らすとばとるG
応接室の前に立つ。 …重厚な扉が更に重々しく感じるなぁ…。 負けるな洋介! 覚悟を決め、ノックして声をかける。 「椎名です。失礼します。」 怯む気持ちを振り切るように勢い良くドアを開けると、まず初めに強い香水の匂いが鼻に突いた。 うあ…。付けすぎだよ、香水!たまに満員電車でもいるよな。こういうちょっと迷惑な奴。 真正面にあるソファーに深々と腰を沈め、足を組んでゆったりと座っていた女性が、俺の姿を見るやいなや立ち上がる。 「良く来てくれたわね!椎名洋介君!」 うっとりした顔で両手を頬に当て、瞳を輝かせて俺に熱い視線を向ける女性…。 これが市田社長かぁ…。 玄関ホールでは、すれ違う時チラッと見ただけだったからよくわからなかったが、今改めて対面してみると、強気な姿勢が前面に出ていて、自信たっぷりって感じのオーラが出ている。 凄い存在感がある人だなぁ。 背は160cmくらいだろう…。黒々としたショートの髪。 顔も体つきもふくよかで全体的に丸い。ちょっとぽっちゃりした猫の顔を思い起こさせる容姿で、愛嬌がある。 …しっかし、とんでもなく厚化粧だ。これじゃ素顔がわからない。 身に纏ってる派手な色彩の服も煌びやかな装飾品も、多分全部ブランド品。 おっと…肝心なことを早く言わないと。 「この度は不快な思いをさせてしまい、申し訳ありませんでした。」 詫びを言って頭を下げる。すると、市田社長が駆け寄って来て、いきなり俺の腕を掴み、引きずるようにしてソファーに座らせた。 すげー力持ちだぁ! 「そんなこともういいのよ椎名君。それよりここに来てくれたってことは、私の担当になってくれるってことよね?」 俺の隣にどっかりと座り、身を乗り出してくる。 『私の』じゃなくて、『イチダ屋』の担当だー!!…と、心の中で即刻修正する。 「はい。まだまだ勉強不足の身ですが頑張らせていただきます。あの…名刺を…。」 内ポケットにある名刺入れを取り出そうとすると、その手を掴まれてしまう。 爪に真っ赤なマニュキアが塗られた指が俺の右手に絡み付いてくる。 「そんな堅苦しい挨拶は止めにしましょう。料亭を予約してあるからそこでゆっくり話をしましょうね。」 「りょ、料亭?」 何の話だ? 「とても美味しい懐石料理を出してくれる老舗の料亭よ。椎名君と今後のことも含めて色々と話し合いたいからね。今日は私の誕生日だし、椎名君に祝って欲しいわ。それに…。」 市田社長、少し目を細め懐かしそうな顔で俺を見る。 「二人の再会も祝したいしね。」 「え?」 二人の再会?二人って誰と誰のことだ? 俺が頭に?マークを乗っけていると、市田社長は少し落胆気味に肩を落とす。 怒らせたかな? ちょっと待ってて下さいね。今思い出しますからー!! 再会ってことは、俺が何処かで市田社長と会ったことがあるってことだよな?? 懸命に記憶を探るが、焦れば焦るほど何も出てこなくなる。 隣にいた市田社長の顔に怒りの表情は浮かんではいない。 代わりに苦笑いしているが…。 「…そうね。あの頃の私と今の私、随分違うからね。気が付かないのも無理ないわね。」 やっぱ俺と市田社長、どっかで会ったことがあるんだ!! 「あの…。」 何処で会ったのかを聞きたかったが、先に市田社長がストップをかける。 「教えてあげないわよ。自分で思い出しなさい。」 市田社長ってば、悪戯っぽく笑い、さっきまで俺の手を握っていた指を解き、その手で俺の頬にそっと触れる。 数秒後、名残惜しそうに手を引っ込める。 「さ、椎名君。料亭に行くわよ。」 素早く立ち上がり、呆気に取られてる俺の手を取る。 「あの…ちょっと待ってください。まだ仕事中で…。」 「園田さんには了解を取ってあるから大丈夫よ。」 「え?」 「あなたがここに来る直前に園田さんから内線で電話がかかってきて、『うちの椎名なら、市田社長の好きな時に好きなように取扱って構いませんから。』って言われたわよ。」 …なんですと? 俺は応接室の隅に置かれた電話を睨む。 あんの野郎! 俺が会議室から出てすぐに応接室に電話したんだな! 総務部の会議室から応接室までの距離は歩いて一分たらずなのに、その間にしっかりと俺のことリボンかけて贈呈しやがった。 俺は商品じゃねーぞ! 「まさか、嫌だとは言わないわよね、椎名君?」 俺に目を落とす市田社長、笑っているけど眼差しは鋭く、拒絶することを許さない雰囲気だ。 …とりあえず、今は従おう。 観念し立ち上がる。それを見た社長はニッコリと笑い、応接室を後にする。 俺も後を追うが、気分は売られて行く牛のようだ…。 正面玄関を出ると黒塗りのハイヤーが待っていて、運転手がいそいそと降りて来て後部座席のドアを開ける。 俺を放り込むように座席に座らせ、市田社長も乗り込み車は走り出した。 逃げたいーーー! 窓の外を『逃げたい』って気持ちをこめて物欲しそうに眺めていると、座席シートの上に置いていた俺の左手がふいに温かくなる。 見てみると、市田社長が俺の手の上から手を重ねている。 恐る恐る顔を上げると、市田社長の笑顔があった。 「なに強張った顔してんの?怯えているみたいじゃない。」 はい、そのとおりです。 正真正銘、思いっきり怯えてるんです…。 「大丈夫。誰だって最初は新人なんだから、失敗を恐れずのびのびやりなさい。」 「…はあ?」 「私が育ててあげるわね。」 「…あの…何の話を…。」 「何って仕事の話よ。」 市田社長は目をまるくし、キョトンとして答える。 俺は自分が思っていたことと、市田社長が言ったことのギャップに驚いて、すぐには続ける言葉が出なかった。 すると、市田社長は噴き出して、声を立てて笑う。 「もしかして椎名君、私の色んな噂聞いたのね?!!」 腹抱えて可笑しそうに笑ってる…。 あれ? 市田社長の口ぶりからすると…園田課長が言ってたことって、やっぱ単なる噂なのか? 俺が安心しかけた時、市田社長がニヤリと笑う。 「その噂、ほとんど正解よ。」 「え?」 「ただ、少々誤解されてる部分もあるけどね。」 「誤解?」 「私が取引先にちょくちょく顔を出すのは、本当に仕事相手のことを良く知りたいからなのよ。」 凛々しい顔して市田社長は語る。 が、それもつかの間で、すぐに悪戯っぽい笑顔になり俺に流し目を送る。 「でもねぇ。仕事場も立派な出会いの場!好みの男を見つけたら逃すって法はないでしょう?たまたま取引先にいい男がいたってだけの話しよ。客って立場を利用してでも欲しいものは手に入れるわ。」 こ…公私混同もいいトコだ…。 俺の無言の抗議が伝わったのか、市田社長は挑戦的な眼差しを俺に向け、堂々と宣言する。 「仕事とプライベートを分けろって言いたげね。生憎私は好みの男が傍にいると気力が漲るのよ。仕事もバリバリこなせるし。結果、バンバン儲かる。一般常識やモラルなんて知ったこっちゃないわ。私にとって男は仕事へのエネルギー補給になるの。止めたら死活問題だわ。それに…。」 市田社長、ワンテンポ間を置いて、あっけらかんと主張する。 「男だったら私の仕掛ける仕事と恋の駆け引きを楽しむくらいの余裕を持たなきゃね。なにも脅し文句の言いなりになる必要なんてないのよ。」 「…言いなりにならなくても仕事とは別にして考えてくれるってことですか?」 「駆け引きだって言ったでしょう。ケース・バイ・ケース。切り捨てる時もあるわよ。でも、私のことを手玉に取れるくらいの男なら決して損はさせない。どう?やりがいのある仕事だと思わない?」 市田社長、ウィンクしてる…。 …めちゃくちゃな持論だけど、ここまで自信満々に言われると圧倒されてしまう。 いかんいかん!!断固闘わなければ! 俺が身構えていると、市田社長の表情がふいに柔らかなものになる。 「…でも、椎名君。覚えておいてね。あなたは特別。」 「特別って…どういう意味ですか?」 尋ねても、微笑むだけで教えてくれない。 何なんだよ一体。 謎は、再び口を開いた市田社長の言葉でますます深まる。 「私は今度こそ素直にならなきゃね。でなきゃ欲しいものも手に入らない。」 「はぁ…。」 曖昧な返事をすると、市田社長はチラッと俺に顔を向けたがすぐに目を逸らし、俯き加減になる。 「…私に足りないものはあなただけなの。今日それがわかった。」 市田社長、独り言のようにポツリと呟く。 あまりに小さな声で俺にはよく聞き取れなかったが…市田社長は今までとは違い、やけに憂いのある空気を纏っていた。 俺たちを乗せた車は暮れ泥む街を突き進んで行く…。 |
2003.2.8 ⇒