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歓迎会

 営業部に配属になった初日、俺は事務処理を手伝いながら仕事の流れの説明を受けた。

 午後は先輩に連れられて、少しだけ客先に挨拶回りをした。
 で、定時の5:30PMになり事務所に戻ると、みんなが帰り支度をして待っていた。
 俺の歓迎会をやってくれるそうだ。
 会社近くの居酒屋に連れて行ってくれた。

「椎名君、あまり飲んでないじゃないのー。どうしたの?」

 …どうしたの?じゃねーよ〜。
 香苗、お前のその笑顔を見ていたら、飲み物も食べ物も喉を通らない。
 居酒屋に着くなり、香苗は俺の隣に座り、動向や言動をチェックしている。

「そっかー。小学校の時の同級生かぁ。」
「そんな偶然ってあるんですね。」

 みんなが俺と香苗の子供の頃の話を聞きたがる。
 その都度、香苗はみんなにはわからないように、俺に刺すような視線を向けやがる。
 何で香苗が昔のことを話されたくないか、今日一日でかなり理解した。
 香苗はこの会社では『清楚で、大人しくて、優しくて、素直で、か弱い女の子』で通っているらしい。
 男性社員の人気者。
 みんな、香苗の演技に騙されてるなぁ。
 確かに香苗は美人だ。口さえ開かなきゃ、可憐なお嬢様って思わせる雰囲気がある。
 守ってやらなきゃって思うだろう。
 でも、昔の香苗を思い出すと、守ってもらいたいのはこっちの方だったんだぞと言いたくなる。
 こっちが何か一言でも口答えすると、100倍反撃を受けてたからな。
 そんな最強の香苗は、俺が見たトコ今でも健在だと思うのだが…。

「ねえ、椎名君。宮内さんって小学校の頃、どんな子だったの?」

 真正面に座っていた営業部の女子社員の中で、一番の古株、小田さんが興味津々って顔して聞いてきた。
 入社15年目のベテランだそうだ。

「どんな子って言われても…。」

 俺はチロっと隣にる香苗を見たが…。
 うわー。とっても優しい笑顔を俺に向けてやがるー。
 でも、テーブルの下では、俺の靴の上にヒールの踵の部分を乗っけて、いつでも足を踏めるように準備をしている。
 話を合わせろってことね…。

「今と変わらない、とっても大人しい女の子でしたよ。」

 …本当は暴力的で攻撃的な女王様でした…という言葉を飲み込む。

 こうして、俺の歓迎会は終了したわけだが…。
 タクシーで帰る者、電車で帰る者と、段々とバラバラになって行き、いつの間にか俺と香苗2人きりになり、電車に揺られていた。
 車内は空いていたので、隣に座ってはいるものの、その間には2人ほど余裕で座れるスペースがある。

「…もしかして、俺たち家も近くなのか?俺、次で降りるんだけど。」
 俺は、黙り込んでいる香苗に声をかけた。
 すると香苗は、少し疲れたようにため息をついた。

「私はその次の駅よ。」

 一駅違いの場所に住んでたなんてな。
 世の中狭いぜ。

「一人暮らしなのか?」
「そうよ。洋介は?」
「俺も。」

 久しぶりに香苗に名前で呼ばれ、少しドキリとする。

『洋介、早くしなさいよ!』
『洋介、私の命令が聞けないの?』
『洋介、いい度胸ね!私に口答えする気?』
 …などという素敵(怒)な想い出が頭に浮かび、身構えてしまう。

 そうこうしているうちに、駅に着いた。

「じゃ、俺、ここで降りるから。」
 そう言って席を立ち、電車を降りた。
 ドアが閉まる音がしたと同時に、背後に人の気配がした。
 振り返ると、香苗が立っていた。

「どうしたんだ?お前が降りんの次の駅だろ?」
 俺が驚いているのとは対照的に、香苗は真剣な顔をしている。

「…ねえ、もうちょっと飲んでかない?」
「へ?」
「この駅の周辺、結構賑わってるじゃない。飲み屋の一軒くらいまだやってるでしょう。」

 香苗は俺の返事を待たずに改札へと歩き出す。
 おいおい。
 サシで飲むのか?
 あまり気が進まないなぁ。
 でも、何となく香苗の様子も気になるので、まあ、いいか。
 俺は肩をすくめてため息をつき、香苗の後を追いかけた。

 駅前の、小さな居酒屋に入る。店内には数名の客がいたが、とても静かだった。
 テーブルに着き、注文をした後、香苗が口を開いた。

「まさか洋介がウチの会社に入社してくるとは思ってもみなかったわ。」
「俺だってお前がいるとは夢にも思わなかったよ。」
「社内報で新人の写真載ってるのに見過ごしちゃったのよね。」
「研修で各課に案内された時、見過ごしちゃったんだよな。」

 2人でひとしきり自分の迂闊さを憂いた。
 俺は気を取り直し、最大の疑問を投げつけた。

「なあ、香苗。お前どうしたんだよ。」
「何が?」
「何がって…。会社でのお前は一体なんだ?昔のお前は何処に行ったんだ?」
「何年経ってると思ってんのよ。人間は日々変わっていくのよ。」
「今俺の目の前にいるのは、昔のままの香苗に見えるが…。」
「洋介と話しているから、つられてこうなっちゃうのよ。それに、会社とプライベートで態度が変わるのは当然でしょう。」

 変わり過ぎだと思うけど…。
 でもまあ、香苗の言うことはわかる。
 なーんて、まだ社会人になって間もない俺に「わかる」なんて言っても説得力ないけどね。
 そうは思ったが、いくら態度が変わると言っても、香苗らしくない変わり方だよなー。

 香苗はキっと俺を睨む。

「いーい。昔のこと、会社でバラしたらタダじゃおかないわよ。」

 ふーん。
 俺は悪戯っぽく笑う。

「バラされたらヤバイんだ。じゃあ、俺は香苗の弱みを握ったってことか?」
「殺すわよ!弱み?馬鹿馬鹿しい!ただ昔のことで煩わされるのが嫌なだけよ。」
「煩わされる?」
「うちの会社の女子社員、そろいも揃って噂好きの暇人なのよ。人の粗探して陰でその話題で盛り上がるのに至上の喜びを感じているような奴らばっかだからね。」

 香苗、嫌悪感剥き出しで吐き捨てるように言う。

「昔のお前だったら、そんな奴ら遣り込めていただろ。」
「時間の無駄よ。だから黙っててよね。それに私、今は…。」

 香苗は、その後、少し辛そうに目を細めた。
 何か言いたげだったのに、出てきた言葉は…。

「まあ、とにかく、今の私はもう昔とは違うんだってことを良く覚えておいてね。」
「はいはい。」

 そんなにクギ刺さなくてもわかってるって。言わないよ。
 香苗は全然変わってないと思うんだけどね。
 あ、別に香苗が恐くて黙っててやるわけではないぞ!
 断じて違うぞ!
 弱みなんかで香苗に勝ちたいわけじゃない。
 正々堂々と勝負して勝ちたいんだ。
 ……でも、俺たちは、もう小学生じゃないんだから、勝負って、どんな勝負すんだよ。
 俺は思わず笑ってしまった。
 すると香苗が訝しげに俺を見つめる。

「何笑ってんのよ。」
「いや、お前、覚えてるか?俺との約束。」
「ああ、明日も勝負しようって言ってたのに、すっぽかしちゃったやつね。」
「俺は今でもお前に勝ちたいと思ってるんだぜ?」
「あら?じゃあこれから店の前で殴り合いでもする?私はかまわないわよ。」
「バーカ。女を殴る男なんて最低だよ。」
「本当は負けるのが恐いんでしょう。昔だって私のこと一発も殴れなかったもんね。」
「ふん。別に恐くねーよ。」

 そんなことを言いつつ、軽く喧嘩口調で会話が弾み、日本酒を注ぎあって、気が付いたら閉店時間になっていた。
 気のせいか、歓迎会の時の香苗より、楽しそうに見えた。
 俺も昔のままの香苗の方が何だか落ち着くんだよな。
 ……何で落ち着くんだ?
 こいつにこき使われてきた記憶は鮮明に残っているのに。
 とんでもねー。
 俺はきっと、そうとう酔っ払ってんだな。
 そのわりに、思考はハッキリしている気はするが、気のせいだ。
 俺は酔ってるんだ。
 香苗も、酔いで少々頬が朱色に染まっている。

 店を出て、そこで始めて終電が終わっていることに意識がいった。

「お〜い。終電終わってるぞ〜。って、言っても、隣の駅だし、お前、歩いて帰れるよな。」
「もう夜中よ?もちろん送ってくれるんでしょうね。」
「タクシーでも拾えばいいだろ。」
「じゃあ、勝負する?私が勝ったら黙って送っていくこと。」
「いいぜ。受けて立つ!」

 勝負はじゃんけん。
 今度こそ一勝を勝ち取るぞ!!
 …って思ったのに、そうは上手くいかないらしい。
 見事に負けてしまう。
 ううう(涙)連敗記録更新だ。

「相変わらず勝負弱いわね。」
「お前が強すぎんだよ。」

 人通りのない道を30分ほど歩き、香苗の住むコーポに到着した。

「じゃあね。明日、遅刻しないでよね。それと、会社では敬語を使うのよ!私は先輩なんだから。」

 香苗はそう言って、俺に背を向けた。
 俺が軽く手を振り、踵を返した時、コーポに向って歩き出していた香苗が足を止め、ポツリと呟いた。

「男が守ってあげたくなるような女の方が、世の中上手く渡って行けんのよ。」
「え?」

 俺は振り返り、香苗を見た。
 でも香苗は早足で建物の中に消えて行った。

 何なんだ?今の台詞は。
 俺はその場で立ち尽くし、しばらく考え込んでしまう。
 どうしたんだ?あいつ…。

2002.7.26 

この小説のタイトル、最初は『ラストバトル』にしようと思っていたんです。(笑)