『作次郎の家』の定休日は日曜日。その他はめったに休まないと聞いていた。 あの捻挫が完治するのに一週間で済むかなぁ。 俺は土曜日の夕方に店に行って見た。休業期間中なので、店は閉まっていたけれど、俺の目的は作次郎さんに会うことじゃない。 店の脇にある電柱に軽く寄りかかり、しばらく待ち続ける。 時折、店の前で通行人が足を止め、張り紙を見ては肩を落として来た道を帰って行った。 俺のお目当ての人はまだ来ない。だいたい、今夜来るかどうかもわからないんだよな。 辺りが薄暗くなりかけた頃…。 見覚えのある男性が店の前に現れた。 今夜は私服だったが、やっぱり何処となく品がある紳士って感じだなぁ。 男性は店の張り紙を見て、その後、店をじーっと見ていた。 俺は駆け寄り、声をかける。 「中村さん!」 男性は振り向き、気さくな笑顔を見せてくれた。 「あれ?君は確かこの前の…。」 「椎名です。良かった。覚えてて下さったんですね。」 中村さんは、俺が『作次郎の家』に最初に来た日、『ペンションを経営したい』って夢を語った人だ。 この人を待ってたんだ。 「作次郎さん、どうしちゃったのかな。休業だなんて…。椎名さん、何か知ってますか?」 「はい。…あの、ご迷惑でなかったら、近くでお茶でも飲みませんか?実はあなたにお話があって…。」 「え?あ、はい。構いませんよ。」 中村さんは少し不思議そうに首を傾げたが、快く誘いに乗ってくれた。 近くの珈琲専門店に入る。 小さな店で、店内に入ると珈琲の香りがふんわりと俺たちを出迎えてくれた。 店内には数人のお客さんがいて、本を読んだり、窓の外をぼんやりと見つめていたりと、みんな思い思いに過ごしている。 俺と中村さんは一番奥の2人用の席に座り、ブルーマウンテンを注文する。 「お話って何ですか?」 中村さんの方から話を切り出されてしまった。 「はい。あ、まず、休業している理由は、作次郎さん、右足を捻挫しちゃっているんです。たまたま、俺が店にいた時そのことを知ったんですけど。」 「…作次郎さん、大丈夫なのかな。」 「俺も心配しているんですけれど…。」 中村さんは苦笑いをする。 「作次郎さん、我慢強そうだからね。心配です。」 「はい…。」 俺は、いよいよ本題を切り出す。 「あの、中村さん」 「はい、何ですか?」 「実は…。」 俺は、中村さんに正体を明かした。S食品の社員であること。営業目的で作次郎さんの所に通っていること。 「もちろん、仕事のことだけが頭にあるわけではありません。『作次郎の家』のこと、好きですし、良い店だと思います。」 言い訳がましく聞こえてしまうかもしれないけれど、本心だ。 中村さんは静かに話を聞いてくれた。 そして、ホッとする笑みを浮かべながら語りかけてくれた。 「わかってますよ。あなた、楽しそうに食事していましたし。で、私に話したいこととは一体何ですか?」 「あの…突然ぶしつけなことを聞きますが、中村さんにとって作次郎さんはどんな存在ですか?」 「…友人です。」 中村さんは、とても幸せそうに語る。 「私が作次郎さんのお店に通うようになってずいぶんと経ちますが、私にとって作次郎さんはかけがえのない大切な友人です。本音で話せる数少ない友人です。」 「本音で話せる友人…。」 「ええ。だからこそ、私は自分の弱い部分とかを曝け出せるんです。作次郎さんは時には同調してくれますし、逆に厳しい意見もくれます。本気で私と向き合ってくれます。」 中村さんは、熱く語った後、照れ臭そうに笑う。 「この年になって、友情なんてものを熱心に語るのもちょっと恥ずかしいですが、私は作次郎さんを親友だと思っています。」 …想像していた答えだ。 ここから先は、言葉を選んで質問しなきゃ…。 「中村さん…。あなたから見て、作次郎さんってどんな人ですか?」 「そうですねぇ…。」 しばし考えた後、情のこもった言葉で話してくれた。 「信頼できる人です。作次郎さんに厳しいことを言われても、彼の優しさが根底にあるから素直にその言葉を受け入れられる。年齢、性別に関係なく作次郎さんを慕う方が後を絶たないのは、作次郎さんの優しさと相手を想う気持ちを感じることが出来るからだと思います。彼の人柄にみんな惚れこんでいるんですね。」 「だから、作次郎さんの周りに人は集まる、ってことですね。」 「はい。」 「あの、中村さんは、作次郎さんが感情的になった姿を見たことがありますか?」 中村さん、ちょっと小首を傾げる。俺の質問の意味を掴みかねているらしい。 違う言葉を探し、再度質問する。 「作次郎さんが自分のことで悩んだり、怒りを露にしたり、悲しんでいる姿を見たことがありますか?」 「それはもちろん…。」 中村さんは、ごく自然に『それはもちろん、見たことありますよ。』と言おうとしたのだろう。 でも、ハッとしたように目を見開いて、途中で言葉を詰まらせる。 この反応だけで、答えをもらったと思って良いんだろうな。 中村さんは、少々複雑な心境になったのだろう。表情が曇る。 「そう言えば、見たことありません…。そういったことに、気がつきもしませんでしたし、考えてもみませんでした。」 「そうですか…。」 「でも、私が相談したことで、笑ったり、しんみりしたり、真剣に叱咤してくれる作次郎さんを見続けてきましたから、彼のことはわかっています。」 最後の方は、少し強い口調になっていた。 そして、目を落とし俯き加減になる。 その様子は少し寂しげに見えた。 …『彼のことはわかっています。』って言ったことに、自分で納得していないみたいだ…。 会話が途切れた時を見計らったように珈琲が運ばれてくる。 この後は、俺も中村さんも世間話をして、30分ほどで店を出た。 店の前で別れ、俺は駅までの道を歩きながら、やり切れない気持ちをもてあましていた。 中村さんが別れ際に、ポツリと洩らした言葉が耳に残っている。 『作次郎さんは我慢強い人だとは思っていました。それでも、彼自身のことは知っているつもりでいましたが…もしかしたら私は何もわかっていないのかもしれません。』 …例え家族であっても話せないことは山ほどある。親友だからって全てを曝け出すことは出来ない。 時には、相手が大切だからこそ、相手のことを想い、気持ちを隠すことだってあると思う。 ただ、親しい存在になればなるほど……信頼感があればあるほど、心の囲いってのもある程度は外されていくよな。 中村さんは今まで、作次郎さんに色んなことを話してきたんだと思う。他の人には言えないことでも、作次郎さんにだけは聞いて欲しいと思って話したこともあるんだろうな。 作次郎さんへの絶大な信頼感。中村さんの心の懐に作次郎さんは入っているのだろう。 だとしたら、その逆がないってのに気がついた時は、寂しいものなんだろうな。 作次郎さんには自分と同じように想っていて欲しいと思うだろう…と言うより、今までそういう関係だと感じていたんだろうから。 「作次郎さんって、人の気持ちも料理するのが上手いのかもな…。」 作次郎さんは、誰のことも認めちゃいない。誰も信用してないんじゃないか? しかも、そのことに誰も気がついていないんだ。 …いや、認めてないとか信頼していないとかじゃなく、ただ単に、誰にも自分のことを見せないだけなのかな…。 中村さんの話しか聞いていないけれど、なんとなく確信している。 作次郎さんの周りに集まる人たちは、『客』と『店のマスター』なんて関係を取っ払い、とても身近な距離にいると思っている。 でも、作次郎さんにとっては、遥かに隔たりがあるのかもしれない…。 『客』と『店のマスター』って距離よりも、ずっとずっと遠い距離。 俺は、作次郎さんって人の本当の姿を垣間見たような気がした。
でも、そうだとしたなら…香苗に見せたあの一面は?
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