目撃者B
『おまわりさんにいったらゆるさない!!』 絵美が言ったこの言葉は、母親のことを庇っているようにしか聞こえなかった。 <本当に母親が自分の娘を殺したのか?> 単なる想像が、啓太の中で現実味を帯びてきた。でも、さすがに言葉にすることはできなかった。 啓太は、少し考えた後、ニコッと笑って、なるべく軽い口調で話しかけた。 「安心しろ。俺は警察になんか行かないから。」 「うそ!」 絵美は泣きながらも、険しい目つきで啓太を睨んだ。 「嘘じゃないよ。俺、警察嫌いだし…それに。」 いったん言葉を切り、少しだけ躊躇した後、言葉を続けた。 「それに俺、警察に追われてるんだ。」 どこか開き直ったような明るい声で言った。 絵美は目をぱちぱちさせて啓太を見つめた。 そして眉間にしわを寄せ小さな体で身構え、警戒心を露わにした。 「おじちゃん、わるいひとなの?」 「ま、そういうこと。でもさすがに幽霊相手じゃ何もできないから安心しろ。」 悪びれる様子もなく、あっけらかんとしている啓太。 絵美は幼いながらも、啓太が『本当に悪い人』なのかを自分なりに必死に見極めようとした。 啓太の笑顔も雰囲気も、絵美にとっては『悪い人』のイメージにはどうしても当てはまらなかった。 それどころか、啓太が作るその場の柔らかな空気は絵美の涙をいつのまにか止めていた。 「おじちゃん、わるいひとなんかじゃない。きっとけーさついって、おまわりさんにおかあさんのこと、 いいつけるにきまってる!」 絵美はぷいっとそっぽを向いた。 <ダメか…> 啓太はため息をついて、別の方法を考え始めた。 <何とかしてこの子から逃げないとな…>と思い、啓太は絵美に目を向けた。 絵美は、見た感じ年齢は5歳前後、色白で少々痩せ気味な体つき、艶のあるおかっぱの黒髪と 大きな瞳が印象的な幼女。 ふと、絵美の足にアザがあるのが目に映った。 絵美の体は幽霊のクセにまるで実態があるかのように存在している。 服も、埋められる時着ていたピンクの長袖シャツとジーンズのキュロットをちゃんと身につけている。 キュロットから伸びる、膝から下の細い足にアザや擦り傷、火傷の跡があることに気が付いた。 そして、啓太が目を背けたくなったのは、絵美の首に残る跡。 <首を絞められたのか?> ごく普通の女の子に思える絵美。現在見える部分の首と足に付けられた 生々しい暴力の跡と、啓太が見ている彼女の姿が幽霊だということ以外は。 <…虐待?> すぐにそんな言葉が啓太の頭に浮かぶ。 啓太と目を合わせようとせず、ぼんやりと立ったままの絵美。 啓太はそっと絵美の腕に手を伸ばすが、幽霊なので当然触れることなどできず、手はすり抜けてしまう。 絵美はその行動に気が付き、啓太を見つめ、きょとんとして首を傾げた。 「なぁに?」 「絵美ちゃん。おじちゃんに腕を見せてくれないか?」 さりげなく、微笑みながら言った。 絵美はビクッとして、数歩後退り、怯えた目で啓太を見つめた。 啓太は慎重に言葉を選びながら尋ねた。 「その足の傷、転んだりぶつけたりして出来たものじゃないよね? ひょっとして、腕や体にも傷やアザ、あるの?」 「う…うえぇ。」 絵美の瞳がだんだん涙で潤んで、今にも泣き出しそうに口元を歪めた。 「怖がらなくていいから。おじちゃんにその傷のこと、話してくれないか?」 啓太の言葉を聞き終わる前に絵美はしゃがみ込み、瞳から涙を落とした。 「うぇぇん…え〜ん」 再び泣き出した絵美を見て、啓太はバツが悪そうに苦笑いし頭をかいた。 <まいったな…また泣かせちゃった> 仕方なく、啓太は何も言わずに、そっと絵美の傍に寄り添うように座って泣き止むのを待った。 どれくらい泣き続けただろうか。絵美はようやく涙を止めることに成功し、ポツリポツリと話しを始めた。 「おかあさんは、なにもしてない。ほんとうだよ。」 「うん。信じるよ。」 「みんな、たつおがわるいんだ。」 「『たつお』って?絵美ちゃんのお父さん?」 絵美は激しく首を横に振った。 「ちがうよ!!おとうさんなんかじゃない!えみからおかあさんのこと、とった…イヤなやつ!」 啓太は、なんとなく絵美の置かれていた状況を想像していた。 「たつおはえみのこと、きらいなんだ。」 「…その『たつお』は、君に痛いこと、した?」 啓太はできるだけ優しい声音で尋ねたが、それでも絵美は体を震わせ、辛そうに顔を歪めた。 「えみ、たつおなんてだいきらいだ。」 その様子と、その言葉だけで充分だった。 <その『たつお』って男が、母親の単なる恋人だったのか、絵美にとって義理の父親だったのかは 知らんが、その男に乱暴されてたんだな> そして、絵美がどんな目にあわされて、最後にここに辿り着いたかを想像するにつれ 啓太の心は激しい痛みと不快感に襲われた。 啓太の頭に浮かんだのは残酷な想像。 絵美は『たつお』という男に嬲り殺された。 そして母親は、絵美の言うとおり、何もしなかったのだ。 絵美に暴力を振るい続ける男を止めるでもなく、我が子を守るでもなく、文字通り何もしなかったのだ。 しまいには男に言われるまま、この場所に我が子を埋めにきた。 我が子よりも、愛した男をとった。 母親でいるより、女であることを選んだ。 これは、あくまで啓太の推測にすぎないが、事実とそう遠くないものだと確信していた。 絵美は、その母親を…自分を見捨てた母親を、健気にも懸命に庇おうとしているのだ。 啓太はそう理解した。 |
2002.3.27 ⇒