「おじちゃん。」
突然話しかけられ、啓太の意識は現実へと連れ戻される。
絵美が少し心配そうに啓太の顔を覗きこんでいた。
「おじちゃん、泣いてるの?」 「え?」
慌てて手の甲で目元を拭う。少し涙ぐんでいたようだ。
「いや、何でもないよ。ちょっとぼんやりしていただけだから。」
絵美に微笑を向ける。そして、今やるべきことを考えようと思う。
<とにかく、この子から逃げることを考えよう>
啓太は頭を軽く横に振り、気持ちを切替えた。
絵美は啓太から目を逸らさず、じっと見つめ続けていた。
『おじちゃん、わるいひとなんかじゃない。』
先ほど絵美に言われた言葉を思い出し、苦笑いする。
<俺は正真正銘の犯罪者なんだ>
警察に追われているのも事実だ。啓太は胸に痛みを感じつつも、絵美から逃れることだけに集中する。
「なぁ、絵美ちゃん。」 「なぁに?」 「君のお母さん、泣いてたよな。」
絵美はビクッと体を震わせた。
「泣きながら、絵美ちゃんのこと、ここに埋めてたよな。」
左手で、絵美の眠る地面にそっと触れる。
啓太の静かな声。絵美は黙って俯いていた。
しばらく間をおいた後、啓太は微笑を浮かべ、質問をした。
「もし、絵美ちゃんが、お母さんの大切なものを壊しちゃった時、どうする?」 「たいせつなもの?」
突然話しが変わり、絵美は首を傾げた。
「例えば、お母さんがとってもとっても気に入ってたお茶碗を、絵美ちゃんが壊しちゃったら、どうする?」
絵美は、身に覚えがあるのか、眉間にしわを寄せて難しい顔をした。
「あやまるもん。」 「絵美ちゃんは、偉いね。でもさ、もし怒られるのが嫌で、壊れたお茶碗を隠して知らないふりをしたら ……どんな気持ちになる?」
絵美は叱られた時のような少し怯えた顔になり、その後、悲しそうに目を潤ませうな垂れてしまった。
<…そういう経験があるのかな?>
絵美の様子を見て、啓太は少し複雑な気持ちになる。啓太は、絵美が母親のことを強く思い遣る気持ちを
とても愛しいと感じていた。でも、今その気持ちを利用しようとしているのだ。
<ごめんね、絵美ちゃん>
胸が痛み、心の中でそっと詫びてから言葉を続けた。
「悪いことして黙っているのって、辛いよね。」
啓太の言葉に絵美は小さく頷いた。そして、今にも泣き出しそうな震えた声で言った。
「……えみ、まえにおかあさんのコップ、こわして…あやまれなかった。おかあさんがさがしているの しってたのにあやまれなかった。」
ぽろぽろと涙の粒が落ちていく。ついに泣き出してしまった。
「……つらいね、胸が痛いね。」
啓太はゆっくりと手を動かし、そっと絵美の胸の辺りに触れた。実際は幽霊なので触れることなど
できないのだが絵美の心には啓太の温もりが伝わっているようだった。
「今、絵美ちゃんのお母さん、きっと同じ気持ちになってるよ。」
絵美はハッとして目を見開いて顔を上げ、啓太を見つめた。
「絵美ちゃんをこんな冷たい土の中に埋めたままで、君のお母さん、きっと苦しんでるよ。」 「え?」 「お母さん、絵美ちゃんに辛い思いさせてきっとここが痛くて苦しんでる。」
啓太は、今度は自分の胸の辺りを指差して言った。絵美は小さいながらも、啓太が言おうとしていることを
ちゃんと感じとっていた。涙が頬を伝い続ける。
<そうだよ…こんなにも、痛くて苦しい…>
自分の胸を押さえ、啓太は心の中で、呟いた。それでも、鉛のように重くなる気持ちを必死で堪え、
言葉を続ける。
「でも、お母さんは『たつお』といる限り、警察に行くことも、絵美ちゃんをここから出してあげることも できないんだ。」
絵美は目を大きく見開いた。
「その苦しみから、お母さんを救ってあげることができるのは、君が埋められるのを見ていたおじちゃんしか、 いないんだ。」 「う…うぇぇ。」 「だから……絵美ちゃん。お願いだからおじちゃんをこの林から出してくれないか?」
絵美の顔は涙と鼻水でグチャグチャだった。時折、小さな声で「おかあさん。」と呟いていた。
絵美を説得しながら、啓太は心から血を流していた。自分で言った言葉は全て、自分の罪に対して
向けられている言葉だからだ。
<俺は最低だ>
泣き続ける絵美を見つめて、啓太はこれ以上言葉を続けられなくなっていた。
誰も救うことができず、誰にも優しくすることができず…人の命まで奪った。それでも逃げ続けようともがく
自分をどうすることもできなかった。
今まで、啓太の心の底に押し込まれていた気持ちが一気に噴出した。
憎しみ。
悲しみ。
犯してしまった罪。
痛み。
…加奈への愛情。
その全てが啓太の心に重く圧し掛かり、啓太を責めているようだった。
<いっそ、このままここから出られず、死んじまった方がいいのかもな…>
そんなことを考え始めた時…。
「おじちゃん…。」
黙ったまま俯いていた啓太の耳に、絵美の声が届く。啓太はゆっくり顔を上げた。
そこには、泣きながら縋るように啓太を見つめている絵美の姿があった。
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