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ラーメンサラダ

 『作次郎の家』の休業期間が過ぎた、最初の月曜日。
 俺は外回りの途中、昼過ぎに店を訪ねてみた。
 店が見えてきて、俺の目に入ったのは、食事を終えたお客さんが立ち去って行く姿。…ホッとした。今日は店を開けたんだ。捻挫も良くなったみたいだな。
 ランチ時が終わるまで、店の脇で待っていた。
 しばらくすると、作次郎さんが準備中の札を持って店から出てきた。
 俺が話しかける前に、作次郎さんと目が合ってしまった。一瞬、嫌な顔をされるかと身構えるが…。作次郎さんは肩を竦め、笑顔を見せてくれた。ちょっとおどけたような仕草が俺を安心させてくれた。
 「椎名さん。こんちには。」
 「こんにちは…。」
 「今日は宮内さんは一緒ではないのですか?」
 「見ての通り一人です。」
 作次郎さんは悪戯っぽい笑みを浮かべる。
 「こんな所で立ち話もなんですから、店へ入って下さい。」
 「いいんですか?」
 「美味しいお茶を入れますから、もしよろしければどうぞ。」と言ってくれたので、甘えることにした。

 店内は、ランチ時の嵐が過ぎ去った後って感じで、片付けられてない食器が載っている席もある。
 俺が席に座ると、作次郎さんはアイスティーを出してくれた。
 「先日は色々とありがとうございました。とても助かりました。」
 「い、いえ。」
 「それなのに、失礼極まりないことを言ってしまい、申し訳ありません。」
 「いや、そんな…こちらこそ、差し出がましいことをしてすみませんでした。」
 作次郎さんがあまりに自然に詫びるものだから、しどろもどろになってしまった。
 「宮内さんにも申し訳なかったとお伝えいただけると幸いです。」
 「あの…足はもう大丈夫なんですか?」
 「ええ。おかげさまで。」
 「良かった…。」
 「突然の休業で、お客様にも心配をかけてしまったようで、今日は質問攻めでした。」
 「…みんなあなたのことが好きなんだと思います。」
 「そうなんですかねぇ。」
 作次郎さんは笑顔を絶やさず、俺の言葉を受け流してる。
 「今日私が伺ったのは、お願いがあって…。」
 「またこの店に通いたい…と言うことでしょうか?」
 先に言われてしまった。
 「はい。」
 恐る恐る作次郎さんを見ると…。何やら困った顔をし、苦笑いをしている。やっぱりダメなんだろうか?
 「…気を悪くしないで下さいね。」
 作次郎さんが穏やかな声で告白する。
 「もう、あなた達……いえ、宮内さんにはお会いしたくないんです。」
 「何故ですか?」
 「………。」
 言い難そうにしている…。
 「宮内はそれほど怒りを買うようなことをしてしまったんでしょうか?」
 「いえ、違うんです。」
 作次郎さんは少し慌てたように否定する。
 「前にも言いましたが、怒ってなどいません。そういう理由でお会いしたくないと言っているわけではないんです。」
 「じゃあどうして…。」
 作次郎さんは、ふぅっ…と、ため息をついて、「参ったなぁ。」と言いながら、自分の頭を右手で軽く撫でる。
 少し雰囲気が変わった…?!変わったと言っても、前のように冷やかな作次郎さんに変身したわけではなく、いつもとは違う感じの親しみを覚えた。その場の空気が砕けた感じになる。
 「正直に言いますよ。私は、宮内さんのような人がとても苦手なんです。」
 「苦手?苦手って…宮内の何が苦手なんですか?」
 これを聞き出せれば何とか突破口への糸口を掴めそうな気がする。
 …が、作次郎さんは俺の質問には答えてくれず、満面の笑みで俺の顔を覗き込む。
 「椎名さん。あなた、宮内さんのことがお好きなんですね?」
 「へ?」
 「図星でしょう?」
 な、何でいきなり話の矛先が俺になるんだ?
 「顔が真っ赤ですよ。椎名さんは素直な方ですね。」
 「そ、そんなに赤いですか?」
 確かに顔が熱いかも!!
 慌てている俺を見て、作次郎さんがため息を洩らす。
 「もう一つ言わせてもらうと、椎名さんを見ていると、もどかしくてたまらなくなります。」
 もどかしい?どういうことだろう。
 「あなたは私と正反対の性格の人だけれど…でも、一つだけ私にソックリなところがあります。だからもどかしくなるんでしょうね。」
 「あの…。それって一体…。」
 正反対と言われたり、ソックリなところがあると言われたり…。どちらも納得できる言葉ではない。聞きたいこと満載だけど…俺の反応に興味津々な作次郎さんの眼差しに飲まれてしまい、何も言葉が出てこない。この人に見つめられると、心の中を見透かされているような気分になる。
 「私の言った言葉の意味、知りたいですか?」
 「え?あ、はい!!」
 思わず身を乗り出してしまう!
 が、作次郎さんはぺロっと舌を出し、悪戯を仕掛けた子供のように笑う。
 「教えてあげません。」
 「そんなこと言わずに教えて下さい。」
 「簡単にわかってしまっては面白みがないでしょう?」
 不敵な笑み…。
 ちくしょう!作次郎さんって、やっぱりかなりの曲者だ!!ったく。俺は作次郎さんの手の平の上でコロコロ転がされている気がするぜ。
 負けてたまるか!
 どうしたら、作次郎さんを振り向かせることが出来るのか…俺なりに考えてきたんだ。
 作次郎さんが香苗に見せた冷やかな一面と、中村さんから聞いた話から感じたこと。
 俺は、店内を見渡す。
 この店へ訪れるお客さんたちと楽しげに接する作次郎さん。
 そのお客さんたちとの関係を商売上のサービスだと言い切ってしまう作次郎さん。
 俺の中で、作次郎さんって人を漠然とイメージする。
 考える前に、ごく自然に言葉が出た。
 「作次郎さんはこのお仕事がとても好きなんですね。」
 この質問に、作次郎さんは一瞬キョトンとし、俺の様子を窺いながら、緩やかな動作で腕を組む。落ち着き払った笑みと、挑戦的な眼差しを向けられる。
 「好きも嫌いもないです。仕事をしなければ生活していけませんから。」
 「まあ、確かにそうですけれど、お客さんと接するあなたはとても楽しそうに見えます。」
 「仏頂面していたら客商売なんて成り立たないでしょう。」
 「そうですね。あなたはいつもお客さんが望むものを提供している。美味しい料理と共に、『笑顔』も『叱咤』も『励まし』も、そして『何も言わず傍にいる』ってことも…。」
 「お客様には気持ち良い時間を過ごしてもらいたいですからね。私はお客様が何を求めているのかを捉えて、実行するだけです。それに、頼ってもらえるのは嬉しいことですしね。」
 「そう思っているあなたが、宮内の前では態度を崩し、感情のままに言い合いをしていました。」
 作次郎さんは、話の流れを予想していたようだ。
 軽く目を伏せ、やれやれって感じの力の入らない声で呟く。
 「宮内さんといい、椎名さんといい、あなた方お二人がそれ程暇を持て余しているとも思えないのですが…。私のことを観察して楽しいですか?」
 「すみません。しつこいんです。」
 そう簡単に諦めるわけにはいかないんだ。俺のためにも、香苗のためにも!
 ふいに、俺を見る作次郎さんの目が、とても優しげなものになる。いや、優しいと言うより、同情と憐れみ……みたいなもんを感じる眼差しだな…。
 作次郎さんは、突然両手を肩の高さに挙げ、降参のポーズをとる。
 「参りました。」
 「え?」
 「椎名さん。暑い日にはやっぱり冷えたビールは美味しいですよね?」
 突然なんなんだ?話の展開が全く見えない。
 首を傾げながらも答える。
 「はい…。美味しいですね。」
 「おつまみは枝豆。ピーマンも美味しい季節ですから、肉詰めにでもして出しましょう。」
 作次郎さん…?
 「それに、さっぱりとしたラーメンサラダなんてどうでしょうか?」
 「ラーメンサラダ?」
 「ご存じないですか?トマトやきゅうり、ホタテなんかも載せて食べると美味しいですよ。冷やし中華に似ていますね。」
 お、美味しそう…って、そーじゃなくって…。作次郎さんが何でこんな話を振ってくれるのか…俺、めちゃ良い方に解釈しているんだけど。
 俺の気持ちを知っているようで、作次郎さんはニヤリと笑う。
 「椎名さん。お二人の出入り禁止令は解きましょう。よろしければ私の料理を食べに来てください。」
 「あ…。」
 「どうしました?口があんぐり開いていますよ?」
 「あ、あの…ありがとうございます!」
 慌てて頭を下げる。
 「そんなに感謝されても困りますよ。単なる店のマスターとお客様の関係に戻るだけですから。宮内さんにもそのことはしっかりと伝えておいて下さい。」
 作次郎さん、軽い口調でさりげなくクギを刺してるな。余計な部分には立ち入るなってことだろう。
 「さ、もうお帰りなさい。私はこれから少し休憩し、夜の準備をしなければなりません。椎名さんもお仕事の途中でしょう。こんな所で油を売っていたら上司に怒られますよ。」
 作次郎さんはやんわりと俺を促す。素直に撤収した方がいいな。
 俺はアイスティーを飲み干し、席を立つ。今日はこの辺が潮時だろう。あまり長居しても迷惑な思いをさせかねない。
 「ご馳走様でした。お言葉に甘えてまた来ますね。」
 「いつでもお待ちしています。」
 笑顔に見送られ店を後にした。

 今日のところは大収穫だろう。
 探りを入れながら話を進めようと思っていたけれど、その途中で解かれた出入り禁止令。何故解く気になったのか…。
 作次郎さん、俺の考えていることなんぞお見通しって感じだったし、その上で、俺と香苗とのやり取りをもう少し続けてみようと思ってくれたんだからチャンスはあると思う。
 何故かって?
 作次郎さんにとっても出入り禁止令は不本意なことだったんじゃないかって俺は考えているからだ。
 「それにしても…。」
 …作次郎さんって、さすが市田社長の紹介する人物だな…。
 こちら側のことは何でも見透かされているように感じるのに、作次郎さんの真意はまだまだ霧の中。捕まえようとすると、スルリとかわされる感じ…。今日だって本当はもっと突っ込んだ話をしたかった。それなのに、核心に近づいたかなって思っていると、何故か核心は更にその先にある感じ…。
 あの人を口説き落とすって、かなり難易度が高いように思う。
 歩きながら思わず呟いてしまう。
 「あの人、俺の反応見て、遊んでんじゃないのかな?」
 呟いてみたら、本当にそんな気がしてきたぜ…。

段々と暑くなってまいりましたね〜。夏はやっぱビールでしょう!

2003.5.8
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