世話よ!!だいたいあんた緊張感なさすぎ!!」
 言い合いをしていると、突然戸が開き、肩を震わせ笑っている作次郎さんが立っていた。
 俺と香苗は、その場で固まってしまう…。今の言い争い…きっと聞かれちゃったよな…。
 作次郎さんはひとしきり笑った後、コホンと咳払いをし、仕切り直す。
 「椎名さん。宮内さん。お待ちしていました。どうぞ、お入り下さい。」
 快く招き入れてくれたので、香苗も俺も慌てて店に入り、席に座った。
 店内には先客が3名いて、思い思いに食事をしている。そのうちのひとりはこの前店を手伝った時来ていた男性だった。お互い軽く会釈を交わした。
 昼間作次郎さんが言ってくれたとおり、まず最初にキンキンに冷えたジョッキに、美味しそうに注がれたビールが出てきた。フワフワ泡立ったビールが俺を誘ってるー。おつまみは枝豆。
 ハッキリ言って、めちゃ美味い!やっぱ夏は冷えたビールだよな〜!
 続いてレンコンの金平やピーマンの肉詰めも出してくれて、幸せに浸ってしまう。
 「…美味しい…。」
 香苗も感嘆の息をつく。
 「宮内さん。また来ていただけて嬉しいですよ。」
 お?作次郎さんが嫌味なほどの、とびっきり極上な笑顔で香苗に先制攻撃(?)を仕掛ける。
 香苗はちょっと目を細め、胡散臭そうに見返す。
 「本当に喜んでくれているんですか?」
 「おやおや。そんな無愛想な顔をしては美人が台無しですよ。」
 「はぐらかさないで下さい。作次郎さん、実はちょっと意地悪しているんじゃないですか?」
 「宮内さんのような綺麗な方を前にすると、ついつい意地悪したくなっちゃうんですよ。小学生が憧れている女のコに意地悪しちゃうのと同じです。すみませんね〜ガキ臭くて。」
 「憧れって、そんな心にもないことを!!」
 香苗、思わずムキになり、軽く睨みをきかす。
 「そんな目で睨んで、いたいけな年寄りを苛めないで下さい。私、こう見えても、気が小さいんですから。あ、ピーマンの肉詰め、お替りいりますか?」
 作次郎さんは、のらりくらりとあくまでマイペース。
 香苗はムッとしながらも、ピーマンの肉詰めの皿を差し出す。
 「お替り下さい!3つ!!」
 「はいはい。お姫様。」
 香苗は作次郎さんの手の平でコロコロ転がされてる……。
 それにしても、作次郎さんってば、香苗のことが苦手とか言った割に、やけに軽快に会話してるし、めちゃくちゃ楽しそうに見えるぞ?
 香苗が作次郎さんを牽制しながら、ピーマンの肉詰めを平らげた時、戸が開き、新たな客が入ってきた。
 作次郎さんがすぐに声をかける。
 「小野田さん。いらっしゃいませ。」
 小野田さん?聞いたことある名字だ。振り返ると…半分くらい開いた戸から、ぽっちゃりした顔を覗かせる男がいた。
 あ、以前見たセールスマンだ。確か、ノルマが達成できて喜んでいたっけ。
 「あの、席2つ空いていますか?」
 遠慮がちに訊く小野田さんに、作次郎さんは笑顔で答える。
 「空いていますよ。今日はお連れ様がいらっしゃるのですか?」
 「はい。」
 席を確保出来て、ホッとしたのか声が元気になってる。小野田さんが戸を広く開け、店の中に入ってくると、そのすぐ後から大柄な男が現れた。
 立派な骨格の男。紺のスーツに身を包み、店内を観察するかのように、隅々まで見渡している。年齢は小野田さんと同じくらいで40代…。
 一瞬目が合ったが、人のことを見下しているような目つきだった。
 「小野田。ここがお前のお勧めの店なのかよ。お前、相変らずパッとしないなぁ。」
 男の声が店内に響く。ニヤケながら言った言葉からは、明らかにこの店を馬鹿にしているのが伝わってくる。…失礼な奴だな!!
 「ここの料理、安くて美味しいんだぜ。それに、作次郎さんはとても楽しい人なんだ。学ぶことが多いから、きっと田代も気に入るって。」
 小野田さんは陽気に椅子を勧める。
 香苗の隣の席だ。
 そこに、この田代って男は、偉そうにドッカリと腰を降ろす。
 この男、な〜んか嫌な野郎だな!これから先、心の中では田代って呼び捨てにしてやる!
 小野田さんは、安堵の表情を過ぎらせ、いそいそと田代の隣に座る。
 作次郎さんはさっそくおしぼりを手渡し、飲み物のオーダーを取る。
 「お飲み物は何になさいますか?」
 「俺、ビール!」
 田代は軽く右手を上げ、ビールを注文。
 小野田さんの注文は訊かなくてもわかっているらしく、すぐに2人の前にビールが運ばれる。
 「お二人はご友人なんですか?」
 「あ、はい。幼馴染です。」
 小野田さんは少し照れ臭そうに答えるが、田代はと言うと…。
 「作次郎さん、でしたっけ?聞いて下さいよ〜!」
 田代は妙に明るい声で話し出し、小野田さんを指差す。
 「こいつ鈍臭いし、いつもへらへらしてるでしょう。だから俺が付いてなきゃって思って幼馴染やってたら、いつの間にかこんな歳まで腐れ縁!」
 「もうかれこれ30年以上の付き合いだもんな。」
 小野田さんは顔を上げ、懐かしそうに昔を思い出している。
 ちょっと羨ましげに2人を見つめる作次郎さん。
 「良いですね。30年来の友達なんて、そうそういないですよ。」
 この言葉に、小野田さんが肯定しようと口を開きかけたが、先に田代が大袈裟に否定する。
 「そんなことないですよ〜!!全然良くないです。こいつの友達やってるのも、かなり疲れるんですよ。」
 「田代〜。相変らず容赦ないこと言うなぁ。」
 「だって本当のことだろう。お前は俺といて得してばかりだけれど、俺は損してばかり。」
 田代はチロっと小野田さんをひと睨みし、作次郎さんに縋るように訴える。
 「俺は昔から、何やっても要領悪い小野田の尻拭いばかりしてるんです。」
 …100歩譲って、『ボケと突っ込み』みないな役割で冗談話にし、場を盛り上げようとしているのかもしれないが…。
 俺は田代の言い様に不快感を覚える。横を見ると、香苗が枝豆を口に放り込みながら、やっぱりどこか苛立ちを感じているようで、不機嫌ってオーラを発している。
 言葉って言うのは、不思議と裏に隠された感情も伝えてしまうことがある。田代って奴は、本気で小野田さんを自分より下に見てる。そのことを相手に隠そうともしていないからなのか、本気を冗談っぽく言って、相手を貶めているのがハッキリ感じ取れてしまった。この2人、いつもこんな感じなのだろうか?小野田さんはさして気分を害してないみたいだ。
 「本当に言うこときついなぁ。」
 肩を竦めて小野田さんは笑う。
 作次郎さんはと言うと、もてなしの笑顔を崩さない。
 「でも、小野田さんといると気持ちが和みますよ。私には田代さんと小野田さん、名コンビに見えます。」
 作次郎さんのコメントに、田代が一瞬言葉を詰まらせる。「名コンビねぇ・・・。」と、ため息混じりに呟き、作次郎さんに笑顔を向ける。でも、目は笑っていない。
 「今日は、俺が久しぶりに飲みに行こうって小野田を誘ったんです。本当は俺の通っている店に行こうとしたんですけど、小野田の奴が良い店があるからって言うからここに来たんですよ。」
 「ちょっと狭いけど、料理美味しいし、良い店だろ?」
 小野田さんは笑顔でビールジョッキを手にし、一気に飲み干す。
 そして、「ちょっと手洗いに行ってくる。」と言って、席を外した。
 残された田代は、作次郎さんの顔をじろじろと見ていた。
 「作次郎さん。小野田の奴はあなたのことをとても信頼しているみたいですね。」
 「私をですか?それは光栄です。」
 「いつも小野田の相談に乗ってやってたんですって?あなたのアドバイスで色んなことの見方が変わって、上手くいかなかった仕事にも自信がつき、プライベートも楽しくなったと言っていましたよ。」
 「それが小野田さんの本来の力なんですよ。」
 作次郎さんの控えめな態度。
 「小野田さんは、とても良い素質がたくさんあるのに、それに気がついてないみたいでしたので、老婆心ながらほんの少し口出ししてしまいました。」
 「なるほどねぇ。」
 田代は、目を細め、薄笑いを浮かべる。
 「小野田が言うには、あなたと話していると安心するし、自分に自信が湧いてくるそうです。」
 ここでいったん言葉を区切る。
 「でも俺は、あなたのような人は信用できないなぁ。」
 意図的に声のトーンを高め、馬鹿にした言い方をする。
 「あなたのように無責任に他人を褒め、気分を良くさせるのはとても簡単なことですよ。俺から言わせてもらうと、偽善的で信用できませんね。」
 店内の空気が張り詰める。…が、言われた当事者、作次郎さんは一向に気にする気配もなく、軽快に笑い声を上げる。
 「まいったなぁ。あなたのようなしっかりした方に言われちゃうと、私など、ただの胡散臭い年寄りになっちゃいますね。」
 「あなたのお世辞を真に受けて、小野田は浮かれちゃってます。見ていて滑稽ですよ。俺から見れば、あいつは昔と何も変わってない、鈍臭い奴です。」
 こ、こいつ…マジすげー嫌な奴だなぁ。人のことを…しかも幼馴染のことを、他人の前でここまでこき下ろすなんて、自信過剰を通り越して、全て自分が正しいと思っているとしか思えない。他のお客さんたちも、かなりムッとしている。そりゃそうだよな。みんな作次郎さんのファンだもん。
 そして、香苗は…。じっと作次郎さんのこと見つめている。
 作次郎さんは、料理をする手を休めずに、田代の相手をする。
 「本当にそう思ってらっしゃるのなら、あなたにとってはそれが真実なんでしょう。」
 とても穏やかな声音。お〜い、作次郎さん。田代にむちゃくちゃ言われてるのに、認めちゃっていいのか?
 田代も、てっきり反論されると思っていたようでキョトンとしている。
 「ご自分が偽善者だって認めるんですか。随分とあっけないですね。」
 「弱りましたねぇ。」
 作次郎さんは、軽くため息をつく。
 「人の受け取り方は色々ありますし、その人にとっての真実を何故私が否定できるのでしょうか?」
 「どういう意味ですか?」
 「私と小野田さんとの関係は、あなたにとっては偽善的なものでしかない。それだけのことです。否定する理由は何もないですよ。」
 田代は、訝しげに作次郎さんのことを凝視する。作次郎さんが何を言わんとしているのか掴みかねてるようだ。
 俺には作次郎さんの言いたいこと、漠然と感じ取れた。
 作次郎さんがニッコリ笑って、カウンター越しからちょっとだけ身を乗り出す。
 「あなたと小野田さんとの間の真実は、どんなものなんでしょうね。」
 何気なく訊ねたように見えるが、作次郎さんの言葉には何か意図があるように思える。田代は表情を硬くし、目を逸らす…。
 この状況に、ついに耐え切れなくなったのか、香苗の冷やかな声が田代に投げつけられる。
 「そんなに嫌なら離れればいいじゃないですか。」
 「え?」
 予想していない方向からの攻撃に、田代はうろたえる。
 「切って切れない関係ではないのでしょう?そこまで相手を疎ましく思っているならば離れればスッキリするんじゃないですか。」
 香苗の言い様に田代は憤慨する。
 「何で何の関係もないあなたに指図されなきゃならない?」
 「聞くに堪えないからです。せっかくの美味しい料理が台無しになるでしょう。私から見れば、あなたの方が滑稽ですよ。小野田さんをこき下ろして自分だけがいい気になってる裸の王様。小野田さんに色々面倒見てもらわなくちゃどうにもならないって人に見えちゃいます。」
 香苗ー!お前いくらなんでもそりゃ言いすぎだろう!!…まあ、一方では上手い表現するなぁって感心しちゃったけど。
 香苗の超辛辣な言葉に田代は血の気を失う。怒り心頭って感じだなと思って田代を見ていると、意外なことに…怒りだけでなく別の想いも同居しているらしい。親から尤もな理由で叱られ、それでも何とか言い返そうとしている子供って顔してる…。
 場の空気が張り詰める。
 「おまたせ〜!」
 小野田さんの陽気な声。
 「…って、どうしたんだ?」
 トイレから出てきた小野田さん、重々しい空気に呑まれる。状況がまったくわからず、田代と作次郎さんとを交互に見、立ち尽くす。
 田代が乱暴に椅子から立ち上がる。
 「小野田。悪いが、俺は帰る。」
 「え?田代、何で?」
 「用事を思い出したんだよ。」
 早口で言い捨て、田代は店を出て行った。

2003.5.11 
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