戻る

混戦状態D

 香苗がロシアンブルーに例えられたのはわかるような気がする。
 しなやかな体つき、どこか気品がある容姿…こんなこと考えてるってバレたら殴られそうだが、ロシアンブルー…うん、似合ってる。
 しっかし、何で俺は柴犬なんだ?しかも、忠犬って…。
 そういう雰囲気があるってことか?
「そんなに驚くことでもないでしょう?それより、あなた達の自己紹介をしてもらえませんか?」
 作次郎さん、相変らずのほほんとして言うが、俺たちにとっては不意なフェイントですぐに反応できないのも無理はないだろう?
 俺も香苗も慌てて名刺を取り出す。
「あ、あの。仰るとおり、私はS食品営業部の宮内香苗と申します。」
「椎名洋介です。」
 作次郎さんは名刺を満足げに受け取る。
「ありがとう。」
「ご挨拶が後になってしまい申し訳ありません。」
 俺は頭を下げた。自分たちの方から正体を明かすのでなく、バレてしまったことで動揺もしてた。
 偵察のようなことをして、作次郎さんに悪い印象を持たれたのではないか、と今さらながら不安になる。
 香苗も同じことを考えたようで頭を下げた後、詫びようとする。
「本当に申し訳ありません。けれど私たちは…。」
「怒ってなんかいないですから、謝らないで下さい。全然気にする必要ないです。」
 言葉どおり作次郎さんの表情からは怒りを感じない。
 とりあえず胸を撫で下ろす。
 が、それもつかの間、作次郎さんが困ったような顔をする。
「お二人とも、うちに営業にいらっしゃるおつもりですよね?」
「はい。」
 俺も香苗も力強く答える。
 対する作次郎さんは、苦笑いする。
「うちの店は、S食品さんの商売相手として相応しいとは思いません。こんなに狭い店ですし、お客様の数もたかが知れてます。それに、私の方にしたって、そちらの製品がいつも必要だという感じでもありません。」
 と、言われても、ここで引き下がるわけにはいかない。
「そう言わずに、明日にでも詳しい話をさせていただけませんか?」
 作次郎さんは肩を竦める。
「だいたいこんな店と契約しても、そちらには何のメリットもないですよ。運搬のことを考えれば、かえって手間暇かかるばかりです。」
「いえ、そんなことは…。」
「こちらとしても、今のままで不満もないし、困ってもいないんです。いくら熱心に話してくれても期待には添えないと思います。無駄なことに力を注ぐのはお止めなさい。」
 作次郎さんの断りの言葉。取り付く島もない。詰め寄ろうとする俺をよそに、レジを打つ。
「お二人で5,400円です。よろしかったら、またいらして下さいね。」
 う〜ん。口調や態度は柔らかいんだけど、これ以上話を続けられない雰囲気をかもし出しているな…。
 俺は横にいる香苗に、<今夜は撤収した方が良いかな>と目配せする。
 香苗は俺の気持ちを察し、ちょっと落胆したように目を伏せた後、軽く頷く。
 作次郎さんは笑顔を崩さずに壁の時計を見る。
「おっと。もうこんな時間ですよ。終電がなくなってしまう。」
 12時を10分ほど過ぎていた。俺はとりあえず精算を済ませる。
「ありがとうございました。」
 作次郎さんは俺に釣りを手渡し、他の客と同じような対応をする。
 香苗は一歩前に出て、極上の微笑みを披露する。
「とても美味しかったです。またお伺いしたいのですが、お客としてなら受け入れてもらえますか?」
「もちろんです。喜んでおもてなししますよ。たくさん来ていただければあなたたちの好みも覚えられます。居心地の良い場所になってくれたら良いなと思います。」
「ありがとうございます。」
 香苗はペコリと頭を下げて、「洋介、帰るわよ。」と言い、俺の腕を引く。
「ご馳走様でした。また来ます。」
 香苗に引きずられながら挨拶し、店を後にした。
 夜道を駅に向ってひたすら歩く。前を行く香苗の後姿を見つめながら、声をかける。
「なあ、明日も行くよな?」
 香苗がピタッと足を止め、振り返る。
「当然。」
「どう口説き落とす?。」
 俺が訊くと、香苗は視線を俺から外し、しばし考える。
 香苗の勝気な瞳が再び俺を捉えた。
「作次郎さんに何を提供出来るのかが、まだわからない。」
「何を…って。もちろん、うちの製品だろう?」
「しばくわよ!!私が言っているのは、うちの『売り』は何かってことよ。今仕入れている業者より、うちに魅力を感じさせないとダメでしょう。」
 香苗は、軽く俺を睨む。
「私はS食品の製品に誇りを持ってる。洋介は?」
 何を言うのかと思いきや。
 ふふん。当然俺だって同じだよ。
 俺はグルメじゃない。それに、たいしたことない舌の持ち主だけど、食べることが好きだ。
 食のある風景も好きだな。できることなら、1食1食美味しいって思える食卓であって欲しい。
 『食は幸福な生活の基本です。』…就職活動し始めの頃、漠然と食品メーカーで働きたいと思っていて、色んなメーカーのホームページを見ていた時、この言葉が目に留まった。
 S食品が掲げている考え方だそうだ。この会社で働きたいと思い、就職活動時、S食品の製品を買い漁った。
「俺だって、S食品のファンなんだぜ。」
 俺の答えを聞いて、香苗は満足げに微笑む。
 夏の夜風が香苗の髪を軽く撫でて行く。夜空を見上げている香苗の横顔を、月が照らす。
 …綺麗だなぁ。
「なんとしても、作次郎さんを振り向かせて見せるわよ。」
「ああ。」
 勝負はまだ始まったばかり。
 何だか妙にワクワクする気持ちと緊張感とが混じりあい、ちょっとした興奮状態で帰途に着いた。
 アパートに着くと、うちの愛猫、姫は相変らず出迎えもしない。
 姫は俺のベッドの中央付近で、斜めに仰向けに寝そべり、体全体を延ばして就寝中だった。
 まるで、『アジの開き』…ではなくて、『猫の開き』だな。
 …腹丸出しで、緊張感も警戒心の欠片もない。飼い主を敬う態度もない。
 しかも、俺の寝るスペースを見事に占領している。
「偉そうな寝相だなぁ。」
 小声で苦情を言うと、姫はちょっとだけ目を開け、尻尾をクネらせた。
 …が、興味ないって顔してコロリと横向きになり、再び寝てしまう。
 お〜い。俺は何処で寝ればいいのだ?
「お前、マジ性格悪いぞ!」
 まあ、これだけ無防備ってことは、信頼してくれているからなんだろうけど…。
 と、言うより、舐められてるのかな。
 結局、俺はベッドの端で姫に気を使いながら眠りに付いた。
 変な体勢で寝た所為か、次の日、体が痛かった…。

 朝、いつもよりかなり早く出勤すると、すでに香苗が来ていた。
 一番乗りだと思ってたのに。
 真剣な顔してうちの製品のカタログとにらめっこしている。俺がフロアに入ってきたことにも気がついていない。
「おはよう。」
 俺が挨拶をすると、ビクッと体を硬くし、顔を上げる。
 かなり驚いたようだ。余程集中してたんだな。
「ビックリした!おはよう、洋介。早いわね。」
「香苗こそ。考えていることは一緒ってことか。」
「まあね。」
 俺が早く来たのは、作次郎さん対策をしたかったからだ。香苗も同じってことだな。
「ねえ、洋介。作次郎さんの料理食べて、どう思った?」
「売り込めるものはあると思う。」
「うん。」
 香苗はカタログを閉じる。
「季節の野菜、良い肉も魚も使ってたわ。でも、缶詰や調理商品、冷凍の素材も使ってる。M食品工業とYフーズの物だった。」
「よく何処の製品だかわかったな。」
 香苗は悪戯っぽく笑う。
「トイレに立った時、さりげなくカウンター内を覗いちゃったの。傍にゴミ箱があって、見えちゃったのよ。洋介も何か気がついたことないの?どんな些細なことでもいいから何でも言ってみてよ。」
 う〜ん。俺はちと心の中で唸る。上手く表現出来るかな。
「あの店に限って言えば…料理は脇役のような気がした。」
「脇役?食事処なのに?」
「もちろん、料理も美味しかったよ。良い意味で親しみやすいものだった。毎日でも食べたいって思える家庭の味ってやつ。決して高級でもなく、でも色々工夫して、時にはちょっと手抜きしながらも家族のことを思って作ってくれていた母親の料理…の父親版。その料理を食べながら、家族が団欒の時を過ごすように、客も思い思いの時を過ごすんだ。そんな空間を作り出すために、料理が名脇役をこなしていると思う。」
「料理も大事だけど、作次郎さん自身があの店の売りってことね。」
「客の求めているものはあの雰囲気なんだと思う。」
「食事をしながら、作次郎さんと会話をする…お客さんはそれが目当てなのね。」
 香苗も俺の考えに納得しているようだ。
「作次郎さんも、そのことを第一に考えていると思うんだ。」
「それを手助けできるようなアイデアを掲げて売り込めば、効果あるかしら…。何だか抽象的過ぎて脳みそが痒くなるわ。」
 確かに俺の言ってること漠然としてるからなぁ。
「何とか作次郎さんの懐に入り込んで、話をしたいよなぁ。作次郎さんの要望を聞き出せれば案も探しやすいと思うのだけど…。」
「地道に客として通い続けて頑張るしかないわね。」
 香苗は軽くため息をつく。
「ねえ、洋介。ボーっと立ってるんならお茶入れて。渋〜いやつ。」
「はいはい。」
 俺は鞄を置いて給湯室へ向う。丁寧にお茶を入れさせていただきました。
「美味しい!今度からお茶は洋介に入れてもらおう!」
 香苗は、俺の入れた茶を飲んでご満悦。
「そりゃあ、隠し味に『愛情』入れてますからね。」
 と、俺が言うと、香苗はギョッとしたような顔して、その後ゲンナリする。
「なに新婚家庭のキャピキャピ新妻が言うようなこと言ってんのよ。」
「おかげで脳みそがフル回転しただろ?仕事するぞ。今日も作次郎さんの店行くんだろ?」
「もちろん!定時退社できるように、今のうちにちゃっちゃと仕事片付けちゃいましょっか。」
「ああ。」
 お茶飲んで一息ついたトコで、本格稼動を始める。
 本日も『作次郎の家』に行くため仕事に精を出す。

 夕方、早々に仕事を終わらせた香苗は、身支度を終えていた。
「洋介。仕事終わりそう?」
「もう少しで終わる。」
「じゃあ、先に降りてタクシー拾っとく!早く来てね。」
 香苗は俺に耳打ちし、足早にフロアを出て行った。
 俺も手早く机の上を片付け、帰り支度を済ませる。
 早くしないと、作次郎さんの店は満員になっちゃうもんな。
 急いでエレベーターに乗り込むと、園田課長が乗り合わせていた。
 俺の顔を見て満面の笑みを浮かべる。
 イヤ〜な感じだ…。
 少し距離を置いてエレベーターに乗り込んだ。
「椎名君。定時退社かい?」
「ええ。課長もですか?」
「今日は接待があってね。君も急いでいるようだし、誰かと約束があるのかな?」
 ニヤニヤしてやがる。どうせ市田社長に振り回されていると思ってんだろうな。
「約束はないのですが、市田社長から仕事をいただきまして大忙しです。」
 ワザと市田社長の名前を出す。
「へえ。それは大変だね。彼女のご機嫌を損ねると厄介だから上手くやってくれよ。まあ、どうやら君は彼女を満足させているようだから、心配無用だね。」
 嫌味ったらしいことを笑顔で言う。俺の追い詰められた姿が見たいんだろうが…お生憎さま。
 エレベーターが1階に到着し園田課長が先に降り、俺もその後に続いた。
 俺は園田課長の横を足早にすり抜け、振り返る。
「市田社長から遣り甲斐のある仕事をいただきました。絶対成果を出そうと思ってますんで!楽しみにしてて下さいね。」
 これでもかってくらいの笑顔を向け、元気に頭を下げた後、園田課長に背を向ける。
 一瞬園田課長の訝しげな顔が見えた。俺が予想外に元気なのを不思議に思ったのだろう。
 園田課長の『俺を呼び止めたい』って気配を感じたが、構わず歩き出す。
 外で香苗が待ってるだろうからね。
 園田課長に一矢報いるためにも、頑張らねば!

2003.4.5

あー…食品会社で営業をしている方がいらっしゃったら…
こっそりお仕事のお話を聞かせて下さるとありがたい〜。