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混戦状態A

 平然と座ってる香苗を、市田社長は意味ありげに見下ろす。
「随分と威勢の良い子ね。こういう性格が好みなら私にもチャンスはあるってことよね。それに一見お嬢様っぽいトコが若い頃の私にソックリだわ。で、口を開いたら根性座ってそうなところなんか瓜二つよ。」
 ない!あなたにチャンスはありません〜!!
 必死になって心の中で叫ぶが言葉にならず…。
 と、今まで淡々と俺たちのことを見守っていた香苗が静かに立ち上がる。
「一つ質問させていただいてよろしいですか?市田社長。」
 香苗は非常に事務的な言葉と笑顔で市田社長に声をかける。
「いいわよ、何?」
「今ここにいるのは我が社の得意先『イチダ屋』の市田社長ですか?それとも私用でいらっしゃった『市田和子様』ですか?」
 香苗の奴、やけに挑戦的。
 市田社長はニヤリと笑う。不敵な笑み。
「そうやって区別するのは鬱陶しいんだけど。まあいいわ。私用の市田和子ってことにしといて。」
「じゃあ遠慮なく話せますわね。」
 香苗、ニコッと可愛らしく微笑むが…妙に迫力がある。
「おば様のように素敵な女性に似ていると言われ、光栄すぎて眩暈がしますわ。けれど、随分と大胆な告白をされましたが洋介が怯えているのがわからないほど鈍感なんですの?」
「あらあら。まだくちばしが黄色い小娘が言ってくれるわね。椎名君にはこれから大人の女の良さを教えてあげるから心配ご無用。人の恋路を邪魔するなんてあなたも余程暇なのね。」
「仕事仲間が困っているのに見捨てておけるほど私も薄情にはなれなくて。」
 凄い…。香苗、市田社長に負けてない。
 市田社長はピクリと眉を動かす。
「あなたのお名前は?普通目下の者が先に挨拶するもんでしょう?」
「それはそれは気が付きませんで申し訳ありません。まだまだ若輩者ですので行き届かないところはお許し下さいませ。宮内香苗と申します。よろしくお願いしますね、おば様。」
「あなた…確か営業部にいたわよね。見かけたことあるわ。」
 市田社長の声音が少し変わる。あれ?ちょっと仕事モードな声になってる。
 香苗もその変化に気が付き、少し態度を変える。
「はい。電話では何度かお話したこともありますが…。」
「ふぅん。」
 市田社長はマジマジと香苗を見つめる。
「…ねえ。宮内香苗さん。」
「はい?」
「あなた、仕事楽しい?」
「え?あ、はい。」
「出世したい?人の上に立つポストにつきたいと思う?」
 何なんだ?この質問は…。
 香苗も一瞬キョトンとするが、すぐに強い意志を感じる眼差しでハッキリと答える。
「はい。」
「…そう。」
 市田社長の、今までの戦闘態勢の顔つきが何故だか優しげなものになる。
「もう一つ聞いて良い?」
「何ですか?」
「あなた、椎名君のことどう思っているの?」
 ドキっとする質問!
 そんなこと本人無視して聞かないでくれ!!
「市田社長!いい加減にしてくださ…。」
 俺の抗議の言葉を、香苗は手をかざし制止する。
 目は真っ直ぐに市田社長へと向けられてる。
「会社では良き後輩であり、良き同僚であったりします。…プライベートでは…友達…とは少し違います。」
 …友達とは違う…。だったら俺の存在って香苗にとって何なんだ?
 幼馴染、喧嘩仲間…天敵?
 それとも…どうでもいい奴?
「友達じゃないってことは、何?眼中にないただの生き物?」
 あう!聞きにくいことをズバズバと!
 香苗は心もち俯き、少し迷いのある感じに瞳が揺らぐ。
「違います。今のままじゃ友達で終わっちゃうような…そんな存在です。でも…。」
 でも?でも、何だ?
 俺は食い入るように香苗を見る。
「もし、椎名君が私と同じ生き方を求めてくれるなら…。」
 肝心の部分を言わず、香苗は黙ってしまう。
 俺は思わず口を挟む。
「同じ生き方ってなんだよ!そこまで言ったなら最後まで言えよな!!」
 すると、香苗は困ったように苦笑いする。
「洋介自身が求めてくれなきゃ意味がないのよ。私が要求しちゃ意味がないの。」
「…何だよそれ…。」
 わけがわからず途方にくれる。
 市田社長は軽くため息をつき微笑む。
「全ては椎名君次第ってことなのね?」
「…はい。」
 香苗も当然のように答えているが、俺はわけがわからねーぞ!
 市田社長は右手を軽く顎に当て、ちょっと考え込んだように黙り込んだ。
 そして、何か閃いたのか、悪戯っぽい笑みを湛える。
「決めた!」
「え?」
 俺と香苗、そして夏目も市田社長に注目する。
 市田社長は手にしていた鞄から自分の名刺とボールペンを取り出す。
 名刺の裏にサラッと何かをメモし、香苗に差し出す。
 香苗は戸惑いながらも受け取り、書かれた文字を見てキョトンとする。
「『親父の味 作次郎の家』…何ですかこれ。」
 飲み屋か何かの店名かな。面白いネーミングだな。
 俺も横からメモを覗き込む。
 店の名前と住所、電話番号…そして主の名前が書かれている。
 『海藤 作次郎』…昔風な名前だな。
「年配の客と独身のOLたちに人気のある食事処よ。夜は居酒屋にもなるわ。気の良い女将さんが出迎えてくれる一杯飲み屋の逆バージョン、親父って雰囲気を売りにしているお店よ。」
「…はぁ。」
 香苗は曖昧に相槌をうつ。
 俺も、市田社長の意図がわからない。
「この店が仕入れる食材の業者の座を射止めてみなさいよ。」
「え?」
「作次郎さんはとても気難しい人なの。彼に認められるのはなかなか大変よ。」
「あの…。」
「この会社で扱っている商品を売り込んでみてはどうかしら。例えば…麺類とか。彼の店ではうどんやラーメンも出してるし。」
 俺と香苗は顔を見合わせた後、市田社長に視線を戻す。
「あの…一体何が言いたいんですか?」
 香苗が疑問を尋ねてくれる。
「まだわからないの?お客を紹介しているのよ。」
 市田社長はニコッと笑い、その後すぐに香苗に挑戦的な態度を取る。
「私はね。宮内香苗さん、あなたに勝負を挑むわ。」
「勝負?」
「S食品が『作次郎の家』の仕入れ業者になれればあなたの勝ち。ダメなら私の勝ち。…どう?」
 香苗、訝しげに市田社長を見返す。
「何のための勝負ですか?」
「あなたと私のための勝負よ。『作次郎の家』から得られる利益は微々たる物だとは思うわ。でも、遣り甲斐のある仕事よ。あなた出世したいと言ったわよね。彼を堕とせたら、きっとこの先仕事のプラスになる。」
 香苗は少しだけ驚いたように目を見開いた。
 手にしている名刺を見つめ、顔を上げ、市田社長を見る。
「勝負というからには何か賭けるんですか?」
「当然。」
「やっぱり…。」
 香苗は小さなため息をつき、微笑む。
 そして、意を決したって感じで真剣な顔つきになる。
「で?何を賭けるんですか?」
 香苗の質問に、市田社長は待ってましたとばかりに答える。
「もし宮内さんが勝ったらもっとたくさんのお客を紹介するわ。私には色んな人脈があるしね。」
 その後、言葉を付け加える。
「それと、椎名君に迫るのも止めるわ。」
「本当ですか?」
「本当よ。あなたの出世の手助けと……後は、この言い方は不本意だけど、私から仕事仲間を守りたいっていうあなたの気持ちを同時に叶えて上げられるってわけよ。」
「もし私が負けたら?」
 当然負けた時の条件もあるだろう。
 …俺、この時点で嫌な予感がしていた。
 案の定、市田社長は喜び勇んで俺に顔を向ける。
「椎名君を三日三晩お借りするわ♪」
 やっぱり…。その手の条件だと思ってたよ…。
「椎名君を三日三晩?!!」 
 夏目だけが市田社長の言葉に反応し、オロオロとしている。
 俺と香苗はある程度の予想はしてたから…。
 もちろん、断固としてこんな条件飲むわけにはいかない!
「嫌ですよ。俺抜きの勝負なのに勝手に俺を賞品にしないで下さい!」
「だったら椎名君もこの勝負に参加する?」
「え?」
「宮内さんの援護してあげれば?」
 市田社長はまるでこの展開を望んでいたかのように即刻提案した。
 香苗はすぐに反発する。
「私は一人でやれます!!余計なこと言わないで下さい!」
 一対一の勝負に拘りたかったんだろう。負けず嫌いの香苗らしいが…。
 でも…。
「香苗。お前はこの勝負受けるつもりなのか?」
 俺は香苗に聞いてみた。すると香苗は軽く俺を睨む感じで答える。
「当然よ!逃げ出したら女が廃るってもんでしょう!」
「だろうな。」
 威勢良く断言した香苗。
 なのに、急に影のある表情になり、宣言を修正する。
「…って、言いたいところだけど、洋介を賞品になんかできない。受けるわけにはいかないわよね。」
 嬉しいぞ、香苗〜!俺のこと考えてくれてたんだな!
 俺は今度は市田社長に聞いてみる。
「この勝負の条件って、交渉の余地はないんですか?」
「ないわね。椎名君が賞品じゃないならこの勝負はご破算。」
 きっぱりと言い切られる。
 俺はため息をついて、しばし考えた。
 自分でもバカだとは思うけど…香苗を援護するって言葉にとてつもなく惹かれた。
「…香苗。俺の意見を言わせてもらうと…俺は賞品になるのはまっぴらごめんだ。」
「だったらこの勝負はなかったってことになるわね。」
 市田社長が口を挟む。
 香苗は、悔しそうに唇を噛んで俯く。
 俺が賞品にさえなってなきゃ、香苗にとってこの勝負はなかなか魅力的だろうから…。
「俺は…俺が参加できるなら…俺は市田社長の条件を飲むよ。」
「え?」
 香苗は酷く驚いたようで、顔を上げ俺のことマジマジと見つめる。
「…洋介…いいの?」
「いいさ。要は勝てばいいんだからな。」
 市田社長が香苗の様子を楽しそうに観察する。
「椎名君はこう言ってるけど、どうする?あとはあなた次第よ。宮内さん。」
 香苗はキッと刺すような眼差しで市田社長を睨みつける。
「受けて立つわ!」
「交渉成立♪」
 市田社長はポンッと手を叩き、ご機嫌な笑顔を披露する。
「じゃあ、勝負が終わるまでは、私も椎名君に逢うのを我慢しましょうね。その方が次に逢う時には、今よりもずっと燃え上がることが出来そうだし!今日のランチもキャンセルするわ。」
 次に逢う時には、ずっと燃え上がるって……もう勝った気でいるのですか?
「作次郎さんには私からそれとなくS食品のことを紹介しておくわ。どう攻めるかはあなたたち次第。後は営業マンの腕の見せ所ね。」
 市田社長のお得意のウインクが決まる。
「これでしばらく楽しめて、しかも最後には椎名君との夢のような時間を手に入れられるのね〜♪」
 俺にとっちゃ地獄のような時間だ…。
 もし負けたら三日間……色んなものを搾り取られてしまいそうです…。
 怖い想像をしていると、市田社長は鞄から封筒を取り出し俺に手渡した。
 真っ赤な薔薇が描かれた派手な封筒…。
 何だろう。
「じゃ、またね♪」
 高らかに笑いながら市田社長は休憩室を出て行った。
 俺と香苗、そして完全にこの雰囲気に飲まれていた夏目は、無言で市田社長を見送った。
 封筒の中を開けてみると、68,250円が入っていた。
 昨日の食事代だ…。
 それと、薄いピンク色のカードが入っていてメッセージが書かれていた。
 『椎名君。昨日はごめんなさいね。そして、楽しい時間をありがとう。
P・S まだ安月給なんだから無理しちゃダメよ。』
 メッセージの最後はキスマークで締めくくられている。
 …市田社長は、確かにとんでもない人だ。
 でも、何故だろう…。
 別に彼女のことを信頼しているわけではなく、昨晩のことがあり、当然好感なんて持ってないのに…。
 なのに、この勝負は何故だか市田社長が俺たちのために用意してくれたような気がしていた…。
 って、考えていると、去ったはずの市田社長が入り口からヒョコッと顔を出した。
 な、何だ?俺は反射的に身構えた。
「再会の場所は高級ホテルのスイートルームでいいわね♪」
 と、言うだけ言って、今度は鼻歌交じりで去って行った。
 さっき思ってたこと撤回!!やっぱただのとんでもない人だ…(T_T)
「大丈夫よ、洋介。私は絶対負けない。」
 香苗が市田社長が去った後を凝視したまま呟く。
 当然!負けてたまるか!と、言うより、負けられねぇ!

2003.2.27