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拒絶

「今日は本当にありがとうございました。とても助かりました。」
 作次郎さんは深々と頭を下げた。
「いえ。私も椎名も結構楽しんでました。」
「俺もいつの間にか昔取った杵柄で、夢中になっていましたよ。」
 俺も香苗も、結構気持ちが好い疲労感に包まれていた。
 実際時間が経つのがえらく早かったし。もともとこういう仕事好きなんだな。
「これは、お礼です。少ないですがバイト料だと思って受け取ってください。」
 作次郎さんが茶封筒を差し出す。
 ちょっと待て。そんなつもりで手伝ったわけじゃない。
「ちょっと待って下さい。受け取れませんよ。俺たちそんなつもりじゃ…。」
 はいそうですかと受け取るわけにはいかないぜ。
「わかっています。ですが、私から言わせてもらうと、受け取ってもらわないと困ってしまいます。私にとっては今回の件はあくまでビジネス。どうか受け取って下さい。」
 顔は笑っているけど、強い意志を感じた。
 借りを作りたくないってことなのかな…。
 俺と香苗は顔を見合わせた後、気は進まないけれど、茶封筒を受け取った。
 作次郎さんは安堵したようで、肩の力を抜いた。
「本当に感謝しています。さ、もう夜も遅いですし、お帰りなさい。今度はちゃんとお客様としておもてなししますからね。」
 これ以上何も言わせないってくらいの鉄壁な笑顔。
 この時、何故だか作次郎さんの気の良い笑顔が、分厚い壁のように感じられた。
 俺と香苗は身支度をし、店を後にした。
 夜道を歩きながら疑問に思っていたことを香苗に訊ねる。
「香苗。何で作次郎さんの足の捻挫に気が付いたんだ?」
 香苗はぺロッと舌を出して悪戯っぽく笑う。
「実は、あてずっぽう。」
「へ?」
「何てね。ほとんど勘だったけど、一応根拠はあったの。」
「どんな?」
「作次郎さんの様子、変だったじゃない。よろけた時、体調が悪いんだと思ったの。もし風邪なら店に立たない。お客さんにうつっちゃうかもしれないからね。だとしたら怪我とかかなって思って。腕や手は見たトコそれらしいものが見当たらなかったから、足に見当をつけたってわけ。。」
 ・・・なるほど。当てずっぽうではあっても、それなりに根拠はあったわけだ。
 と、横を歩いていた香苗の気配が消える。
 慌てて振り返ると、香苗は足を止め、立ち止まっていた。
「香苗?」
 どうしたんだ?香苗は少し俯き、真剣な顔で考え込んでいた。
 香苗の許へ歩み寄ると、いきなり顔を上げ、俺の腕を取る。
「洋介。作次郎さんの所に戻るわよ!」
「え?何で?」
「作次郎さんの、あの、最後まで余裕だった態度が何だか引っかかるのよ!」
「どういうことだよ!!」
「作次郎さんって、意地っ張りだって言ったでしょう?意地を張るのを止めて私たちに全面的に頼った振りして、実は全然頼ってなかったんじゃないかって思うのよ!」
「何だよそれ。どういうことだよ。」
 香苗の言わんとすることが、すぐには理解できなかった。
 引きずられながら『作次郎の家』に引き返した。
 店の前に到着するや否や、香苗は思い切り引き戸を開けた。
 視界に飛び込んできた光景は、作次郎さんが床に尻餅をついている姿。
 俺たちを見て、心底驚いている。
「椎名さん、宮内さん。どうしたんですか?」 
 作次郎さんは咄嗟に作ったって感じの作り笑いをして、立とうとする。
「立たないで下さい!」
 香苗は作次郎さんの肩を押さえる。
「足、酷く痛むんでしょう?無理しないで下さい!洋介、作次郎さんのことおぶってよ!」
「あ、ああ。」
 香苗の迫力に、俺も作次郎さんも圧倒されて言われるがまま行動する。
 作次郎さんの生活空間は、店のある1階の一部と2階部分だ。1階部分の和室に作次郎さんを運ぶ。
 布団を敷き、作次郎さんを座らせる。
 足袋をとり、ズボンの裾をめくってみると、作次郎さんの右足首が酷く腫れ上がっていた。
 こりゃ痛いはずだよ…。
 『全然頼っていなかった』って香苗が言ったことに、ようやく納得する。
 とりあえず、作次郎さんの救急箱にあるもので手当てをした。
 俺たちは布団の傍らに座り、やっとこさ一息つく。
「何でこんなに無理してまで店を開けたんですか!」
 香苗は呆れた顔で訊ねる。
 作次郎さんは肩を竦める。
「今夜お見えになると連絡をいただいていたお客さんもいましたし、まさか、これほど酷くなるとは思わなくて…。」
 あのタンシチューの女性のことだ。彼女はきっと今夜、作次郎さんを頼って来たんだろう。
 でも、だからと言って、こんな酷い捻挫を隠して一人で店を開けるなんて無茶だよな。
「病院へ行ったって言うのも、嘘ですね?」
 俺が訊くと、作次郎さんはバツが悪そうに笑う。
「バレてしまっているみたいですね。はい。医者に行く時間はなかったです。」
 香苗はとても不機嫌な顔になっている。…かなり怒っているようだ。
「こんな無理をして、お客さんが喜ぶと思っているんですか?」
 ため息混じりに香苗が言う。
「誰にも気がつかせない自信はありましたよ。お客さんに不愉快な思いをさせるわけにはいかないですからね。でも、あなた達には気付かれてしまいました…。まだまだ修行が足りないようです。」
 おどけた口調の作次郎さんに、香苗はますますムキになる。
「そう言う問題じゃないでしょう?」
 語気を荒げる。
「まだ作次郎さんのお店に通い始めて間もないけれど、今日働かせてもらってわかったことがあるんです。」
 香苗ってば、かなり感情的になっている。
 作次郎さんは香苗とは対照的に、静かに耳を傾けている。
「この店に来るお客さんはみんな作次郎さんが好きなんですよ。みんなあなたのことを大切に思っている。」
「…そうですかねぇ。」
「そうに決まっているじゃないですか!作次郎さんを慕ってこの店に足を運ぶんだから。その大事な人にこんな状態で無理などして欲しくないって思うでしょう!」
 香苗〜。もう少し穏やかに言えないのか?
 まるでけんか腰だぜ。チラッと作次郎さんを見てみると…。
 あれ?作次郎さんも…先ほどまでの柔らかな表情が消えている。
 何故だか、いつもと違う…。
 香苗に冷やかな眼差しを向け、口を開く。
「相手はお客様ですよ。友達でも家族でもなんでもないんです。私は料理とサービスを提供する。お客様はそれに対しお金を支払う。その関係以外に何があるって言うんです?」
 感情のこもっていない、無機質な声音。今まで俺たちが見て、接してきた作次郎さんのイメージが一気に崩れた。
 今、俺たちの目の前にいる男は、『優しさ』とか『親しみやすさ』とかとは、かけ離れている感じがする。
 俺は驚きを隠せなかったが、香苗は感情が昂っている所為か、さして驚くこともせず怯みもしない。
「そんな言い方は悲しいですよ。お客さんは作次郎さんに友情とか、信頼感を持って接しているんです。きっと身内のような存在だと思っている人もいると思います。心配するのは当たり前でしょう?無理なら無理と、助けて欲しいなら助けて欲しいと言って欲しい。私だったらそう思います!」
「宮内さん。お客様と私は対当じゃないんです。」
「じゃあ、あなたのことを想っているみんなの気持ちは、あなたにとって全て商売上のものだと片付けてしまうのですか?」
 香苗は一気に言葉を吐き出す。
 作次郎さんは何かを言い返そうと香苗を睨むが、ハッとしたように体を固くし、口を噤む。
 そして、苦笑いをし香苗から目を逸らし、俺に顔を向ける。
「椎名さん。宮内さん。手当てありがとうございます。もう本当に大丈夫ですから、帰って下さい。」
 作次郎さんの言葉に、香苗が何かを言おうと身を乗り出すが、俺は香苗の肩を掴み制止する。
「作次郎さん。余計なことかもしれませんが、ここで一人で暮らしているのですか?」
「ええ。そうですが…。それが何か?」
 そうだよな。誰かと暮らしていたら、一人で床に座り込んでたりしないもんな。
 俺は鞄から名刺を取り出し、携帯の番号を書く。
「これ、俺の携帯の番号です。昼間に病院へ行かれる時、手が必要ならば電話下さい。駆けつけますから。」
 受け取ってもらえないかもしれない。そう考えながら差し出した。
 でも、しばし間があったが、作次郎さんは受け取ってくれた。
 ホッとするが、それもつかの間。
「気を使わせてしまって申し訳ありません。ですが……お二人とも、もううちの店に来ないで下さい。」
 な、何だって?
「何でですか??」
 俺と香苗の声がダブる。
 作次郎さんは、ほのぼのとした笑顔を貼り付ける。
 何で『貼り付ける』なんて思ったかって言うと…今まで見てきた作次郎さんの笑顔も柔らかな雰囲気も、実は周りを寄せ付けない壁なんじゃないかって感じてしまったからなんだが…。
「理由は言う必要もないでしょう。料理人だってお客様を選ぶ権利くらいあります。もうあなた達には来て欲しくない…ただそれだけのことです。」
「…私はあなたを怒らせてしまいましたか?」 
 香苗が動揺を必死に抑え、訊ねた。
 作次郎さんは首を横に振る。
「怒ってなどいませんよ。さ、もう帰って下さい。」
 優しい声だけど、今の俺たちにはとても冷たいものに聞こえた…。
 店を出た時は、1時を回っていて、もう終電はなくなっていた。
 作次郎さんはそのことも知っていて、タクシー代まで無理やり俺のポケットに捻じ込んだ。
 タクシーを拾い、香苗と2人無言で乗り込んだ。
 夜の国道を走るタクシーに揺られながら、ちょっと絶望的な気持ちになってくる。
 香苗の表情も暗い。
 そりゃそうだよな。
 完全に作次郎さんに拒絶された…。
 これからどうすればいい…?
 俺も香苗も、一言も言葉を交わさないまま帰途についた。

2003.4.16