友里がそのことに気が付いたのは、啓太達を引き取って2年経ってからだった。
深夜、ふと目が覚めた友里は隣の布団に正志がいないことに気が付いた。お手洗いかと思っていたが、
なかなか戻らないので様子を見に行ったが、トイレに正志の姿はなかった。
寝室に戻るため、廊下を歩いている友里の耳に微かに泣き声が聞こえた。
<…加奈ちゃん?>
それは加奈の声だとすぐにわかった。友里は戸惑いながら階段まで歩いていった。
友里と正志の寝室、そして、啓太の部屋は1階にあり、2階には加奈と客間があった。
友里は不安になりながら階段を一段一段上がり、加奈の部屋へと近づいた。
『ごめんなさい。ごめんなさい…。許して下さい。』
嗚咽の合間に、消えてしまいそうなか弱い加奈の声が聞こえる。
<まさか…>
不吉な想いに友里の心臓は押しつぶされそうになる。加奈の部屋の前まできた時、
友里はあまりのことに立ち尽くした。ドアは閉まりきっておらず、薄く開けられた場所から、
時折洩れてくる声。部屋の中を見なくても、どれほど醜く残酷なことが行われているか、 手に取るようにわかった。
正志は、わずか14歳の少女を弄びながら抱いていた。
『いうことを聞かないと兄妹そろって路頭に迷うことになるぞ。』
正志は、嫌がる加奈を脅し、怯える姿を楽しむように抱き続けた。写真やビデオまで撮り、
泣き続ける加奈に笑いながら言った。
『お前のこんな姿を見たら、啓太やお前の友達はなんて思うだろうな。』
加奈は、正志に放り出されたら行く所などなくなってしまうと思い詰めた。そして、何より啓太に
心配かけまいと誰にも助けを求めず、されるがままになっていた。
もし、この時点で啓太が気が付いていたら、どんな手を使ってでも加奈を守りきったに違いなかった。
<お兄ちゃん…>
本当は啓太に助けを求めたかった。でも、啓太が事実を知ったら今までの生活を捨て、啓太自身の力で
生活を始めようとするだろう。加奈の幸せだけを願い、自分の全てを犠牲にしてしまうだろう。それがわかって
いたからこそ、加奈は何も言わずに一人地獄のような生活に耐え続けていた。
啓太には幸せになってもらいたかったのだ。
加奈に対して正志が行った行為は、邪悪で卑劣極まりない、許されざるものだ。正志に対する憎しみ、
嫌悪感が友里の中で噴出した。
正志は友里が2人を引き取りたいと言った時から、加奈に目を付けていたと確信した。だから友里の
希望をすんなり受け入れたのだ。部屋の割り当てをしたのも正志だ。動きやすいようにと考えたのだろう。
<なんて人なの!>
この事実を知った友里は、加奈を救わなければと思ったが、同時に違う感情にも支配された。体の奥から
湧き上がる感情。その気持ちに気が付いた時、友里は愕然とした。
<嫉妬?>
信じたくなかった。
認めたくなかった。
でも、友里は、加奈に対し敵意のようなものを感じていた。
友里は、正志に苛められ続け、弄ばれてきたはずなのに、憎しみと同じくらい抱いてきた情。こんな
事実を知った後でも、友里の心を捕らえて放さなかった。
<これは本当に愛情なの?>
何度考えても答えは出なかった。
愛。
執着心。
女の独占欲。
愛して欲しいと願う気持ち。
友里の心を様々な感情が支配する。何故こんな男から離れられないのかと自分を責めたりもしたが、
どうすることもできなかった。
そして、友里のとった行動は…。
何もしなかったのだ。
加奈と正志の関係を知りながら、何も口出ししなかった。
正志に対する憎しみと愛情。
加奈を守りたいという気持ちと、加奈への女としての嫉妬心。
友里はその全てから目を背け、逃げてしまった。日常生活を壊さないことを最優先に考えてしまった。
そして時が過ぎ、耐え切れなくなった加奈は、たった一人で死を選んだ。
加奈が自殺し、それからも毎日は過ぎていった。
<加奈ちゃん、ごめんなさい。ごめんなさい>
加奈の無残な姿を目の当たりにした時、心臓をえぐられたような衝撃と痛みを覚えた。友里は加奈を
救おうとせず、見殺しにしてしまった自分を責め続けた。
誰かに自分の罪深さを話し、責めてもらいたかったが、同時に自分の罪を知られることへの恐怖を感じ、
結局誰にも打ちあけず心の底に押し込め生きてきた。毎日のように心の中で加奈へ許しを乞い、謝り
続けた。そして、真相を何も知らないまま、突然訪れた妹との別れを悲しむ啓太にひたすら尽くすことで、 加奈への罪を少しでも償おうとしていた。
加奈の死について、啓太が苦しんでいたことを叔母は知っていたが、どうしても事実を打ち明けることが
できなかった。
自分が犯した罪への恐怖。事実を知った啓太が正志に対しどんな行動をするかも怖かった。
友里は、日常を守るために、正志と自分との生活を守るために、誰にも言わずに事実を胸にしまい
続けてきた。
でも、自分の命の終わりが近いと知った時、ぞっとするような冷たい絶望の闇が友里を包み込んだ。
死に対する恐怖。
加奈に対する罪を背負ったまま死を迎える恐怖。
友里は、加奈とのことを全て知っていたことを正志に告白し、せめて加奈の墓前で詫びてやってくれと
頼んだ。でも、正志は自分がしたことに罪など少しも感じておらず、詫びるどころか、『啓太を育ててやった
のだからそれで帳消しだろう。』と面倒臭そうに冷たく言い放った。
友里は悶え苦しみながら、必死で自分の罪を償う方法を探していた。いや、ただ単に誰かに救いを求めた
かっただけなのかも知れない。
友里にとって、加奈がこの世を去ってしまっている今、罪を償う対象は啓太しかいなかった。
知らない方が幸せな人生を歩めることもある。…そんな考えなど追い詰められた友里の心には、思い
浮かばなかった。
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