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らすとばとるE

 今朝の楠木先輩の騒動は、どうやら和解の道が開かれたらしい。
 ひとえに田鍋さんと企画課長のおかげだろうけど、数十分の話し合いの後、会議室から出てきた楠木先輩と企画部長の表情は穏やかだった。
 企画課長にいたっては、相当にホッとしたらしく顔が緩みっぱなしで笑ってる。

 人の考え方はすぐには変えられるものではないと思う。
 それでも色んなことがあって少しずつ変化していくものなんだろう。

 楠木先輩は自分の席のゴミ箱の上で、辞表をそっと破り捨てた。

 香苗は胸を撫で下ろしたって顔で楠木先輩を見つめていたが…。
 俺は香苗の左手薬指ばかりに目が行っていた。

 香苗は何故婚約指輪を外したんだ?
 …結婚を止めにしたとか??
 だとしたら香苗の激しい心境の変化は一体どこから来たんだ?
 …なんてな。
 自分に都合の良い想像ばっかしちゃってるけど、汚しちゃ困るから外したとか…全然たいした理由なんてないのかもしれないしな…。
 香苗に真意を問いただしたい…。
 過度な期待をするのを必死で抑え、香苗に聞くチャンスをうかがうが、この日、俺も香苗も終始忙しくて結局何も聞けないまま夕方になってしまう。

「私も自分の決着つけなきゃね。」
 定時を迎え、帰り支度を済ませた香苗が、残業決定の俺にポツリと洩らした言葉。
「決着って?」
 尋ねると、香苗は答えをくれずに、ただ微笑んでいた。
 そして意気揚々と帰って行ったが…。
 俺は少々不安げな眼差しで香苗を見送った。

 次の日。
 テキパキと仕事をこなす香苗がいる。
 まあ、以前も仕事はテキパキだったけど、猫かぶりを止めた香苗はそれに拍車がかかる。
 周りのみんなも恐る恐るではあるが、新バージョンの香苗を認知し始めているのが感じられる。
「今の宮内さんの方が親しみやすいっスね〜!」
 と、嬉しがる輩まで現れた。
 香苗もサバサバと言い返し、会話を楽しんでいる。

 昼休み直前香苗から一緒に昼飯を食べないかと誘われた。
 聞きたいことが山のようにあったので、もちろん即OKしたが、俺が話をする前に香苗の方から爆弾発言を聞くことになる。

 香苗に案内され、会社から少し離れた所にある寿司屋に連れて行かれた。
 ランチメニューではあるけど、俺の昼飯予算から結構オーバー気味のお値段だ。
 まあ、代わりに味も美味しいけど。
 俺が久しぶりの寿司の味を堪能している時、香苗がいきなり話し出したんだ。

「婚約指輪、返しちゃっただと!?」
 俺、素っ頓狂な声を上げてしまう。
「しー!バカ!声が大きいわよ!!」
 香苗は右手人差し指を立てて口許に持って行き、俺を睨む。
 そりゃ声も大きくなるさ
 実に淡々と、「昨日の夜、園田さんと食事したんだけどね。その時に婚約指輪返しちゃったんだ。」と、告げた香苗に俺がついついでっかい声で驚いても無理はないだろう?
 当然だが、理由を尋ねる。
「何で?何で返しちゃったんだ?」
「何でって、結婚断ったからよ。」
「だから、何で断ったんだ?」
 香苗、テンポ良く寿司を口に運んでいた箸を置き、「…私がバカだったのよ。」と、答え、自嘲気味に微笑む
「土曜日、洋介といる時、園田さんから電話があったでしょう。で、私食事の誘い断ったじゃない。」
「あ、ああ。でも、用事があったからだろう?」
 香苗は小さく首を横に振る。
「本当は用事なんかなかったの。」
「じゃあ何で…。」
「園田さんと、もう恋人同士で会えないって思っちゃったから…。だから咄嗟に断っちゃったのよ。」
 小さなため息をつき、苦笑いした香苗。
「で、昨日の楠木先輩の一件を見てて、ああもうこりゃダメだって思ったの。」
「こりゃダメだ?」
「うん。でね。早い方が良いって思って昨日のうちに園田さんを夕食に誘って、プロポーズ断ったの。」
 
 …『こりゃダメだ。』から、いきなり『プロポーズを断ったの。』と言われても、まったく話が見えてこないぞ。
 でも、そんな俺の状況はおかまいなしに、香苗はどんどん話を続ける。
「園田さんには平謝りしたわ。なかなか納得してくれなかったけど、最後には指輪を受け取ってくれた。」
 園田課長…よく受け取ったな。
「ちゃんと本音を白状したわ。プロポーズにOKした時私の心の中は打算しかなかったってね。軽蔑されるのも覚悟だった。」
「…それで?」
「園田さん、怒りもせずに聞いていた。最後に『諦めない。』って言ってたけど、指輪は受け取ってくれたわ。本当に申し訳ないことしちゃった。」
「園田課長を…好きじゃなかったってことか?」
「尊敬はしてる。でも、愛してはいない。」
「じゃ、お前はやっぱり玉の輿だけを狙ってたのか?」
「園田さんにはそう伝えたし、はたから見てもそう見えちゃうだろうケド…実際はちょっと違うのよね。」
 香苗は、少し寂しそうな笑みを浮かべ、肩を竦める。
「幸せになりたかったのは本当だし、この結婚に人生かけてたのも本当。園田さんは最高の相手だった。でも、玉の輿狙いって言うより…これは私にとって復讐だったのかもしれない。」
「復讐?」
 穏やかじゃない言葉だな…。
「そう、復讐。男に対しての復讐。」
 香苗は目を閉じて、自分を戒めるように言う。
 その後、そっと目を開け、俺を見る。
「でもね、ダメだった。自分を偽って生きるのは苦しい。私には耐えられない。」
 おーい。
 俺の頭の中、『?』マークが飛び交ってるぞ。
 香苗の抱えている『何か』がまだ隠されたままなので、香苗の一連の行動に関する核心部分がわからん。

「なあ、復讐って何だよ。」
「内緒。バカな真似はやめたんだし、もういいじゃない。さあ、せっかくのお寿司よ、食べよう♪」
「ここまで言ってはぐらかすなよ!!」

 誤魔化されないぞ!
 断固追及してやる。

「それよりさ、勝負、ルール変えなきゃね。」
 香苗はいきなり話題を変え、イクラの軍艦巻きを口に放り込む。
「へ?」
 勝負のルールを変える?
「何呆けた顔してんのよ。当たり前じゃない。例の勝負って、私が園田さんと結婚するまでが期限だったじゃない。その結婚自体がなくなったんだもの、勝負の内容も変えなきゃダメでしょう?」
「あ…。」
 そっか。そりゃそうだな…。

 園田課長との結婚話がご破算になったって言っても、それってこの勝負始めた目的半分達成ってだけなんだ。
 俺の最終目的は、まだ到達してない。

「言っとくけど、私はまだあんたに惚れてなんかいないからね。」 
 香苗、頬杖を付いて、余裕の笑みを見せつける。
 ちっ!そんなこと言われなくてもわかってるよ。
「で?じゃあその期限はいつにすりゃいいんだ?」
 半ばヤケ気味に聞くと、香苗は目を細め、形の良い唇を動かす。
「ねえ、この勝負。いっそのこと、全部仕切り直さない?」
「…全部変えるってことか?」
「うん。今はまだ良い案が浮かばないけど、どうせだったらお互い楽しめる勝負にしたいからね。」
「お互い楽しめる?」
「そう。だって洋介の言った勝負って、一方的でしょう?私からリアクション起こすものって何もないじゃない。」
「そりゃそうだけど…。」
「受身でいるだけなんてまっぴらごめんよ。」
 そうは言っても、じゃあどんな勝負にしろって言うんだ?
 そもそも楽しむために勝負を始めたわけじゃねーぞ。
 香苗は、俺の困惑振りを楽しそうに見ている。
「ねえ、私に少し時間をちょうだい。勝負のテーマは変えずに最高の内容考えてくるから。いいでしょ?」
「…ああ。別にいいけど…お前、何かやけに楽しそうじゃないか?」
 心もち、高揚しているように見えるのは…気のせいじゃないはず。
「楽しいわよ。だいたいね、私は追われるより追う方が血が騒ぐのよ。」

 ゾクッとした。

 香苗の強い視線が俺だけに注がれる。
 …まるで、猫に狙われた鼠になった気分だ…。
 と、体を固まらせていたが、香苗の視線が俺から外されたことで、魔法が解けたように自由になる。
 香苗は腕時計を見て、慌てた顔をする。
「大変!早く食べなきゃ昼休み終わっちゃう!」
「あ、ホントだ。」
 俺たちは忙しなく寿司をかっ込む。

 …結局、香苗の復讐についての話を追及することもなく昼休みは終わってしまった…。
 トホホ。
 …まあ、何にしても香苗はプロポーズを断った!これは俺にとって、希望が出てきたって思えるめでたい話。
 園田課長には悪いけど、素直に喜んでおこう!
 しかし、園田課長、このままみすみす香苗のことを諦めはしないだろうな。
 あの人、とても粘着質っぽく思う。まあ、俺の勝手な思い込みかもしれないけどね。
 本人だって諦めない宣言しているんだし、警戒しておいた方がいいよな。

2003.1.20 

寿司食べたいー!!と、思う現在AM1:00…。お腹減ったなぁ。