戻る


らすとばとるB

 香苗は姫のことがかなり気にいったらしい。
「ホントに可愛い猫よね〜。名前は?」
「姫。」
「へえ!ピッタリね。美人猫だからね〜。」
 …違うぞ。態度がでかいからつけた名前だ。
「洋介!酒がないぞ!」
 香苗が空になったワインのビンを掲げ、酒を要求する。
 飲むペース早っ!!
 ビールもワインも日本酒も底をついたし…仕方ない。
「酒、調達してくる。」
 俺は近所のコンビニに酒を買いに走り、急いで戻ってみると…。

「おいおい…。」
 苦笑いする。
 香苗は姫と同じように肘掛に寄りかかり、爆睡していた。
 それはそれは安らかに、気持ちよさそうに寝息をたてて。
 …見事に安心しきった寝顔で、複雑な心境に陥る。
「おーい。あんまし無防備にしてると襲っちまうぞ〜…。」
 と、言ってはみたが、そんなことできるはずもなく…ベッドからかけ布団を持って来て、香苗にかけてやる。
 床に座り、俺は一人寂しく飲み始めた。姫がそんな俺を哀れに思ったのか、ソファーから降りて俺の膝に乗っかってきた。

「…なあ、香苗にとって、俺は小学生のガキの頃と変わってないのかな?」
 姫に向って話しかけるが、当然返事など返ってくるはずもなく、ただ俺の顔をじっと見上げている。
「上等だ!絶対振り向かせてやっからな!」
 手にしていたビールを一気に飲む。
 数本ビールを空け、俺も睡魔に負けて机に突っ伏し寝てしまう…。
 だから気がつかなかったんだ。
 この時、香苗が薄っすらと目を開け、小さな声で「意気地なし…。」って呟いていたことを…。

 窓から射しこむ朝日が俺の顔を照らし、ゆっくりと目をあけた。
 身体が痛い…。あ、床で寝てたからだ…。
 香苗にかけていた布団がいつの間にか俺にかかっていた。
 状況を把握するため身体を起こす。
 俺、酔って寝入っちゃったんだな。
 先ほどから良い匂いがして、食欲も目を覚ます。
 台所に立つ香苗の後姿が目に入る。

「香苗。」
 呼ぶと、包丁を持った香苗が振り返る。
「あ。洋介、おはよう。目が覚めたのね。」
「何してんだ?」
「何って、朝ごはん作ってんのよ。勝手に台所物色させてもらったわ。もうじきできるから。献立はご飯とお味噌汁と厚焼き玉子!あ、それと、シャワーも使わせてもらっちゃった。バスタオルも借りちゃったわよ。ベッドも借りて寝ちゃったからおかげ様でグッスリ眠れたわ♪」
「…香苗。お前、俺の部屋にすっかり馴染んでないか?」
「そうなのよねー。」
 香苗は頭をかきながら笑う。
「なんて言うか、洋介のものは私のもの。私のものは私のものって感じなのよね。」
 悪びれる様子もなく言いやがる。
「…香苗、一応俺も男だぞ。もう少し緊張してくれ。」
「あら?」
 香苗はニヤリって感じで笑い、包丁を持ったまま腕を組む。
「男だって思わせたいなら、もっと努力しなきゃね。」
「…あのなぁ。」
「そんなことより、今日はどこへ連れて行ってくれるの?」
 あっさり話題を変えやがって!
 …しかし。何処へ行くとか何をするとか深くは考えていなかった。
 香苗は園田課長に色んなところに連れて行ってもらってんだろうし、普通の内容じゃどう逆立ちしたって敵わないよなぁ。

「あれだけ胸張って勝負挑んできたんだから、もちろん普通のデートなんてことないわよね〜。」
 挑戦的な眼差しを向けニヤリと笑う香苗。
 ちくしょ〜。俺のこと観察して楽しんでやがる。
 思いつくまま、園田課長が発想しないようなことを必死で考える。
  あれもだめ、これもだめ…と、消去法で辿り着いた先は…。
 くそう!こうなったらもうヤケだ!
「香苗。飯食べたら出かけるぞ!!」
「了解♪」
 いつになく弾んでいる香苗の声…。

 香苗が作ってくれた朝飯はとても美味しくて、ちょっと感動。

「お前、料理できたんだな。」と素直な感想を述べて驚いたら、軽く睨まれた。
 こうして楽しい食事を終え、さっそく家を出た。

 俺、バイクは持ってるんだけど車はない。
 駅近くのレンタカー屋で車を借りていざ出発!
 途中香苗の家に寄り、必要なものを持ってこさせる。
 少し渋滞気味の国道をひた走り、目的地へと向う。

「…何処に連れてくるのかと思えば、温泉とはね。」
 目的地へ到着し、香苗は少し呆れ顔で建物を見上げる。
 町営の日帰り温泉施設。山の麓にある小さな温泉。
「今日は青空の広がる絶好の温泉日和じゃねーか。何か不服か?」
「…普通勝負をかけるデートに連れてくる所?しかも高級旅館ならともかく、素晴らしく素朴な施設ね〜。」
「煩いな!文句は入ってから言え!」
 絶対に園田課長が思いつかないデートの場所で、俺が得意な分野って言ったらこれしかない!!って思ったんだけどね。
「…まあ、デートとしてはどうかと思うけど、温泉自体は好きだから…いいけどね。」
 香苗は肩を竦め、施設に入って行く。
 持ってこさせた必要な物とは、バスタオルや着替えなどの温泉グッズ。
 格子造りの民家っぽい和風の外観。『泉の湯』は地元の人たちが気軽に入りに来る温泉なんだ。

 俺、学生の頃バイクに乗るのが好きで、ツーリングのついでに温泉めぐりしてたんだよね。
 そのうちツーリングがメインなのか、温泉がメインなのかわからなくなっちゃったってわけ。
 この温泉はそんな時に見つけたお気に入りの場所なんだ。

 内湯と露天風呂があって、露天風呂から見える景色が絶品で、山の緑と近くを流れる川の水音が、自然を満喫させてくれる。
「こういうとこは初めてよ。地味な内装ね〜。うわ!お土産屋さんまである!この漬物、美味しそうねー。」
 香苗はきょろきょろと忙しなく視線を動かし、ぶつぶつと文句なのか興味津々なコメントなのか判断するのに難しい言葉を吐く。
「んじゃ、一時間後、2階の休憩室で集合な!」
「OK。」
 香苗は軽い足取りで女湯へ入って行った。
 …楽しんでくれてる…かなぁ…。微妙だ。
 俺も温泉に入りに行く。前回来たのは…入社前だったよな。
 浴室には大きなガラス張りの窓があり、内湯からでも外の景色が楽しめるようになっている。
 湯煙の中、お湯に浸かる。う〜。日頃の疲れが取れていく…。

 小一時間温泉を楽しみ、待ち合わせの休憩室に行くと香苗はまだいなかった。

 休憩室は結構広めの、宴会場を思わせる畳の部屋。食事処でもあり、カラオケもできる。
 地元のご老人たちが楽しそうに演歌を競い合って歌っている。
 何度もここにきている俺には見慣れた風景に見慣れた人たち。
 使い古されぺったんこになった座布団に座り、気持ち良さそうに歌っているお爺ちゃんの声を聴く。
 なんか、好きなんだよね。こういうの。

 しばらく雰囲気に浸っていると、香苗がやってきた。

「…良いお湯だったわ。」
 …香苗、不本意ながらって顔してコメントする。少し口惜しそうだ。ふふん。結構気に入ったんだな。
「こういうのもいいだろ?」
「まあね。でも、あんた、温泉が趣味だったの?じじむさいわね。」
「じじむさいんじゃなくて、健康的って言ってくれ。」
 香苗は俺の反応を見て笑い、隣に座る。
「…ねえ、洋介。小学校の時、私が引越ししてからどんな毎日過ごしていたの?」
「そりゃあもう平和で穏やかな毎日だったよ。」
 穏やかだけど何かが足りない毎日。
 大事なものが欠けてしまったような脱力感があったもんな。
 宿敵がいなくなった所為だと思っていたけど、本当は好きな奴がいなくなった喪失感だったんだな。
「穏やか過ぎてやる気までなくなっちまったよ。」
「何言ってんだか。」
 香苗は景気良く笑ったが、ふと笑い声が途切れ今にも消えてしまいそうな微笑みに変わる。
「…洋介はあの頃とちっとも変わらないわよね。」
 香苗、少し首を傾げるようにして、俺の顔を見る。昔を懐かしむ柔らかな眼差しになっていた。
「お前だって再会した時、何一つ変わってなかったぜ。」
 俺にとってごく当たり前の返答をしただけだったのに、香苗の顔が微妙に強張る。
「私は…。」
 香苗は少し俯き、膝の上に乗せていた手の甲をじっと見つめる。
「私は随分変わったわ。」
 急にどうしたんだ…?
「ねえ、洋介。男の人ってさ、守ってあげたいって思わせるような女の方が可愛いと思う?」
「え?」
「男を押しのけて勝ちたがるような女は嫌い?誰よりも前を走りたがるような女は可愛くない?」
 押しのける?前を走りたがる?
「答えて。」
 俺の方を見ず、答えを求める香苗の顔は酷く追い詰められていた。
 突然聞かれても、上手い具合に答えなんか出てこない。
 数十秒間真剣に考え込み、ようやく思い浮かんだことを口にしてみる。
「他の女のことなんか知らないけど…。」
 颯爽と生きてく香苗の姿をイメージする。
 思ったとおりのことを言おう。
「もしその女が香苗だったら、俺はずっとその姿を見ていたい。」
「見ていたい…?」
「ああ。んでもって、出来ればその勝負に一緒に参加したいけどな。」
「勝負って…何で話しが勝負になっちゃうわけ?」
「『押しのける』とか『前を走る』って言葉から連想するのはやっぱ勝負とか競争だろ。」
「あ、ああ。そうよね…。でも、参加って…。敵になっちゃうじゃない。」
「別に個人プレーの勝負にしなくたっていいだろ?味方にしてくれよ。」
「…でも、敵になっちゃったら?」
「そりゃ闘うさ。全力で。」
「じゃあ、やっぱりその敵の女が憎いでしょう?」
「…今の話の例えでは、その『敵』ってのは香苗だろ?」
「そうよ。」
「だったら憎いどころか、きっと勝負の最中でもその姿に見惚れちゃうだろうな。」
 その姿を見たくて勝負に参加するようなもんだ。
 香苗は素早く顔を上げ、俺を見る。
 世にも奇妙な物を見つめているって顔だな…。
 その後、弾けたように笑いだす。
「あんたって本当におめでたい男ね!普通恥ずかしくて言えないわよ、そんな台詞。」
「恥ずかしさなんて構ってられっか。」
 俺には時間がないんだ。短期決戦なんだからな。
 それに…。
「それに、俺は至極もっともなことを言ってると思うけど?」
「え?」
「香苗の一番可愛くてカッコイイ姿が見られる。」
 俺の本当の気持ち。
「……。」
 香苗は今度は目を見開いて俺を食い入るように見つめていたけど、やがて目を伏せ、何故だか辛そうな顔をする。
「洋介…。」
 ドキッとする。次に来る言葉は何だ?
「お腹空いたわ。ここって何か食べられるの?」
 ガクっ!
 気が抜け肩を落としてしまう。
 何だよ。空腹になっただけかよ。
 …そんなわけ、ないよな…。何だかはぐらかされた気分だ。
「…ここにはないんだけど、車で少し走れば美味しい蕎麦屋があるよ。」
「蕎麦。いいわね。食べたい!」

 この後の香苗は終始はしゃいでいて、これでもかってくらい笑っていた。
 でもなぁ。どこか空元気って感じで、すげー気になった。

 夕食も済ませ、そのまま香苗の家まで送って行く。
「ありがとう。」
 車から降りた香苗は、ドアを閉める前に屈んで俺に礼を言ってくれた。
「じゃあね。」
 ドアを閉め、そのままコーポに行こうとする香苗。
 …何だか釈然としないまま今日って日を終わらせたくない衝動に駆られる。
 俺は呼び止めるため、車を降りる。
「香苗。ちょっと待って。」
「ん?」
 香苗は立ち止まると同時に振り返る。
 真っ直ぐに俺に向けられている香苗の瞳。
「…香苗さ。お前いったい何を迷ってんだよ。」
「………。」
 心当たりが思いっきりあるらしく、目を大きく見開いたと思ったら、今度は俺を軽く睨みつける。
 俺は更に挑発するようなことを言ってみる。
「何だか知らないけど迷ってるくらいなら、やめちまえ。」
「………。」
「お前、本当は何をどうしたいんだ?思わせぶりな態度を小出しにしてないでハッキリ言ってみろよ。」
 …内心、かなり緊張しながら言っていた。
 もしかしたら香苗の抱える爆弾に点火してしまうのではという恐怖感もあった。
 が、意外にも香苗の反応は…。
「…続き、言ってよ。」
 俺の言葉を真っ向から受け止めている。
 しかし、言ってみろと言われると、途端に怯んでしまうな…。
「香苗…。」
「続き、言ってよ!早く!思いつくまま言ってみてよ!!何してんのよ!言いなさいよ!」
 言ってることは喧嘩腰だったが、表情と声音は、まるで助けを求める悲痛な叫びのようだった。
「お願い!言ってよ!」
 今にも泣いてしまいそうで、俺は思わず香苗の肩を掴んでいた。
「香苗。お前本当にどうしたんだよ?何があったんだ?」
「あんたが悪いのよ!」
「え?」
「あんたが私の前に現れなきゃ気が付かずに済んだのに!あんたさえ私の前に現れなきゃ変われたのに!ずっとずっと誤魔化して生きていけたのに!幸せになれるのに!」
 香苗は一気に言葉を吐き出し、最後に心の底から搾り出すように呟く…。
「洋介はまるで過去から来た私よ…。」
「…どういう意味だ?」
 俺の問いには答えず、気の抜けた笑いを浮べる香苗。
「…ううん。違うわね。過去からじゃなくて…。…私が懸命に心から追い出して捨てたはずの…。」
 ここで香苗の言葉は途切れてしまう…。
 香苗は目を逸らし俯いてしまい、これ以上話すことを拒んでいた。
 子供が言いたくても口を開いたと同時に涙が零れてしまうのを嫌がり、必死で堪えている姿に似ている。
 俺も香苗も黙り込んでいたが、香苗の鞄から何処かで聞いたことのある流行歌が流れ出し、沈黙を破った。

 携帯電話の着信音。

 香苗はしばらくの間鳴りっぱなしにしておいたが、やがてのろのろと鞄から携帯を取り出した。
 携帯を耳にあて、応対する香苗。
「はい。…あ…。」
 香苗が一瞬俺を見て、その後クルリと後ろを向いてしまう。
 明るい声で…楽しいって声音を作って話をする香苗。
 電話の相手は多分園田課長だな。
「明日食事に?ごめんなさい〜。明日は用事があって。…はい。本当にごめんなさい。私もとっても残念です。あ、はい。失礼します。」
 そう言って香苗は電話を終わらせた。
 園田課長からの誘いを断ったのか?
「…いいのかよ。断っちまって。」
 つい聞いてしまった。
 香苗は携帯をギュッと握る。
「本当に用があるのよ。…じゃあね。」
 俺の顔を見ずに、足早に自分の部屋へと消えて行った。
 …俺、やっぱり爆弾に点火しちゃったのかな…。
 だとしたら、それはいったいどんな爆弾なんだろうか…?
 香苗が言ってくれなきゃわかんねーよ…。

2003.1.4 

今年初UP。ちゃらんぽらんな管理人ですが今年もよろしくお願いします〜。