戻る

混戦状態C

 時刻も午後6時を15分ほど回るころには席は全て埋まり、一人で相手をするのは大変だろうと心配するが、作次郎さんは手際良く立ち振る舞う。
 忙しいはずなのだが、客に慌しさを感じさせず、作次郎さんの余裕の態度がそのまま店をくつろげる空間にしてる。
 今作次郎さんと話し込んでいるのは中村さんだ。
 ようやく作次郎さんと話をする優先権みたいなものをゲットした中村さんは、ポツリポツリと心情を吐露し始める。
 時折耳に入ってくる言葉から想像すると、どうやら中村さんは定年後、子会社に再就職したものの職場であまり自分の必要性を感じられずにいるらしい。
 作次郎さんは、時々目を細め、軽く頷きながら中村さんの話に聞き入っていた。
「作次郎さんは、どう思いますか?私は正直第二の人生に踏出したいんですよ。」
「中村さん、やりたいことがあるんですよね?」
「はい。でも妻はきっと反対する…。」
 中村さんはため息を一つつき、言葉を続ける。
「このまま会社を辞めても、夫婦二人で慎ましく暮らしていく分の蓄えくらいはあります。生活には確かに困らない。妻もそれなら納得すると思うのですが、私が夢を追うと打ち明けたら、無謀だと言うでしょう。正直…私自身も怖さがありますからね。この年で失敗したら取り返しがつかないと思うので…。」
 聞こえてくる内容からして、何か事業でも起こそうとしているのかな。
 と、思いながら2人を見つめていると、中村さんとモロに目が合ってしまった!
 うあ。話に聞き耳立ててたのバレたかな?失礼極まりないよな…。
「興味ありますか?」
 中村さんが微笑みながら訊いてきた。
 やっぱバレてる…。
「すみません…。」
 さすがにバツが悪いな…。香苗も『このドジっ!』って気持ちのこもった目で俺を睨む。
「いや、いいんですよ。せっかくだから君たちにも聞いてもらおうかな。」
 中村さんは一向に気にする気配もなく、俺と香苗も話に混ぜてくれる。
「山の中でペンションをやるのが私の夢なんですよ。」
 中村さんは、夢見る瞳で語る。
 奥さんと一緒に自然の中で暮らし、それを他の人にも感じてもらう仕事がしたいと言う。
「やっぱりこの年じゃ難しいと思いますか?」
 俺と香苗に問いかける。
 俺が口を開く前に香苗が力強く答える。
「素敵な夢だと思います。今からだって実行したらいいじゃないですか!」
 実に香苗らしいコメントだな。
 俺も素敵な夢ってのには賛成だ。
 でも…。
「私は、迷ってるうちは手を出さない方がいいと思いますがね。」
 おっ!まさに俺が今思っていたことを言ってくれた人物、作次郎さん。
 中村さんは、作次郎さんの顔を見て苦笑いする。
「やっぱりそう思いますか?」
「今の中村さんは迷ってるように見えます。夢を現実として追うには、ちょっぴり優柔不断過ぎると思いますけど。」
 柔らかな口調だけど、言っていることはとてもシビア。
 中村さんは少し困ったような顔で微笑む。
「…妻は昔から老後のことを口にしていました。妻の夢は私とのんびりと余生を過ごすことだといつも言っていました。」
 今まで急がしく働いてきた分、2人で旅行したり、映画を見たり、たくさんの話をしたり…2人だけの時間を思う存分楽しみたい…それが中村さんの奥さんの夢。
「そのことを思うと、途端に迷ってしまう。」
 まあ、迷うのは当然だよな…。
「良く考えて納得のいく答えを出すんですね。私としては、中村さんのペンションに泊まりにいって目一杯我侭な客になってみたい気もしますがね。」
 作次郎さんがのん気な顔して笑う。
 中村さんもつられて笑うが、フッと息を吐き頼りなげな目をし俯く。
「作次郎さんだったらどうします?」
「私だったらチャレンジしますよ。」
 考える間もなく即答。
「一度きりの人生だし、大いに楽しまなきゃね。」
「作次郎さんらしいな。羨ましいですよ。…もし、一人身だったら冒険も怖くないのですが、妻のことを考えると…。」
  ここで、突然香苗が会話に割り込む。
「奥様のために諦めるんですか?」
「え?」
 突然な質問に、中村さんは目をまるくする。
「私が奥様だったら、そんな風に言われて夢を諦められたらたまったもんじゃないです。」
「…そ、そうかね?」
「今のままじゃ中村さん、叶わなかった夢を、『妻のために諦めたんだ』って何度となく振り返りそうです。そんなの私が中村さんの奥様だったら迷惑です。」
 め、迷惑って…。香苗、相変らず言いにくいことをハッキリと言う…。
「まだ、奥様と話し合ってないんですよね?」
「あ、ああ。でも、妻の気持ちはわかっているから…。」
「でも、奥様は中村さんの気持ちを知らない。ここで悩んでないで奥様ととことん話し合えばいいじゃないですか。」
「し、しかし…。できれば妻を悩ませたくはないし…。」
「その思いが強いなら、『妻のことを考えると』なんて言ってないで、奥様の夢を叶えることを中村さんの夢にすればいいと思います。」
 次から次へとポンポン言葉が出てくる香苗。威勢が良すぎだ〜。
 中村さんはすっかりたじたじになっている。
 …あれ?ふと、作次郎さんを見ると、やけに真剣な顔で香苗を見ている。
 いや、『真剣な顔』と言うより、意外なものを目の当たりにしているって顔つきだ。
 視線に気がついた香苗、少々訝しげな目で作次郎さんを見返す。
「私何かおかしなこと言いましたか?」
 作次郎さん、首を横に振る。
「あ、いや…とてもシンプルでわかりやすい意見だと思うよ。」
 作次郎さんの顔は笑っていたけれど、どこか戸惑っているような感じだった。
 が、すぐにほんわかした笑顔に戻り俺たちに次の料理を出してくれた。
 中村さんはしばし黙り込んでいたが、ため息混じりに呟いた。
「そうだな…。いつの間にか人の所為にしそうになってたようだ…。」
 その後、言葉は続かなかったが気持ちに区切りが付いたのか、元気に焼酎を飲みだした。
 香苗は中村さんに目を向け、次に満席となった店内を見渡し、最後に作次郎さんを見つめる。
 作次郎さんは、既に別の人との会話を楽しんでいた。
 香苗はそっと俺の方に身を寄せてきた。
 …これが恋人同士だったら、ちょっと良い雰囲気の2人に見えなくもないが、俺たちの場合は違うんだなぁ。
 作次郎さんに悟られないように作戦会議。
「洋介から見て、作次郎さんの感想は?」
「凄く話しやすい人だと思う。親身になって話を聞いてくれるし。」
「そうよね。クセのある人とはとても思えないし…。」
 確かに、親しみやすい人だ。
 けれど、俺たちは作次郎さんの背後に市田社長の影を見てしまうと、見たままを鵜呑みに出来ないでいた。
「どうする?今日中に俺たちの正体明かして挨拶だけでもするか?」
「…もう少し様子を見たいかな…。」
 結局、俺たちは店の閉店時間12時まで粘り続けた。
 閉店を告げられ、客が一人一人精算を済ませるのを見ながら、今日の成果を頭の中で整理する。
 わかったのは作次郎さんがお客さんの人気者だってこと。
 10人しか入らない店は、6時過ぎにいったん満席になってからは閉店まで入れ替わり立ち代わり客が訪れ、席が空くことはなかった。
 料理の点で気が付いたことは、出される献立は、基本的にどの客も同じだったんだけど、細かなトコで違いがあった。
 料理の素材とか、出す量を相手にあわせ微妙に変化させてるらしい。
 俺と香苗の量も明らかに違っていた。俺が好きだって言った肉料理は多めに盛ってあったような気がするし、会話の中でも時々好みを聞かれていたような気がする。
 作次郎さんと話が弾み爆笑する人、黙って食事をする人、時折会話を求める人、様々だったが、みな満足そうに店を後にしていく…。
 また足を運ぼうって気になる店だと思う。
 最後に残った俺たち。
 俺は鞄から財布を出してレジの前に立つと、作次郎さんがじーっと俺と香苗を凝視している。
 なかなか金額を言ってくれない…。
 何なんだ?俺たちの顔に何か付いてるのか?
「…あの…。いくらですか?」
 たまりかねて尋ねると、作次郎さんは軽く吹き出し笑う。
 我慢しようとして、でも我慢しきれずに笑ってしまったって感じだ。
 俺たちがキョトンとしていると、作次郎さんは「いやぁ、これは申し訳ない。」と詫びた。
「いや、あなた達があんまりにも言われたとおりのキャラクターだから。」
 へ?言われた通りって?
「あなた達、S食品の営業の人ですよね?」
 ドッキン!俺と香苗は一瞬身体が固まる。
「気の強いロシアンブルーと、忠犬っぽい柴犬が近々店に顔を出すからと言われてましてね。」
 なんじゃそりゃ…。
 呆気に取られていたが、少しずつ冷静になって今のコメントを言いそうな人物に思い当たる。
「市田社長からあなた達を紹介された時の、彼女の言葉ですよ。すぐにピンときました。」
 作次郎さんの、自慢げなホクホク顔。
 やっぱり市田社長だったんだ…。紹介しといてくれるとは言っていたけれど、ロシアンブルーと柴犬って…。何でそんな紹介で俺たちだってわかるんだぁ〜!!

2003.3.19 

ロシアンブルー…。綺麗だよね〜。雑種以外の猫の中で一番好きです。
(犬も猫も雑種が一番好き…笑)