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らすとばとるH

 市田社長に連れて行かれたのは、実に立派な門構えの料亭だった。
 ワビサビの世界に浸れそうな庭を通り抜け、ワビサビってどういう漢字だったっけ?などと考えているうちに部屋に案内される。
 12畳ほどの小座敷で、もちろん部屋からは先ほどの庭も見渡せる。
 和服姿の仲居さんがビールとお通しを運んでくる。豪華懐石料理のスタートだ。
 市田社長と向かい合うように座り、とりあえず乾杯するが…俺は今まで生きてきて、こんな肩の凝りそうな食事するのは初めてだ。
「こういうトコは居心地悪い?」
 市田社長は俺を楽しそうに観察している。
「こういった場所は慣れてなくて、落ち着かないです。」
 見透かされていることをひしひしと感じるので正直に答える。無理してもボロが出そうだしな。
「椎名君。こういうこと一つ一つが仕事の肥やしになると思いなさい。必ず役に立つわよ。」
「え?」
「営業は結局人と人とのコミュニケーション。例えば飛び込みの営業で、話を聞いてくれた担当者がどうやら食べることが何より大好きな人だとする。椎名君がさしてグルメでなくても、ここでの体験を基に、楽しい会話が出来るようになると思わない?」
「でも、詳しくなければ物足りない話しかできないんじゃ…。」
「あのねぇ。興味持ってる人に教えてあげることの楽しみってもんもあるでしょう。相手が話したがっている話題には、耳を傾け惹き付けられたように聞く。要は椎名君の話のもって行きよう。上手くいきゃ相手の懐に入っていけるかもしれないでしょう。」
 なるほど…。
 俺はテーブルの上に目を落とし、焼き物の皿にちょこんと載ったお通しをみつめる。
 何ていう名前の食べ物なのか知らないけど…綺麗に飾られていて見た目で楽しめる。
 何かのつみれのようなものを食べてみる。…美味しい。
 でもなぁ。俺は大皿にどかんと炒め物でも載っけて出してくれた方がいいなぁ。
 初めて食べる懐石料理。この話を面白おかしく着色できるんだろうか…。
 でも、どんな所にでも話題は転がっているんだよな。
「同レベルの商品が2つあった場合、こいつは信頼が置ける、好感が持てるって営業マンの方の商品を選ぶでしょう?仕事の話ばっかりじゃ味気ない。」
 確かにそのとおりだけど…。
「客に売り込むのは商品だけでなく、自分自身を売り込むことなのよね。」
「あの…。」
「何?」
 市田社長は箸を止め、俺の言葉を待ってる。
「何で俺にそんな話してくれるんですか?」
「言ったでしょう。あなたは特別だって。」
「先ほどもそう言ってましたが、何故なんですか?」
「あなたが私のことを思い出してくれたら教えてあげる。」
 市田社長のウインクが見事に決まる。
 軽くあしらわれてるな…。
 料理が前菜からお作り、焼き物まで出てきた時点で、酒もビールから日本酒に移り、市田社長もほろ酔い気分になってきたようだ。
 噂に聞いていた市田社長と、今目の前にしている本人との間に微妙なズレを感じていた。
 そのズレは、もちろん好ましい方にズレているので、俺はいつの間にか警戒心を解いていた。
 市田社長は日本酒を飲みつつ気軽に冗談を言い、屈託なく笑う。
「こんなに楽しいお酒は久しぶりよ。」
「俺も市田社長がこんなに話しやすい方だとは思っていませんでした。」
 などと本音を出してしまっている始末。
 言葉遣いも『私』から『俺』になっちゃってるし…ってことも気付いてなかった。
 市田社長は手元のお猪口を見つめポツリと呟く。
「ねえ椎名君。私ってそんなに怖がられているのかしら?」
 あれ?…何だか急に元気がなくなった…。
「そうよね。我侭だし自己中心的だし思い通りにならないとすぐ闘争心に火が点くし…。可愛げのない女よね。」
 とても気弱な声…。このまま話していたら泣き出すんじゃないか?
 俺の言った言葉で傷つけちゃったのかな?
「あの、確かにかなり強引だと思うし凄く我侭な人だなって思ったけれど、実際話ししてみるとわりかし感じの好い人だなって言いたかったわけで…。」
 慌てて説明を加える。
 すると、市田社長はクスクスと笑い肩を竦める。
「ありがとう。でも、私相手にそこまで遠慮なく『強引』だの『我侭』だのって言う人今までいなかったわよ。いい度胸してるわね。」
 うわっ!俺ってば墓穴を掘りまくってるだけじゃねーか!!!
「すみません…。」
「『つい本音を言ってしまいました?』って?」
 意地悪な笑みを浮かべて俺の様子を伺っている。
 いや確かに本音だったけれど決して悪い印象は受けてないっス〜。
「そんなに畏まらなくていいのよ。話を続けましょ。ねえ、椎名君。初恋っていつだった?」
「初恋ですか??」
 突然話を振られすぐには答えられなかったが、市田社長の方が先に話を切り出す。
「私は小学校5年の時だった。クラスメートの男の子。告白もしたのよ。でもね、振られちゃった。何で振られたと思う?素直に答えて。」
「…強引に迫りすぎた…とか。」
 恐る恐る答える。市田社長はまたもや噴き出して笑う。
「嫌ねぇ!違うわよー!こう見えても子供の頃は大人しい、いたいけな少女だったのよ。」
「え!???」
 『大人しい市田社長像』が思い浮かばない…。
「…そんなにまんまるい目で驚かれるとムカつくわね。」
「あ、すみません。」
「まあいいわ。正解は貧乏だったから。」
「…え?」
「ウチ、超が付くほど貧乏でね。近所でも有名だったの。よく苛められたわ。みんなが当たり前のように持っている物も私には手の届かない憧れだった。」
 市田社長はお猪口になみなみと注がれていた日本酒を一気に飲んでおっきく息を吐く。
「初恋の相手に『お前んち、貧乏だし汚いから傍にいたくない。』って言われて振られた。最悪よね。」
 俺は…返す言葉がなく、手酌で日本酒を注ぎ飲みこむ。
「口惜しくて悲しくて。散々泣いた後、誓ったのよ。」
「誓った?」
「絶対お金持ちになって欲しいもの全部手に入れてやる。誰にも負けない。誰よりも偉くなってやる。そう誓ったわ。」
 力をこめた声。
「そう思ってがむしゃらに生きてきた。で、今は仕事で成功してお金持ち。願いが叶ったってわけ。」
 市田社長、笑っているのにどこか寂しげ。
 願いが叶ったと言う割には勝負に負けたって顔してる。
「こういう生き方してきたからいつの間にかとんでもなく強くなっちゃってね。誰から見ても私って一人で生きていける勇ましい女に見えるでしょう?そう思わない?椎名君。」
 妙に明るい声で言うけれど、無理してる…と感じる。
 確かに第一印象はとんでもないつわもので、誰の助けもいらないって人に思えたけど…今目の前にいる市田社長はとても頼りなげに思えた…。
「やっぱり男の人は守ってあげたくなるような女が好き?」
 なんつーぎこちない笑顔…。
 市田社長の表情と言葉に、ひしひしと切なさを感じる。何でこんな気持ちになるんだろう。
 同じような台詞を最近聞いたからかな…。
 市田社長と香苗のことが重なり、俺の心に入りこんでくる…。
『ねえ、洋介。男の人ってさ、守ってあげたいって思わせるような女の方が可愛いと思う?』
 香苗にそんな台詞を言わせた『何か』が今もってわからないことがもどかしい。
「…俺は好きになった人を守りたいと思う。」
「椎名君?」
「好きだから守りたいって思うんだ。」
 切なくなるのは、守りたいって思っているのに俺の手を必要としてもらえないこと。
 俺、かなり酔ってるのかな…。
 なんつーか、無性に語り合いたくなっている。
「社長!今夜はとことん飲みましょう!」
 俺の勢いに市田社長はキョトンとするが、次の瞬間、もとの豪快な明るい笑顔になる。
「そうね!飲みましょう!景気付けに乾杯しましょ!!」
 景気良くお猪口で乾杯した。
「じゃあ今度は椎名君の初恋の話を聞かせなさいよ。」
 市田社長は興味津々に身を乗り出して聞いてくる。
「白状なさい。聞き逃げは許さないわよ。」
「聞き逃げって…社長が勝手に話したんじゃないですか。」
 一応抗議。が、ひと睨みされて早々に観念した。
「小学校の時、クラスメートにすげー態度のでかい奴がいて、毎日そいつと喧嘩ばっかしてました。結局一回もそいつに勝てないまま転校されちゃって。その時は悔しくて思わず泣いちゃいましたよ。」
 話しながら脳裏を過ぎるのは…。
 懐かしい校舎、校庭、教室…そして当時の香苗の姿。
 最後に心の中に浮かんだのは今の香苗。
 うん。
 昔の香苗も今の香苗もとびっきりのいい女だ。
「思えばそれが俺の初恋だって最近になって気がついたんです。」
「椎名君…。」
「はい?」
 市田社長、妙に深刻な顔してる。
「その初恋って…もしかしてまだ終わってないの?」
 図星なだけにドキッとした。
 何でわかったんだ?
「…過去の話じゃなくて、現在進行形ってわけね。」
「な、何で?」
「何でわかったか?勘よ。」
 女の勘はあなどれないな…。
「勘だけでなく…今の椎名君、想い出として話してなかったもの。」
 何故だか市田社長の様子…切羽詰ったものに変わる。
 俺、何か悪いこと言ったっけ?
 原因を考えるけど、酔いで思考が働かない。
「椎名君。」
 名を呼ばれたので顔を上げた瞬間、首の辺りが前に引っ張られ、つんのめるように俺の体が前に動いた。
 倒れないようにテーブルに手を付いたので、数本の徳利が倒れ、小鉢がひっくり返る。
 首周りが引き攣れるように痛い。
 市田社長が中腰になり、左手はテーブルについて右手で俺のネクタイを掴み、思い切り自分の方へ引き寄せたんだ。
 何故そんなことをするのかな?って考えを巡らせた時、更に…もっと考えなきゃいけない事態に陥る。
 市田社長の顔がドアップで視界に入るし、香水の匂いも鼻をモロに襲う。
 俺の唇を柔らかくて温かなものが塞ぐ。
 この感触は…大学の時付き合ってた二股女と別れてからとんと忘れていたもの…。
 …ちょ、ちょっと待てーーーーーーーー!!
 俺、今…市田社長とキスしてんじゃねーか!!

2003.2.12 

次回からキャラ壊れ気味(笑)